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奇岩城 (モーリス・ルブラン) / からな

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「これほどの人物を相手にして、落ち着いてなんかいられますか、判事さん。ことが何であれ、並はずれたものは感嘆にあたいするんです。しかもあの男は、すべてを超越しているんですから。今回の窃盗計画には奇抜な発想、気力、体力、手際のよさと大胆さ、すべてがそろっている。考えただけで身震いするほどです」 (p89〜90)

ハヤカワ文庫HM。訳者は平岡敦さん。読んだのは2006年5月31日〜6月3日。ハヤカワ文庫の<アルセーヌ・ルパン>シリーズ、第三弾。

以前も記したが、中学生の読書感想文に、この作品を選んだことがある。書いた内容はそんなに覚えていないが、「感想、書きにくかったな」ということだけは覚えている。
これをたまたま見ている学生さんに忠告しておきます。推理小説やミステリは、読書感想文には向きませんから!

「いいかいルパンさん、そこがあんたの欠点なんだ。自分の策略にミスがないと、思い込んでいるところがね。敗北を認めるだって! ご冗談でしょう! 結局最後には自分が勝つとあんたはいつでも信じている……相手も策をめぐらしているってことを、忘れているんだ」 (p128〜129)

今回はルパンと少年探偵イジドール・ボートルレの対決が中心。
このイジドールが、私は好かないのだ(苦笑) 年下のこまっしゃくれた子供や少年少女が、大人をやりこめるというさまが、嫌いなのかもしれない。(例:アニメ「一休さん」)
それに私はルパン贔屓だから、これは仕方ないこと。今回の引用文も、イジドールがルパンを褒め称えたもの、ルパンが自画自賛したものを、故意に選ぶようにしたくらい。

「いいかい、イジドール君、退屈な人生も、やり方ひとつですばらしいものになる……そのやり方を、わたしは心得ているのさ……」 (p229)

しかしルパンはイジドールの相手をすることを、心から楽しみ、喜んでいますね。もちろん、これはルパン「負けず嫌いで冒険好き、手応えのある相手と駆け引きを楽しむ」という性格のせいでもありますが。
まるで「優秀な弟子を見つけ、導くことの出来る師匠の歓喜」というものも感じます。

「おや、目が潤んでいるね……友情が裏切られたのが、そんなに悲しいのかい……本当にかわいいね、きみは……思わず抱きしめたくなるよ……いつも驚いたような目をしているのが、胸に迫るんだ……」 (p227)

個人的には、シャーロック・ホームズは出てこなくても良かったんじゃないか、と感じずにはいられなかった。○○をするためだけに出てきたようで、かわいそう・・・。
ルパンに登場するホームズは、同名の別人だと思った方が無難でしょう。ホームズはワトソンくんがいて、はじめてシャーロック・ホームズなのだから。
まあ、これは仕方ないか。フランス人にフランス人を○○をさせるわけにはいかない・・・という作者の意識が、無意識に表れたからかもしれません。

「判事さん、それはじっくり考える時間がなかったからですよ。大事なのは考えること。たいていの場合、事実のそのもののなかに答えが隠されているんです」 (p31〜32)

2007年5月13日(日) at 22:51 / コメント( 2 )/ トラックバック( 0 )
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湖畔 ハムレット (久生十蘭) / からな

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女というものは誰もみな覗きこんでも底の見えない、深い淵のようなものを一つずつ胸のうちに持っているように思えてならない。
「女の心はわからない」
主水は口のなかで呟いた。
 (「鈴木主水」p137)

講談社文芸文庫。読んだのは2005年12月15日〜20日。
「久生十蘭作品集」と銘打っているように、「湖畔」 「ハムレット」 「玉取物語」 「鈴木主水」 「母子像」 「奥の海」 「呂宋の壺」 の7つの中短編が収められています。

朝日文庫で出た 『十字街』 『魔都』 以来、約10年ぶりに十蘭の作品を読んだので、十蘭独自の感性や、物語の展開の唐突さや奇想天外さ、またそれらを納得させるだけの説得力のある描写に、「懐かしい」と感じたり、「やられた〜!」と叫んだり・・・。
この人は、本当に「物語」を作るのが好きなのだな、読み手を楽しませるのが好きなのだな、と思う。

「けっきょくハムレットの悲劇は、気狂いの妄想でまわりの人間がつぎつぎに犠牲になっていく、『狂気の悲劇』とでもいうようなものなのね」 (「ハムレット」p76)

十蘭の作品を読むコツ・楽しむコツは、ただ一つ。読み手は何の疑問も差し挟まずに、十蘭の繰りだす物語世界に身を委ねるだけ。そうすれば最後には、吃驚仰天するような結末を味わえる(時がある)。
その感覚を味わいたいがために、私は十蘭の作品を読んでいるのだろうと思う。

「恋だとは思えないが、これが恋というものなのか。ひだるさより、いとしさが先に立つというのは、おかしなことだ」 (「奥の海」p170)

私は世に言う「ジュウラニアン」ではない。堂々と名乗れるほど、十蘭の作品を読んでいるわけではない。よくて「隠れジュウラニアン」か「ジュウラニアンの卵」程度だろう。
だけど、これからも新規で文庫が発売されたら、読んでいくだろうことは確実だ。

一発では正しく読めない、「久生十蘭」 という名前が好きなんだと思う。ご本人も大層気に入っているというこのペンネームの持つ魅力と魔力に、既に私は虜になっているのだ。

そして独特の十蘭ワールド。一度それを味わって、その魅力と魔力に相性が合うのなら、「ジュウラニアン」の素質は充分にある。
全作品を読んだわけではないからえらそうなことは言えないが、作品の出来・不出来、完成度の高低は、あるとは思う。だけどそれを凌駕して余りある「何か」が、十蘭の作品にはある。
それを私は知りたい。味わいたい。だから読むのだ。

以下、各々の感想をひと言ふた言添えておく。

「湖畔」 ・・・初っ端から十蘭マジックにやられたわ。この奇想天外さと人間の残酷さ。(←褒めてるのよ) んもう〜!

「ハムレット」・・・これもやられたわ。この登場人物たちのえげつなさ。(←褒めてるのよ) んもう〜!

「玉取物語」・・・男性ならば、このお殿様の苦しみはものすごく解るだろう(苦笑) 淡々とした描写なだけに、余計に際立つ。

「鈴木主水」・・・第二十六回直木賞受賞作。ままならぬ世、ままならぬ男と女の不可思議な恋の道。

「母子像」・・・「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」紙主催の、第二回世界短編小説コンクールで、第一席に輝いた作品。主人公・太郎の乾いた雰囲気は、現代の青少年にも相通ずる部分があるように感じる。いや、いつの時代も青少年という存在は、こんな感じなのかもしれない。

「奥の海」・・・何でこの展開からこんな結末に・・・? と叫ばずにいられない。(←褒めてるのよ) このような男性主人公のやるせなさは、「鈴木主水」 にも滲み出ている。いや、他の作品でも共通のものか。

「呂宋の壺」・・・権力者の気まぐれに振り回される人たちの悲しさと愚かしさは、古今東西、不変のものか。

「することなんか、あるわけはない。ぼくには、明日というのがないんだから」 (「母子像」p157)

2006年1月13日(金) at 23:36 / コメント( 0 )/ トラックバック( 1 )
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カリオストロ伯爵夫人 (モーリス・ルブラン) / からな

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「それならお互い、目をつぶりましょう。盗みは褒められたものじゃないからこそ、黙って知らないふりをするの」 (p135)

ハヤカワ文庫HM。訳者は平岡敦さん。読んだのは2005年12月10日〜14日。
映画公開に合わせたせいか、こちらの方の発売を1ヶ月早めたようです。私が買ったのは2冊同時でしたが。

「いやはや何とも、人を騙すのは実にたやすいな! 少しばかりの大胆さと明晰で論理的な思考、矢のように目標にむかって突っ走る強い意志。これさえあれば、目の前に立ちふさがる壁も勝手に消えてなくなるんだから」 (p217)

ラウール・ダンドレジーが「アルセーヌ・ルパン」と名乗る前に遭遇した事件。20代の若く情熱的で大胆不敵なルパンが楽しめます。
だかしかし! 今回の「主役」は、タイトルロールのカリオストロ伯爵夫人ことジョゼフィーヌ・バルサモだ!

「永久(とわ)の別れをするときには、贈り合ったものを返さなくてはいけません。私の写真を返してね、ラウール」
「だめだ、絶対に」
「でも、わたしは」とジョゼフィーヌはうっとりするようなほほえみを浮かべながら言った。「私はもっと誠実だから、あなたがくれたものをちゃんと返します」
「何のことですか? ジョジーヌ」
「最初の晩……納屋で……眠っていたら……あなたは私のうえに身をのり出して、気がつくと唇を重ねていましたね」
ジョゼフィーヌはラウールの首に手を絡ませ、顔を引きよせた。
 (p138)

ああんもう、何て魅力的なの! ラウールどころか他の男だって、きっとメロメロよん 
なのにラウールは、あんなにも愛し合い、協力し合った彼女より、可憐な恋人・クラリスを選んでしまう・・・。(珍しくも(?)「女性に手の早い」アルセーヌ・ルパン・・・。それともクラリスの方がしたたかなのか?)
ラウールのアホ! いや、こんな若造(←暴言スレスレ)には、彼女の表に見せない弱さも、儚さも、虚しさも扱えないし、持て余すし、包み込めないか・・・。

「病人だと言ってもいい。どこかに嘘があるとすれば、それはきみの美しさなんだ」 (p251)

ところで、フランス人が「小説」を書くと 全て「恋愛小説」になってしまうなあと思うのは、私だけだろうか?
日本人ならとても言えない言葉が、ポンポン出てくるし、ミステリだろうがサスペンスだろうが、必ずといっていいほど「恋愛」の要素が盛り込まれているんだもん。

この作品も、そう。主人公の男性(ラウール・ダンドレジー)に対して、妖艶な大人の魅力を持った女性(ジョゼフィーヌ・バルサモ)と、可憐で優美な魅力を持った女性(クラリス・テディグ)との三角関係。

思うに、これって男の都合のいい夢なのですね。古今東西、このパターンは変わらないのですね。どちらのタイプの女性も、我がものにしたいのですね。つまり男は身勝手なんですね(←決めつけてるな〜)

「恋とふしだらは違いますよ」 (p204)

ほとんどの男性が「妻」に選ぶのは、後者のタイプの女性。前者のタイプは、「たった一夜の美しい思い出として」というパターンが多い。(ラウールは一夜どころか、数ヶ月も一緒に暮らしていますが・笑)

このようなパターンが多いせいか、「恋愛小説」というジャンルに分類される小説は、読みたくないんです。わざわざ「恋愛小説」と銘打たなくても、他ジャンルの本に「恋愛」の要素は多少は盛り込まれていることが多いから。

今回の 「カリオストロ伯爵夫人」 にも、「恋愛小説の要素」更には「恋愛の基本」の数々がきちんと入っている。「冒険物」としてももちろん、「恋愛物」としても、より一層楽しめる作品だろう。

カリオストロ伯爵夫人の魅力にKOされて下さい。この女性のおかげでアルセーヌ・ルパンは、著しい成長を遂げたと言っても、決して過言ではありません。

ところで子供向け・青少年向けの 「カリオストロ伯爵夫人」 では、ラヴ・シーンはどう描かれているんだろう・・・? (一切カットはしていないでしょうけど・・・。そうでなきゃ続編の 「カリオストロの復讐」 への繋がりが弱いだろうと思われる)

以下に挙げるのは、「恋愛物」の視点からのピックアップです。上品でスマート、かつ情熱的で大胆な大人のムードたっぷりの場面をお楽しみ下さい。

こうした愛の代償は、避けがたい沈黙である。いくら口では言葉を交わしても、その声は孤独な心を包む陰鬱な沈黙を破ることはない。それぞれが自分勝手にもの思いにふけり、相手の胸のうちに入り込もうとはしないのだ。 (p227)

二人は互いの腕に身を投げた。終わりが近いと感じているだけに、喜びを味わいつくそうとするかのように、欲望はいっそう掻きたてられた。 (p232)

それは運命に引き離される恋人達の悲痛な喜びだった。疑惑の毒に満ちた喜び。互いに相手の密かな思惑を探り、唇を重ね合わせているときも、愛していながらまるで憎んでいるかのように、傷つけあっているのを知っている。
「愛しているよ。愛してる」とラウールは、うわ言のように何度も繰り返した。
 (p232)

ときに二人の抱擁は、取っ組み合って戦う敵同士のように激しかった。愛撫は荒々しく、目つきはまるで威嚇するようだ。心の内には憎しみが、愛情の中には絶望があった。その様子は、まるで致命傷を与えるための弱点を見つけようと、探り合っているかのようだった。 (p232〜233)

どうやら私が <アルセーヌ・ルパン>シリーズ に求めるものは、ロマンス らしい・・・。

2005年12月25日(日) at 21:18 / コメント( 0 )/ トラックバック( 0 )
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怪盗紳士ルパン (モーリス・ルブラン) / からな

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「ここにアルセーヌ・ルパンがいると断言できないほうが、都合がいいのさ。大事なのは、みんなが確信を持ってこう言えることなんだ。あれはアルセーヌ・ルパンのしわざだって」 (「アルセーヌ・ルパンの逮捕」 p32)

ハヤカワ文庫HM。訳者は平岡敦さん。読んだのは2005年9〜10月。

「本を読むこと」の喜びを味わう最初の時期、巡り合う作品が <シャーロック・ホームズ>シリーズ あるいは <アルセーヌ・ルパン>シリーズ の両方又はどちらかだろう。
どちらを先に読んだかで、それ以降の読書の好みが決まってしまうこともある、と言っても過言ではあるまい。
私の場合は、先に出会ったのはルパンだった。「どちらを好きか」と問われたら、迷わず「ルパン」と答える。

「まるでシャツを替えるみたいに人格を取り替え、外見、声、目つき、筆跡を選ぶのは楽しいですけどね。でもときどき、自分でもわけがわからなくなるんです。それって、とても悲しいことですよ」 (「アルセーヌ・ルパンの脱獄」 p106)

ルパンとの出会いは小学生低学年の頃。「ルパン3世」のアニメ(赤背広だった。当時のよみうりテレビは、夕方にも緑背広のルパンの再放映をしていた)を見ていた私に、母が言った。
「隣の本屋さんにルパンの本があるから、買ったろか?」
「うん」と頷く私。

ところが、それは私の知っている「ルパン3世」ではなかった。ルパンの祖父(アニメではそういう設定だった)、アルセーヌ・ルパンの物語だった。

・・・お母さま・・・。

ところがどっこい、これが夢中になって読んでしまうのだから、何が幸いするか分からない。
アルセーヌ・ルパンのいやみのない気障さと紳士ぶりに、すっかり惚れ込んでしまった。「ミス・ネリーになりたい!」と真剣に思ったものね。

「ひとりの女性が、ぼくを見ていたんですよ、ガニマールさん。ぼくは彼女を愛してました。愛する女性から見つめられるってのがどういうことか、おわかりになりますか? ほかのことは、もうどうでもよくなってしまうんです。そのあげくが、ここにこうしているわけです」 (「獄中のアルセーヌ・ルパン」 p67〜68)

今回、新訳が出たこともあって、「もう一度読みたい!」という思い一つで購読。
改めて大人になって読むと、初めて出会った本は小中学生向けに多少手を入れていたと判明。小中学生には分からないだろう高度な内容の話や、オチがあって面白い。
そういえば、ルーベンスやワトー(ヴァトー)という画家を知ったのも、この作品のおかげだった。

「さあ、さしで勝負だ。手っ取り早くいかせてもらうからな。切り札はハート、持ち札は7」 (「ハートの7」 p218)

この台詞、すごく好き 最初に読んだ本でも、あまりのカッコ良さと気障さに、しつこく覚えているくらい。
※これについては、この記事の最後をお読み下さい

「ホームズとルパンの作品の違い」なんて、熱く語れるほどどちらも読み込んでいないが、特色の違いを一つ挙げるとしたら、「ロマンスの有無」だろうか。
ホームズには、皆無。(掠めているとしたら、「ボヘミアの醜聞」だけか)

ルパンには、たくさんありますね・・・。恋に落ちるルパンも、恋を楽しむルパンも、恋に破れるルパンも、私は好き
危機に直面しても、あせることなく飄々としのぎ、颯爽とこなし、若々しい笑い声で去っていく。そんなルパンが私はむっちゃ好き好き 好っきゃねん!

ハヤカワ文庫HMではこれからも出版されると思われますので、楽しみに待ちつつ、読んでいきたいものです。

「あなたの思ってるとおりでした。前にあったことは、これからもあるんですね。アルセーヌ・ルパンはアルセーヌ・ルパンでしかない。そうしかなれないんだ。あなたとルパンとのあいだには、思い出すらありえない……」 (「遅かりしシャーロック・ホームズ」 p311〜312)

***

私が初めて読んだルパン作品。タイトルは『怪盗ルパン』 でした。
ところが手元にありません。誰の訳で、誰のイラストで、どこの出版社だったのかも、既に分かりません。今も販売されているのかすらも。

どうしても知りたいのです。以下のヒントを読んで、もしもご存知の方がいらっしゃいましたら、コメントしていただけないでしょうか? よろしくお願いいたします。

1.収録作品は、「ルパンの逮捕」 「獄中のルパン」 「ルパンの脱獄」 「ハートの7」 「さまよう死神」 「ルパン対ホームズ」 の6作品。(小中学生向けの本ですので、タイトルは多少は違うと思われます) 「さまよう死神」 が収録されているのが、ミソではないでしょうか。

2.私が惚れこんだ 「ハートの7」 の台詞が、
「今度はぼくが相手だ。いんちきなしに願うぜ。切り札はハート。ぼくは7に賭ける」
・・・でした、多分。

3.巻末の解説に小学生には難しいだろうと思われる人物などの、簡単な説明がありました。ルーベンス、ワトー、アンリ四世、ルイ十六世 など。

以上の特徴を持った本をご存知の方、よろしくお願いいたします。

2005年11月6日(日) at 17:46 / コメント( 1 )/ トラックバック( 0 )
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懐風藻 / からな

> か行のタイトル本
塵外年光満  塵外 年光満ち
林間物候明  林間 物候明かなり
風月澄遊席  風月 遊席に澄み
松桂期交情  松桂 交情を期す
  (河島皇子 「山斎」)

講談社学術文庫。訳者は江口孝夫さん。読んだのは2004年の8〜9月頃。買ったのは3〜4年前。

『懐風藻』 は、長岡良子さんの <古代幻想ロマンシリーズ> や、里中真智子さんの 『天上の虹』 などの読者には、馴染みが深いと思われる。『万葉集』 と並んで、当時の人々を描くためには引用を欠かせないものだからだ。
「読んでみたい」と思ったのも、それがきっかけ。2000年に初の文庫版が発売されて、Good Timing〜♪
(それなのに読むのが遅いのはいつものこと。読み手(=私)と本の波長が合った時が、私にとっては「読み頃、読み時」なのだから)

隴上孤松翠  隴上 孤松翠に
凌雲心本明  凌雲 心もと明らかなり
  (大納言直大二中臣朝臣大島 「孤松を詠ず」の最初の二行)

「日本最古の漢詩集」とはいえ、人口に膾炙しているとは言い難い。日本文学史や日本文化史にその名は残っていても、『万葉集』 という巨星が燦然と輝いているせいだろうか。

「漢詩」が輸入されたばかりの時期、当時の「日本」にとっては先進国である「唐」の文化に新鮮な風を感じ、「受け入れよう、追いつこう」という気概があったのでは、とも思う。(私見だが、「自国の文化よりも進んだ他国の文化の方が優秀だ」と思い込む風潮は、この時期から?)

皇族や「政府」の高官といった、身分の高い人々が作った「漢詩」。それなりに知識もルールも知らなくてはならないから、庶民に広まらなかったのは、当然とも言える。逆に言うなら、ここで「文化上の身分の違い」が、スパッと分けられたのかも・・・?

送雪梅花笑  雪を送つて梅花笑み
含霞竹葉清  霞を含んで竹葉清し
  (従四位上治部卿境部王 「長王宅に宴す」の三、四行)

通読してみて、読むのは確かに辛かったと認めよう(苦笑) 題材からして、硬い。堅苦しい。あまり面白みがない。(「恋」を詠んだものがないんだもん)
だけどそれは、中国の詩人たちの洗練され技巧を凝らした漢詩を、中学生の頃から味わっているせいかもしれない。

彼らに比べて内容・技術が、稚拙で素朴で、若々しくて荒々しくても、「漢詩」に挑戦した当時の「日本」の知識人たちの心意気を、もっと汲んでもいいと思う。
「日本の漢詩」を初めてまとめた人々の努力に、敬意を表して、高く評価してもいいと思う。
そうでなきゃ、「日本最古の漢詩集」という財産は、今の世に残っていないだろうから。

この時代が好きな人・興味がある人には、お薦めしておく。「漢詩」という形式に縛られているとはいえ、この時代を生きた人々の確かな息吹が、ここにも感じ取れると思うから。

余この文を撰する意(こころ)は、まさに先哲の遺風を忘らざらむとするがためなり。ゆゑに懐風を以て、これに名づくといふことしかり。  (「懐風藻序」の最後の部分より。漢文は略しました)

2005年7月24日(日) at 17:23 / コメント( 0 )/ トラックバック( 0 )
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きみの血を (シオドア・スタージョン) / からな

> か行のタイトル本
価値とは財産であり、知識であり、娯楽であり……感傷、郷愁でもあります。それらはきっと、互いに依存しあうものなのでしょう。 (p6)

ハヤカワ文庫NV。訳者は山本光伸さん。読んだのは、ほぼ1年前の春ごろ。買ったのは更に半年前の秋(苦笑)
世に言う「タイトル買い」をした本。丸善心斎橋店でほぼ即決。SF界の大御所の一人・スタージョンの作品は未読だったし、いい機会かな、と。(「国際幻想文学賞」を受賞したことは知っている、『人間以上』 さえ読んでない。)

それに菊地秀行さんの帯がなかったら、買うのはためらっていたかも(笑) この帯を見て買った人はゴマンといるはずだ。
『きみの血を』は異形(スタイリッシュ)の吸血鬼小説だ。異形だが、正統の百倍怖い。

「吸血鬼小説? イヤやわ〜、ネタもオチもありきたりやないの?」・・・と引いてはいけません。「小説のジャンル分けって、難しいなあ」と改めて実感させられる内容の本だ。ミステリ、サスペンス、ホラー、エロスなどが程よく混ざっているし、生理学、心理学にも話は及ぶ。
読んでいくうちにだんだんと面白くなってきたし、過程も楽しめる。話の中盤でもどんでん返しがあったからね。これはやられたわ・・・。 (注:ミステリはあまり読まない私のいうことですから、この点については半分読み流して下さい。)

ともあれ、口を閉ざしていた方がはるかに多くのことを知ることができるのである。口を開くことは、耳を塞ぐことと同じなのだ。
だが、耳を塞いでおいた方がいい場合もある。
 (p59)

特に、構成が上手いと思った。これは<物語>なのだと、作家が念を押すかのような設定。登場人物の手紙、手記、レポート、記録から、物語は進行していく。

何よりも最初と最後に登場する語り手の存在が際立つ。これは<フィクション>なのだ、それを楽しんでくれ、という作家の意図に、私は脱帽する。

優れた比喩は比喩であることをやめ、そのまま分析として通用することがある。 (p205)

これが40年も前の作品とはねえ・・・。テーマが普遍なものだから、全く古びていないのかもしれない。最も感嘆し驚愕すべきは、その点ではなかろうか。

読み手によっては、ある種の嫌悪感をもよおす作品ではあるので、ご注意。

 (前略) 映画に出てくる善玉と悪玉の見分け方を知ってるかい?
A もちろんさ。善い奴が撃たれる時は胸か肩で、悪い奴の場合は腹と決まっているんだ。
 (p170)

2005年6月24日(金) at 22:09 / コメント( 2 )/ トラックバック( 1 )
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月下の一群 (堀口大學) / からな

> か行のタイトル本
恋は巴里の色。  (「恋は巴里の色」 ジュウル・ロマン)

上田敏の 『海潮音』 は未読だが、別に未読のままでもいいと思っている。この作品がある限り。

大正14年に初めて発行。その後も堀口大學による改訳・改訂が重ねられ、いろんな出版社で発売され、現在は講談社文芸文庫に落ち着いたようです。

日本語の美しさと豊かさ。そこから偲ばれるフランスの香り。日本現代詩にも多大な影響を与えた、この訳詩集。
私たちは、小学生の国語の教科書からお世話になっていますね。

私の耳は貝のから
遠い響をなつかしむ
  (「耳」 ジャン・コクトオ)

ある時は、マリー・ローランサン展で。

退屈な女より
もつと哀れなのは
かなしい女です。
  (「鎮静剤」 マリイ・ロオランサン)

彼女のかつての恋人・アポリネールの詩。シャンソンでも有名なスタンダード・ナンバーですね。

ミラボオ橋の下をセエヌ河が流れ
   われ等の恋が流れる
  わたしは思ひ出す
悩みのあとには楽(たのし)みが来ると
  (「ミラボオ橋」 ギィヨオム・アポリネエル)

『やじきた学園道中記』 <用心棒編> でも効果的に使われた、ルミ・ド・グールモンの詩。

シモオン、お前の妹、雪は庭に眠つてゐる、
シモオン、お前は私の雪、さうして私の妹。
  (「雪」 ルミ・ド・グウルモン)

白き薔薇(さうび)は傷つきぬ、
荒(すさ)ぶ暴風雨(あらし)の手あらさに、
されども花の香はましぬ、
多くも享(う)けし苦の為に。
  (「あらしの薔薇(さうび)」 ルミ・ド・グウルモン)

本書のタイトルの如く、月下で静寂と孤独を味わいつつ、一人の時間を贅沢に楽しむ。そういう読み方・楽しみ方が出来る本でしょう。
出来るならば、音読すること。目で追うだけでは、日本語の美しさと豊かさが決して解らないだろうから。私も、好きな詩は音読しました。

とまれ、これ以上何かを書くのは野暮というもの。実際に読んで、味わって、感じ取って下さい。

哀憐と愛と微笑がわたしを殺す。  (「哀憐が私を殺す」 フランシス・ジャム)

(※引用した詩と作者名は、原書からそのまま抜き出しました。作者の表記が違うのは、そのせいです)

2005年3月29日(火) at 22:39 / コメント( 0 )/ トラックバック( 0 )
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