[恐るべきさぬきうどん]連載は昭和時代から(その2) / BBR
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食べないうどんの話をもう少し続けましょう。
前回のエントリでご紹介しましたが、「恐るべきさぬきうどん」の元となった連載のさらに原型は1988年に始められたものでした。
「麺通団」とは、私は興味がないが映画「UDON」にも架空の雑誌社内にできる名称でありますが、もともとは「タウン情報かがわ」の当時編集牛だった田尾氏らご一行が自称したユニット(?)であるのはご存じの方も多いでしょう。しかし連載初回時点ではどこにもその名は見えず、さてさて、その次を見てみると、翌1989年1月号(実質、昭和の最後に出された号である)になって、同じ名称のコーナーと思えないほど、体裁も内容もガラリと変わり、一瞬にして田尾団長(当時編集牛)のカラーがどっと出てくる形になります。
どのぐらい変わったかは、下の写真に目をやれば一目瞭然かと。
個別の店舗の紹介という形は完全に取り払われ、レポート形式の2本立に切り替わっています。また、単行本ブックカバーの見返しに書かれている「麺通団心得」の原型が、既にここに記載されているのにも注目です(当初、麺通団の構成員は、「30以上のうどん屋を食べ歩いた者のみで」となっていたが、第4巻から、「100以上の」、と条件が厳しくなった)。ここでは、「泉屋」、「小縣家」が紹介されていますが、それでもまだ文体に多少硬いところがあり、「恐るべき」を知る人にはちょっとまだスタイルが定まっていないな、という印象を与えるものになっています。
それが、さらに続く2月号の「中北」や、3月号の「谷川米穀店」あたりから、徐々に単行本に続くスタイルへと進化していくように読めます(それでも、まだこの頃は「通のアドバイス」と称する店の紹介めいた部分もあり、完全な「お笑いうどんコラム」とはなっていなかったようです。実際には、連載本誌から単行本へは、かなりの加筆編集があり、笑い部分は概ね膨らまされています)。
なお現在、麺通団公式ほかwikipedia等の記載にも、このコラムのスタートは1989年とされているようですが、田尾団長の執筆による「うどんコラム」としてスタートしたのが1989年から、ということでそのように記載していると見て良いでしょう。
さて、この連載は4月号から「文化人講座」の後ろに掲載されるようになり、これは恐らく「情報系」から「色物系」への正式な転換ではないかと思われます。うどんそのものとは関係ない「トーク」部分が増えてきたのもこのあたりからで、だんだんと、「読み慣れた」スタイルが明確になってくるのです。
しかし、この連載で、いわゆる「S級」の名店の多く、例えば「山越」「彦江」「長田」などについての話がポンポン出てくるのは92年頃が最盛期であって、例えば単行本第1巻冒頭を飾る「やまうち」は、92年10月の掲載だったりします(この頃は掲載店名をずらりと書き並べていたが、確かにここにあるのは連載2回目以降の店だ)。
なんか訳の分からない話になってしまいました。次回は、「食べたけど食べられない店」、要するに廃業名店の思い出を何と写真なしで語ってみようかと思っております。
前回のエントリでご紹介しましたが、「恐るべきさぬきうどん」の元となった連載のさらに原型は1988年に始められたものでした。
「麺通団」とは、私は興味がないが映画「UDON」にも架空の雑誌社内にできる名称でありますが、もともとは「タウン情報かがわ」の当時編集牛だった田尾氏らご一行が自称したユニット(?)であるのはご存じの方も多いでしょう。しかし連載初回時点ではどこにもその名は見えず、さてさて、その次を見てみると、翌1989年1月号(実質、昭和の最後に出された号である)になって、同じ名称のコーナーと思えないほど、体裁も内容もガラリと変わり、一瞬にして田尾団長(当時編集牛)のカラーがどっと出てくる形になります。
どのぐらい変わったかは、下の写真に目をやれば一目瞭然かと。
個別の店舗の紹介という形は完全に取り払われ、レポート形式の2本立に切り替わっています。また、単行本ブックカバーの見返しに書かれている「麺通団心得」の原型が、既にここに記載されているのにも注目です(当初、麺通団の構成員は、「30以上のうどん屋を食べ歩いた者のみで」となっていたが、第4巻から、「100以上の」、と条件が厳しくなった)。ここでは、「泉屋」、「小縣家」が紹介されていますが、それでもまだ文体に多少硬いところがあり、「恐るべき」を知る人にはちょっとまだスタイルが定まっていないな、という印象を与えるものになっています。
それが、さらに続く2月号の「中北」や、3月号の「谷川米穀店」あたりから、徐々に単行本に続くスタイルへと進化していくように読めます(それでも、まだこの頃は「通のアドバイス」と称する店の紹介めいた部分もあり、完全な「お笑いうどんコラム」とはなっていなかったようです。実際には、連載本誌から単行本へは、かなりの加筆編集があり、笑い部分は概ね膨らまされています)。
なお現在、麺通団公式ほかwikipedia等の記載にも、このコラムのスタートは1989年とされているようですが、田尾団長の執筆による「うどんコラム」としてスタートしたのが1989年から、ということでそのように記載していると見て良いでしょう。
さて、この連載は4月号から「文化人講座」の後ろに掲載されるようになり、これは恐らく「情報系」から「色物系」への正式な転換ではないかと思われます。うどんそのものとは関係ない「トーク」部分が増えてきたのもこのあたりからで、だんだんと、「読み慣れた」スタイルが明確になってくるのです。
しかし、この連載で、いわゆる「S級」の名店の多く、例えば「山越」「彦江」「長田」などについての話がポンポン出てくるのは92年頃が最盛期であって、例えば単行本第1巻冒頭を飾る「やまうち」は、92年10月の掲載だったりします(この頃は掲載店名をずらりと書き並べていたが、確かにここにあるのは連載2回目以降の店だ)。
なんか訳の分からない話になってしまいました。次回は、「食べたけど食べられない店」、要するに廃業名店の思い出を何と写真なしで語ってみようかと思っております。
2006年9月4日(月) at 00:08
このエントリ(記事)へのコメント
懐かしい! /
nori_2 URL
はじめまして、香川出身のnori_2と申します。
写真の「タウン情報かがわ」はB5版だった頃のでしょうか?
うちの実家にも一冊くらい残っているかもしれません。
田尾団長が「ゲリラうどん通ごっこ」を
「通称『ゲリ通』」と略したくだりが何故か印象に残っています(笑
私も帰省の度に、大阪人の夫と共にうどんツアーを敢行しています。
BBRさんのblog、参考にさせていただきますね♪
写真の「タウン情報かがわ」はB5版だった頃のでしょうか?
うちの実家にも一冊くらい残っているかもしれません。
田尾団長が「ゲリラうどん通ごっこ」を
「通称『ゲリ通』」と略したくだりが何故か印象に残っています(笑
私も帰省の度に、大阪人の夫と共にうどんツアーを敢行しています。
BBRさんのblog、参考にさせていただきますね♪
2006年09月13日(水) at 17:34
Re:nori_2さん /
BBR URL
こんにちは。レスが遅くてすいません。
「タウン情報かがわ」は、私がまだ高校生だった頃ですから、かれこれ20年ほど前から読み始めてました。まだ香川県には何の縁もゆかりもなかった頃です。文化人講座もまだ初期の猛烈なパワーがあった時期ですね。
その後自分で定期購読を始め、このペンネームで本格的に投稿していたのが大学1回生の頃です。ホットカプセルの事務所が中央通り脇の西の丸町にあった時、何度かお邪魔しました(西岡さんが「あそぼ〜」とか言ってうろついていたの記憶しております)。
なつかしいですね。
本格的に投稿していたのは1年余りですが、その後はうどんで引き続きお世話になったというわけです。
「タウン情報かがわ」は、私がまだ高校生だった頃ですから、かれこれ20年ほど前から読み始めてました。まだ香川県には何の縁もゆかりもなかった頃です。文化人講座もまだ初期の猛烈なパワーがあった時期ですね。
その後自分で定期購読を始め、このペンネームで本格的に投稿していたのが大学1回生の頃です。ホットカプセルの事務所が中央通り脇の西の丸町にあった時、何度かお邪魔しました(西岡さんが「あそぼ〜」とか言ってうろついていたの記憶しております)。
なつかしいですね。
本格的に投稿していたのは1年余りですが、その後はうどんで引き続きお世話になったというわけです。


