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国民の生活が第一? / やまね智史
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国民の怒りが渦巻く後期高齢者医療制度。参議院で廃止法案が可決され、いよいよ次は衆議院で審議し与党(自民党、公明党)を追い詰める・・・はずだったのですが、それができない状態に。。
なんと共産党以外の野党(民主党、社民党、国民新党)が、審議拒否(ボイコット)をしてしまい衆議院での審議ができなくなったのです。
自民党の笹川議員も「共産党には気の毒だ。ずっと(他の野党に審議入りを働きかけて)かけずりまわったけどダメだった。共産党も答弁書を徹夜して書いたそうです」と語るほどの事態。
解散の見込みもないのに「協調型から対決型へ」「国会の最終盤にヤマをつくって党内を引き締める」という"党内事情"で福田内閣への問責決議を提出した民主党。さらに自分たちが提出した法案を審議拒否。。いったい本気で「国民の生活を第一」と考えてるのでしょうか!?
なんと共産党以外の野党(民主党、社民党、国民新党)が、審議拒否(ボイコット)をしてしまい衆議院での審議ができなくなったのです。
自民党の笹川議員も「共産党には気の毒だ。ずっと(他の野党に審議入りを働きかけて)かけずりまわったけどダメだった。共産党も答弁書を徹夜して書いたそうです」と語るほどの事態。
解散の見込みもないのに「協調型から対決型へ」「国会の最終盤にヤマをつくって党内を引き締める」という"党内事情"で福田内閣への問責決議を提出した民主党。さらに自分たちが提出した法案を審議拒否。。いったい本気で「国民の生活を第一」と考えてるのでしょうか!?
2008年6月15日(日) at 23:58
蟹工船はどこへ向かうか / やまね智史
日記・その他 > diary
休日、買い物をしに京都駅伊勢丹、アバンティへ。帰り際にアバンティブックセンターに立ち寄ってみる。「今週のBEST10」のコーナー、第一位の場所には『蟹工船』が置いてあった。JRの中吊り広告でも「蟹工船ブーム 130万部突破」と。もし小林多喜二が生きていたら、いまの蟹工船ブームをどんなふうに見ただろうか。
いま若者が戦前の作品「蟹工船」に共感する背景を、新聞や雑誌がこぞって書いてますが、“戦前29歳という若さで生涯を閉じざるをえなかった若者が、なぜ現代の若者の心をとらえる作品を生み出せたのか”・・・ふとそんなことも考えてみました。
小林多喜二は、「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」という言葉はもちろん、現代の若者の必需品である「携帯電話」や「ipod!」、「パソコン」「インターネット」も知りません(たぶん)。そんな彼の作品が現代の若者をとらえるのは、そこに時代を越える共通項、今も昔も変わらない“資本主義社会の本質”が描かれているからだと言われます。問題は、なぜ小林多喜二が、その“本質”を見抜けたのか。
派遣労働を国会で取り上げ、こちらも一躍脚光をあびる志位さんが、約10年前に出した著書(『科学、人生、生きがい 先達たちの業績に学ぶ』新日本出版社)の中で、小林多喜二について、その作品がなぜ今も力を持つのかについて語っていたのを思い出して、久しぶりに読み返してみました。こちらもおもしろいですよ〜
2008年6月12日(木) at 23:56
ロックの日 / やまね智史
日記・その他 > diary
今日は6月9日ということで「ロックの日」だそうです。洋楽はあまり知らないので、僕がロックという言葉でまず頭に思い浮かぶのは、ミッシェルガンエレファントやブランキージェットシティかな。
GOMES山田さんの文章によく登場する作家リリー・フランキーさんのインタビューが赤旗日曜版に載ってました。映画「ぐるりのこと。」について、表現することについて、政治について。
「恋愛って、簡単に相手を替えてリセットするものじゃなく、人と何かを乗り越えながら絆を深めていくこと。いろんな人に接点のある映画です」
「画家とか作家とかになりたいと憧れたことはない。そのとき一番適した方法で表現するということですね」
「今、政治は誰がみても“普通におかしい”ですね。僕の故郷の北九州で、おにぎり食べたい、と言って亡くなった人がいましたが、責めるべきは、そんな現状をつくった悪い土台なんです。心を病む人、自殺者が増えるのは当たり前です」
山田さん曰くリリーさんは「悲しい優しい感じがする」らしい。記事から伝わってきたのも確かにそんな感じで、あらためて彼の作品に触れたくなりました。
気づかないうちにこのblogも3年目に突入。“見た目はポップに、芯はロックな”ページを目指してがんばります
2008年6月9日(月) at 21:00
近くて遠い / やまね智史
東京の空の下から / やまね智史
昔は軍都、今は文教のまち / やまね智史
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一昨日は実は稲荷山を登った後が本題で、その後夕方から夜にかけて深草駅近くの喫茶店で、伏見の戦跡についてのお話をある方から聞かせてもらっていました。
僕が伏見に初めて来たとき驚いたのが「第一軍道」「師団街道」など、妙に“勇ましい”名前の道があることでした(京阪・藤森駅近くには「軍人湯」という名前の銭湯もある)。最近龍大の学生から「伏見の戦跡について調べたい」と相談を受け、僕自身もあらためて自分の住んでいるまちの歴史を知りたいと思い、それじゃあ一度お話を聞いてみようかということになったのです。
▼龍谷大・警察学校→兵器支廠(ししょう:兵器を製造・修理・貯蔵・支給するところ・・・で合ってるかな!?)
▼龍大南の深草西浦町一帯→練兵場
▼京エコロジーセンター・京都市青少年科学センター・藤森中学校→砲兵隊
▼聖母女学院(写真)→第16師団司令部(南京大虐殺に参加した部隊)
▼深草中・深草小→騎兵連隊
▼京都医療センター(旧国立京都病院)→陸軍病院
▼藤森神社・京都教育大→歩兵連隊
▼教育大付属高校・市消防学校→輜重部隊(しちょう:前線に輸送・補給するべき兵糧・被服・武器・弾薬などのこと)
・・・などなど、いま伏見北部にある施設の多くは、昔の軍事施設跡につくられているのです(写真の聖母女学院校舎は、当時の第16師団司令部の建物をそのまま使っている)。他にも大亀谷地域には射撃場があったことや、近鉄・桃山御陵駅では電車が停まったとき車掌さんに「明治天皇御陵に敬礼!」と命令され、みんな現在の御香宮(駅の東側)の方を向かされたことなど、いろんなエピソードを教えてもらいました(跡地などの詳細はホームページ⇒http://homepage3.nifty.com/hushimiheiwa/sub2.htmにまとめられているので興味のある方はぜひご覧ください)。現在「近いうちに実際に歩いて戦跡を見よう」という相談もしているところ




引越準備もラストスパート。スキマスイッチ「糸ノ意図」が耳に残る。
昨日は龍大のメンバーと伏見稲荷大社へ。幾重にも連なる鳥居のすき間から、鮮やかな緑と光がのぞいていてとてもきれいでした。少し歩くと赴きのある風景にふれられるのはやはり京都のいいところですね。


