核兵器と地産地消 / オープンカーに乗る庭師
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核兵器保有国の製品や産物は購入しない!
核兵器を経験した国民の一人ですが、全くそんなことを考えて生活していません。
僕はかつてフランスが核実験をした時フランスの製品を買わないようにしました。でも、もともとフランス製品とは縁がなく、まったく関係ありませんでした。
最近スタッドレスタイヤの広告を見かけるようになり、去年買ったミシュランはフランスの会社だったことから、こんなことを思い出しました。
ネットで調べると現在核兵器保有国はアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタンの七か国とイスラエルは保有が確実とされ、疑惑のあるイラン、イラク、リビア、北朝鮮があるようです。
僕の場合、身につけるものは、核兵器保有国の中国製が多いと思います。アディダスの靴でさえ、中国製でした。
つまり企業が国際化していて、本拠地と生産地が違うことが多くあり、その国の企業だけでは無くなっていて、核兵器保有国の製品を買わないといっても難しいことです。
最近「地産地消」ということがよくいわれています。住んでいる近くの産物や製品を買うということですから、ずっとわかりやすいですね。
現に米や野菜、陶器に関しては近所のものを消費していますね。
工業製品については意識はしていませんでしたが、生まれ育った伊丹の会社のミノルタのカメラを好んで買ったことや次はトーヨータイヤを基準に選びたいことは以前blogで書いたとおりです。
近くの産物や製品は輸送にかかるコストが少なく環境にいいこと、新鮮なこと、地域経済を潤すことになること等メリットがあることからするとこれからはもっと「地産地消」を意識していきたいと思いました。
2007年10月24日(水) at 22:18
僕だって「ちょいワル」さ! / オープンカーに乗る庭師
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前回のサラリーマン川柳で、一番気に入っていたのが「僕だって 健診結果は ちょいワルさ」だったのですが、選考される中でいつの間にか消えていましたね。
僕もちょいワル親父といわれたい気がするけど、そのための経済的余裕もなく、健診結果に要検査マークや経過観察マークが増えた僕の心境にこの川柳が一番ヒットしました。
前からお腹周りの脂肪も気になっていました。
でも何もせず脂っこいものを制限せず食べてしまっています。
ここらで、何か対策が必要だと思うもののなかなか行動できてません。
まず、お腹の脂肪なので腹筋を鍛えるようにしようと、気がつけばベッドや畳の上でやっているのですが、日常的ではなく効果が、ありません。
日常的にするために、入浴前にするとか、普段の生活にトレーニングを引っ付けなきゃ駄目ですね。新しい月をきっかけに、重い腰をあげることにしょうかな!
2007年8月31日(金) at 20:56
愛犬に立場を見切られた / オープンカーに乗る庭師
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愛犬を譲ってもらった頃の写真です。
腫瘍切除手術から3日、愛犬の様子を見ていますが、元気そうなのでホットしています。
今は家の中で飼っていますが、最初は外でした。
5年くらい前に、フィラリアになり、手術をしました。蚊が原因の病気なので、それからは家の中で飼うことになりました。
興味深いことは家の中で飼うようになって、愛犬の僕に対する態度が変わったように思います。
犬は集団で暮らす生き物なので、集団の構成員の序列や力関係に敏感です。
それまできっと僕のことを絶対的なリーダーと考えていたのが、家の中で僕をよく観察できるようになると、「僕の立場がそれほどでもない」と家族内の力関係を見抜いてしまったのでしょう。
でも絶対的でなくても、なんとか相対的なリーダーとしてはあり続けているのか、家族の中では一番言うことを聴きます。
しかし、僕の出す指示に従順でないことが増えました。
また、僕に対する緊張感が全く違ってきました。
今では家のどこでも「まったり」と寝そべっていますが、知らずに踏みつけてしまいそうになるので、もう少し緊張感が必要かなと思います。
せめて、人が通るところは避けるようなしつけをしたほうがいいかも知れません。
もし自分が踏みつけて、怪我させたらたまりませんからね。
今日から、危ない場所にいたら、注意するようにわざと軽く足を愛犬の体にあててみようかな?
2007年8月9日(木) at 20:57
赤ちゃん返りする部分 / オープンカーに乗る庭師
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昨日、チューリップの芽が出て来ているのを見つけました。
これからの霜にあたって駄目になってしまわなければいいのですが。
僕が産まれた時の話。
僕の頭には髪の毛がなかったそうです。
それは、1歳半ぐらいまで続いたということですが、記憶が僕にはありません。
当時の両親はかなり心配したそうです。
今頭髪が再び寂しくなってきているのを、赤ちゃん返りをしていると、僕の場合表現してもいいかもしれません。
それでも小学生の頃は、散髪に行くと、店の人に「髪の毛が多いなあ」と言われるぐらいになりました。
また、中学生になるとクセが出てきて、天然パーマになりました。
中村雅俊さんの青春ドラマ全盛期の高校生から大学生の頃は、皆そうでしたが長髪でした。
数年前から量がはっきり寂しくなってからは、丸刈りにしていてます。
これまでの髪型の中で、実は一番気に入っています。
散髪は家族にしてもらっています。
電気バリカンさえあれば、難しくもなく、時間と料金の節約でき、極めて合理的です。
僕の場合、産まれて最初に髪の毛がなかった訳なので、禿げてきても、それまで髪の毛があったことは幸運に思えます。
ところで髪の毛がずっとなければ、かなり違った人生だったかも知れません。
よく親が昔話でその頃を言うのに、お坊さんにしようと思ったなんて話してましたからね。
こうして良い伴侶と子どもに恵まれ、髪の毛があったことに感謝したいと思います。
2007年2月13日(火) at 21:18
アザ / オープンカーに乗る庭師
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僕は生まれてから、ずっと背中の真ん中に大きなアザがありました。
中学生の頃は水泳部でしたから、水泳大会で応援に来ていた家族にとって、僕を見つける目印になったことと思います。
背中にあるアザは僕にとっては、自分では見えないので、それほど嫌でもなかったですが、ツマラナイことを僕に言うヤツもいて、そんな時だけ嫌でしたね。
まあ、気にしていたら水泳部には入りませんよね。
僕はスポーツ指向の人間でもなく、集団も嫌な方なのですが、背が高いために「スポーツしなきゃ、もったいない」なんて言われ、やたら加入を勧められてきた訳です。
でも、興味もないので通常は断って、それでも執拗にアプローチしてくる運動部に入って来ました。
執拗にアプローチしてくる運動部には、理由がありました。
部員が少なく部活存続のために、熱心にアプローチしてくるのでした。
水泳部もそんな事情でした。
部員が少ないので、競争がなく、楽チンな反面、2年で先輩を抜いてしまうと、もう上達しませんでした。
それでも、市内の大会で入賞したこともあるので、もっと真剣にやればよかったかもしれません。
高校でのラグビー、大学での合気道、すべて同じ法則での入部でした。
若い頃のこんな身体の鍛え方でしたが、大病もなく、健康でいられるのは、強くスポーツに誘ってくれた友達のおかげかもしれませんね。
話を元に戻して、
僕は背中のアザを一生、文字どおり背負って行くつもりでしたが、高校卒業までに、いつの間にか消えていました。
アザは、蒙古斑だったのでしょうかね。
中学生の頃は水泳部でしたから、水泳大会で応援に来ていた家族にとって、僕を見つける目印になったことと思います。
背中にあるアザは僕にとっては、自分では見えないので、それほど嫌でもなかったですが、ツマラナイことを僕に言うヤツもいて、そんな時だけ嫌でしたね。
まあ、気にしていたら水泳部には入りませんよね。
僕はスポーツ指向の人間でもなく、集団も嫌な方なのですが、背が高いために「スポーツしなきゃ、もったいない」なんて言われ、やたら加入を勧められてきた訳です。
でも、興味もないので通常は断って、それでも執拗にアプローチしてくる運動部に入って来ました。
執拗にアプローチしてくる運動部には、理由がありました。
部員が少なく部活存続のために、熱心にアプローチしてくるのでした。
水泳部もそんな事情でした。
部員が少ないので、競争がなく、楽チンな反面、2年で先輩を抜いてしまうと、もう上達しませんでした。
それでも、市内の大会で入賞したこともあるので、もっと真剣にやればよかったかもしれません。
高校でのラグビー、大学での合気道、すべて同じ法則での入部でした。
若い頃のこんな身体の鍛え方でしたが、大病もなく、健康でいられるのは、強くスポーツに誘ってくれた友達のおかげかもしれませんね。
話を元に戻して、
僕は背中のアザを一生、文字どおり背負って行くつもりでしたが、高校卒業までに、いつの間にか消えていました。
アザは、蒙古斑だったのでしょうかね。
2007年2月6日(火) at 23:36
シンドイ時代を夫婦で過ごしてきて・・・ / オープンカーに乗る庭師
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ところで、冬の間は庭もクルマも記事になることが少なく、思い出話が多くなっています。
ここは開き直って、思い出も忘れてしまうこともあるでしょうから、積極的に思い出をこのブログに記録することにしました。
今回は結婚した頃のこと。
妻とは、学生の時から付き合っていて、僕がまだ24歳の時に結婚しました。
給料もかなり安く、共働きでもなかったので、生活はギリギリでしたね。
それでも、生活はできるもので、すぐに妊娠して余計にたいへんでしたが、愉しい毎日でした。
今も大学の友人の給料と比較されると、辛いのですが、その頃は通常の家賃の住宅には住めそうもなく、古いけど安い、公的団地が当たり助かりました。
それ以上に妻が、安い給料でも不満を言わないで、家事をやりくりしてくれたから、できたことと思います。
今まで妻から、安い給料について不満を言われたことがなく、精神的にも本当に助かっています。
すぐに子どもが2年続けての出産となり、育児も家事も力を合わせてやらなければ、生活が回らない状況でした。
今となって考えてみれば、そういうシンドイ時代を力を合わせることで、夫婦の関係もより強くなったのだと思います。
僕たちと違って、最初から豊かで何不自由ない状況で結婚した人に比べると、これから何か困難なことが起こった時も乗り越える力も強まったとも思います。
といっても、夫婦だけでなく、両方の実家の協力も大きな要素でした。
休みはどちらかの実家にほとんどお邪魔していたぐらい、たいへんお世話になりました。
でも、すべてスムーズに行った訳でもありません。
一緒に暮らすことで、習慣の違いやお互いの欠点がわかり、ぶつかることもありました。
そんなところは時間が少しかかりますが、大きな問題ではなく、そんなところも含めて認め合うようになりました。
妻の感想はどうかわかりませんが、僕はそんな感想です。
2007年2月3日(土) at 15:38
幽霊 / オープンカーに乗る庭師
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季節はずれな話なんですが、なぜか子どもの頃のことを思い出しました。
僕は大概は科学的に考えていくようにしていて、説明のつかない超常現象というものは信じないのですが、一度だけ幽霊らしい人に会ったことがあります。
それは子どもの頃、夏休みに近所の友達と渓流に遊びに行った時のことです。
エアコンがほとんどの家庭になかった時代でした。
自転車で行ける所まで行き、徒歩で山道を行けば、小さな渓流の深くて広くなっている場所があって、泳げました。
渓流は冷たく、暑い日常生活とは別世界を味わうことができました。
気のすむまで遊んで帰り道、渓流ぞいの小道でのことでした。
若い女性で、山の中ではにつかわしくない服装で生気なく立っていました。
どんな服装かは思い出せないのですが、白いドレスのようでした。
綺麗な女性で、うす暗い木陰の中で、輝いているようにも思えました。
僕たちは一瞬カタマりましたが、次の瞬間駆け出していました。
山道を駆け降りて、離れた場所に着くと、「今のはきっと幽霊だ」と確認しあいました。
今から考えれば、その近くに住んでいる人が、散歩をしていたのでしょう。
でも友達皆が、直感的に感じたことからすると、現世から離れた雰囲気のあるなかなか個性的な女性だったのだとは思います。
僕は大概は科学的に考えていくようにしていて、説明のつかない超常現象というものは信じないのですが、一度だけ幽霊らしい人に会ったことがあります。
それは子どもの頃、夏休みに近所の友達と渓流に遊びに行った時のことです。
エアコンがほとんどの家庭になかった時代でした。
自転車で行ける所まで行き、徒歩で山道を行けば、小さな渓流の深くて広くなっている場所があって、泳げました。
渓流は冷たく、暑い日常生活とは別世界を味わうことができました。
気のすむまで遊んで帰り道、渓流ぞいの小道でのことでした。
若い女性で、山の中ではにつかわしくない服装で生気なく立っていました。
どんな服装かは思い出せないのですが、白いドレスのようでした。
綺麗な女性で、うす暗い木陰の中で、輝いているようにも思えました。
僕たちは一瞬カタマりましたが、次の瞬間駆け出していました。
山道を駆け降りて、離れた場所に着くと、「今のはきっと幽霊だ」と確認しあいました。
今から考えれば、その近くに住んでいる人が、散歩をしていたのでしょう。
でも友達皆が、直感的に感じたことからすると、現世から離れた雰囲気のあるなかなか個性的な女性だったのだとは思います。
2007年2月2日(金) at 06:05
震災の傷跡 / オープンカーに乗る庭師
HOME > 想い出
冬の一番冷える時期に、雨でしたね。
やはり暖冬。そして今日は震災のあった日。
12年前地震のあった時刻、僕は朝の散歩でした。
当時、地震が群発していたので、揺れの前の大地の音はすでに慣れていました。
その時もゴォーッという地鳴りがして、「地震が来るな」と感じることができました。
ところが、いつものような小さな揺れでなく、下から突き上げられる感じでビックリしました。
まだ暗い中、散歩道の隣の山林から飛びだしてきた1匹のりすが、揺れの間、道路上で立ちすくむ印象的な光景を目撃しました。
揺れの後、急いで家に戻り、家族や家が無事であることを確認しました。
当時、井戸のボーリングをしていたので、掘削機材のやぐらが倒れて、家を破壊する心配もしましたが大丈夫でしたね。
ほっとして、いつものように出勤の準備をして、いつものように駅に行くと、電車が不通で、開通する見込みも不明というので、家に戻りました。
そしてテレビを見ていると次第に被害の大きさを理解することになりました。
テレビで、僕には馴染みな場所の阪急伊丹駅が壊滅していることが判ると、伊丹の実家が心配でいたたまれなくなりました。
妻の実家も神戸で、心配でしたが、六甲の北側なので報道から想像するとまだ大丈夫なように考えました。
電話がまったくつながらず安否を確認するためには現場に行くしかありません。
伊丹の実家は古い家屋で、阪急伊丹駅の様子から推測すると、潰れていて当然と考えました。
自動車で実家に向かいましたが、道路が寸断されており、行っては戻りを繰り返してルートを変え、実家に着いたのは夕方近くになっていました。
実家に行く途中の道で、西宮の高級住宅街の立派な家が何件も全壊していて、その前で呆然としてしゃがみこんでいる人の姿に何度となく会いました。
また、新幹線の高架が落ちているのを横目に、渋滞していて、余震で落ちるかもしれない高架の下で長い時間進めず、怖い思いもしました。
実家は瓦がほとんど落ちていたものの立っていました。両親も無事で、心底ほっとしたことを覚えています。
それからの記憶は、あまりなく、どのようにして戻ってきたのかも覚えていません。
このような経験は、「今をしっかりと生きよう」と自覚させるのですが、時間が経つと地震への備えの必要性もそうですが、忘れてしまいがちです。
この時の地震のことを今でも物語るのが、写真の浴室のタイルにできた傷跡です。このタイルを見て、思い出したいと思います。
2007年1月17日(水) at 21:07
アイロンをかけながら… / オープンカーに乗る庭師
HOME > 想い出
アイロンにもだいぶん慣れてきました。
椅子に腰掛けてできる高さのアイロン台は、姿勢が楽でいいですね。
だいたいは週末まとめて、アイロン掛けをしています。
もともと、ヨレヨレの服を好んで着るほうでしたが、人間自体が歳を重ねてヨレヨレになってきたものですから、せめてシャツにはアイロンをと思うようになりました。
中学生の頃から、自宅がクリーニング屋ですのでノリが効いたカッターシャツを毎日着ていました。
僕は堅い肌触りが嫌でしょうがなかったので、友達がかえって羨ましく思っていました。
それが原因でヨレヨレの服が好きになったということでした。
アイロン掛けは、冷房のない場所の夏場には過酷な労働で、父親は汗だくになって、長時間アイロンと格闘していました。
でも、働くようになって父親にはじめて感謝する気持ちが出てきました。
中学生の頃は、父親が仕上げてくれたカッターシャツを、わざわざ手でくしゃくしゃにして着たこともありました。
そんなことを思い出しながら、今は自分でアイロンをかけています。
2006年12月19日(火) at 10:02
使い捨てでなく、代々引き継ぐ道具を / オープンカーに乗る庭師
HOME > 想い出
家柄とかいうのは、あまり好ましくない表現ですが、いわゆる家柄の良いという家には、長く代々使われている家具など、世代間に引き継がれている道具が多くあるのでしょうね。
「祖父が使っていた机で、勉強しています」なんて、使い捨ての道具ではない、本当の豊かさを感じますよね。
我が家は、祖父が中国に渡り、祖父母ともに戦時中に中国で亡くなり、敗戦で命だけをなんとか持って戻ってきたのが僕の父なので、このような道具の伝承はありません。だから、余計に「いいなあ」と思うのかも知れません。
でも、父からは高校の頃でしょうか、右の腕時計をもらっています。ネットで調べたらたいしたものではないのですが、嬉しいことで、大切にしています。手巻きネジ式で、レトロな感じが好きです。
ならば僕達が、将来子どもたちに渡していく道具のことはどうなのかとを考えてみると、ほとんど見当たりません。
これからは、いいものを少しでいいから所有し、次世代に引き継げたらいいですね。
そういう気持ちは前からあって、長女には学習机を近所に住んでいて、知り合いになった家具作家に数年前に作ってもらいました。
韓国から来た陶芸家の陶板を埋め込んだという特注品で、とにかくシンプルで、天板を広くした机です。用途を広げようとテーブルにでも使えるようにしていますけど、果たして引き継いでいくのでしょうかね?
「祖父が使っていた机で、勉強しています」なんて、使い捨ての道具ではない、本当の豊かさを感じますよね。
我が家は、祖父が中国に渡り、祖父母ともに戦時中に中国で亡くなり、敗戦で命だけをなんとか持って戻ってきたのが僕の父なので、このような道具の伝承はありません。だから、余計に「いいなあ」と思うのかも知れません。
でも、父からは高校の頃でしょうか、右の腕時計をもらっています。ネットで調べたらたいしたものではないのですが、嬉しいことで、大切にしています。手巻きネジ式で、レトロな感じが好きです。
ならば僕達が、将来子どもたちに渡していく道具のことはどうなのかとを考えてみると、ほとんど見当たりません。
これからは、いいものを少しでいいから所有し、次世代に引き継げたらいいですね。
そういう気持ちは前からあって、長女には学習机を近所に住んでいて、知り合いになった家具作家に数年前に作ってもらいました。
韓国から来た陶芸家の陶板を埋め込んだという特注品で、とにかくシンプルで、天板を広くした机です。用途を広げようとテーブルにでも使えるようにしていますけど、果たして引き継いでいくのでしょうかね?
2006年11月30日(木) at 21:25
覚えているのは大自然よりも、味覚なのね! / オープンカーに乗る庭師
HOME > 想い出
これまで行った家族旅行の場所をGoogle earth で記録しようと前に書きましたので、やってみました。
行った年を入れてマークする作業なのですが、行った場所は覚えていても、いつ行ったという記憶はかなり怪しいですね。
また、位置が近くの場所の場合、同じ旅行で行ったのか、別々で行ったのかも判らないこともありました。
家族に聞いたり、確認のため、アルバムの写真を探し、それでも判らない時は推理しながら、なんとか記録が完成しました。
子どもにとって、行ったことをどこまで覚えているか興味がありました。
面白かったのは、食いしん坊の子どもは、やはり食べ物で覚えていたりすることですね。
興味のあることの記憶が残るということがよくわかりました。
自然の素晴らしさを見せてあげようと、例えば屋久島に行っても、果物のジュースがまずかったというだけの記憶なので、少しがっかりですけどね。
大きいだけで感動するもんですよね。屋久杉の大きさに感動して、記憶に残っていると思っていたんですが・・・
でも、子どもの小さい時期のアルバムは親には宝物ですよね。久々にアルバムを見て、そのことがよくわかりました。
とても可愛くって、アルバムを見ていると勝手に、ずっと笑みがこぼれてしまいます。
行った年を入れてマークする作業なのですが、行った場所は覚えていても、いつ行ったという記憶はかなり怪しいですね。
また、位置が近くの場所の場合、同じ旅行で行ったのか、別々で行ったのかも判らないこともありました。
家族に聞いたり、確認のため、アルバムの写真を探し、それでも判らない時は推理しながら、なんとか記録が完成しました。
子どもにとって、行ったことをどこまで覚えているか興味がありました。
面白かったのは、食いしん坊の子どもは、やはり食べ物で覚えていたりすることですね。
興味のあることの記憶が残るということがよくわかりました。
自然の素晴らしさを見せてあげようと、例えば屋久島に行っても、果物のジュースがまずかったというだけの記憶なので、少しがっかりですけどね。
大きいだけで感動するもんですよね。屋久杉の大きさに感動して、記憶に残っていると思っていたんですが・・・
でも、子どもの小さい時期のアルバムは親には宝物ですよね。久々にアルバムを見て、そのことがよくわかりました。
とても可愛くって、アルバムを見ていると勝手に、ずっと笑みがこぼれてしまいます。
2006年11月28日(火) at 05:53
思い出を「Google Earth」に / オープンカーに乗る庭師
HOME > 想い出

今ごろなんですが、Google Earthを愉しみ始めました。
これまでも、航空写真を使った地図サービスがあったので利用することはなかったのですが、「人物まで見れる」というので、まさかと思い、ダウンロードしたのがきっかけでした。
また、リアルタイムに今の状態が見れるという話もありました。いかに正しくない情報が口づたえに流れているという現れですね。
初めに感じたことは画像の質にかなりの差があることです。
エッフェル塔はリアルで感動的ですし、ナスカの地上絵もよかったです。
一般的に、都市の方が細かいところまでわかりますけど、人物まで当然わかりませんよ。
特定の場所を登録して、順番に一定時間で移動していく機能を使って、家族のメモリーツアーを作りました。
僕の実家、妻の実家、結婚式をしたニュージーランド、新婚の時の家、次に引越した家、現在の家を巡るだけですけど、当事者とすれば感慨深いものがあります。
特に地球から特定の場所に落ちていくような感覚や外国に移動していくスケール感はGoogle Earthならではでしょうね。
また、僕と妻の実家の緯度がほぼ同じなことを発見したり、今の家がいかに遠い距離なのかを実感しました。
今度は家族旅行の思い出の土地を巡るツアーも登録したいと思いました。
2006年11月25日(土) at 21:31
溢れる物質を、必要最小限に近づけて / オープンカーに乗る庭師
HOME > 想い出
僕たちは、多くのモノを所有しています。
必要なモノを最小限所有するというシンプルなスタイルに憧れますけど、また昨日もカメラを買ってしまいました。
かつて、所有物を減らす方法として、一つ新しく所有するたびに、二つ持っていたモノを減らすことを実践したことがありました。
これが簡単なようで難しい!
もったいなくて捨てられないということと、物欲にしばられています。
そのかわり、できるだけモノは増やさないことにはしているつもりです。
この世を去れば、どうせ捨てられるモノばかりです。長期的な見方をして、徐々に減らすことにしようかな?
僕もインターネットのオークションなどを利用して、必要な人を探したりしてみようかなと思います。
若い頃買った楽器も弾かないのに手元にあります。ギター、マンドリン、バンジョー。サキソフォンもあったのですが、それは欲しい人がいて、譲りました。あまりいいモノはありませんが、果たしてインターネットのオークションで、欲しい人が見つかるのかな?
写真のギターを唯一たまにいじるだけで、楽器は何もモノにはなりませんでした。トホホ。
必要なモノを最小限所有するというシンプルなスタイルに憧れますけど、また昨日もカメラを買ってしまいました。
かつて、所有物を減らす方法として、一つ新しく所有するたびに、二つ持っていたモノを減らすことを実践したことがありました。
これが簡単なようで難しい!
もったいなくて捨てられないということと、物欲にしばられています。
そのかわり、できるだけモノは増やさないことにはしているつもりです。
この世を去れば、どうせ捨てられるモノばかりです。長期的な見方をして、徐々に減らすことにしようかな?
僕もインターネットのオークションなどを利用して、必要な人を探したりしてみようかなと思います。
写真のギターを唯一たまにいじるだけで、楽器は何もモノにはなりませんでした。トホホ。
2006年10月6日(金) at 21:44
田舎暮らしの理由 / オープンカーに乗る庭師
HOME > 想い出
93年にこの地に転居してきました。通勤片道2時間になるというちょっと「思い切りのいるもの」ですから、それなりの理由があったわけです。今回、思い出話を綴りたいと思います。
田舎への転居については、2人のモデルがいました。
一人は、こども頃の大好きだったアメリカ・ドラマ「大草原の小さな家」の主人公ローラーのお父さんチャールズ・インガルスです。夫婦と娘3人の5人家族が、移り住んだ田舎町ウォルナットグローブで繰り広げられる家族愛溢れるドラマでした。「こんな家族を持ちたい」と本当に思っていました。家族を持った僕もちょうど我が家も女の子ばかり2人でしたし…
もう一人は、高校時代から好きな中国の詩人の陶淵明です。
「帰りなん、いざ」とせっかく就いた知事の職を捨てて、農村の暮らしに戻った人です。理由は「俗に適わぬ」ということで、俗事にとらわれることなく仙人のような暮らしを望んだということでした。(これは表向きの説ということもありますけど)
またやりたいことが3つありました。
一つは、このブログでも中心的な「庭いじり」です。大学の頃読んだ本に「庭は最高の趣味」ということが書かれてありました。庭は土地がないとできません。それまで、団地暮らしだった僕にとって、やりたくてもできない趣味だったので、余計にやりたくなってしまっていました。
二つ目は、定点観察です。大学時代、野鳥や、野草など図鑑を持って野山をフィールドワークするのが趣味でした。いろんな場所に行き、偶然出あった生物を見て愉しんでいたわけなんですが、「同じ場所で長い時間、経過を観察し続けることこそ本物である」ことに気づきました。
三つめは、注文建築です。30歳ぐらいには家に興味を持ち、いろいろと住宅を見て回りました。最初はログハウスで、自分で建てることも考えたりもしていました。そこで、建てている現場を手伝いに行ったりもしましたが、ログハウスばかり見ていると飽きてしまうもので、ある時なんとなく訪れた古い茅葺の農家に感激しました。古民家の移築ができれば良かったのですが、その雰囲気を少しですが、取り入れた家を建てました。
このように、こんな僕でもこれくらい生きていると色々とエピソードがあるものですよね。このようにブログに書いて残しておくのもいいなあと思いました。どんどん忘れやすくなっている僕にとってみれば、覚えているうちにね。
田舎への転居については、2人のモデルがいました。
一人は、こども頃の大好きだったアメリカ・ドラマ「大草原の小さな家」の主人公ローラーのお父さんチャールズ・インガルスです。夫婦と娘3人の5人家族が、移り住んだ田舎町ウォルナットグローブで繰り広げられる家族愛溢れるドラマでした。「こんな家族を持ちたい」と本当に思っていました。家族を持った僕もちょうど我が家も女の子ばかり2人でしたし…
もう一人は、高校時代から好きな中国の詩人の陶淵明です。
「帰りなん、いざ」とせっかく就いた知事の職を捨てて、農村の暮らしに戻った人です。理由は「俗に適わぬ」ということで、俗事にとらわれることなく仙人のような暮らしを望んだということでした。(これは表向きの説ということもありますけど)
またやりたいことが3つありました。
一つは、このブログでも中心的な「庭いじり」です。大学の頃読んだ本に「庭は最高の趣味」ということが書かれてありました。庭は土地がないとできません。それまで、団地暮らしだった僕にとって、やりたくてもできない趣味だったので、余計にやりたくなってしまっていました。
二つ目は、定点観察です。大学時代、野鳥や、野草など図鑑を持って野山をフィールドワークするのが趣味でした。いろんな場所に行き、偶然出あった生物を見て愉しんでいたわけなんですが、「同じ場所で長い時間、経過を観察し続けることこそ本物である」ことに気づきました。
三つめは、注文建築です。30歳ぐらいには家に興味を持ち、いろいろと住宅を見て回りました。最初はログハウスで、自分で建てることも考えたりもしていました。そこで、建てている現場を手伝いに行ったりもしましたが、ログハウスばかり見ていると飽きてしまうもので、ある時なんとなく訪れた古い茅葺の農家に感激しました。古民家の移築ができれば良かったのですが、その雰囲気を少しですが、取り入れた家を建てました。
このように、こんな僕でもこれくらい生きていると色々とエピソードがあるものですよね。このようにブログに書いて残しておくのもいいなあと思いました。どんどん忘れやすくなっている僕にとってみれば、覚えているうちにね。
2006年9月28日(木) at 21:49
「働かない」選択肢があったなら… / オープンカーに乗る庭師
HOME > 想い出
テレビで働かない若者が、「働く意味がわからないから」とか話していました。働く意味なんて、働く時そんなに深く考えてみなかったけどね。
ちょっと何かが違っていたら僕もニートかもと思いました。
若い頃といっても大学時代ですが、働くのは嫌で、できるだけ働かず、お金も使わない主義。金持ちや有名にという志もなく、希望する仕事もなかったですよ。
当時僕の中に、『働かない』という選択肢がなかっただけ。小さな商売に親が汗水流して働く姿を見て育ち、卒業後働くのは当然だった。要領よく世渡りしようという気持ちもなく、何かの縁で雇ってくれた所に就職しただけ。
仕事を辞める選択肢もなく続けるウチ、少し面白くなってきて今に至っている。僕って、そんなもんじゃないかな?
でも、今からすると働いていて良かったと思いますけど。
選択肢があれば楽な方を選んでしまいがち。選択肢があるのは幸か不幸か。
コツコツと働いて、家族の支えがあって、オープンカーにも乗れたもの。実際しんどいこともあるけど、差し引きプラスになればいいんじゃないかな。
ちょっと何かが違っていたら僕もニートかもと思いました。
若い頃といっても大学時代ですが、働くのは嫌で、できるだけ働かず、お金も使わない主義。金持ちや有名にという志もなく、希望する仕事もなかったですよ。
当時僕の中に、『働かない』という選択肢がなかっただけ。小さな商売に親が汗水流して働く姿を見て育ち、卒業後働くのは当然だった。要領よく世渡りしようという気持ちもなく、何かの縁で雇ってくれた所に就職しただけ。
仕事を辞める選択肢もなく続けるウチ、少し面白くなってきて今に至っている。僕って、そんなもんじゃないかな?
でも、今からすると働いていて良かったと思いますけど。
選択肢があれば楽な方を選んでしまいがち。選択肢があるのは幸か不幸か。
2006年9月12日(火) at 21:48
ツイていないことを証明する方法とは? / オープンカーに乗る庭師
HOME > 想い出
昨日、雷だったのですが、今の家に雷が落ちたことがあるので、そのことを想い出します。
その時、
真上から大音響の後、テレビアンテナが破壊されて、屋根を転がる音が続きました。同時にテレビから、煙が立ち上がるのを見ました。
テレビだけでなく、いろんな電気機器がダメになりました。雷にパソコンやマイコン制御の物は弱いですね。一瞬に便利な道具を失うという体験でもありました。
雷の被害にあう人はどれくらいいるのでしょうか?もともと僕は幼少の頃から、ツイテないタイプの人間と自分のことを評価しています。
このことを証明しようとしたことがあります。
方法は、宝くじです。宝くじは、下1ケタをバラバラに10枚買うと、末等が1枚あたるしくみなので、5枚買うと、2回に1回は末等が当たる確率のはずです。この5枚を続けて買うことにしたわけです。6回続けて買ったところ、1回だけ末等が当たる結果でした。そんな状態で1等なんて当たるはずがないので、宝くじで夢を買うのを僕はやめました。
その時、
真上から大音響の後、テレビアンテナが破壊されて、屋根を転がる音が続きました。同時にテレビから、煙が立ち上がるのを見ました。
テレビだけでなく、いろんな電気機器がダメになりました。雷にパソコンやマイコン制御の物は弱いですね。一瞬に便利な道具を失うという体験でもありました。
雷の被害にあう人はどれくらいいるのでしょうか?もともと僕は幼少の頃から、ツイテないタイプの人間と自分のことを評価しています。
このことを証明しようとしたことがあります。
方法は、宝くじです。宝くじは、下1ケタをバラバラに10枚買うと、末等が1枚あたるしくみなので、5枚買うと、2回に1回は末等が当たる確率のはずです。この5枚を続けて買うことにしたわけです。6回続けて買ったところ、1回だけ末等が当たる結果でした。そんな状態で1等なんて当たるはずがないので、宝くじで夢を買うのを僕はやめました。
2006年9月7日(木) at 20:46
僕と同い年のお金たち / オープンカーに乗る庭師
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過去の愛車の写真を探していた時、こんなものを見つけました。
数年前、仕事で小銭を取り扱うことがあり、古い10円玉が混じっていて、偶然発行年が目に入ってきて、見れば僕と同い年でした。
その擦り切れ、汚れた姿でも、現役でがんばっていることに、何か励まされているように感じました。
それからは古い硬貨があれれば、発行年を見て、同い年のものは、交換していました。写真は、その成果です。
といっても、100円玉は流通しているものではないので、僕が同い年の硬貨を集めていることを知って、いただいたものです。
ごらんのとおり、50円玉と5円玉については、手に入れることができませんでした。もう50円玉は流通していないもので、仕方がないのですが、5円玉は発行数が少なかったのでしょうね。
古い写真が出てきたことから、次々懐かしいことを思い出しました。
懐かしいことも大切にしながら、未来もしっかり見なくてはいけませんね。

