希望のない小説は、生きる勇気を奪う / けんちー
HOME > myblog
江國香織『赤い長靴』を読んだ。
相も変わらず帰りの新幹線で読んだ。
本の話の前に、なんでそもそもそんなに新幹線に乗っているんだ、というつっこみには受けて立とう。最近はだいたい週に2回のペースで大阪と東京を往復している。仕事で仕方ないのだ。別におれだって好き好んで乗っているわけではないし、こうやって新幹線に頻繁に乗ることを自慢するつもりもない。むしろ、おれは人より少し背が高いので、狭い座席でいつも体を折りたたまなければならないのが、何よりつらい。
以前なら、東京で降りたときのなんというか、「よその土地にきてしまった」という感じとか、新大阪に降り帰ったときの「ああ、なんとなく、帰ってきた」感じとかを、全身で感じていたのだけれど、最近はもう、新幹線がどこか遠くに連れて行ってくれる特別な乗り物だという感じもない。ただの通勤の一部になってしまった。とんでもなく長い通勤電車。
自分にとって特別だったものが、なんてことないものに変わってしまうのは、少し悲しい。
さて、そんなことはさておき、本の話。赤い長靴。
結論。こんな小説は今まで読んだことがないと思った。一番近いのはホラー小説かもしれない(読んだことはないけれど)。気分が悪くて目をそらしたいけど、なぜか目をそらすことができないのだ。 読んでいる間中、胸がムカムカした。蛇とかワニとかゴキブリとか、そういう具体的な気持ち悪いモノを見たときよりもずっといやな気持ちになった。
特に筋という筋はない。ある夫婦がいる。二人はうまくコミュニケーションをとれない。旦那は自分を取り巻く「膜」の内側で、他人とのコミュニケーションに意味を見いださず、妻は、そんな旦那とのやりときにいらだちを感じ、改善を求めたが、いつしか諦めのような感情を持ち、決定的な齟齬を感じながらも、関係を維持している。小説は、そんな二人の距離をつづっていく。
読んでいる間感じた気持ち悪さがどこからくるのか最初はよくわからなかった。気分が悪いのは、どうしようもない関係を終わらせることができない女の主人公に対して感じているのかとも思ったし、人との交流を全く閉ざした夫に対して感じているものなのかとも思った。これは間違っていないと思うけれど、なによりも、こんなゆがんだ関係でもそれを手放すことができない人間の弱い姿が、自分とは無関係に思えなかったからだと、途中で気づいた。
おれはこの女の人に、夫と別れてほしいと思ったし、そうなるだろうと思って読んでいた。最近読んだこの作家の作品で、似たような境遇にあった人はきちんと夫との関係を解消していたし(『思いわずらうことなく愉しく生きよ 』)、なによりも、そういうことを描かないのでなければ、救いがないと思ったのだ。
結論からいうと、この人は別れなかった。それは、実はより人間の真実に近いのかもしれないけれど、おれはそれを嫌だと思った。 それでは、そこに「希望」がないじゃないか。希望がない小説は人の生きる力を奪う。
おれは、この小説を読んでいる間中、こういう種類の小説は読んだことがないと思った。それが証拠に見たくないのに最後まで読み切ってしまった。だからこれは、文学的には価値のある小説なのかもしれない。見たくもないものを最後まで読ませるというのは、小説自体に力がないと起こらないことだろう。
でも、それをわかった上でもおれはこんな小説は嫌いだ。そう思う。それくらい言ってもいいでしょう?
相も変わらず帰りの新幹線で読んだ。
本の話の前に、なんでそもそもそんなに新幹線に乗っているんだ、というつっこみには受けて立とう。最近はだいたい週に2回のペースで大阪と東京を往復している。仕事で仕方ないのだ。別におれだって好き好んで乗っているわけではないし、こうやって新幹線に頻繁に乗ることを自慢するつもりもない。むしろ、おれは人より少し背が高いので、狭い座席でいつも体を折りたたまなければならないのが、何よりつらい。
以前なら、東京で降りたときのなんというか、「よその土地にきてしまった」という感じとか、新大阪に降り帰ったときの「ああ、なんとなく、帰ってきた」感じとかを、全身で感じていたのだけれど、最近はもう、新幹線がどこか遠くに連れて行ってくれる特別な乗り物だという感じもない。ただの通勤の一部になってしまった。とんでもなく長い通勤電車。
自分にとって特別だったものが、なんてことないものに変わってしまうのは、少し悲しい。
さて、そんなことはさておき、本の話。赤い長靴。
結論。こんな小説は今まで読んだことがないと思った。一番近いのはホラー小説かもしれない(読んだことはないけれど)。気分が悪くて目をそらしたいけど、なぜか目をそらすことができないのだ。 読んでいる間中、胸がムカムカした。蛇とかワニとかゴキブリとか、そういう具体的な気持ち悪いモノを見たときよりもずっといやな気持ちになった。
特に筋という筋はない。ある夫婦がいる。二人はうまくコミュニケーションをとれない。旦那は自分を取り巻く「膜」の内側で、他人とのコミュニケーションに意味を見いださず、妻は、そんな旦那とのやりときにいらだちを感じ、改善を求めたが、いつしか諦めのような感情を持ち、決定的な齟齬を感じながらも、関係を維持している。小説は、そんな二人の距離をつづっていく。
読んでいる間感じた気持ち悪さがどこからくるのか最初はよくわからなかった。気分が悪いのは、どうしようもない関係を終わらせることができない女の主人公に対して感じているのかとも思ったし、人との交流を全く閉ざした夫に対して感じているものなのかとも思った。これは間違っていないと思うけれど、なによりも、こんなゆがんだ関係でもそれを手放すことができない人間の弱い姿が、自分とは無関係に思えなかったからだと、途中で気づいた。
おれはこの女の人に、夫と別れてほしいと思ったし、そうなるだろうと思って読んでいた。最近読んだこの作家の作品で、似たような境遇にあった人はきちんと夫との関係を解消していたし(『思いわずらうことなく愉しく生きよ 』)、なによりも、そういうことを描かないのでなければ、救いがないと思ったのだ。
結論からいうと、この人は別れなかった。それは、実はより人間の真実に近いのかもしれないけれど、おれはそれを嫌だと思った。 それでは、そこに「希望」がないじゃないか。希望がない小説は人の生きる力を奪う。
おれは、この小説を読んでいる間中、こういう種類の小説は読んだことがないと思った。それが証拠に見たくないのに最後まで読み切ってしまった。だからこれは、文学的には価値のある小説なのかもしれない。見たくもないものを最後まで読ませるというのは、小説自体に力がないと起こらないことだろう。
でも、それをわかった上でもおれはこんな小説は嫌いだ。そう思う。それくらい言ってもいいでしょう?
2008年5月24日(土) at 01:05
青い花といえば、なんだろう。紫陽花かな。 / けんちー
HOME > myblog
志村貴子『青い花』を読んだ。
いつものごとく新幹線で読んだ。
少女漫画だ。
舞台は鎌倉、高校に通い始めたばかりの女の子の恋の物語である。
まだ1巻を読み終わったばかりだけど、この漫画がとてもこわれやすいある一時期、おれたちが持つ気持ちを、丁寧に拾った本だということはよくわかった。
人が誰かを好きであったり、誰かを大切にしたいと思う気持ちは、いつもいつもとても小さなきっかけで始まって、でも、そのきっかけの大小に関わらず、おれたちはその気持ちを大切にする。誰かを好きであったのに、また違う誰かを好きになると、前好きであった人を裏切ってしまったような気になる。別に悪いことをしたわけではないのに、とても嫌な気持ちになる。前に好きだった人に悪い気持ちに加えて、そんな移り気な自分のことも嫌いになる。
誰かを好きになるのに対した理由がないように、誰かを受け入れてあげられないのにも、理由はない。別にここが嫌だとか、あそこが嫌いだとかそんなはっきりした理由はないけど、この人は違うと思うと、どうしても受け入れてあげられない。だけど、人は誰かを好きになるし、その気持ちをあきらめることもできない。
いつのまにか、大きくなるにつれて、そんな気持ちよりも現実の障壁が大きくなって、俺たちは経済的な理由や、物理的な距離や、出会うのが遅すぎたりだとか、自分の気持ちではないもののせいで、いろんなことをあきらめたり、妥協したりするようになる。
それは、しかたのないことかもしれないけれど、でも、誰もが自分の気持ちを諦めきれないことがあったのだ、いつか。
『青い花』はそんな、いつか、誰もが通ったはずの道を純化して見せてくれる、タイムマシンだ。別に、恋をするのが女の子同士であることは、本作の中で大きなことではない。この漫画が描いているのは、どこにでもあふれ、でもだからこそ普遍性を備えた、だれもが通るある季節のことなのだ。
(関係ないけど、新幹線で漫画を読める大人であることを、おれは誇りに思う。)
いつものごとく新幹線で読んだ。
少女漫画だ。
舞台は鎌倉、高校に通い始めたばかりの女の子の恋の物語である。
まだ1巻を読み終わったばかりだけど、この漫画がとてもこわれやすいある一時期、おれたちが持つ気持ちを、丁寧に拾った本だということはよくわかった。
人が誰かを好きであったり、誰かを大切にしたいと思う気持ちは、いつもいつもとても小さなきっかけで始まって、でも、そのきっかけの大小に関わらず、おれたちはその気持ちを大切にする。誰かを好きであったのに、また違う誰かを好きになると、前好きであった人を裏切ってしまったような気になる。別に悪いことをしたわけではないのに、とても嫌な気持ちになる。前に好きだった人に悪い気持ちに加えて、そんな移り気な自分のことも嫌いになる。
誰かを好きになるのに対した理由がないように、誰かを受け入れてあげられないのにも、理由はない。別にここが嫌だとか、あそこが嫌いだとかそんなはっきりした理由はないけど、この人は違うと思うと、どうしても受け入れてあげられない。だけど、人は誰かを好きになるし、その気持ちをあきらめることもできない。
いつのまにか、大きくなるにつれて、そんな気持ちよりも現実の障壁が大きくなって、俺たちは経済的な理由や、物理的な距離や、出会うのが遅すぎたりだとか、自分の気持ちではないもののせいで、いろんなことをあきらめたり、妥協したりするようになる。
それは、しかたのないことかもしれないけれど、でも、誰もが自分の気持ちを諦めきれないことがあったのだ、いつか。
『青い花』はそんな、いつか、誰もが通ったはずの道を純化して見せてくれる、タイムマシンだ。別に、恋をするのが女の子同士であることは、本作の中で大きなことではない。この漫画が描いているのは、どこにでもあふれ、でもだからこそ普遍性を備えた、だれもが通るある季節のことなのだ。
(関係ないけど、新幹線で漫画を読める大人であることを、おれは誇りに思う。)

