誠幸舎山荘日記 

オープンカーに乗る庭師のblog

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楽しくあらな / オープンカーに乗る庭師

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生けるもの
つひにも死ぬるものにあらば
この世なる間は
楽しくあらな
(大伴旅人)

先行きが暗い世の中で、何が楽しいのか?というお考えもごもっともです。

でも、世の中や、自分自身の力不足や欠点はどうであれ、「生まれたからには、精一杯楽しんでやる!」というスタンスが素敵ですから、この短歌を座右の銘にしています。


楽しく暮らすためには日々の小さくて、つい見落とすことのある嬉しい出来事をしっかり楽しむこと。僕はもともと鈍感な性質です。現代社会の強い刺激に慣らされてしまうと簡単に逃してしまうと考えます。


またそのような「楽しみ」は、「愉しみ」と表現した方が、快楽や楽チンにも使う「楽」より、しみじみとして深みがある「愉」が相応しいと感じて、以前はよく使用していた訳ですが、携帯での変換が面倒な時があり、使っていませんでしたね。

りっしんべんが「小」なので小さな楽しみとつながるので更に相応しいことに気がつきました。
また「愉」を使うことにしたいと思います。

2008年6月11日(水) at 22:47 

小さい秋見つけた WHAT A WONDERFUL WORLD! / オープンカーに乗る庭師

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「小さい秋見つけた」。

まさか、そんなはずはなく今は蛍の季節です。

しばらくは、庭先の小川に蛍が今年も現れてくれるか気がかりでした。

この小川は時期によってどぶ臭いという水質。そこで、蛍が育つというのは不思議な感じがして、蛍がいついなくなっても仕方ないと感じます。

何回か探して発見できずにいましたが、昨夜は明滅する光を二つ見つけることができました。
こんな小さなことが嬉しいというのは大切だと感じます。

「小さい秋見つけた」を思い出したのは、季節を見つけることに小さな喜びを感じながら暮らす日本人らしい生き方をよく表現していると気付いたからです。

小さなことですから、心しないと見逃してしまいます。
多くの現代人が見逃してしまっている、いや目を向けてもいないようにも思います。


テレビで自殺が増えていると聞きました。それも中年以上の男性が多いとのこと。
僕もその集団なので少しわかるような気がします。

人生に少し行き詰まり、「これでよかったのか」と振り返り、新しく挑戦しようにも難しい状況にあり、またもう長く生きた気もして、先行きも暗いので、このへんで終えようかなと。


しかし、心すれば小さな喜びがあふれている世界だったのです。

木の緑や薔薇の赤を謳歌する「WHAT A WONDERFUL WORLD!」
こんな歌もありましたから、日本人だけでなく人間に共通することなんでしょう。

さあ!小さな喜びをしっかり見つけ、天寿を全うすることにしましょう。

2008年6月6日(金) at 21:50 

キツイことをしなければ満足できない人生 / オープンカーに乗る庭師

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キツかった。
こんなにキツイことをしなければ満足できないなんて、いったい僕の人生は何だろう?

昨日見た映像資料で、冒険を終えて植村直己さんはこのような事を漏らしていました。

輝かしい業績の陰に、人間としての幸福を考えると「本当にこれでいいのか」という迷いもあったのだと思います。

誰もしたことのない冒険を求めてエスカレートする面もあったのでしょう。エスカレートすればするほどキツイことが増している実感もあったのかも知れません。

振り返ると僕はある程度で満足して、大きな夢もありません。

植村直己さんは夢の大小でなく、そのことに賭けた心の大小が大切だということも語っていました。
僕は自分が理想とするようなライフスタイルには、心を少なからず傾けて手に入れてきました。
平凡ですが、彼同様あるいは彼以上に幸福です。

でも、夢ややりたい事が無くなってきている昨今、また何かにトライするものを見つけたいと思います。

2008年5月20日(火) at 22:24 

なんで〜こんなに可愛いのかよ! / オープンカーに乗る庭師

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「なんで〜こんなに可愛いのかよ! 孫という名の宝物」

「孫」という歌がヒットしていたころは、なんてことはなかったものの、孫ができるとついつい口ずさんでしまうようになるのは自分でも不思議でした。

そこで、なぜ孫は可愛いのか考えてみました。

まず小さなこどもは第一に存在そのものが可愛いもの。
他人の子も可愛いのですから、ましてや愛着のある子なら特別に可愛いものです。

第二に孫の場合、責任がないことと、自分の生活も落ち着いてきたことから余裕があることがすごく違います。
親の時には一生懸命だったけれど、気の向くまま可愛いがってさえいればいいのです。

第三に、自分の子育ての経験が重なってくること。こどもと比較して、似ていたり同じことも嬉しいですし、違うこともそれはそれで嬉しいのです。


孫のお食い初めがあり、一ヶ月ぶりに孫に会えました。
見違えるぐらい大きくなっているので、この時期の1ヶ月の成長ぶりには、少しびっくりしてしまいます。



2008年4月21日(月) at 20:34 

ノー・ウーマン ノー・クライ / オープンカーに乗る庭師

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ボブ・マーリーの名曲「ノー・ウーマン ノー・クライ」ですが、今日は子どもが泣き叫ぶ場所にいて、思い出しました。


子どもの泣き叫ぶ声が、長い間病院に響き渡り、自分の腰痛よりも辛い気持ちになりました。

今日は、休みをもらって腰痛を診てもらいに病院に行き、例のごとく長時間待っている間に、隣の泌尿器科の中から泣き叫ぶ子どもの声。
「痛い、痛い・・・」「やめて、やめて・・・」大声で診察を拒否しているようです。
子どものこのような声を聞くといたたまれない気分になります。自分の子どもにおこった怪我のシーンなどもフラッシュバックしてきました。

土日と静養していた甲斐もなく、昨日の月曜も腰痛がありましたが出勤しました。
案の定、勤務時間椅子に腰掛けていつづけるもの辛く、今日は日曜出勤の振り替えをもらいました。

こんな場合、長距離通勤はよくないですね。帰りの電車では座れず。1時間近く電車の揺れなどに耐えることになりました。半時間に1本しか電車がないので、もう1本まっているホームの上もしんどいので、立って乗ることにしたのでした。

上半身の重さが腰に負担をかけていると考え、手すりにぶら下がるようにしていると楽かな?とやってみましたが、長時間そのような続けることができない体力でした。ドアにもたれたり、いろいろしながら最寄駅までなんとか凌ぎきり、車にたどり着いた頃には、全身棒のように固まっており、背の低いスポーツカーに巨体を収めるのに、これまた苦労しました。
屋根に頭がひっかかり、車内に身体が入らないのです。オープンカーにすれば解決するのですが、手動のため、そのような身体では操作できませんし、かなり時間をかけて、シートに座りました。

そのようにして家に無事に辿りついた時は、大げさでなく「生還してきた」ような気分でした。こんな腰でも、やればできると自信が生まれたのは唯一良かったことでした。


今朝、目覚めてみるとなぜか腰の調子はすごく良くなっていました。郵送されてきていたエレキバンのような高血圧や腰痛など幅広い効果を謳う怪しいグッズが良かったのかもしれません。
ほっておいても直りそうな感じもしましたが、今まで腰痛で医療にかかっていなかったので、予定通り病院に行くことにしました。
レントゲンで骨と骨の軟骨が擦り減っていることが確認でき、原因がわかったのでしたが、歳相応のもので、特に治療もなく、腰痛体操等が書かれたプリント一枚もらって、終わりでした。


2008年4月15日(火) at 12:18 

無為自然 / オープンカーに乗る庭師

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「パソコンを快適に」と、メモリを増設しようとメモリを購入しました。ところが相性が悪く、立ち上がりとシャットダウンを繰り返すので諦め、元のメモリに戻したところ、正常に作動しなくなりました。
軽いプログラムなら作動するのですが、インターネットは繋がらなくなりました。

余計なことをしてしまった結果、元もこもなくしてしまうことはこれまでにも経験していることですが、今回は悪循環が起こり、体脂肪体重計、お気に入りの丹波焼の急須を続けて壊してしまいました。

すべて何もしなければ良かったわけなので、反省した時浮かんだ言葉が「無為自然」です。

今回のように生活をより快適にする行為は必要だと考えています。
しかし、何もしないことでかえって上手く物事が進む場合もあるとは思います。
今回のパソコンの件は、元に戻せばいいだけだったのですが、精密機器を扱う僕に経験と繊細さが足りなかったということ。

繊細さが必要なことには、無為でいる方が僕の場合いいのだということです。
2008年3月22日(土) at 20:30 

ライク ア ローリングストーン / オープンカーに乗る庭師

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「転がる石には苔が生えない・・・」
のような意味ということで、だから「転がり続けよう」という解釈でしたが、今日は少し別の意味を浮かべることがありました。

温かな日が続いていて、庭のスイセンがいつの間にか満開です。冬タイヤはそろそろ交換する時期になり、まずライフを夏タイヤに交換することにしました。
タイヤに挟まった石をクギの先でほじくり出して交換していた時、前輪と後輪につけていたタイヤでは、石の挟まり方が全く違っていて(このことはずっと感じていることなんですが)、エンジンから力を受けて回る前輪は石が少なく、ただ回っているだけの後輪に石がいっぱい挟まっています。

これを生きることに例えると、
自分から回転し動力を地面に伝える前輪には、石が入り込む隙間がないということから、能動的・主体的に生きていると邪魔なものに惑わされることも少なく、
ただついて行くだけで回っている後輪には不要な石が入りこんできていることから、受身で生きていると邪魔なものに惑わされることが多くなるのではないかな?・・・と思いつきました。
だから能動的・主体的に生きる方が、シンドそうに見えても、実のところ楽な生き方だと思います。
だから駆動輪のように行きたいと思うし、そうしてきたようにも感じながら作業をしていると、この感覚に近い格言として「ライク ア ローリンングストーン」が浮かんできたのでした。



また、ロードスターのブレーキキャリパーの塗料が余っていたので、タイヤを外すついでにライフも赤く塗装しました。
ライフは前輪だけがディスクブレーキなので、手間は半分なのですが、アルミホイールがサビでくっついて離れにくく苦労しているので、四輪とも接合面にはサビ落としをしました。

スポーツカーでもないライフには似合わないとは最初から考えていましたが、そんなに変でもないかと思います。

2008年3月15日(土) at 15:49 

「良い犬」と「賢くない人」 / オープンカーに乗る庭師

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「狗(いぬ)はよく吠ゆるをもって良となさず。人はよく言うをもって賢となさず」  荘子

先日記事にしたとおり、今日家族全員の携帯をソフトバンクに変更しました。
ソフトバンクの犬が父親のCMで、確かにあの犬は必要な時に吠えていて、決してよく吠えているわけではないですよね。他のタレントよりはるかに重要な存在です。
ところが、外国タレントのCMでは、歩きながら話しっぱなしです。同じ携帯同士なら1時〜21時の間、通話無料ということを表現しているということでしょうが、荘子によれば「良い犬」と「賢くない人」のCMの二本立てということになりますね。

通話料無料だからといって、無駄話で時間を使っては良くはないのですが、離れた相手でも、コミュニケーションが料金を気にすることなくできることは大切なことです。
家族が家の中で携帯で通話しているというCMもありましたが、これは極端すぎます。家族ぐらいは、目を見て話をしましょう。
あの父親の犬も「目を見れば判る」と言っていることですしね。
2007年10月16日(火) at 21:22 

あれか−これか / オープンカーに乗る庭師

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「あれか―これか」 キルケゴール

今回で400回目の記事です。
記念碑的に昨日から始めた新しいマイカテゴリ「格言雑言」で、僕の青春時代から関心のある実存主義の創始者的立場のキルケゴールの著作の名前「あれか−これか」を取り上げたいと思いました。

実存主義の僕の理解は、今の自分の存在は、それまで人生の場面場面で選択してきた積み重ねの結果であるから、選択した責任が自分自身にある。だから今、目の前の「あれか―これか」の選択を覚悟して生きるべしということ。

すると、選択する基準がなければ、迷うばかりになってしまいますから、二十代の頃、三つの生きる指針を立てました。
それは「自然」「創造」「単純」でした。

「自然」というのは、
自然に出来る限り接して暮らそう!、四季を感じて暮らそう!ということです。
もともと僕には、特に僕の精神には自然が必要だということを考えていたことが原点です。
ここに住むようになったのも、庭や畑をしているのもこの指針が基になっています。
オープンカーで田舎の空気を楽しんでいるのもそうです。
間違いなく自然は僕の精神を癒し、生きる愉しみの中心となっています。

「創造」は、芸術的な生活という意味でしたが、これはなかなかできていませんね。
「創造」は自然とは反対の人間特有の資質ですが、人間として生まれた限りは、発揮したいと考えました。
芸術といえば、このところ陶芸については、ちょっぴり詳しくはなってきているものの、若い頃やっていた楽器も絵も遠ざかったままです。
以前毎日、短歌を一年間創り続けたこともあります。このブログも、自己表現ということでは、創造的な行為ではあります。
消費するばかりではなく、何か創造したいという姿勢は普段から持ち続けたいと思います。


「単純」は、精神的にも物質的にも単純な構成で暮らして行こうということ。
モノや関係がいっぱいで、複雑になり、大切なこと見逃してしまうことのないように、より単純にしていくことを心がけていきたいと考えました。
「単純」が重要だと考えたのは、複雑なことを複雑なまま考えていけるほど、明晰な頭脳ではないので、複雑な中で一番大切なことぐらいは逃さないようにしたいと考えました。
だから、何が大切なことかを見るようにはしてきたつもりです。


また、「あれか―これか」を選択する時、特に心得ていることは「出来ることしかできないから、出来ることを一生懸命しておこう」ということですね。

2007年10月14日(日) at 19:51 

満足した豚なのかな? / オープンカーに乗る庭師

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「満足した豚より、満足していないソクラテスであるほうが良い」J.S.ミル


今「僕は満足した豚」なんだろうかとふと考えました。
なんとか健康で、家族に恵まれ、生活上の重要アイテムの庭、家、薪ストーブやオープンカーを手にいれてしまいました。

このような中、不満でいるのもおかしなことだとも思います。
またこの状況は、降ってきた与えられたものでもなく、求めて少し努力した成果でもあります。

自分で満足しているソクラテスなんて言えませんが、二つの分類より、不満な豚、満足している豚、不満なソクラテス、満足しているソクラテスの四つの分類の方がいいのではと思いつきました。
でも、もしかするとソクラテスは満足しない人なんでしょうか?


また豚で表現していることは、ソクラテスと対比しているわけですから、「思考しない」ことでしょうか?

すると、考えもしないで、満足するな!ということですね。
考えるというのが、動物界の中で人間が特別な理由ですから、「人間なら考えろ」と言っているとも捉えることができます。

豚やソクラテスを引き合いに出すより、「よく考えて生きるべし」というなら意味がわかりやすいのですが、わざわざわかりにくくして、考えろ!としているような気がします。

ちゃんと考えた上で、少しの不満は必ずありますが、総合的に満足というのなら、満足しているソクラテスではないかな?

反対に不満な豚は最悪な状態でしょう。でも、こんな人わりといるような気がします。

2007年10月13日(土) at 21:15