Release Heart

ナウシカのblog

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ほんと大事になってたのね / ナウシカ

日記・その他 > つれづれ
金曜の夕方から行方不明になっていた義母。
アルツハイマーを患い、ここんとこ徘徊もするようになっていた義母。

いつもなら、自宅は内側からカギをかけて勝手に外に出れないようにしていました。
それが義母の妹さんが昼間に会いに来たり、洗濯物を出し入れしているうちに、一箇所カギをかけ忘れたところがあったらしい。

それで知らぬ間に外へ。
以前もそんなことが何度かあって、家族で探し回れば何とか見つかっていたんだけど、今回はどこをどう探しても見つからず、警察に届けを出して、警察犬は出るわ、親戚や近所の消防団やら総勢70名ぐらいの大捜索団になりました!

それでも一晩見つからず、ひょっとしたら電車に乗った?てなことで、大阪と奈良も捜索願を出さなあかんのちゃう?と言ってたところ、翌日の昼頃、線路に下りる崖の下の草むらにいるところを発見!

人が入れるような場所ではないんだけど、やっぱり電車に乗る気だったのかなぁ〜?足を踏み外し、怪我をして動けなかったらしい。
昼になって声がして、それで見つかったとのこと。
崖上からも線路側からも死角になっていて、声が聞こえなければ見つからない場所だったとのこと。

おお〜良かった♪
声が出せるほど元気で…
怪我は幸い大したことなくて、骨折もしていませんでした。
ただ足を少し切っていて何針か縫って、念のため1日だけ入院しました。

今日には、もう回復して普通に歩いているらしい。
ほんと良かった♪
私は子どもらもいるし、取りあえず大阪で待機していたんだけど、気が気じゃないから、仕事も休んでただひたすら祈っていました。

変な虫の知らせや変な予感というのもないから、絶対大丈夫だなんて勝手に思いながら、無事を祈っていました。
それにしても、ご近所さんや親戚の方々、夜中じゅう探してくれて本当に有り難いことでした。

京都でもかなりの田舎の方なんだけど、その結束力はスゴイものがありますね。
炊き出しが出て、おにぎりなど皆で手分けしてやってくれていたらしい。
義父もさぞかし心強かったことでしょう。

隣は何する人ぞと世知辛い世の中にあって、この人の温かさは身に染みます。
私の友人・メル友さんたちも心配して祈ってくれたり、近くに住む人は探そうとして義母の服装を聞いてくれたり、本当にありがとうございましたm(_ _)m
2008年7月7日(月) at 19:32 

う〜わっ大変や! / ナウシカ

日記・その他 > つれづれ
京都の義母が行方不明になりました。
アルツハイマーで認知症がひどくなっていた義母。
18時頃に自宅を出たまま行方不明になっています。

今、警察や消防団、近所の人たちも懸命に探してくれています。
もうすぐ警察犬による捜索も始まるらしい。

どうかどうか無事でありますように…
2008年7月5日(土) at 00:01 

ネットの世界にリアルが侵食 / ナウシカ

日記・その他 > つれづれ
私がいろいろネット(当時は携帯で)に日記のようなものを書き始めたのは、2000年頃だったと思います。

上の子が生まれて、初めての子育てに悪戦苦闘してる頃。
私には帰る実家もなく(あるにはあるけど帰れない)、旦那の実家は遠いしあまり頼れず、旦那は仕事が忙しかったり、仕事が早く終わったら終わったで、徹夜マージャンに出かけてしまうことが多く、私と子ども2人きりになることが多く、心身ともに疲れ、ストレスはピークに達していました。

子育てしていく中で、喜びももちろんあるのだけど、自分自身の子ども時代のトラウマも出てきて苦しくなることも。
この頃の旦那は全然協力的じゃなかったし、家族でお出かけも私が無理やり言わないと行ってくれない状態。

毎日がイライラと寂しさ、悲しさでいっぱいだった。
そんな時に、携帯の日記サイトでこれまでの自分の人生を振り返って書き始めたのが最初。

誰に読んでもらうつもりでもなく、自己満足で書き始めた日記。
(こんなに暗くて重い日記、読んでも誰も面白くないだろうし、見向きもされないだろう)
それでも何かを書かずにはいられないほど、切羽詰っていた私。

それで思いつくままに書き始め、その携帯サイトにはBBS機能がついていたんだけど、そこにたくさんのコメントがつくようになって…
私としては予想外でビックリでした!
開けて見るまでは、私への批判記事が書かれているのではと不安を感じていたんですが、その逆で共感意見や励ましのコメントがたくさんついていて、私への反論めいたコメントは皆無でした。

正直、驚きました!
この時、世の中まんざら捨てたもんじゃないと思いました。
ほんと救われました。

いろんな立場の人と交流し、匿名で相手の顔が見えない関係とはいえ、本当に心の通い合ったやり取りができました。
今、思い返しても、本当に懐かしく温かな気持ちになります。

ただトラブルが全くなかったかといえば、そういうことはなく、それなりにネット初心者として様々な洗礼も受けましたが、大変勉強になりました。
その頃、知り合った人とはほとんど関係が切れてしまったけど、今でも時々どうしてるかな?と思いを馳せることもあります。


そして現在…
どうかな?と考えると、私のネット世界は大きく変わりました。
ネットの人間関係はあくまでネットであってバーチャル、リアルを超えることはないと思っていたのだけど、今やリアルの人間関係が多くなってきました。
全てではないけど、お互い顔も名前も見える関係。
それがいい場合もあるけど、これがやっかいと言えばやっかい。

日記を書く時に、ネットの向こう側にいる人の顔が浮かんでしまいます。
おのずと書くことを躊躇ったり、書く内容に気を使ってしまうことがあります。
それは当然のこととはいえ、初めの頃のように自分が思うまま自然に書くことができにくくなっています。

それでも(そんなん気にしてられへんわ!)と書いてしまうこともあるけど、やっぱり心のどこかでセーブしてしまう自分がいる。
時々ふと、何もかもリセットしてしまいたくなる時があります。
でも、歴史がありますからね。
ネットで築いてきた人間関係もあるし、何より自分の居場所が完全になくなってしまうのは、私にとっては致命的。

やっぱり私は悩みながらも、いろいろ書き綴っていくのでしょう。
過去の自分の日記を読み返すと、その時々の自分の精神状態がよくわかります。
自分を見つめ直すには、もうこれ以上のものはできないですね。

さて、腹をくくりますか!
2008年5月16日(金) at 17:20 

警察の現場検証 / ナウシカ

日記・その他 > つれづれ
今日は例の件で、警察の現場検証がありました。
うちの子は被害者ではないけど目撃者なので、被害者の子とそのお母さんと私で一緒に立ち会いました。

”今回は”配慮して頂き、私服の婦人警官でした。
時代は変わったんだなと実感。

それが済んでから、私は訪問看護の記録を職場に届ける予定だったんだけど、ドッと疲れが出てしまってダウン(o_ _)o
下の子も旦那に保育園まで迎えに行ってもらって、夕飯は宅配ピザで済ませました(-_-;)

明日は学校の家庭訪問があるし寝てられない、家片付けないと!
それに、下の子が最近やたらと鼻血を出すので(しかも夜中だよ、心配)病院に連れて行かないと!

来週からは眼科勤務の時間を伸ばして働くので、毎日お弁当持参になるし、ちょっち忙しくなる。
訪問看護の仕事は終了しました。
丸4年勤めたので、ちょっと寂しい気もする。

西成の方も回る予定?みたいなこと聞いていたけど、それは回らないうちから打ち切られた?とかで、回ることはありませんでした。
それにしても、なんで打ち切られたのか?
院長に聞いても、詳しいことは何もわからなかった。

西成の方も回ることになっていたら、訪問看護の仕事ももう少し続けたかもしれないけど…
でもまぁ〜仕方ないね(-_-;)
心機一転、頑張るよ!
2008年5月7日(水) at 23:44 

ハッピーハプニング♪ / ナウシカ

日記・その他 > 信仰
今日は以前職場が一緒だった白樺の人Aさん(ナース)に誘われて、久しぶりに学会の会合(ドクター部と白樺会の合同セミナー)に参加してきました。
Aさんに会うこと自体がもう何年ぶり?という感じで、共に働いていたKさんも来るということで、会合自体は興味ないけど友達会いたさに行ってきましたさ。

駅で待ち合わせをして会館に着くと、看護学校時代の恩師に遭遇。
『先生〜お久しぶりで〜す』と声をかけると、『えっ知り合いなの?』となんと、先生はAさんの上司でした!
『私の先生よ』 『私の教え子よ』 『私の看護部長よ』と!

ほんと世間は狭いね〜怖いね〜と話していて、会合が終了して会館を出ると、Aさんの友達(Sさん)から携帯に電話があって、子どもさんが病気で来れないと言っていた友達が来れるようになって、会場にいるからとのことで出てくるのをしばし待つことに。

すると、これまた友達だよ!
友達の友達は友達だったってなわけで、『えぇ〜なんで〜いつから知り合〜い?』という話になり、どちらが先に友達だったかなんて無用な競争意識でもって盛り上がり、そのまま近くのファミレスに流れ込みましただ♪

病院つながりというのも世間が狭いけど、その上、学会つながりだから、どこでどう誰が知り合いかわからない世界で、人類みな兄弟みたいな感覚で普通に嬉しいもんですね。
学会員とはいえ、みな仕事してるし、学会活動はそこそこに仕事に悪戦苦闘してる人たちばかりで、ある意味毒されておらず?話が弾むわぁ〜♪

会合自体も、ドクターの医療体験やナースの看護体験やら、専門的な現場の話を聴けるのもまた新鮮で、自分も頑張らなくちゃって思えて、まぁ〜池Pネタは聞き流して(でも私の後ろに座っていた私の恩師は池Pネタで盛り上がってたけど…相変わらずだにゃ…もう無視無視)

また面白いことに、最後の方で関西ドクター部長が壇上に立ったのですけど、来る予定にはなかった副会長が池Pの鶴の一声で急遽呼ばれて出席することになり、『そのおかげで自分の講演の時間が減らされました!』といきなりボヤき始め(関西風なブラックユーモアです)、次に副会長が出てきて、『私がN先生(ドクター部長)の講演時間を削った張本人です、どうもすみませんでしたm(_ _)m』と謝罪するところから挨拶は始まりましたわ(;^_^A
まぁ〜こういうのも関西ではお約束な感じの笑いの取り方ですけどね。

そんでもって、一緒に来てたKさんはお母さんの介護のために先に帰るわと帰られ、私とAさん、Sさんでファミレスに行って、いろいろ情報交換。
『私、もうS新聞取るの止めようと思って…』
そこで誰も驚かないのが白樺メンバーの冷静さ!

Sさん 『ああ…うちはさ旦那の分と2部取ってるのに、またさらに取れと言われてるねん』
Aさん 『えぇ〜うちは1部だけやけど…』
私 『Sさんとこは旦那さんが幹部(支部長)だしね〜幹部になると目標達成のために言われるのよね〜?』
Aさん 『えぇ〜そうなの〜?』
私 『もうそんなん断ったらぁ〜?会員数も減って部数も減ってるから取らそうとしてだけなんやし』

と学会ネタはこれだけ。
あとは今の医療問題についての話。
どこそこの産婦人科が閉めることになったんだって〜とか、小児の救急病院が減ったよね〜とか、どこそこの病院は金儲け主義で1泊の入院で帰れるオペでも1週間も入院させるって〜とか、どこそこの病院がつぶれたって〜それでうちの看護部長、そこの仕事が無くなったナースを狙ってスカウトしてるって〜とかetc.

3人とも知り合ったのは独身時代なのだけど、今はそれぞれ結婚もし子どもも2人いて、旦那の話やら子どもの話やら、こうなったら3家族で集まる?という話になって、それぞれの旦那に相談ということになりました。
まぁ〜でもみんな自分の家に集まられるのは面倒なもんなので、誰の家でやる?となすり合いでしたけど(;^_^A
でも旦那に相談する前から、もうやる気満々になってましたけどね〜
子持ちの主婦って、もう遠慮がなくなるからね〜

ほんと今日はとんだ嬉しいバースデーになりました♪
2008年4月20日(日) at 20:34 

好き過ぎて… / ナウシカ

日記・その他 > つれづれ
もうすぐ今年も終わりですね。
なんか色々あった1年でした。
今年はいっぱいいっぱい好きなことして、自由に自分を解放した1年でもありました。

それで、そういういろんなことを、大好きなこと、楽しかったこと、これはと思うことをいっぱい書くぞ〜と意気込んでいたんですが、コレがどういう訳か書けない。
私はどうも好き過ぎると書けないらしい(^_^;)

コブクロのライブとかも今年は初めて行きました。
ap bank fes'07(つま恋ライブ)、風に吹かれて(万博3万人ライブ)
コブクロ単独ライブは、まだ行ったことないけど満喫しました♪

コブクロファンの人とか、いっぱい感想とか詳細を書いているんだけど、私も書きたくて書こうと思いはするんだけど、やっぱり書けなくて…
最初の頃は書いていたけど、好きになってハマればハマるほど書けなくなってきて…

私のHNにもしてる『風の谷のナウシカ』
これも書けないのですよ(o_ _)o
中学生の時に、初めて『風の谷のナウシカ』の映画を観てから、ずっと好きで毎回泣きながら観ていて、それでも書けない。

好き過ぎたり、想いが強すぎるとどうも書けないみたい。
亡くなった友達のこととか諸々、胸に溜めてる思いはいっぱいあるんだけど、どうも想いが溢れ過ぎて書けないみたい。
言葉にすると、どれも違うみたいな感じになるような気がして、書き出せないというかね…

だから本当の想い?みたいなものは、全然書けてないblogってなってしまうね(x_x)
まぁ〜どうしたもんでしょ(;^_^A

こういうときは詩にしたらいいんだけろうけどね。
ああ〜書けない、でも想いは溢れてる、パンクしてこぼれ落ちそうになる前に…

まぁ〜無理はやめとこ、マイペース、自然体が一番!
頑張ることは止めて久しい私です(;^_^A

変な〆になってしまったけど、やり残したこともあるけど、まっ来年ということで…こんなんでいいんかな、私σ(^_^;)?
2007年12月31日(月) at 02:50 

”自分が変われば、相手も変わる”は本当か? / ナウシカ

日記・その他 > 信仰
こういう言葉はよく耳にします。
自分次第なのよ、あなたが変われば、相手も変わるよ。
または、あなたが変われば、環境も大きく変わるよと。

確かに否めない点もありますが、それは全ての事柄においてでしょうか?
必ずそうなるという方程式でもあるのでしょうか?

社会のニュースで、そのことを見てみるとどうなるでしょう?
実母である畠山鈴香容疑者に殺された娘の畠山彩香ちゃん。
鈴香容疑者は明確な殺意は否認していますが、娘に手をかけ、その結果亡くなったのは事実です。

仮の話として、この彩香ちゃんが生きているとして、その子にこう言ってみるとどうなるでしょう?
『お母さんもね、これまで生きていく中できっと辛いことがあったんだよ。
様々なストレスがあったんじゃないかな?
あなたも、お母さんにきつく当たられて辛かったと思うけど、そこは理解してあげてね。
あなたが変われば、きっとお母さんも変わるよ』

また、こんなニュースもありましたね。
時津風親方の弟子である17歳の力士が稽古中に亡くなった事件。
親方や兄弟子から”かわいがり”と称して暴行を受け、亡くなったとされる事件ですが、この17歳の力士も生きているとしましょう。
そして、こう言ってみて下さい。
『親方も兄弟子も、あなたのことを思ってのことなんだよ。
確かに行き過ぎはあったかもしれない。
だけど、あなたが変われば、親方も兄弟子も、環境もきっと良い方向で変わるよ』

まぁ〜ここでは極端な例として、もう既に亡くなっている人たちの例を挙げましたが
『自分が変われば、相手も変わる』
『自分が変われば、環境も変わる』
こういうこと、いろんな事象に当てはめてみて下さい。

自分に正直に、人には慈悲を施し、誠実に一社会人として生きて、それで環境は劇的に変わるのか?
戦争も犯罪もない社会になる?
平和な世の中になる?
真ん中をすっ飛ばして
『あなたが変われば、世界から戦争はなくなるよ』という論理で頑張ってみて下さい。
『自分が変われば、相手が変わり、環境も変わる』というなら簡単なことでしょう。
人に言う前に眼前に示してみて下さい。

ここで私が言いたいのは、何も平和を諦めろとか、どれだけ努力しても無駄だということを言いたいのではなくて、何事も個人の責任というか、努力次第でどうにかなるという短絡的で安直な論理について言っています。

いじめを受けている人に
『いじめられているあなたが変われば、状況は変わるよ』と言うことは
『いじめれているあなたに原因があるから変わりなさい』と言っているようなもので
それは、あまりに酷なことではないか?ということなんです。

『これは、あなたの運命なんです、諦めなさい。
相手を変えたいと思ったら、あなたが変わりなさい』
何とも突き放したような冷酷な言葉ではないですか。

国の強制隔離政策で、国家からも社会からも、ある意味家族からも虐げられ、排除されてきたハンセン病の患者さんたち(今はハンセン病回復者と呼ぶ)。
この人たちにも言ってみて下さいよ。
『あなた方が変われば、相手も変わる、環境も変わるよ』と。

http://shimingakkai.com/syomei.html
自分が変われば、相手も変わる、環境も変わると思っている人、目を見開いて、世の中の現実を見据え、そしてそこに飛び込み、何かを成して下さい。
現実に人の中に飛び込んで、実際に自分の目と耳とで確かめてみて下さい。
そして、言葉だけではない行動を自ら起こして下さい。
人に言うのは簡単です。
人に言う前に、まずは自分が変わりましょう。

『曼荼羅(御本尊)は、自分を写す鏡だ』という学会員さん。
自分の姿だけじゃなく、今の学会の現状、社会の現状も見て、どういうことか考えてみて下さいね。
言葉だけなら、いくらでも奇麗事は言えます。
今の学会の姿も写して考えてみて下さい。
2007年10月3日(水) at 10:40 

境涯という落とし穴 / ナウシカ

日記・その他 > 信仰
境涯という言葉、学会ではよく耳にします。
”あの人は境涯が高い”
”あんな境涯の低い人と話していると、こちらまで境涯が低くなる”
”境涯が高くなってきた”
”境涯革命できますように”

いったい境涯とは何ぞや?
高い低いって、そんな人を簡単に選別できるんでしょうか?
その基準は?根拠は?
誰に聞いても、それぞれに主観的な答えが返ってくるんじゃないでしょうか。

境涯が高いと人を見る。
境涯が低いと人を見る。
そして、自分の境涯はどれぐらいかと比べて推し量る。
そういうのは、極端な言い方になるかもしれませんが、差別的な思考ではないでしょうか。
随分失礼な考え方だと思います。
まだ好き嫌い、相性が合う合わない、そう言っている方がマシです。

そういうのを仏法の教えだと思っているとしたら、それは大きな間違いです。
そういう人との差異を、境涯という言葉で区切り人を選別してるとしたら、こんな独りよがりの浅はかな考えはないです。
世間では当然通用しないし、人に向けて言っていたら笑われるだけです。
そして、あなた何様?と怒りを買うだけになるでしょう。

正直、私も以前はそういうことを思いながら過ごしている時もありました。
でも、それが間違いであることに気づき、何だかホッとしています。
人に向ける言葉、そういう思考は、全部自分に返ってきて自分を縛る言葉になります。
そこから解放されて、以前より自由な発想で物事を考えられるようになりました。

自分の中の既存の価値観とか、人から教わったことでも、何度でも顧みて考えていく必要はあるでしょうね。
考えることを止めてしまったら、もうそこで何も新しい発見?はないかもしれません。
一つ一つのことを大切に受け止めながら、日々を過ごしていけたらいいなと思います。
2007年10月1日(月) at 01:23 

本当の幸福感、本当の功徳とは / ナウシカ

日記・その他 > 信仰
本当の幸福感(絶対的幸福)を求めていくことよりも、幻想の幸福感(相対的幸福)こそ本当の幸福感だと言わんばかりに、皆それを追い求め、それを得させてこその宗教だという人が圧倒的に多い感じがします。

私自身、いろんな経験を経て振り返ってみると、一番私の中で地獄のように苦しい日々、中学高校時代(自分が死ぬか、親を殺すか、または家族が殺し合うのを見るか)、実は一番幸福感を感じていた時なんですよね。
ものすごく悩んで悩みぬいて、悔しい思いをして、それでも御本尊に向かって題目を上げれるだけ上げて、その時になんとも言えない幸福感を感じていました。
もう生きていること自体が楽しい、何をしていても思わず笑いが込み上げてくるような…
空や雲や太陽や、道端に咲く草花を見ても、自分に微笑みかけてるんじゃないかと思うぐらい、輝いて見えた世界…あれは不思議な体験でした。

小学中学時代は、学校でイジメにもあったことがあり、障害者の妹の件では正義を振りかざす大人に傷つけられたこともあり、それでも、私自身は自分と同じようにイジメにあう人をほって置けなくて、自分から近づいて友達になったり、その結果、他の子とは距離を置かれ仲良くしてもらえなかったり、そんなこともあったけど(当時は辛かったけど)、今振り返るとやっぱり楽しいこともいっぱいあって幸福感を感じて、そんな確信が私の信心の原点になってます。

だから、題目を上げて願いが叶うとか、そういうのも嬉しいし幸福ですけど、そうではない自分が取り巻く環境がたとえ変わらなくても、幸福感を感じることができるという、そういう根拠のない確信があって、でもそれは人に伝えるのはとても難しくて…

題目を上げるだけで、このような気持ちになるということは、それはただ単なる高揚感だとか、自己満足だとか、気休めだとか、現実逃避だとか、そういう幸福感は幻想だと逆に言われてしまったりします。
つまり相対的幸福こそ、本当の幸福、宗教の果たす役割だと。

でもそれも間違ってはいないと思います。
実際に、誰でも一般的に満たされたい欲望はありますから、そこの部分は願いを叶えたい気持ちがあります。
でも全部が夢のように叶うわけじゃない。
そこの部分で、人にどう伝えていったらいいかがわからなくなる時があります。
それに迷う時もあります。
私自身、いつもいつも最高の幸福感を感じてるというわけではないので、やはりその辺なんでしょうか?

何か願いが叶うと、そういうのを功徳と呼んだりしますが、本当の功徳とは、何か目に見える結果ではなく、自分がどのような環境にいようとも、苦しんでいる人、悩んでいる人と共に、自らも傷つきながら、歩みを止めない人ではないでしょうか?

目の前の良い結果も悪い結果も、それはただ単なる現象に過ぎないと思うんです。
現象の対義語は本質らしいですね。
その本質こそが大切なのではないかと考えます。
2007年9月28日(金) at 10:18 

支配的な親子の絆ならいらない / ナウシカ

日記・その他 > 信仰
私の実父はもう亡くなったんだけど、まだ旦那には話していません。
バレない限り話さないつもりでいます。

通夜にも葬式にも行きませんでした。
父とは元気な時に和解もしてましたし、電話では時々話もしていました。
子どもが生まれた時、父には 『うちに見に来る?』 と誘っていました。
でも 『いや、いいわ』 と断られました。
私は初孫なのに、まさか断られるとは思わずに、しばらくビックリして絶句してしまったのを覚えています。

父とはそれっきりになり、会うことはありませんでした。
電話もなくなりました。

そして実母。
母とはもう9年ほど行き来していません。
ある日、私が結婚して1〜2年ほど経った時、旦那の実家の両親と母が電話で話したそうなんですが、私の悪口を散々義母に話して聞かせていたらしい。

義母はそのあまりの酷さに 『それでも、あなた母親ですか!あなたとは今後一切お付き合いしません!』 と言って電話を切り、それから旦那の実家とは縁を切られてしまったらしい。
私はそのことをずっと知らなくて、数年後に知ることになったのだけど。

私もその前後ぐらいに、うつ病をキッカケに母とは口を聞けなくなり(拒絶反応です)一切の行き来を断ちました。
旦那の両親は本当にいい人で、私の前で親の話をすることはありませんでした。
初めての子どもを産む時も、最初の陣痛が来た時は義母が京都から来てくれました。
うちの母の文句一つ言わず、事情も何も聞かず。
本当に有難かったし、感謝しました。

そんな義母、今はアルツハイマーでボケが酷くなって大変なのだけど、今でも心優しい人です。
私が26歳で結婚してから初めての母の日に、義母に何か贈ったら(花とハンカチか何かだったと思う)私にニッコリ笑ってみせて 『ありがとう』 と本当に心のこもった言葉をかけてくれて、私は涙が溢れそうでした。
うちの母からはそんな風に言われたことなくて、初めてのことだったので、こんなに心のこもった言葉はないと思って感激して、今でも思い出すと泣けてくる。

うちの母はというと、何か贈り物をしても 『こんなしょうもない物いらんわ』 とか 『こんな物でママが喜ぶと思ってるの!』 とか、感謝の言葉どころか罵倒を浴びせられ、深く傷つきました(小学生の頃です)
それでも私は、結婚して大人になるまで、事あるごとに贈り物をしたんです。
毎回毎回、胃の痛むような思いをして。
今度こそ気に入ってもらえるだろうかとか。
真心は全く通用しない人で、なんで私はこんな思いをしてまで贈り物をし続けないといけないのかと思ったものでした。

私が看護師の資格を取って給料をそこそこ貰えるようになると、高額な物を買って贈るようになりました。
そのとき初めてですね。
母が嬉しそうな顔をしたのは…いやらしい顔だった。
物かよ!って。

真心とか、私の思いとかは全然関係なく、高価な自分の気に入る物なら良かったのです。
私はそれ以来虚しくなって、母に贈るのは止めました。

母は私が結婚すると、旦那に二世帯住宅を建てて住まわせろと勝手なことを言ったり、勝手に私らのマンションに人を泊める約束をしたり(一緒に暮らしていないのに)合鍵渡せとか、もう危機感を感じた私は家に上げることも止めてしまいました。

時々、電話があるかと思えば、離婚した父の悪口か妹の悪口。
妹も電話してきたら、母の悪口。
私が一切の連絡を断っていても、妹からは度々連絡があって、母の行状を報告されました。
妹は母にいじめられて精神を病んでしまい、精神科の入退院を繰り返していました。

妹は学会ドクター部のT先生に診てもらっていたのだけど、母も一緒に診察に行っても、T先生は強く母に注意できなかったと言います。
それは先生が母に強く言うと、うちに帰ってから妹への仕打ちが酷くなるから。

妹をうちで引き取ろうとしたこともありました。
でも、一晩泊まっただけで、妹は実家に帰ってしまいました。
神経症だったし、母とは共依存関係で離れられなかったのだと思う。

福祉課の人にも相談して、グループホームとか手配してもらったこともあるけど、決まりかけると妹自ら断る始末。
頼んでいる時は本人もその気満々なのに、いざとなると全然ダメで。
私と反対バージョンですね。
拒絶ではなく執着。

私が実家にいる時、母はいつも私に言ってました。
『おまえは一家のガンや!第六天の魔王や!』
私が何した?って感じ。
その母は今や、大腸ガンに冒され、肺と肝臓に転移してて、助かる見込みはありません。
まだ63歳だけど。
私のおじいちゃんやおばあちゃんよりも先に死にそう。

私は信心強盛だから、どんな病気も信心で治すと言って、脳性マヒのある妹の体が治らないのは信心が薄いからだと、いつも妹を責めていた母。
その母が、全身ガンだらけ。

私にできることは、ただ題目を送るだけ。
最期ぐらい、まともな信心しなさいよって。

自分も市営団地に住んでるくせに、同じ団地に住む学会員さんをバカにしていた母(離婚前は一軒家に住んでいたので、いつかまた大きな家に住むんだと言って、団地の人をバカにしてた)
今はそんな人たちの世話になっています。

最期ぐらい自分のやってきたことに気づいて、心の底から謝罪して感謝の心でもって逝ってほしいですね。
私は題目を送るだけ。

母と似たような人を見たり、電話で声を聞くだけでも体調を崩していた私です。
その事実に気づいてはないのだろうなぁ〜

父が亡くなった時、泣けないと思っていた私が泣けました。
ちゃんと泣いてあげたよ、これも親孝行でしょ?と思ったものでした。
たぶん、母の時も泣くでしょ。
私は私のできることを精一杯やる。
無理はしない。

私も母になったから、子どもたちのために倒れたり、うつ病になったりするわけにいかないからね。
娘としてボロボロに傷つくことより、ちゃんとした?母親でいることを選びます。
世間の常識は関係ない。
そんな感じ。

実は私も気づいているんですけどね
母親に対して、慈悲ではなく対抗意識を燃やしていること。

物心つく頃から常に否定的なことを言われていたから、自分を保つために生きていくために、母に対抗して常に 『信心で勝ってやる』 という戦闘体制だったんですよね。
私は4歳で入信しましたので。
5歳の時には毎日15分の題目を上げ、子どもなりに題目の力を漠然と感じていました。

生涯で一番よく題目を上げてたなぁ〜と思うのは中学生の頃、一時期1日5〜6時間題目を上げてました。
最低でも2時間。
母は、そんな私の横で 『アンタ、題目上げてたらそれで済むと思うなよー!』 と罵倒を浴びせてた。
同じ学会員なのにね。

まだ試合中なんです。
試合が終われば、対戦相手と握手を交わし、肩を抱き合い、褒め称え、かもしれませんが…
でも、その時にはもう物体はなく、心中だけでかもしれませんが。
2007年9月26日(水) at 23:09