丹波篠山 Georgeのホォ〜?!

ホォ〜?!とは驚きとなるほどのコラボレーションだぜ

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ブログ移転のお知らせ / じょ〜じ

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こちらのブログは、下記のURLに移転いたしました。

http://george.blog.eonet.jp/
2008年7月11日(金) at 17:31 

人生なんてわからんもんや・・・その3 / じょ〜じ

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それはTK-80というNECのシングルボードコンピュータから始まった。

20代後半の頃、深くは考えてなかったけど、将来はコンピューターの時代と言うのは予感していた。今から25年ほど前のことやね〜。

当時、わしの周りにはコンピューターのコの字も無かった。
でもわからんけど面白そうなのでこのTK−80を買った。
買って、さて何に使うかとなったが、やっぱりさっぱりわからん(汗)

付属していた本にプログラムの仕方など書いてあってその通りに打ち込んだら、7セグのLEDがパカパカと点灯するだけのもんやった。

おかげで、コンピューターにはメモリとCPUとIOがあってニモニックという言語でプログラムを書くと言うのはわかった。
でも、それ以上のことは出来んかった。

そして、2,3年後に日本初のパソコンがNECからPC8001として発売された。当時16万ぐらいしただろうか、思い切って買った。しかし、親父に「高いおもちゃ買うて。」と言われたもんやった。

これはN-Basicが走ってて、とっても使いやすい代物で、フロッピーディスクは付いてなくて、カセットテープにメモリするものだった。

Basicが面白くて、機会計算や、近所の工場の売り上げプログラムを作ったりして、毎晩さわっていた。

この頃は、まだパソコンを持ってるやつは周りにおらんかったから、Georgeはパソコンが出来るらしいと近所で評判になって、ワープロをうってくれとか、結構言われたもんや。

そうこうしてるうちに、職場でも色々な処理をパソコンを使ってやり始めたので、まずはわしがやってみんなに教えるというパターンが出来た。

一番懐かしいのは、三菱のDATABOXというソフトを使いこなせた事が、うれしかったなぁ。

それから、今まで多くのパソコンを乗り換えてきた。

そして、自分の本業の自動化の設計についても、機械のコンピューターが数年送れて世の中に出て来て、これもすぐに取り入れた。
当時、この近辺ではわしの右に出るものはおらんかったね。
それぐらい入れ込んでたからなぁ。

この業界の技術進歩はめちゃくちゃ早かったから常に新しい情報を入れな、陳腐な設計をしてしまうことがあった。

そして、40前になって来て、プログラムの開発が、とってもしんどくなってきたのと、管理業務が主になってきたのでそろそろサラリーマンも卒業したいなと思い始めた。

この辺で、ちょっと方向転換して、仕事も大事やけど、自分の人生や家族との人生を楽しく生きたいと思うようになって、いまの自営業を始めたのであります。(^_^)

何が言いたかったかといいますと、「好きこそ物の上手なれ」好きな事を一生懸命やったら、道は開けます。

コンピューターの時代はまだまだ続きますわ。だからジュニアにもどんどんとやれというとります。この前もパソコン組み立てよったしね。
どんなことが出来るか、知ってると知らないとでは、パンかステーキかちゅうぐらいの違いがあると思うね。

若い間は、貪欲になんにでもチャレンジして自分を磨くことが大切、年を取ってくると痛切に感じる。

フリーターとかニートとかあるけど、今がよければそれでよいは、必ず後悔するなぁ。人は生きるために生まれて来てるんやから、感動を味わえる人生をぜひ送って欲しいと思う。







2005年3月6日(日) at 18:23 

あのサンデープロジェクトの / じょ〜じ

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田原総一朗氏の講演を昨日聞く機会があった。

テレビでは、ゲストに辛辣な質問などをして、凄い方だが、どんなんかなと楽しみにしていた「時代を読む」と題しての講演だった。

まず、戦後の話で今年で戦後60年が経った。それは戦後が定年を迎えたこと。
そして、その60年も同じ政党が政権を担ってきたのは、他の先進国ではない・・・

経済では勝つ企業には共通点がある。1.クリーン、情報の共有、2.嘘をつかない、3.見苦しく無い経営・・・・

IT時代は新しい技術を開発した企業がトップを走る。

日本はアジアやヨーロッパから信頼をされている。マスコミが日本はだめと報道しすぎる。

などなど、誠に面白く興味のある話だった。

あの田原氏の事をもう少し知りたいとNetで検索したら、昨年奥様を亡くされたらしい。それも深い愛を貫かれたご夫婦のようであった。お互いの娘さんが結婚されてから再婚されたようです。

声も大きいし、はっきりとおっしゃるし、聞きやすくあっと言う間の時間でした。







2005年3月6日(日) at 17:16 

人生なんてわからんもんや・・・その2 / じょ〜じ

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昨日は人生の節目の2回目を書いたけど、今日は1回目を書きます。

わしは小さい時から体が弱くて、あのツベルクリンで何回も陽性になって、医者通いをしていた記憶がある。それから熱が出て、よう学校を休んだもんや。
寝てても、天井がぐるぐる回るような感じで、奈落の底に落ち込むような感じを覚えている。

そして、小学校5年生時分から春になると目が充血して痒くなる春期カタルという病気で高校時分まで春になると医者通いをしていた。

そんな訳で、運動も苦手やったし、多分根性もなかったし勉強も通知簿は3か2ばっかり・・・・でいつも覇気が無いと書いてあった(汗)

それが中学校三年生の時に、担任になられたM先生の一言で
わしの人生は大きく変わった。

1学期の中間テストが終わって、ホームルームの時にM先生が「技術のテストは、George(芸名です・・)が95点で一番やった、みんなもがんばれよ!。」
と言ってくれはった。知ってる限りではそんなこと言う先生では無かった。

それまで、多分95点なんて取った記憶が無かったし、たまたま山が当たったとしか言いようが無い状況で、みんなから「おまえすごいなぁ。」と羨望の眼差し?を受けた。この時は突然に嵐が来たようで心の準備も出来てなかったけど、メチャうれしかったのを覚えている。

その時の、喜びが忘れられずにそれ以降技術だけは真剣に勉強をしてその1年はすべて(^^♪をもらった。みんなから一目を置かれるようになり、この時にやれば出来るんやと教わった気がする。

卒業間際にM先生から「Georgeはやったら出来る子や、ようがんばったな。」と言ってもらってまたまた感激やった。
今から思えば、ちょっとしたことやったけどM先生は凄い先生やった。
そして、わしもそんな大人になろうと思った訳である。



2005年3月4日(金) at 22:30 

人生なんてわからんもんや・・その1 / じょ〜じ

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わしの小中時代しか知らんやつは、今のわしを見て驚く(笑)
それは180度変わっているからである。めちゃくちゃおとなしくて、どこにおるのか分からん子どもやったのに、今じゃ目立ちたがりのおっさんだからだ(汗)

この年を迎えて自分が大きく変わった人生の節目は三回あった。まずはその2回目の話をしよう。
高校を出るとすぐに就職をした。しかし、当時本命のM菱電機を落ちて、近所のおっさんの世話で○本ケーブ○システムという企業に入った。

まあ、いうたら能力も関係ない、おっさんの顔で入ったというなんとも情け無い気分やったのを覚えている。

しかし、働くと言う事はそんな甘いことは無かった。生産技術と言う一応専門的な仕事で、実力の無さを痛感してもう一度電気の勉強を始めた。
そして、仕事が終わってから神戸の専門学校へ行ったりしていた。

そんな中で、しょっちゅう飲み会があった。わしは元々酒は弱いし、酒飲んでぐだぐだしてたら、いつも悪酔いして、最悪な状態かそうで無い時は行くのをお断りしていた。

それが一変したのだ。そうカラオケ
が世に出てきたのだ。当時8トラックと言う凄いテープで頭出しも簡単で、歌は好きやったから、飲んで歌ってエコーが効いてもう歌手気分で・・・・。

効いてた先輩たちが「おまえ、うまいのう!」と言ってくれて有頂天に、豚もおだてりゃ木に登る?!
(実際はそんなにうまくないんやけど(^_^;)

で、それ以来飲み会が待ち遠しくて、飲んでも歌えば発散できて、悪酔いすることも無くなり、20代30代は週末にはカラオケに行ってた。お蔭様で人と話をすることが苦ではなくなって、楽しくなってきた。

いまじゃほとんど歌うことも無くなったけど、わしにとってはカラオケ様様やねん。(^_^)/~

人から見たら、しょうもない事やけどこれによって、自分の存在感を実感出来たように思った。



2005年3月3日(木) at 22:51