変わるコンビニ ・・・ biz / HINT
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チェーン店によっては郵便ポストも設置され、生鮮食料品の取り扱いや、銀行口座入出金、決済機能により、独り暮らしの多い都市部では生活インフラ化しているコンビニ。
自然派やイートイン併設、99円均一など、まだまだ進化する流通の最前線コンビニ。都市部では堅調なコンビニも、地方では採算性の低下から24時間営業の見直しなど、厳しい面もある。
高齢化する地方の街。高齢者ニーズに対応したコンビニが昨年淡路に登場しましたが、その後各地に実験店舗も登場。生鮮食料品を揃えて、衰退する商店街を補完することになっている場合も。
地方の高齢化だけではなく、都市部でも独居世帯の増加、雇用形態の変化から、ライフスタイルも変化してニーズも変化。大手コンビニでは、新たに住民票、図書館の書籍受け渡しや、家事代行、電子カルテによる病院紹介などをサービス化、新たなニーズに対応し地域インフラ化も進むよう。
2007年8月21日(火) at 08:14
飛龍昇天 ・・・ grm / HINT
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最高品質特A級の山田錦を産出する、東条町秋津村の米を酒母、掛米とも35%まで磨き、熊本酵母で醸造した大吟醸酒「米のささやき YK-35A-35B」。
そしてその横には、揖保郡御津町で発見された酒造好適米「神力
かつてブルゴーニュの巨匠(フェブレ、ゴヌー、ルフレーヴなど)を前に、「わいは日本酒のロマネ・コンティを造ります」と云い放った。
どこにそんな自信があるのかと云えば、東条町秋津村は最高峰の山田錦の産地。現在ほど山田錦がもてはやされる前から、この農家と専業生産契約を結び、自ら土壌分析、生育調査を行ない、フランスにおけるAOC(Appellation d'Origine Contrôlée、原産地呼称統制)的米酒、「秋津」「上三草」「米田」の村名米酒を生産しています。
誰しもが口に含むと「ごっついわぁ」と云ってしまう「秋津」は、四合瓶で15,000円。他二つは10,000円。それだけの原料と技術、そして努力がこの酒にはあります。
語りだすと滔々と米酒についての思いを語る本田氏。
昨年シアトル日本総領事館で開催されたプロモーション
2007年8月12日(日) at 16:49
燗酒 / HINT
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灘から樽で江戸へ送られた(「下る」と云う、故に「下らん」と云う表現が生まれた)酒は原酒(保存のためアルコール度数が高い)、酒肆(しゅし、料理飲食店)で加水(水で薄める、故に「水増し」と云う表現が生まれた)され、冷ややお燗で飲まれた。
太平の江戸期においても現在のような吟醸酒は市販されておらず、明治以降の機械精米や冷蔵技術により、吟醸、大吟醸など、高品質な日本酒が一般化しました。
佐渡の「北誉」は「日本酒フェスティバル」にて燗酒を出品。酸度の高いお酒は燗に向いており、燗することで米の酒はまた別趣の風味を出します。
「吟醸酒は冷やで」と云う固定概念を持つ方もいらっしゃいますが、純米吟醸酒をぬる燗にすると、馥郁とした香りと味わいに「はぁ〜、日本に生まれてよかったね〜」と云ってしまいます。
2007年8月12日(日) at 15:35
瀧鯉 / HINT
グルメ > 米酒夜話
見た目まだお若い和気さんが醸造を担当の瀧鯉。杜氏を置く蔵は少なくなり、大手酒造メーカーでは醸造部長が工学的手法で醸造しています。中小でも同じで、昔は経験的な酒造でしたが、科学的手法が取り入れられてから酒造も近代化。
灘で酒蔵見学されるなら、大手の記念館もいいのですが、是非「瀧鯉」「灘泉」「神戸酒心館」の三蔵へ足を運んで頂きたい。近隣であるため、阪神石屋川駅から歩いて回れます。東の「瀧鯉」では昔からの事務所を利用した「酒匠館
「昔ながら」と云われる日本酒業界ですが、酒造は昔から技術革新の連続であり、今の龍野の醤油蔵はかつては酒造蔵。伊丹も酒造りの街とは云え、そんなに酒蔵はない。「灘の酒」が勃興したのは、六甲山系を背景とした急流による水車精米、宮水、六甲おろしなど、その他に蔵前が海岸で船積出荷による江戸への下り酒など、様々な技術的要因、経営努力によるもので、また山田錦や神力などの酒造好適米の開発など、常に革新に取り組んできた蔵だけが現在も生き残っています。
戦時下の特殊な事情で認められた、米以外の原料を使用すること、そして今なお残る奇異な課税(酒税に消費税がかかる二重課税)。先進国たる日本としては、一日も早く改善して頂きたい過去の過ちかと思います。
2007年8月12日(日) at 15:18
都美人 / HINT
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近年はラベルも復古的なものが多く、ネーミングもユニーク。「無限大」に「凛美」ですか。「凛」だけだと「忠臣蔵
このお酒は淡路の酒蔵「都美人」。山田錦の産地兵庫県は、昔は但馬、丹波、播磨、摂津、淡路の五国。そこで各地域から香住鶴(香住鶴)、小鼓(西山酒造)、龍力(本田商店)、福壽(神戸酒心館)、都美人(都美人酒造)の五社で「兵庫五国酒造之会」がある。いずれ劣らぬ銘酒を醸造する蔵ばかり。
一銘柄一勺(10勺で1合)程度のつもりで試飲スタート。
2007年8月12日(日) at 14:39
日本酒フェスティバル ・・・ grm / HINT
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お昼から夕方まで出入り自由で、各ブースにて試飲。市街地じゃないのにわざわざ来るかと事前の心配もありましたが、かなりの人出。日本酒離れなんて云われますが、「国酒」ですから愛好家はたくさんいる。
利き酒は呑み込まないんですが、試飲なので呑み込むため、パカパカ試飲してるととんでもないことになる。入ったところに泉おぢさん(「灘泉」、泉勇之介商店)がいたから、ここを拠点に会場内を回ることに。隣には「福壽」(神戸酒心館)の安福さん。いずれも北米でも販売されるお酒。
2007年8月12日(日) at 14:19
米がささやく ・・・ biz / HINT
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2007年4月瓶詰めの大吟醸、「米のささやき」YK-40-50。
暗号のようなこの記号、Y(山田錦)、K(熊本酵母)、40-50(酒母・麹米40%、掛米50%精米)の略記。35%精米のYK-35もございます。磨きに磨いた東条町(生産地格付け特A)の山田錦だから、こりゃ美味い。
パッケージは羅紗(ビロード)のような風合い。価格的にも高級なお酒ですが、これを氷温程度で貯蔵すること10年、20年。ゆっくりと熟成していき、お酒はさらに味わいを深くしていきます。
醸造技術は進歩しました。そして衛生管理や保冷貯蔵も格段に進歩しました。
日本酒の新しい時代を迎える準備はできています。
2007年6月13日(水) at 15:21
米酒夜話 十九 / HINT
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これは遠く霧の彼方の昔、おおよそ三千年前のお話。
天照神の日嗣(ひつぎ)の皇子(みこ)オシホミミとタクハタチチ姫(伊勢外宮・豊受神の玄孫)の結婚の儀を間近にひかえて、宮中は支度に追われる気忙しい毎日でした。その頃、天照神はイサワノ宮(現・伊雑宮いざわのみや。三重県磯部町)に坐して、君の御心は天下あまねく照り輝き民も豊かに暮らしていました。皇子オシホミミはタカの国府(こふ、現・多賀城市)のツボワカミヤ(壷若宮)に坐して、ヒタカミノ国(日高見国、旧・陸奥)を治めていました。
そんなある日のこと、もうすぐ君の奥方になられるタクハタチチ姫(真名スズカ姫)の兄タカギが、君に質問をしました。これは、晴れの婚礼前に緊張を少しでも和らげて一時をくつろいでお過ごしいただこうとの配慮あってのことでした。「結婚式の時、神前で新郎新婦が交す三三九度のお神酒(みき)には、一体どんな言われがあるのでしょうか」と、居並ぶ諸神の同意を得るかのようにゆっくりとお聞きになりました。これを聞いた君はにっこりと微笑まれると、臣や司を始め大勢の諸神、諸民を前にして静かに天地創造の物語から始めました。
「それは遠い遠い昔。まだこの高天原(天体)が生まれるずっと前、天も地も未だ分かれていない、もちろん太陽も月も星も生まれていない前のこと。このウツホ(宇宙)の闇を支配していたのは、混沌としたアワ、ウビ(エネルギー)のようなもので、それは限りなく巡り漂って煮えたぎり、姿も形もありませんでした。
(中略)
この八面(ヤモ・世界)を嗣いで治めた三代目の神の名をトヨクンヌといいます。トヨクンヌは天命を受けて、神の子孫を君、臣、民(きみ、とみ、たみ)のミクダリ(三降・三階級)に分けて各々の役割を定めて国を治めました。この神の弟君にウケモチ(保食)という神がいました。ウケモチの神は、何とか民を豊かに繁栄させたいと望んで、ある日天にましますアメミオヤ神に一心に祈ったところ、ついに御心が通じて天からヒヨウル種(太陽と月の精気を含んだ種)が落ちてきました。この種を水辺に蒔いたところ、ウル田(水田)のゾ苗(水稲・うるち)となって、八月一日(旧暦)には稲穂もあつく実って大豊作となりました。ウケモチはこの悦びを先ず兄トヨクンヌに報告して、八房(やふさ)に実った稲を献上しました。
大変喜んだトヨクンヌはこの稲穂をアメミオヤ神とアメミナカヌシ神に捧げて、先ず感謝のお祭をして、各々県主(あがたぬし)に分け与えて国に籾(もみ)を持ち帰らせて、順次民に分け与えて広めたので、稔りの秋祭を皆が楽しめるようになりました。この時から民の糧も増えて暮しも豊かになり国の平和が永く続くようになりました。諸民は、ウケモチの神をイナリ神(稲荷)と称えて、後の世まで感謝の心を伝えました。これにより八月一日には親しい人を招いてご馳走をふるまい、お互いに贈り物をして楽しむ風習が始まりました。これを八朔(はっさく・八月一日)の祝といいます。
さて話を元に戻して、トヨクンヌの神は男女合わせて百二十人もの御子に恵まれましたが、各々がお一人でお暮らしになり、男女が一緒に暮らす夫婦(めおと)の道はまだ定まっていませんでした。こんな訳で、三代目までの神様を独神(ひとりかみ)といいます。丁度、天の真榊木(まさかき)を植え継いで、五百本目になる頃のことです。四代目を嗣いだ男神の名前をウビチニと言い、この神はスビチニと言う女神と初めてご夫婦になられて最愛の妻としました。この両神(ふたかみ)の美しい物語が雛祭の由来となり、男女の結婚制度の始まりともなりました。」
君はここまで一気にお話になると、一息つかれて、間もなく迎えるタクハタチチ姫との生活(くらし)に思いをいたし、大層和まれたご様子でした。
「昔々、コシの国(越前)のヒナルノ岳(現・日野山、越前富士)の神の宮(日野神社、福井県武生市)で、木の実をお持ちになってお生まれになった男女の御子がありました。その種を庭に植えておいたところ、三年目の三月(やよい)の三日に、百(たくさん)の美しい花が咲いて初夏になると香りの良い実が百(たくさん)なりました。花も果も百(モモ)に付いたので、この花をモモの花と名付け、実をモモの果と呼び、モモの木といいました。
この若い両神(ふたかみ)の名前もモモの木と実にたとえて、男神の名をモモヒナギと名付け、女神の名はモモヒナミと名付けました。因にヒナ祭のヒナの意味は一(ヒ)から七(ナ)までで、まだ人(成人、一から十、ヒからト)になる前の若者のことです。君と呼ぶのは、桃の木(キ)と実(ミ)のことで、この時から男神の名前には木(キ)、女神には実(ミ)と付けるのが習わしになりました。(例:イサナギ、イサナミ)
モモヒナギとモモヒナミが人(ヒト)として立派に成人されたある年の弥生三日のことでした。この時初めて御神酒(おみき)を造り両神に奉りました。このお酒を造った神はイノクチという所のスクナミ神で、庭の竹株に雀がたくさん集まって籾(もみ)を入れるのを見ているうちに、ふと閃いて、籾を醸してにごり酒を造り、桃雛木(モモヒナギ)と桃雛果(モモヒナミ)神に、竹筒に入れて献上したところ、モモヒナギの神は大層このお酒をお誉めになり、スクナミ神にササナミという神名を新たにくだされました。このササナミ神は後にササケ山に祭られて、サケの語源となりました。この両神に捧げたお酒を、桃の木(キ)と実(ミ)にちなんでお神酒(ミキ)と名付けました。
時は春、満開の桃の花の下で盃に酒を酌み、先ず男神が女神にすすめて女神が先に、逆さに写った月影をそおっと飲み、後に男神が飲んでお二人は床に入られ交わりました。これを、トコミキ(床神酒)と言います。お二人の愛の交わりは大層熱く、室に閉じ籠ったまま三日目の朝ようやく姿を現わしました。たぎりつきせぬ情熱を冷まそうと清流で寒川(さむかわ・氷川)を浴びた時、二人の情熱は完全に燃えて昇華していきました。その折に、袖を大(ウ)そう濡らしてしまわれたのが男神、少(ス)々濡らされたのが女神。それ以来、男神の名をウビチニ(大きくちびる)、女神をスビチニ(少しちびる)と名付けました。このウビチニとスビチニ神の愛の炎は高く天に昇って、これも古い伝えにある天地創造の頃のウビが煮えたぎる様を彷彿させるものでした。
この様に多い(ウ)少ない(ス)を表わすウ・スのお名前の両神の美しいお姿は、男神は冠(かむり)をかぶり大袖を召し、袴をはいていました。女神は小袖に上被衣(うわかつぎ)を召して、二人立ち並ぶお姿(立ち雛)は雛形(ひながた)として、永く今日まで伝えられています。この時、両神にならって八十人の有力な神様達も皆妻を娶り、結婚式を祝うようになりました。この後、諸民も皆妻を定めて夫婦となり、この時結婚の風習が天下の法(のり)と定まりました。
三年後の弥生の三日を記念して、ここに三三九度のしきたりがうまれました。この日の宵に花の下でお神酒を酌み交わした盃に、月が逆さに写り映えるのを楽しんで飲みほしたところから盃(さかずき・逆月)の言葉もうまれました。人々はこのサカズキを生んだ両神をヒナガ岳の神として末永く称えました。」
出典
「ホツマツタエ」(国立公文書館蔵)
天神七代(あめななよ・イサナギ、イサナミ)床神酒(とこみき)のアヤ
第一話 天神四代とお雛様
(米酒夜話 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二、十三、十四、十五、十六、十七、十八)


















