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プジョーで行く春のうどんツアー(その1:彦江がわかりやすくなっていた) / BBR

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以前ここらあたりでもご紹介した「恐るべきさぬきうどん」の第1巻にも収められていた坂出の名店、彦江。当時からたどり着くのが極めて難しい店として知られていました。私が初めて行ったのも15年近く前。本に書いてあるとおりに行っても不安になる、そういう所にあります。周辺の、町の路地という感じにとけ込んでいる度合いはトップクラスです。

今回のうどんツアーは子連れですので、車で向かいました。彦江は8時40分から開いているので、できるだけ早く出発し、途中の有名店は全部飛ばしてここを目指していきます。大阪から高松道を経由すれば、高松檀紙ICを降りてそのまま11号線を西へ。加茂を過ぎて旧11号に入り、横津川を渡ってまもなくのぐりーんはうす向かいを南へ、って既に看板が出ているではありませんか。しかもそこをしばらく行けば、15台ほど入る駐車場が。

かつてはこういうものはなくて、手前の路上に駐車して、と「恐るべき」にも書いてあったわけですが。

それだけ、車が増えたんでしょうね。


朝からもう何台も車が停まっていました。駐車場からは約60m、上の写真のような車の入れない道を歩いていきます。そうすると、←こちらの写真の建物がきっと目にはいるはずです。

これが正解。彦江製麺所です。と言っても、この種のうどん屋に慣れていない方には、出入りする人がいなければ、ここまで来てもはっきりわからないのではないかと思います。入口まで来ればそれだとわかるんですが、それでも戸が閉まっていたら入るのに若干躊躇するかも知れません。そのぐらい、ここはわかりにくい店なんです。かつては今よりさらにずっとわかりにくかったんですけど。
店に入ると、目の前で麺をゆでて水で締めている様子が目に入ります。その左には食べる場所があるのですが、ここはあくまで製麺所。こちらは「食べさせてもらう」という立場です。

まず、製麺場所の左側の流しに伏せてある適当な大きさの丼を各自で持って、玉数と温めるかそのままかを告げます。手前に戻って、熱いだしは蛇口から注ぎ、冷たいぶっかけだしか醤油の場合は更に手前のネギやショウガ、天ぷらなどが並んでいる場所に置いてあるものを注ぎます。椅子は10数脚ありますので、慌てなくても座って食べられます。食べ終わったら残った出し、丼にお箸は決められた場所へ。お金は最後に申告して払います。

麺はかなり太め。この地域には結構多いスタイルであるように思います。かなり歯ごたえも強く、きつめの弾力が返ってきます。だしも若干薄目で、麺の力とケンカをしない味です。「田村」や加茂の「山下」と並んで、中讃の王道と言ってもいいでしょう。私の非常に好きなタイプの麺です。



(次回はここからちょっと西へ)


2007年4月10日(火) at 00:51 

[廃業名店の思い出]久保(高松市番町) / BBR

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さて、文章だけで廃業名店の思い出を少し語ってみたくなりました。

最初は私が個人的に大好きな雰囲気を持っていた店、番町の「久保」です。この店で食べることのできない現在のうどん旅行者は、とても不幸だと思います。

どんな感じの店だったか、については、「恐るべき」の第1巻か、ここいら辺のサイトを参照して下さい。


えー、あれは忘れもしないいつだったか...(忘れとるやないの、ってツッコミまで含めて(C)麺通団長か)いや、初めて四国を旅した頃にはまだ宇高連絡船もあったし(甲板のうどんも食べたことがある)、高松始発の夜行列車(急行「うわじま」と高知行き普通列車)がまだ健在だった頃でした。加藤汽船の弁天埠頭〜神戸中突堤〜小豆島〜高松(築港)の夜行客船なんてのもあって、これは高松到着後8時頃まで寝ててもOK、というのが嬉しかったですね。

うどんを食べに行くようになってからは、主力は当時東神戸(青木)港発着だったジャンボフェリーになりました。その頃は23:50発と1:10発と言う風に、夜中に2本発着していたはずです。それで4時なり5時過ぎなりに高松東港に着くと、今のように高松駅行き無料シャトルバスなどない時代でしたので、うどん屋の開店時刻までの調整も兼ねて、コトデンの沖松島か高徳線の木太町まで歩き、始発で市内中心部に出るというのが通常でした。

そのあと、6時から空いている亀阜小学校前の「丸山」(こちらは現存)で「朝食」をとり、しばらくぶらぶらしてから、番町の「久保」へと回るのが常になっていたのです。丸山からはごく近く、少し北上して広い道を渡り、簡保センター北側の公園をもうちょっと北に上がったところにありました。要は8時までに市内で4玉食べてから、郊外へくり出すパターンを採っていたわけです。

町の風景にとけ込んでいる感じの店であるため、特に客が列をなしていない朝の開店時期には、初心者には店の存在を認識できにくい場所でした(パトライトも回っていないし)。私も初めて来たときは、玄関越しに見えたセイロを頼りに入った覚えがあります。

中はまさに、「町の製麺所」。その脇に食堂を設けました、という雰囲気でした。メニューは「かけ」か、「そのまま」(つけ麺スタイル)のどちらか。おばちゃんに「大かけ」とか、「特大そのまま」などと注文して入れてもらうシステムでした。天ぷらを自由にチョイスでき(練り天系も何種類か置いてあった記憶がある)、小さな包丁とまな板も置いてありました。

熱々のかけのダシは、いりこの香りが利いたしっかりした味(これは貴重だった)。ケチャップの瓶に入った一味との相性がとてもよかったです。麺は細め、エッジは平坦で、滑らかで舌触りが美しく、腰の線は細いけれど活きのいい、しっかりした印象の麺でした。まさに「町の麺」の基本をしっかり捉えた味でした。私にとっては、環境を含めて、なくなってしまったのが惜しい店のトップです。

この店を記憶している人には、なぜか妙に低い評価をする人が少なからずいるのですが、私にはそれが信じられません。趣味の問題はあるかも知れませんが、この店の良さを理解できなかった人は、さぬきうどんの楽しみを一つ知り損なった人、と言うと、言い過ぎでしょうかね。
2006年9月10日(日) at 15:35 

[恐るべきさぬきうどん]連載は昭和時代から(その2) / BBR

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食べないうどんの話をもう少し続けましょう。

前回のエントリでご紹介しましたが、「恐るべきさぬきうどん」の元となった連載のさらに原型は1988年に始められたものでした。

「麺通団」とは、私は興味がないが映画「UDON」にも架空の雑誌社内にできる名称でありますが、もともとは「タウン情報かがわ」の当時編集牛だった田尾氏らご一行が自称したユニット(?)であるのはご存じの方も多いでしょう。しかし連載初回時点ではどこにもその名は見えず、さてさて、その次を見てみると、翌1989年1月号(実質、昭和の最後に出された号である)になって、同じ名称のコーナーと思えないほど、体裁も内容もガラリと変わり、一瞬にして田尾団長(当時編集牛)のカラーがどっと出てくる形になります。

どのぐらい変わったかは、下の写真に目をやれば一目瞭然かと。

個別の店舗の紹介という形は完全に取り払われ、レポート形式の2本立に切り替わっています。また、単行本ブックカバーの見返しに書かれている「麺通団心得」の原型が、既にここに記載されているのにも注目です(当初、麺通団の構成員は、「30以上のうどん屋を食べ歩いた者のみで」となっていたが、第4巻から、「100以上の」、と条件が厳しくなった)。ここでは、「泉屋」、「小縣家」が紹介されていますが、それでもまだ文体に多少硬いところがあり、「恐るべき」を知る人にはちょっとまだスタイルが定まっていないな、という印象を与えるものになっています。

それが、さらに続く2月号の「中北」や、3月号の「谷川米穀店」あたりから、徐々に単行本に続くスタイルへと進化していくように読めます(それでも、まだこの頃は「通のアドバイス」と称する店の紹介めいた部分もあり、完全な「お笑いうどんコラム」とはなっていなかったようです。実際には、連載本誌から単行本へは、かなりの加筆編集があり、笑い部分は概ね膨らまされています)。
なお現在、麺通団公式ほかwikipedia等の記載にも、このコラムのスタートは1989年とされているようですが、田尾団長の執筆による「うどんコラム」としてスタートしたのが1989年から、ということでそのように記載していると見て良いでしょう。

さて、この連載は4月号から「文化人講座」の後ろに掲載されるようになり、これは恐らく「情報系」から「色物系」への正式な転換ではないかと思われます。うどんそのものとは関係ない「トーク」部分が増えてきたのもこのあたりからで、だんだんと、「読み慣れた」スタイルが明確になってくるのです。

しかし、この連載で、いわゆる「S級」の名店の多く、例えば「山越」「彦江」「長田」などについての話がポンポン出てくるのは92年頃が最盛期であって、例えば単行本第1巻冒頭を飾る「やまうち」は、92年10月の掲載だったりします(この頃は掲載店名をずらりと書き並べていたが、確かにここにあるのは連載2回目以降の店だ)。


なんか訳の分からない話になってしまいました。次回は、「食べたけど食べられない店」、要するに廃業名店の思い出を何と写真なしで語ってみようかと思っております。
2006年9月4日(月) at 00:08 

[恐るべきさぬきうどん]連載は昭和時代から(その1) / BBR

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さて、うどんツアーのネタに意外にアクセスがあったので少々気をよくしているのですが、余勢を駆ってまたマイナーな世界に走ってしまうのが悪い癖ですな(自嘲)。

さて、うどん屋巡りをされる方なら、一度は耳に目にしたことがあると思われる本が、「恐るべきさぬきうどん」ですね。

今では大阪でも大きな書店なら1巻から普通に入手できますが、初発の平成5年当時は、県外では通販でないとほぼ入手不可の状態で、私も通販購入した記憶があります。

特に第1巻は、長いこと品切れだった時期もありましたしね。

上の写真は、私手持ちの「恐るべき」シリーズ全5巻(新潮文庫版は、これを持っていたら不要)。1巻、2巻あたりは、当時これを持ってツアーしていたことも多かったため、だいぶくたびれています。

なお、全5巻をすべて初版で持っている大阪人はそうはいないだろうと勝手に思っています。

内容的には、1,2巻の「ディープさ」は圧倒的、3巻からは団長の紙上話術で引っ張り、4,5巻はほとんどおまけ的な存在、というのが私の感覚ですが、「店を知る」ためには全部持っていても損はないと思われます。

さて、この本の元ネタは、今はなき(株)ホットカプセルが編集発行していたタウン誌「タウン情報かがわ」の1コーナー、「ゲリラうどん通ごっこ」であったというのも知っている人は知っていることでしょう。「かがわ」と言えばかつては伝説の「笑いの文化人講座」で一世を風靡した(私もそこから入った)のですが、今では「うどん」の方で伝説になっているようです。

そのコーナー(当然ながら今はない)が始まったのはというと、何と今を去ること18年前の昭和63年12月号に遡ります(当時私もまだ大学生だった。「文化人講座」への投稿はもうやめていたが、「かがわ」はずっと定期購読していた。ちなみに、この当時の本誌を今でも保存している大阪人もそうはいないと思う)。

「かがわ」は、確か通巻100号からB5版になったはずで、この当時(80号)はA5版でした。昭和の終わりでも、若者のクリスマスは別に自粛しているわけではなかったというのがわかる表紙です。
ちなみに、表4が高岡早紀の「ビオレU」の広告、というのもポイント高い、というか、時代感たっぷりですね。

さて、表紙に戻ると、「新連載 ゲリラうどん通ごっこ」とあり、吹き出しに「うまいうどん店レポート」とあります。「恐るべき」における田尾教授ワールドを知る方には「おや?」と思わせる煽り文句ですが、この第1回、誌面を見ると、さらに今から思うとの意外感にあふれております。

(なお、当時のコラムには、まだ「お笑いスタ誕」から名前が売れだした頃のウッチャンナンチャンの誌上トークや、伝説のラジオ番組「そんなわけ、ねーだろ!」のコーナーや、かつてNHK高松のアナウンサーだった近藤富士雄さんのエッセイとか、まだ若かったファンキー末吉氏の「月刊ジツワ」とか、その他ローカル物もかなり濃密に並んでいて、結構な充実度だったんですよね)

後には本紙巻末近くを定位置としたこのコラム、初回は巻頭の「パーティースペース特集」の次に位置しており、「小野」、「将八(観音寺本店)」、「大圓」(この年にオープンしたところだった)の3店を、タウン誌的にフツーに紹介した「食べ歩き」コーナーに過ぎませんでした(何と、店の地図、連絡先や営業時間まで欄外に書いてある! こうした紹介があるのは実に第1回だけ)。

はっきり言って、このエントリを書くために連載第1回をひっくり返して見たのですが、その私もビックリの、何ら笑いもひねりもない第1回。「麺通団」のメの字も登場しませんで、私も全然記憶にありませんでした。

ところがこのコーナーが、回を重ねるにつれてこれまたビックリの展開をしてしまうわけで次回に続きます。
2006年9月3日(日) at 12:44 

実録・列車と歩きで行くうどんツアー(その5:池上とその限界) / BBR

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前回のエントリでは池上に到達する前に気分が萎える情景が次々と展開されてどないやねん、となりつつ、その路地に近い道を少々歩くとすぐに見えるのが積み上げられたセイロ。この店、いろいろなところで発見しにくい店のトップクラスに挙げられているようですが、決してそんなことはありません。

車で行こうとするからたどり着けないだけで、地図見て歩けばすぐにわかります。
ここなら真夏でも死にかける前に着きますしね。

ここ池上に近づくにつれてまず改めて認識したのが、ここはそもそもは地元の生活者のための製麺所であったのだということ。しかしそれがもはや変質してしまっているのは止められない流れなんだろう(テレビにあれだけ出てしまったら元には戻れない。場所も一般人が寄りつきやすいし)と思われること。

それに、私もそうだがうどんツアー客のための営業をし出した店として、ここでの営業はシチュエーションとしては最高だとは思うが、もはや限界に達しているのではないかと思われること。

そうは言っても、この店を表通りに出すのは無理ですけどね。

さて、夏休みとは言え平日の午後、それでも4時過ぎの店先には数十人が列をなしていました。

何より、若いもんが多い!

慣れたツアー客はほとんどいない印象です。でも却ってちゃんと待ってるという感じ。電車組もそこそこいる様子でした。

ここは麺の入った丼をもらう以外はセルフなので、お金も自己申告で店の中のお皿に入れます。値段表は入り口際に貼ってあります。

「4EX」なんて所はちょっとお茶目ですね。

なお、この値段でも、最近若干ながら値上げしたようです。それまでは1玉65円だったようで。
かなり待ってうどんの前に行き着くことができました。ここはるみ子ばあちゃんが一人で打つ店、というイメージでしたが、どうやら最近はそういうパターンは少ないらしいです。この日の夕方の部でも、お兄ちゃんが麺を打っていました。

出されたうどんは、機械切りっぽい縁で、エッジはピシッとは立っておらず、どことなく鉄道のレールのような形です。
ネギ少々と醤油をかけ、食べてみると少々固め。思ったより重量感のある麺です。もう少し柔らかさを感じるかと思っていたエッジ部分もどしっとした感触でした。これはこれでアリだとは思いますし、美味しくないことはないのですが、私の好みからは若干外れるかな、というところです。

ここは状況美味の部分もあるのかなあ。るみばあちゃんと話ができなかったのもちょっとポイントを落とした原因なのかも知れません。

なお、ここは現物を食べる前に、写真のお土産うどんも売ってます。6人前880円はやや高め。パッケージのデザイン料が入っているのでしょうか。こちらはいわゆるお土産半生うどんです。可もなく不可もなし。まあ、行った証拠を示すために、一度は買っておいてもいいのでは。


こうして、真夏のうどんツアーは訪問7軒、食べたのは6軒、うどん12玉、天ぷら3個、水分約3リットルで終了しました。帰り、岡山からの接続が赤穂線回りしかなく、それも旧国電型ロングシートで眠いのに眠れない状態だったりしましたが、どうにか生還できました。

今度は秋に、不本意ながら車で行くことになりそうです。

(この項終わり)


2006年8月31日(木) at 23:25 

実録・列車と歩きで行くうどんツアー(その4:池上への道) / BBR

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前回のエントリでは、高松市内に戻って一般店に近いお店をあたりましたが、そこで高松駅に戻って4時前。いよいよ、あの有名店「池上」の夕方の部を攻めてみることと相成りました。ここがうどん屋として営業しているのは昼11時頃〜12時半頃と、午後4時〜5時頃だけ。その夕方の部にちょうど間に合うタイミングで行く機会にヒットしたわけです。半分期待、半分何となく微妙な感覚を抱きながらですが。
ここには電車で行ったことがある、と言う方もおいででしょうが、一応池上への道を写真付きでご説明しておきましょう。
店への起点は、予讃線、高松の次の香西駅。ここでは線路は南北向きになっていまして、降りて松山方向で左(東)へと出ていきます。
まず目標は、「東へ向いて広い道を目指す」ということですので、住宅地の余り広くない道を適当に南下しつつ進んでいきます。
特定のタイミングに当たれば、駅から同じ目的地を目指しているとおぼしき人を何人か見るのも当たり前のような、他の駅からのうどんツアーではあり得ない情景を目にしますが、他の人と少々ルートが異なっていても、この店に関しては多分容易に目的地に到達できますから気にしないように。で、すこし歩いて信号のない交差点を右向いて、こんな看板が見えたらこの場はOK。なお、「うえまつ」からは左に曲がると分かり易いでしょう。
しばらく行くと、百十四銀行が見えてくるはずです。この広い道に出れば正解です。もう少し南下すると、池上への重要なポイントに行き当たります。
それがこの、「マルヨシセンター」でして、ここの脇をチョロッと出ている道を行くとその中途で店に行き着く、という風になっています。横断歩道まで寄っていくと、確かにマルヨシの南側に細い道が続いているのがわかります。なるほど、ここを進めばいいのか、と近づいてみると...
マルヨシの駐車場入り口にこのような看板が。これはここに池上目当てでここに停める車が山ほどあったのであろうことが想像されます。なにしろここから先は車のすれ違いはほとんど無理そうなぐらいの狭さ。途中に路駐するのは以ての外ですから、確かにここに入れておきたくなるのはわからないではないですが、

ここには最初から、車では来るな。

というのが、むしろ正解なのでしょう。

この道に入っても、どうも最近の状況からできたと考えるのが自然な路駐禁止看板が複数立てられていたり、その先の川の土手には確かに違法とおぼしき路駐の車が見えたり、店の向かいの畑にはちょっと露骨な囲いがなされていたり、どうやら有名になりすぎて近隣とのトラブルが頻発しているのではないかと思われるあとがあちこちに見えて来て、食べる前からイヤな予感が的中してしまって気分が萎えかけてくるのであります。それでも店に来てみると、若干気づくこともあったりして続きをもう1回。
2006年8月28日(月) at 00:01 

実録・列車と歩きで行くうどんツアー(その3:味でこい〜嶋田〜三徳) / BBR

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前々回前回と、黄金の宮武、やまうちエリアを行き、ほぼお昼に多度津まで戻ってきました。ここからは町のうどんになります。それはそれで良さがある、ということで。

次に目指すは、味でこい。「緑あひる」などのうどん用小麦粉メーカーとして業界と一部うどん通には有名な、日讃製粉の社員が作ったうどん屋。店主は、今はなきホットカプセルがやっていた「讃岐うどん王選手権」の優勝経験もある強者。うどん通の注目度も高い店だっただけに、ぜひ一度食べておきたかったのですが...
多度津駅から、駅前の通りを西へ向かいます。役場を過ぎ、郵便局を過ぎ、古い商店や飲食店が多い地域に入ります。だんだん道が細くなりますが大丈夫。
東浜の町内に入り、道なりに行くと突き当たりになります。そこで右折。浜街道へ向かって北上します。この交差点が見えたらそこが浜街道。右手に店があるはずなのですが...
店はシャッターが閉まったまま。定休日ではなかったはずなので、ひょっとしたら遅い夏休みに引っかかったか?と、「しゃーないな」という気分でひとまず店の前まで来てみると、張り紙がありました。

...誠に勝手ではありますが、この度「手打ちうどん 味でこい」は、8月19日(土)までの営業をもちまして、当分の間休業することと致しました。長らくのご愛顧本当にありがとうございました。現在の所、再開については未定です。...

食べる前に終わってました...orz

どうも縁がなかったようです(まあそう遠くないうちに復活することを祈りましょう)。近くの店を当たっても良かったんですが、予定のタイミングで丸亀に出たかったので、結局多度津では、浜街道のローソンで水を買って飲んで、往復30分歩くだけで終わりました。
多度津から丸亀まではふた駅です。着くと既に12:45頃。製麺所系の店は営業時間が書いてあっても下手をすると売り切れのタイミングです。目指すは何故かあまり有名店のない丸亀市内でも怪しく美味しいと言われる嶋田(讃岐製麺所が正式名称との説あり)に向かいます。
丸亀駅を降りて右側にある広い道が県道33号(旧11号)線。これをまっすぐ南下します。10分ほど行き、マルナカの辺りで道が右カーブを切り、歩道が急になくなります。右側を注意してみていると、わかる人にはわかるうどん屋の雰囲気がすこし遠くに。目的地は確認できました。どこから入るかですが。
阿波銀行、香川銀行と銀行が続きます。香川銀行の前で鋭角的に北向きに曲がり、少し行くと丸亀城西高校の表示が見えます。ここまで来ればすぐ右側に、この、ただものではない雰囲気の店が見えてくるはずです(のれんの掛かっている部分は最近増築されたんだそうで、それ以前はかなり狭かった模様)。

ここは栗林の「松家」と同様、細麺と太麺が選べるはずなのですが、店に入るといきなり、「太いんはおわってもうたよ」とのつれないひと言。冷たいかけだしも終了したようで、細麺の「ひやあつ」か醤油うどんかのいずれかになるわけです。まあこれはこの時間に来た方が悪い。仕方ありません。
で、結局大(かけだと¥200)と、ナスの天ぷらが美味しそうだったのでいただいて(8玉目でまだ天ぷらを取るか)始まったばかりの高校野球決勝再試合を見ながら食べました。壁にはあのvictorの高校野球ポスターが4枚貼られています。さすがに高校前のお店ということでしょうか。
さて麺は、柔らかめで舌触りもソフト、しかし程良く中腰があるという、言うならば「やさしい麺」。お腹にも軽く落ちていく感じです(結構量は多いのですが)。これが太麺だとより力強さがあったんだろうと思います。
さて、丸亀駅まで戻り、坂出でマリンライナーに乗り換え、ようやく高松市に入ります。次に目指すは上福岡町のセルフ店、「三徳」です。ここは作り置きをしない、メニューは多彩だが麺がなかなかいい、ということらしく、午後に行く店としてはいいかも知れないと思ったわけです。

ここへの起点は、JRなら高徳線の栗林駅(コトデンなら長尾線の花園駅が最寄り)。町中の高架駅ですが、昼下がりには何となくうら寂しさも感じます。駅の南側に出て、2つ目の交差点を左(東)へと進みます。ここは車がすれ違うと人の通路が厳しくなるくらいの道ですので、注意が必要です。
数分歩くと、信号付の交差点に出ますが、そのまま直進します。橋を渡ると、畑と事業所と新興住宅の混在した地域に入ります。
間もなく、このような看板が右側に見えます。ここで右折して、もう2、3分南下します。
次に出る広い道の左側、いかにもロードサイドの普通のセルフ店、といった風情なのですが、ここが三徳です。

店にはいると、高校野球がいよいよ佳境に入っていました。右側にはずらりと写真付きのメニューが貼られていますが、ここで既に食べるのが5軒目。シンプルに、ざるうどん(大)にします。
この時点でいよいよ10玉目。麺は太めで微かなウェーブ。艶のあるきれいな麺です。一口食べて舌触りはスムーズで滑るよう。噛んでみるとややグミキャンディのような感触で、しかしべっとり感は全くなし。活きのいい麺、という感じがします。これも、随分たくさん食べたあとでもアッという間に入っていきます。

ここで決勝戦を最後まで見ました。早実の勝ちを見届けて、再び駅へ戻ります。この時点で3時過ぎ。このあともう1軒、あの池上の夕方の部を目指します。
2006年8月26日(土) at 15:42 

実録・列車と歩きで行くうどんツアー(その2:やまうちへの道) / BBR

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前回のエントリで、どうにかこうにか乗り込むことができた阿波池田行きワンマン列車。2駅走ると、黒川駅です。ここは駅自体は何もない場所で、店舗なども、北側の国道方向に向かわないと見えてきません。かつての仲南町、現在は市町村合併でまんのう町の名店、「やまうち」へは、この駅が起点になります。
やまうちと言えば、やはり看板。初めての方は特に見ておくべきでしょう。ちょっと遠回りになりますが、「表ルート」をまず見てみましょう。
駅の階段を下りると、線路は県道を渡っていきます。ここを右へ入ります。これが西向きになります。
ほとんど何もない雰囲気の道ですが、しばらく進むと小学校へと向かう坂道を分け、さらに少し行くと左に郵便局が見えます。この三叉路を右に曲がり、クリーニングの看板が見える方へと進みます。軽い上り坂を3分ほど歩くと、国道32号線に合流します。
当然ながら交通量が急に増えますが、そこはこらえて少し北上すると、この辺りには珍しい信号付の交差点。まっすぐ行くと琴平方向へ戻ってしまいますので、満濃池方向の県道へと右折します。
その後しばらくは、いかにも田舎の県道、という雰囲気の車通りもまばらな道です。
いくつか小さなワインディングを過ぎると、右から線路が寄り添ってきます。左の写真はそこをしばらく行った辺り。ちょうど写真の真ん中辺りに、白いものが見えるでしょうか。

これがやまうちの最初の名物、県道側の看板です。
近づいてみると、そこそこ年季の入ったものであることがわかります。私がここに初めて来たのは10年近く前になりますが、この看板は当時と同様だと思います。踏切をわたり、南へ進むと、左にため池、そしてさらに前方の斜面にもうひとつ看板が立てかけてあったと...
思っていたら、斜面の木がすっかり刈り込まれていて、看板が新しいものと合わせて2枚、その上に立てられていました。ここから左の山道をぐるっと上がった所がやまうちなのですが、ちょっときれいになった分、猛烈な怪しさが若干緩和されてしまっているようです。とはいえ、「なんでここにうどん屋が」という感覚をまだ十分に味わえるものとは思います。
で、こちらが店の正面。中に入ったら、ここもうどんの注文形態は宮武と同じです。実は値段はやまうちの方が安いのですが。
うどんは、宮武のエッジの切れ具合とほぼ同様、食感には幾分ワイルドさが加わり、やはり同系統ながら田舎の個性を味わうことができます。天ぷらはここではちくわを。まだ6玉目なんで、そんなに天ぷらに走ってはいけないんですが、やはりどうしても手が伸びてしまうのであります。
まだ夏休みの人も結構多い時期、店内には10時前後というベストタイムを楽しむお客さんがチラホラと。そう、ここはやっぱり、午前中にゆったりと来るべき店なのです。

ウォータークーラーの水は、山の水、外の蛇口も山の水。店の横には薪が積まれ、建物や周りの風景も含めて楽しめるのが、やまうちの良さでしょうね。

さて、黒川駅からは、最初の陸橋を左(東)に向かった方が当然近道でありまして、「表ルート」だと30分ほどかかるところが、こちらからだと20分かかるかかからないかで着きます(この写真の奥の方に見える道がそれです)。
15分ぐらい歩くと、右側にこのようなのぼりが立っています。これが目印ですので、少々味気ないのはやむを得ません。ここを左に折れて坂を上ると、やまうちの「下の駐車場」(ここにまで車が入る時っていうのはいったいどんな混雑なんだろうと思うが)が見えます。そこを右で、店に上がっていけます。
さて、やまうちまでの苛酷な歩きで、ずっと首に巻いていたタオルは汗がじゃーっと絞れるほどになっていました。夏のうどんツアーには、水分補給が本当に欠かせません(今回も12玉うどんを食べる間に3リッターは水分を摂っていました)。
黒川駅に着いたのは10時半。琴平行きの次の列車にはまだ30分あります。かといってどこに行って、という場所もなし。しばし待つしかありません。

このあとさらに、琴平で乗り換え、多度津で降りてちょうど昼時、次の店に向かったのですがまた次のエントリで。
2006年8月26日(土) at 02:33 

実録・列車と歩きで行くうどんツアー(その1:こんぴらうどん〜宮武) / BBR

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このエントリで坪尻駅を出た列車が、7:29に琴平駅に到着します。まず目的地は1年ぶりの宮武なんですが、その前に朝の腹ごしらえ(?)ということで、琴平の町中にある「こんぴらうどん工場店」に行ってみましょう。
琴平駅を降りてまっすぐ進むと、琴平温泉の大きな旅館が建ち並んでいます。道の正面にあるのが琴参閣。その脇に細い路地のような道があります。

そこを入ると駐車場の間を通り抜け、ホテルの裏側に抜けます。左手に「こんぴらうどん」と書かれたプレハブの工場が見えるはずです。そちらへ向かって歩を進めると、左手にあるのが工場直売の店です。
ここは善通寺・仲多度郡エリアでは宮川と並んで早朝から営業している店です。店内は製麺所セルフとしては標準的な広さ。この日はおっちゃんがうどんを入れてくれました。この先のことを考えて、ここではうどんだけ。かけ2玉170円。
前回は某慰安旅行で琴参閣に泊まった際、裏手に何かある、と思って行ってみたらそこそこ美味しかった、というパターンだったんですが、今回は口の中も完全にうどんツアーモードになっているせいか、いかにも機械打ちの少々パサついた個性のない麺にちょっと拍子抜け。しかもだしがぶっかけのだしと間違ってるんじゃないかと思うほど塩辛く、二重にあれれ、という感じがしました。こんな味だったっけ、と首を傾げながら、取りあえず腹ごしらえは完了。ここからが、この朝最大の難関、宮武→やまうちの連続攻撃であります。

この時点で7:50ごろ。宮武に8:30に行って食べて、琴平駅9:15発の列車に乗らないと、次の列車までは2時間空くので、この日のやまうちは断念しなければなりません。結構厳しいタイミングですので、うんと気合いを入れて歩き始めます。

では歩きルートを確認してみましょう。まずは琴平駅少し西の交差点まで戻ります。
左手に高燈籠が見える道を行きます。マルヨシセンターを過ぎ、カーブを右に取り、オオニシ病院を抜けてさらに道なりに進みます。右手に水路が見えてきます。
やがてコトデンの踏切をわたると、すぐ先がJRの陸橋です。そこをくぐって少し行くと、鳥居が見えてきます。
すると前に交通量のやや多い道に行き当たります。これが419号線。
国道に面して斜めにクロスして北上する県道があります。宮武へ近いルートはこの県道の方です。まだ朝8時とは言え既に炎天下。歩行距離はできるだけ短いに越したことはありません。

それでも、こちらも田圃の中の道であるため、日陰があまり多くないという問題があります。これが非常にこたえることになります。このルート、夏場は帽子も必需品です。
やがて学校を過ぎ、酒屋を過ぎ、もうほとんどめげそうになる頃に、目の前に信号つきの交差点が見えてきます。ここまで来たらようやくあと少し。交差点を右折し、広い駐車場を横目にしてもう少し歩くと、ようやく宮武の看板が見えてきます。

しかしシャッターには張り紙が。「9時開店」と。

げっ!8:30からやったんと違うんですか?予定が狂う...

先ほど書いたとおり、9:15に琴平駅からの列車に乗る必要があり、行きの所要時間からすればなんぼ頑張っても8:45までには宮武を出発しなければまず間に合いません。これはどうするか、

と迷ったようで実は対して迷っていなかったりしまして、要するに、「ここまで来て食べないという選択肢はあり得ない」です。
幸い、8:35頃にシャッターは開き、南瓜の天ぷらを食べかけたところで、「ひやひやの大」ができあがったのでした。

食べている最中に、宮武のおっちゃんが、「やまうちは明日から休みや言いよったぞ」と会話のさなかに重要発言。こちら宮武は前日まで夏休みだっただけに、両方まとめて回れるのは周辺1週間ではこの日ぐらいしかなかったという、何ともラッキーなタイミングだったことが判明しました。
うどんはいつもと同じ、若干のちぢれ麺。本当なら一番乗りのこんなに空いているタイミングだと、しょうゆうどんをもう1玉いきたいところなのですが、そこは時間がない。じっとこらえて早々に退散。ひやひや大と野菜天1個で450円、実は意外に安くないがここは全然平気です。

しかしなんとこの時点で8:40。行きが35分かかっているのだから、帰りはそれよりもうちょっと急がなあかん。しかもだんだん高くなっていく太陽が体力を奪う。とほほほ...

結局、帽子が汗じみだらけになるぐらいの状態で、琴平駅にたどりつきました。何故そこまでして、などと疑問を呈してはいけません。


(次回、やまうちへの道につづく)
2006年8月25日(金) at 00:07 

氷見「の」うどん / BBR

グルメ > うどん
かつて富山に住んでいた頃、梅雨が明ければ休みには海、というわけで、氷見の島尾や松田江浜の海水浴場にたびたび行ってました。まだ上の娘も1歳か2歳、という頃でしたが、人もそう多くなく、そこそこ楽しめるもんでした。
で、朝から海に行って、昼ごろまで泳ぐと娘もちょっとくたびれてくるので(というか眠くなってくる)、近くでお昼を、と思ってもあんまりいい所がない。小さい子連れなので麺類とかでいいんだけど、泳いだ後にラーメンってのもな...とか思っていたときに、ちらちら見かけるのが「氷見うどん」「氷見手延うどん」などの看板です。
実は氷見のうどんは稲庭うどんと同系統の手延製法で、油でつないでいないもの。製造している店が何社かあるのですが、「氷見うどん」というのはそのうちの海津屋が登録商標として押さえており(「地名+うどん」で商標登録というのは普通はできないと思うんだが)、他の店は「氷見うどん」というストレートなネーミングが使えない。私たちがいつも行っていた「あけぼの庵」も、従って「氷見手延うどん」を看板に掲げ、乾麺などの商品には「綾紬」の名称を用いています。
お店は、国道160号線(バイパス)を氷見中心部から少し高岡方向へ南下した、パチンコ屋が続く並び、良く注意していると「うどん」の看板が見えます。細い道に入ってすぐに左側にある工場の片隅で食べられるという、うどん好きには嬉しいシチュエーション(パチンコ屋の中にあるように見えるので、「あたりや」も思わせる雰囲気です)でした(昨年秋に、工場から表の国道沿いに店を新築しています。それでも微妙に怪しい雰囲気は残っていたりしまして)。
普通にうどんだけでもいいのですが、良く頼んでいたのが、氷見牛の霜降り冷しゃぶが添えられた「冷しゃぶうどん」。お肉もいいのですがこのごまだれが良品で、こっちにうどんをつけても美味しいのです。今回久しぶりに再訪し、また冷しゃぶうどんをいただきましたが、お肉の質は以前より良くなったような気がします。これで普通サイズ¥1000は十分納得できます。
以前は、上の娘はここまでたどり着いた頃には疲れて眠ってしまい、肝心のうどんにありつけないことも多かったのですが、今回は下の娘ともどもちゃんと食べられました。
ここへ来たらやはりお土産を買っておくのが良いでしょう(半生もあるが一般には乾麺でしょうね)。通常版の「綾紬」には太麺と細麺がありましてこれはお好みなのですが、どちらも大変滑らかな舌触りでありながら食感は非常にしっかりした麺です。これ1袋(丸く見えるが平たい袋を丸めてある)で2人前です。
あと、お土産を買うと、おまけについてくるのが「うどんふし」。麺を商品サイズに切り出す際に出てくる切れ端ですが、そこそこの長さのものは袋詰めして、サービスでいただけるようになっています。お吸い物などに入れるとおいしく食べられます。なお、これより小さい切れ端は、牛のエサになるそうで、それが巡り巡ってうどんの横の冷しゃぶになるわけですね。食品のリサイクルやなあ。

[氷見手延うどん あけぼの庵のサイト]


(当ブログ初期の昨年10月に一度エントリした内容が含まれていますが、今回は久しぶりに行ってみた、ということで。次回はうどんツアー関連でお届けする予定)
2006年8月18日(金) at 21:08