2008年9月22日 (月)

火は早めに消さないと [トルストイ] (2008/9/21)

ことの始まりは「たまご1個」でした。

むかしから、仲良く隣りあい、互いに助けあって暮らしていた
農家の家族。
ある日、ガブリーロとイワンの家が、たまご1個をめぐってけんかになった。
けんかはだんだんとエスカレートし、ついには大きな事件に‥‥。
村の半分が燃えてしまったのです。

イワンの長男の嫁は働きものでした。
嫁がとくにかわいがっていためんどりが、ある日たまごを産みませんでした。
「姉さんのとりは、となりの庭でたまごを産んでから、こっちにもどってきた」という弟の言葉から端を発して、次々に事件は発生していきます。


どちらが悪い?どちらも悪い?

結局、お互いに「自分の方が正しい」という気持が相手を傷つけ、心の溝を深くしていきます。
双方の怒りはどんどんと大きく膨れ上がり、最後にガブリーロが隣家に放火をしてしまい、なんと村の半分が火事で焼けてしまったのです。

イワンの父親が忠告します。
「おまえらはくだらねぇことで、大さわぎをしているぞ!」
しかし怒りと憎しみでいっぱいのイワンの心には通じませんでした。

お互いがあれこれと、あることないこと訴えあって裁判が続き、お互いの生活はメチャクチャに破壊されてしまいます。
やがて、それは大人だけに留まらず、子どもたちまでが憎しみあうのです。


憎しみが膨れ上がり誰にもとめられなくなってきたころ、イワンの心にようやく父親の言葉が届くようになります。

「けんかなんてものは片方だけが悪くて起きるものじゃねえ」

イエス・キリストのことばに「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」とあります。

「叩きたいだけ、叩かせたら、そのうち相手の良心がとがめてくる」イワンの父の言葉です。


火事の後に父親は言います。

「今度のことはいったいだれの罪だね」

イワンは相手を責める事をやめ、
「おれの罪だよ!」と泣き崩れたのでした。


『人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます』

                 ヤコブの手紙1章14~15節
                 (新改訳聖書©新改訳聖書刊行会)
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2008年9月18日 (木)

感動したこと(キリスト教例話集より)

イエスさまを救い主として受け入れたばかりの女の子に、
教会学校の先生が尋ねました。

 「イエスさまは、今ここにおられますか?」

少しの間考えていた彼女は、


 「はい、今ここにおられます。
  そして、私の心の中にもです」と答えた。


 「そうですね。
  それでは、サタンがあなたの心のとびらを
  たたいてきたらどうしますか?」


少女は驚いた顔をしていましたが、
やがて安心した顔に戻ると、
こう言いました。


 「わたしはイエスさまにとびらに出ていただくわ」

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2008年9月16日 (火)

ひとことメッセージ (2008/9/14)

【ハーベスト・タイム】のビデオより

ベトナムで、ベトちゃん・ドクちゃんの結合双胎児が生まれた事はご存知かと思います。
実は日本でも、同様の出産事例がありました。


長嶺栄子さんは、2001年1月に帝王切開によって結合双胎児を出産しました。
しかし、そこに至る道筋は決して容易なものではありませんでした。
双子の胎児の体の一部がつながっていることが分かった時、医師は長嶺さん夫妻に中絶を勧めました。
しかし、長嶺さん夫妻は何のちゅうちょすることも無く、即座に出産を決断されます。
番組では、長嶺夫妻を出産の決意に導いたものはなんだったのか、出産後その双子はどのような歩みをするようになったのか、その証しについて語られています。


教会の牧師である聴覚障害者の両親のもとで栄子さんは生まれます。
神さまに愛され、いのちを与えられ、造られた人間がどんなに尊いものであるのか、当然のこととして彼女は両親から教えられてきました。
そのため、この出来事が起こったとき、彼女には、「中絶」という選択肢自体が、考えの中に存在しなかったそうです。


わたしたちも謙虚な気持ちで考えなおしていただきたいのですが、本来、いのちが生まれるとはどういうことでしょうか?
よく考えてみると、彼女の判断は、本来、人間・母親として“あたりまえ”の決断なのです。
しかし同時に、その判断は大きな試練をも意味します。

たとい人間がどのように判断しようと、神さまの前には、「どうでもいい」いのちは無いことを彼女は語りました。
お二人は、私たちにいのちを与えた神さまは、この二人の子供をも生かすことができる、そう確信したのです。
私たちにとって、神さまを信じるということはどういうことなのか、深く考えさせられます。
それは単なる心の慰めや励ましではありません。
現実に私たちの信じる神さまは生きて存在しておられるお方なのです。
この神さまへの信頼によって生まれた二人の子供は、いま7歳になりました。


『聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」』
                                                 
ローマ人への手紙 10章11節
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2008年8月20日 (水)

ひとことメッセージ (2008/8/10)

ある賛美グループの一員である一人の女性クリスチャンが
「小さな手」という曲を作りました。

この曲が作られた背景には、作者のひとつの経験が込められています。
第一子の女の子を出産するという、女性にとって貴重な体験を経て、自身も母となりました。
生まれて間もない大切なわが子を見つめている中、その本当に“ちいさな手”にそっと優しく触れてみました。
ちいさな手は、大好きなお母さんの指をそっと握り締め、ほほえみ返したのでした。
そしてこう考えたのです。「イエスさまにもこんな時があったのだ!」と。

神の尊いひとり子が、栄光の神の御姿ではなく、卑しい人間と同じ姿になるまでご自分をむなしくされたのだ。
しかも、わたしの罪をその身に背負い、十字架で命を失うために生まれて下さったとは。
もし赤ちゃんのイエスさまにお会いできたら、と想像しました。
イエスさまはきっとすべての事をご存知でありながら、温かくわたしを迎えて下さったことと思います。
そして、優しくほほえみ、握り返して下さる、その“小さな手”がそこにあったことでしょう。
その手は、やがて傷つき、引き裂かれなければならなかったのに。
何という尊い血潮がその手から流されたのでしょう。
ただ神さまに感謝するほかありません。

『ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである』

                        ルカの福音書2章6~7節

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2008年8月 5日 (火)

ひとことメッセージ (2008/8/3)

Blackboard_s学生のみなさんは夏休みに突入しました。
夏休みに付き物といえば、”宿題”ですね。「計画的に早く済ませ、休みの後半はゆっくりと過ごしたい!!」、だれもがそう考えていることでしょう。
しかし、現実のわたしの姿といえば・・・、きっと休み終了直前になっても、まだ宿題が出来あがっていない、そんな事になっているものです。
現役の方にも、かつて学生であった方にも、ほろ苦い思い出です。
では、何が問題なのでしょうか?
それは、確実に到来する期日に対して、わかっていながら、結局のところ何の備えも出来ていなかったことです。
私たちの人生は、いつまでも永遠に続くことはありません。同じく、この世界と時代はいつまでも続くものではなく、必ず終わりが来る、そう聖書は警告しているのです。
しかし、神様はいたずらに私たちに語っておられる訳ではありません。神様を忘れて遠く離れてしまった者に対し、神の御子イエス・キリストの十字架による、永遠のいのちの備えをもって私たちに語り続けておられるのです。

『それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。』 (アモス書4章12節)
2008年8月3日(日)

2008年7月28日 (月)

聖書の語る幸福とは

2008年6月28日(土)に行われた特別集会のメッセージをお届けします。

講演者プロフィール 沖見寅雄
1924年カナダ・バンクーバーに生まれる。1959年来日し和歌山県で伝道を始めた。その後京都において伝道。
現在、広島を中心に全国各地で聖書講演を続けている。
著書に「エリコの人々」「幸福への架け橋」「人生はドラマである」等がある。

講演時間1時間8分 ・ ファイルは31MB

IC_L_001.mp3をダウンロード

2008年7月11日 (金)

ブログ移転のお知らせ

「関西どっとコム」と「ケイ・オプティコム」との合併に伴い、ブログが移転されました。

2008年7月10日 (木)

ひとことメッセージ

私たちにとって、本当の幸福、しあわせとは何でしょうか?
そして、その為に私たちは何かを探し求め、何かを得ようとして生きているのではないでしょうか。
ある人はその事を得るために、幸福から遠ざけるものを忌み嫌うことによってしあわせを得ようとする人がいます。
Eoguldmj 特に日本人には、慣習的に“死”(シ)のつく言葉を避けるところがあります。部屋番号で4番を欠番とすることは一つの例ですね。
ある一人の漁師が、出漁の際に大変な「しけ」に会い、荒波にもまれて不漁の中で帰港したとき、『ニケニケ』にあって散々な目に遭った、と言ったそうです。
しかしおもしろいことに、聖書の中には“し”のつく代表的な4つの言葉があります。そして、その4つ言葉を合わせることは、本当の“「し」合わせ”【しあわせ】と深い関わりがあることに気づかせられます。

【真理(しんり)】【真実(しんじつ)】【信仰(しんこう)】【新生(しんせい)】

Jkzc3dfe 聖書のことばをひも解いたとき、聖書は単なる慰めの言葉ではなく、あなたにいのちと希望を与える言葉です。
偽りのない【しあわせ】をあなたに与えるのです。
なぜなら、イエス・キリスト、神が人となって現れた救い主は 罪と死に束縛され、誰もそこから逃れることが出来ない人間のため、十字架でいのちを捨てて私たちを愛され、3日目によみがえられたお方であり、今も生きておられる救い主だからです。

2008年6月28日(土)

2008年6月18日 (水)

ひとことメッセージ

Etip7rlq もしあなたが海外旅行をする場合、必要なものを一つ一つ、大切に荷物をスーツケースに詰め込むことでしょう。
ありえない話しですが、仮にもし、あなたが搭乗している飛行機がエンジン故障のため、重量を軽減する必要があり荷物の投棄を命じられたとします。「金銭、洋服、下着、食品類、電化製品、洗面道具、おみやげ」等々、いろんなものがありますが、まず何から真っ先に手放すでしょうか?きっと自分にとって一番影響の少ないものから放棄すると思います。では、最後まで私たちが手放さないものは?という、きっと「パスポート」であると思います。それは海外にあって「日本人」としての私を、最後まで保障する大切な証しであるからです。
究極の状況に追い込まれたとき、私にとって本当に大切なものが明らかにされていくものです。
私たちの日常生活はたくさんの豊かな“もの”を所有することに心を費やしがちです。いかに楽しく過せるのか、そのための手段は何が最良なのか?
しかし、ひと時立ち止まって考えていただきたいのです。人間にとって本当に大切なものとは何であるのかを。

0fs6t_7f 【聖書のことば】
『さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。』
ルカの福音書10章38〜42節 <新改訳聖書©新改訳聖書刊行会>
2008年6月15日(日)

ひとことメッセージ

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聖書の中でも、特に有名なみことばです。
イエス・キリスト このお方に人生をゆだねて行くことがどんなに幸いであるのか、こころを込めたメッセージが語られています。
信頼する者が決して失望させられることのない、本当のやすらぎがここにあります。

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。』
マタイの福音書11章28〜30節 <新改訳聖書©新改訳聖書刊行会>
2008年6月15日(日)