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落書き / argument

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最近、落書きに関するニュースが多い。
落書きは今に始まったものではなく、昔からあるのだろうし、日本人に限ったものでもない。

イタリアの世界遺産への落書きがニュースとなり、これ以外にもいっぱいあるということで一気に取り上げられることになったのでしょう。
こういうニュースがされれば「落書きは悪いこと」と認識ししなくなる人がいる反面、逆に自分もやってやろうという輩もでてくるので、落書きについてのニュースを報道しすぎるものどうかと思う。特に落書きを擁護しているという風に取られかねないコメントはやめておくべきだと思う。

ここ数日のニュースを見ていると、どうも「世界遺産に書いては駄目だろう」「わざわざ名前を示す馬鹿」などというような少しずれた発言もあるし、ある局では落書きの歴史なんてものを紹介し、まるで「落書きも歴史を経れば遺産になる」と取られかねない報道をしていた。

「芸術家が落書きをし、それが後世大変な遺産となること」なんて話もあったりするので落書きすることに罪を感じない人も居るのではないだろうか。


しかし「落書き」は「落書き」。
誰が書こうが、何処に書こうが、どんなに芸術性があろうが、持ち主に断りを入れずに書くことは、許されるべきではない。

被害の大きい小さいで判断したり、書いている内容で判断したり、世間があいまいにしているから、駄目なのです。


世界遺産の寺院に落書きしたら駄目で、普通の寺院ならばOKなのでしょうか?
世界遺産の寺院でも、落書きした本人がそれをしらなかったらOKなのでしょうか?

落書きが下手なら駄目で、上手ければOKなのでしょうか?
自分自身で「上手い」と思っている人が落書きした場合は、それが下手でもOKなのでしょうか?

メッセージ性があればOKで、メッセージ性がなければ駄目なのでしょうか?

そうではないはずです。
「落書きはすべて駄目」なのです。

そうでなければ、落書きする者は自分に都合良く解釈して自分自身を許して落書きをする。
これでは落書きはなくならない。

世界遺産の寺院に落書きされれば、確かに大問題です。
一方、街の商店のシャッターに落書きされれば、商店主にとってみれば大問題です。

例えば、登山中に山にゴミを捨てる人がいます。
こんな小さなゴミならいいだろう、一人ぐらいならいいだろうとゴミを捨てます。
やがてゴミが増えてくると、自分も捨てて良いだろうと考える。
さらにゴミが増えてくれば、もっと大きなゴミでも良いだろうと考える。

「落書きはすべて駄目」とするから守れるのであって、「落書きも場合によってはOK」ではいけない。

そして、今日こんな事件が起きた。

YOMIURI ONLINEより
引用開始----------------------------------
新幹線側面に「Hack」の落書き、車両センターに深夜侵入か

 1日午前5時ごろ、東京都北区東田端のJR東日本東京新幹線車両センターで、新幹線(10両編成)の車両の側面にスプレーのようなもので落書きされているのを同社員が発見、通報を受けた警視庁滝野川署が器物損壊容疑で調べている。

 同署によると、落書きされたのは2両目で、幅約5メートルにわたって、赤や青の塗料で「Hack」などと書かれていた。センターは新幹線の点検や整備をする施設で、最終の回送列車が到着した1日午前0時過ぎ以降に落書きされたと見られる。1日未明には約20本の新幹線が止まっていたが、落書きされた車両は最も外側だった。

 新幹線には、社員が常駐している建物を通り抜けないと近づけず、夜間は巡回を行っているが、異常はなかったという。センターの周囲には高さ2〜3メートルのフェンスが張られていたが、防犯センサーはなかった。

 この車両は東京駅午前6時32分発の越後湯沢行き「たにがわ401号」に使われる予定だったが、清掃のため運休し、約500人に影響が出た。
引用終了----------------------------------

落書きをした上に、おそらく綴りも間違ったのではないか。

こんな恥ずかしい犯罪を起こした犯人はJRに多大な被害を与えたことを認識しているのだろうか。

日本人の心から「落書き」なんていう愚かな考えを消し去るためにも、警察にはぜひとも早急に犯人を捕まえ、刑事罰を科し、JRは被害額を公表し、犯人に請求してほしい。

「落書きは犯罪です」

決して許してはならないし、落書きに対して寛容であってはならない。
テレビのコメンテータはもっと自分の発言の影響を考えて発言してほしい。

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2008年7月1日(火) at 14:00 

採血器具使いまわし横行 / argument

社会・政治 > 事件・事故
本来、毎回針を交換し、しかも、一人の患者にしか使ってはいけないとされている採血器具を使いまわししていたということが発覚し、それが一つの病院でなく次から次へと発覚している。

単なる一病院のミスかと思い、気にも留めていなかったのですが、どうやら多くの病院でなされている不祥事のようで、既に社会問題の範疇にはいるのではないかと思います。

少し古いですが、産経ニュースより
引用開始----------------------
採血器具 相次ぐ使い回し 医療の倫理どこへ

 医療現場で複数の患者に1つの採血器具が使い回しされている実態が相次いで発覚し、少なくとも11府県で使い回しが行われていたことが4日、厚生労働省の調査で分かった。採血器具の使い回しは肝炎など感染症が広がる危険性もあり、専門家らは医療機関の認識の甘さを指摘する。厚労省では6月下旬をめどに全国的な実態をまとめたいとするが、使い回しがどこまで拡大するかは不透明。医療現場の倫理観が改めて問われそうだ。

 問題の器具は、主に糖尿病患者の血糖値を測る際に、指先などに針を刺して微量の採血をするために使用する。ボタンを押すと器具本体から針が飛びだす構造で、個人利用に限られている。厚労省によると8社から23製品の同型器具が販売されているという。

 厚労省が全国調査に乗り出すきっかけとなった島根県益田市の診療所「おちハートクリニック」で問題になった器具は、1つの本体に針が6本セットされ、使うたびに手動で新しい針に切り替える構造だが、同クリニックでは「自動的に切り替わると思った」として針の交換をしていなかったことが判明した。

 島根県の調査では、使い回しのあった1カ月間で37人に使用されたことが分かっている。

 針の使い回しは、肝炎など感染症のリスクがあることは医学の常識。取り扱い説明書はもちろん器具本体に赤く「複数患者使用不可」と書かれていた。

 使い回しが発覚したほとんどは、針の交換はしていたものの、同じ器具を使って異なる患者の採血をしていた。しかし、器具は肌に触れるため、前の患者の血液が本体部分に付着した場合には感染の危険もある。「仮にアルコール消毒したとしても、ウイルスの死滅は保証されない」と関係者は言う。

 高知県では看護学校の演習で使い回しが発覚した。厚労省では「健康相談などのイベントでの使用も考えられる」と、使い回しが広く行われている可能性を懸念する。

 こうした使い回しの実態について、医療機器メーカー「ニプロ」(大阪府)は「添付文書に注意を促す記載をしていた。注意喚起の責任はしっかりと果たしてきたのに」と憤る。益田市のクリニックでは「説明書を読んでいなかった。使い回しをやめるよう求めた厚労省の通達も知らなかった」などと説明しているという。

 だが、医療機関の感覚としてはあまりにずさんで、厚労省幹部は「信じ難い」としたうえで、どこまで広がるか分からない使い回しの実態に頭を抱えている。

 医療現場の一部からは、使い回しができないよう器具自体の構造を変える必要があるとの声も上がるが、医療ジャーナリストの和田努さんは「使用説明書を読むのは常識で、それを見落としたとしたら言語道断。職業的な慣れからきたのか、倫理性が疑われる。行政による再三の注意喚起も必要だが、地方医師会による連絡の徹底も求められる」と指摘している。
引用終了----------------------

これ以降もどんどん、発覚している。
さすがに、針を使いまわしていたというのは、「おちハートクリニック」のように自動で交換されると勘違いしていたケース以外にはないようです。

今回の不祥事は医療関係者の無知や誤解や思いこみ、管理体制の甘さ、製品の安全対策の甘さ、など複合的なものだと思います。

ここまで、広まってくれば、関係者は皆「私だけが悪かったのではない」「うちだけが悪かったのではない」「むしろ○○が悪かった」と考えているのではないだろうか。
しかし、それぞれが「私が悪かった」と反省すべきだ。
それをしないとこの手の不祥事はなくならない。

医療の現場の者は、メーカーの責任にし、
メーカーは現場の責任にする。

医療機器メーカーは説明書を付け、忠告シールを貼れば、責任が無くなるわけではなく、不適切利用されないように改良の努力をするべきだ。
医者や看護師は、説明書をよく読み、十分に注意して、使うべきだし、説明書を読む時間がないのなら、貼ってあるシールに従って複数人には使うべきではないし、消毒したら・・・と勝手に決め付けるべきでない。

そして、役所は、通達を出せば、それでいいというわけではない。
通達が守られているか、もっとしっかり監督するべきではないか。

1件2件なら、しっかり監督していても、監視の行き届かないことはあるかもしれない。
しかし、これだけ大量に発覚するということは、監視が足らなかったのではないだろうか。

メーカーも役所も医療現場もあまりにも適当ではないか。
自分たちが人の命にかかわる仕事に携わっているということ軽く考えてもらっては困る。

メーカーも役所も医療現場もそれぞれに細心の注意を払っても起こってしまうことなら仕方がない。

しかし、今回の騒動はそれぞれにもっと注意すれば起こらなかったのではないか。


メーカー、役所、医療現場が協力し、全容の徹底調査と再発防止をお願いしたい。


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2008年6月10日(火) at 13:51 

ETCはシステムの再検討が必要 / argument

社会・政治 > 事件・事故
制度がスタートして、もうかなり経っているETC。
現在では、通行料支払いの7割以上がETCによるものだそうです。

ただしこれはあくまで支払いに含まれる割合なので、ETCを利用している車の台数でいえば、延べ台数。
ETC以外の3割にはめったに高速道路を利用しない車が多く含まれるでしょうから、国内で登録されている車の実台数の内どれぐらいがETCを利用しているかとみれば、7割よりかなり低いと思います。

私自身はETCを利用していません。
週に数回高速道路を利用するが、わざわざ高い車載器を購入してまでETCを利用する気にはならなかった。

以前は車載器が安くなればETCにしようと思っていましたが、最近では逆にETCにしないほうがいいのではないかと思っています。

何故そう思うのか。
現行のETCシステムが危険だからです。

先日もテレビでETCの危険性を放送していました。
車載器にカードをきっちりと挿入し、車載器が正しく動作し、適切な速度で進入し、ゲートが誤作動なく動き、前後の車も同じ状況であれば問題ないでしょう。
ですが、このうちのどこかが違っていれば、危険な状況になる。

ETCを利用する運転手は、上記のようにスムーズに走行できると思ってゲートを通過しようとする、そこで予期せずゲートがしまったら。
恐らく冷静さをなくし、ハンドルミスをしたり、ブレーキを踏んでしまったりするでしょう。
そして事故へとつながる。

料金所で現金で支払っている横でETCをどんどん車が通過する。それを横目で見ながら、この流れに組み込まれてトラブルが発生したらと思うと怖くなってしまいます。

ETCのWikipediaにはこのようなことが書かれてあった。


以下引用-----------------------
ETCレーン走行時の注意点

開閉バーは通信不良や車載器・路側機の故障・装着ミスなどで開かないことがある。また、環状のルートを経由しUターンしたような状態で、最初に入ったICから出るか、進行方向が限定されるICにおいて車両の走行ルートとの整合がとれない場合も開閉バーは開かないことがある。通信不良については、電波を使った通信なので、マルチパス(車両による多重反射)や混信(ISM機器やアマチュア無線と周波数を共用している)があり、100%確実に通信できることは保証されていない。

利用規程には、開かない場合に衝突しないように通行するよう定められており、開閉バーが開かずに衝突事故などが発生した場合、開かない原因が運転者に無い場合においても事故の責任は一般に運転者が負う(高速道路会社側は責任を負わない)。例えば開閉バーを折損した場合、標準的な物で1本あたり65,000円を請求されることがある。なお「ETCゲート車両損傷お見舞金制度」のあるETCカードもある。

また、安全速度(20km/h)を越えて通過しようとしてバーが開かないために急ブレーキをした場合、違反行為となる。これによって後続車が追突した場合、交通事故の責任(刑事、民事、行政)を問われる(追突した側も同様)。急ブレーキおよび追突をしないためにも安全速度および車間距離の厳守が必要である。また安全な速度でETCレーンに進入することの他に進入前に何らかの方法で車載器がカードを認識しているか確認する必要がある。

料金所の構造によっては、収受員の交代など、人がレーンを横切る場合がある。その際通過する車両に接触、衝突される事故が2001年のETCシステム稼動(導入)以来27件発生しており(2006年現在)、この中には死亡事故も含まれている。ノンストップが特徴のETCレーンに、注意もせず進入する道路運営会社の従業員も問題だが、このような事故を防止するため、ETCレーンを利用する運転者は前方の車両の動きはもちろん、レーン上に人がいるか、動きがないか注意して通過することが必要となっている
以上引用-----------------------


こんな細心の注意が必要なシステムというのは果たして安全なシステムなのだろうか。

私は、現在のETCシステムは抜本的に見直しが必要ではないかと思います。
これから、たまにしか高速道路を使わない人たち(私も含む)がETCを利用するようになるでしょうから、なおさらのことあまり細かいことを考えなくても安全に通過できるシステムが必要なのではないかと思います。

ではどうすればいいのか。

まず、車の動きを突然遮断するゲートは廃止すべきでしょう。
その上で、不正利用を防ぐシステムにすべきでしょう。

すべての車にはナンバープレートがついています。
ナンバープレートを料金徴収システムに組み込めばいいのだと思います。

ナンバープレートに発信機を設置し、ナンバーだけをゲートなどに設置する受信機で受信する。
そしてナンバーを元に、車の所有者に課金する。
これに今ある車載器のカードによる引き落としを組みあわせればいい。

ナンバープレートの発信機をはずしている場合は、オービスのように、ナンバープレートを写真にとればいい。

そうすれば遮断する必要はない。

最近では、写真をとって、不正通行車両を摘発するようになってきているようです。

ということは、もはやゲートでの遮断バーはいらないのでは。
ナンバープレートに最初からナンバーを通知する機械をつけて、ゲートを通過した車を認識すればいいのでは。
さらに言えば、ナンバープレートの番号とクレジットカード番号の紐付けができれば、車載器もETCカードもいらないのでは。

ETCは今の車載器+カードという方式以外に、別の方式が案としてあったというのを以前どこかで見たように思います。
(探してみましたが、見つかりませんでした。ご存知の方はぜひお教えください)

はっきりいうと、いまのシステムは問題だらけだと思います。
場合によっては全面的に見直すことも必要ではないでしょうか。

<6/3追記>
ナンバープレートを利用したシステムは「スマートプレート」というようです。

スマートプレートなら車載器もいらず、利用者側の負担は1000円程度です。 ゲート側の設備もはるかに安価でできるようです。

詳しくはこちらにのっています。(もう5年も前の情報ですが)
http://response.jp/issue/2003/1226/article56565_1.html




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2008年6月2日(月) at 15:11 

受難家族を弄ぶマスコミと野党 / argument

社会・政治 > 事件・事故
イージス艦の事故について、「マスコミが防衛省を叩き、中国の毒についてのニュースを隠そうとしているのではないか」というような主旨のエントリを以前にアップしました。(こちら

その後報道は受難家族の無念さを伝え、防衛相は辞任すべきだというような方向に持っていこうとしていました。
野党も、その方向に動いています。

石破防衛相は果たしてやめるべきなのか。


左よりな毎日新聞が3/1、3/2両日、電話で行った全国世論調査では

きちんと事故処理をした後で辞めるべきだ・・・45%
直ちに辞任すべきだ・・・4%
辞任するよりも再発防止に取り組むべきだ・・・39%
辞任論が出るのがおかしい・・・8%

となっている。

辞任すべき、する必要がない、が半々だが、「すぐに辞任すべき」はわずかに4%でしかない。

世論調査以前に、受難家族の報道があったり、防衛省叩きがさんざんあって、左よりの毎日でこの程度なのだから、産経や読売が調査すればおそらく、辞任の必要なしの比率がもっと高いのではないだろうか。

私の考えとしては、石破防衛相は辞任する必要なし。

事故は、イージス艦個別の問題なので、イージス艦の艦長が処罰されればいい。
事故が防衛省の体質に起因するのなら、防衛省の幹部が処分されればいい。
防衛相の監督責任という方が居られるが、わずか数年でコロコロ入れ替わる防衛相に、末端の事故の責任まで負わせるのは不適切。
監督責任というのなら、防衛省のトップである事務次官あるいは自衛隊の最高指揮監督である首相が取るべきで、その間の防衛相の責任を追及するのはおかしな話。

石破防衛相のミスは、事故後の対応についての委員会での答弁で結果的に嘘をついてしまったこと。
そのミスについては責任を負うべきであるが、それは辞任するほどではないし、辞任するとしても事故処理が終わって、再発防止のための防衛省の体質改善、ルールの改善などすべてが終わった後で良い。ただしそれは任期一杯でも終わらないかもしれない。


忘れてはならないのは、防衛省(自衛隊)は「文民統制」が必要だということ。

防衛相は内部の人間ではない、つまり軍人ではない。
軍人が防衛相になれば、軍が暴走する恐れがある、だから防衛相は文民である必要がある。

そして、防衛相があらかじめ予見できなかった防衛省や自衛隊の不祥事について、防衛相の責任を追及すべきではないと思う。

それをしてしまえば、防衛省(自衛隊)にとって都合の悪い防衛相は、防衛省(自衛隊)が自ら不祥事を起こしてやめさせることができてしまう。つまり防衛省(自衛隊)にとって都合の良い、臭いものに蓋をしてしまう者しか防衛相になれなくなってしまう。

それは非常に危険なことだと思う。

石破防衛相は今、防衛省の改革をしようとしている。
防衛相になれるほどの実力者で、しかも国防について石破防衛相程詳しい国会議員は他にいない。

恐らく防衛省(自衛隊)改革を行うのに最も適任なのが石破防衛相。

その防衛相を今辞任させることは、日本にとって大きなマイナスだと思います。

さてイージス艦の事故の報道については、特にテレビのワイドショーは受難家族にクローズアップし、イージス艦への批判を増長させていた。

映像を見ていて不思議に思っていたことがあった。
現地の漁師仲間や、地域の人たち、ご家族が防衛相などを罵倒する映像がない。
普通この手の映像では大声を張り上げたり、泣き崩れたりという映像が多く、それが何度も使われる。
なのに今回現地の皆さんは、いたって冷静だった。


引用開始--------------------
吉清さんの家族、小沢氏に手紙「石破防衛相の辞任望まぬ」

 イージス艦衝突事故で行方不明になっている吉清治夫さん親子の家族からの手紙が3日、民主党の小沢一郎代表に届けられた。仲介を依頼された公明党の富田茂之衆院議員(比例南関東ブロック)が、民主党の山岡賢次国対委員長に手渡した。

 富田氏によると、家族は当初、石破茂防衛相の責任追及より再発防止対策の議論を求める思いを伝えたいと、福田康夫首相や小沢氏との面会を希望。2日に首相と面会した際に手紙を手渡し、小沢氏にも届けるよう富田氏に要請した。手紙の内容は、首相への手紙と同趣旨と聞いているという。

 家族からは3日、公明党の太田昭宏代表にも手紙が届けられた。富田氏によると「家族は石破氏の引責辞任を望んでいるのではなく、同じ事故が起きないようにしてほしい」との趣旨で、親族26人の署名が添えられていたという
引用終了--------------------


受難家族は最初から、漁船にも落ち度があり、防衛省や防衛相に恨みをぶつけるのではなく、再発防止を望んでいたのではないか。

恐らくワイドショーなどの映像で、罵倒や号泣がなかったのは、この思いがあったから感情を押し殺していたのだと思います。

そしてその雰囲気はおそらく、取材クルーたちもわかっていたのではないかと思うし、多くの視聴者にも伝わっていたのではないかと思う。

それでも、マスコミは報道を続け、野党は防衛相の辞任を求めていた。

「家族は石破氏の引責辞任を望んでいるのではなく、同じ事故が起きないようにしてほしい」との趣旨で、親族26人の署名が届けられたのは、家族の思いを取材に来たマスコミが正しく伝えておらず、野党が家族の思いに反した行動をしていることへの、家族のはがゆさを表したものにほかなりません。

わざわざ小沢代表にも届けられたということは、「民主党の行動が家族の思いに合致していない」との家族の主張です。

防衛省や政府がこの事故を重く受け止めるとともに、マスコミや野党はこれまでの自分たちの動きを大いに反省し、マスコミは家族の思いを正確に伝え、野党は再発防止に協力すべきであると思います。


ところで、防衛省(自衛隊)は「文民統制」が必要と書きましたが、これは実は防衛省に限ったことではありません。

すべての省庁で同じことが言えると思います。

官僚の不祥事のために、大臣が責任を問われるということは極力避けるべきだと思います。
もちろん予見できる不祥事に前持って対応することは大臣の責任であるし、不祥事の再発防止に全力を挙げるのも大臣の責任であると思います。
それができない大臣は辞任すべきです。

実は社会保険庁の問題も同じでした。
社会保険庁の職員の不祥事が野党にリークされ、結局与党は議席を大きく減らし、自治労から出た民主党の候補が比例区でトップ当選するという悪い冗談が現実になり、社会保険庁の解体を強く望んでいた時の首相が結局辞任することとなった。

こんな、官僚・役人の作ったカラクリは、壊さなければなりません。

※今回、「被害者家族」という言葉をやめて、「受難家族」としました。
「受難家族」という言葉が適切かどうかわかりませんが、「被害者家族」という言葉がイージス艦を一方的に批判するための言葉のように思えたため、あえて「受難家族」としています。


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2008年3月5日(水) at 13:17 

死刑存廃論と弁護士の仕事 / argument

社会・政治 > 事件・事故
最近、ブログで良く見かけるのは、山口県光市母子殺害事件についての差し戻し控訴審について。

多くのブロガーが書かれているように、この事件自体が異常である上、最近付いた弁護士軍団の言行にも注目や批判が集まっている。

事件の概要や裁判の経緯等は、もうすでにニュースで散々報道されているので、今更書く必要もないと思います。

被害者の家族である本村洋さんの仰られることはもっともであるし、被告は死刑となって然るべきだと思います。

これまでの裁判で殺意を認めて来たのに、今更過失致死を主張するなど、ほとんどの国民がおかしいと思っている。

この事件はマスコミによく報道されているし、被害者の家族が裁判を直視し、全てを公にしているからこそ、我々国民も弁護士軍団の主張に対し「おかしいぞ」と思えるのでしょう。

この弁護士軍団はそれぞれ自分の抱える裁判に置いて、同じような手法でもって、本来重罪に処すべき者を無罪や軽い刑に落としてきたのだろう。

母親の体内への回帰、ドラえもん、復活の儀式、蝶結び、精神年齢は12歳。

加害者の死刑を回避するため、よくもここまであれこれと考えたものだ。

そして、このような分けのわからない主張は、目立たないがきっと別の裁判でも使われているのでしょう。

ドラえもん云々について、「被告は意味不明なことを・・・」と報道しているニュースもあったが、その報道は間違っている。報道の仕方に注意するべきだ。
精神が正常で無いと見せかけるためにわざと、意味不明な・・・と思わせるような発言をさせているのかもしれない。

被害者の家族は、被告が罪を認め反省し、その上で命で罪を償うことを望んでいる。
しかし残念ながら、今の弁護団に弁護されている以上、被告が罪を認め反省することはなさそうだ。

弁護団の行動が弁護士の仕事として妥当かどうかは甚だ疑問である。

この21人の弁護団。
この裁判で死刑が下されそうなので、全国からあつまった死刑反対論者だそうだ。

死刑の廃止を訴えかけること自体を批判するつもりはない。
しかし、ただ死刑を回避させるためだけに集るといのは、間違った考え方であると思う。

さて、死刑というものについて少し考えてみたい。

死刑は存続させるべきか、廃止すべきか。

私は存続させるべきだと思っている。

死刑を廃止するよりも、死刑と無期懲役の間を埋めることが大事だと思う。


現行では、最高刑は死刑、その下は無期懲役となっている。

無期懲役といっても、現実には20年程度で出てこれるらしい。

この間は開きすぎだ。

せめて、絶対にでれない終身刑を作るべきであるし、懲役50年、懲役75年、懲役100年、懲役200年という決め方でもいいかと思う。

懲役200年などというのは無意味と思われるかもしれないが、恩赦により短縮されることもあるし、罪の重さを認識させるために年数を示すことはいいことではないだろうか。

今回の被告が仮に死刑を免れたとする。
そうすると20年程度で出てくるかもしれない。

彼が出所した後、本村さんの身の安全は保証されるのか、被告の非人間的な手紙をばらした友達の身の安全は保証されるのか。

死刑は継続すべきだと思う。
死刑を残しつつ、終身刑などを追加する。
そうすれば無期懲役か死刑の微妙なケースでの死刑を回避できる。

もちろん残忍極まりない者は死刑にすべきだ。

刑に幅を持たせることによって死刑となる者が減る。
真に死刑にすべき人間だけが死刑となる。
それでいいのではないか。

あとは裁判所に任せればいい。

それで、死刑が自然と減って行って、死刑判決が無くなれば、死刑を廃止したことと結果的に同じだし、逆に終身刑を作っても死刑が減らない、あるいは逆に増えるということであれば、世間が死刑を求めているということだ。

「死刑存廃論」なんてものは意味がないと私は思います。

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2007年6月30日(土) at 16:22