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水晶の栓 (モーリス・ルブラン) / からな

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「どうしてかだって? 今回のヤマを準備したのは、おれじゃないからな。自分で立てた計画でなければ、半分しか信用できないさ」 (p6〜7)

ハヤカワ文庫HM。訳者は平岡敦さん。読んだのは2007年2月26日〜3月1日。ハヤカワ文庫の<アルセーヌ・ルパン>シリーズ、第四弾。

この作品も中学生の頃、学校の図書室で借りて読みました。出版社名・シリーズ名ともに忘れましたが、「世界の十大推理小説」という感じのもので、その中の一冊に『水晶の栓』 が入っていました。
(他の作品、覚えている限りで挙げると、アガサ・クリスティの『ABC殺人事件』、 コナン・ドイルの『バスカーヴィル家の犬』、 エラリー・クィーンの『Yの悲劇』、 クロフツの『英仏海峡の謎』、 ウィリウム・アイリッシュの『黒衣の花嫁』、 ガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』、 ダシール・ハメットの『マルタの鷹』、 後はタイトル忘れましたが、ジョルジュ・シムノンりメグレ警視もの、ジョン・ディクスン・カーのバンコランもの)
うーん、振り返ってみますと、なかなかの主流どころを集めておりますね。『黒衣の花嫁』『マルタの鷹』 はもう一度読みたいものです。

「わかってるだろう、おれは血を見るのが大嫌いだ。殺すくらいなら、殺されるほうがましなんだ」 (p16)

今回×十年ぶりに再読したわけですが、水晶の栓の隠し場所、その部分に読み進むまで、すっかり忘れておりました。今回の相手役・ドーブレックについても、忘却の彼方。記憶力って、こんなもんよね〜?

《ことをなすうえで難しいのは、最後の詰めより最初のとっかかりだ》 (p36)

『奇岩城』とともに傑作と称えられている『水晶の栓』ですが、個人的な好みでは、『水晶の栓』の方が好き。
その最大の理由は、「ルパンの恋物語」にあると思う。前者では結婚までこぎつけ、後者では意中の女性に振られるから(笑)

「知ってのとおり、ぼくはいつでも少年のように感傷的で、生娘みたいに純情なんだ」 (p376)

ルパンが恋をするのは、別にいいの。ただ、結婚まではして欲しくないの。独身でいて欲しいの。もう、身勝手なファン心理といえば、それまでなんですが。

以前にもここで記しましたが、私が<アルセーヌ・ルパン>シリーズ に求めるものは、ロマンス なのです。「ス」を抜いて、ロマン でもいい。恋と冒険の二本立て。
加えてロマンスには、悲恋の要素が大きいと、より嬉しい(笑)
ロマンには、何の要求もいたしません。ルパンと一緒に、ハラハラ・ドキドキしたいから。どうやってこの危機を乗り越えるんだろう、というルパンの手段に惚れ惚れ・感嘆したいから。

ここが思案のしどころだぞ。どんな苦境にあっても、あらゆる角度からじっくりと検討しなければ。これこそ彼が人生至上のときと呼ぶ一瞬、彼の生きがい、生きる喜びだった。いかなる危険が迫っていようとも、まずは心のなかで数を数える。《一……二……三……四……五……六……》と、胸の鼓動が収まるまで。それからやおら、考え始める。ぴんと神経を張りつめ、精神を集中させ、起こりうる事態すべてに直感を働かせて! 問題点のデータをもれなく頭のなかに並べ、すべてを予測し想定しておく。こうして、間違いのない論理的な結論を得るのだ。 (p21)

今回も「ルパンらしさ」がたくさん出ていて、読んでいて楽しかった。特にピンチの時に、「ああ、ルパンだな〜」と惚れ惚れ・感嘆してしまう部分があって、引用文でもルパンの思考・主義が分かる部分を選んでみました。ピンチを楽しみ、切り抜けるという極意や方法とでも言うべきか、それは今でも充分に通用するかと思われるのですが・・・いかがでしょう?
ここ最近の不祥事に共通すること。何でもかんでも「予想外だ」「想定外だ」の言葉で片付けず、人間には思考力や想像力があるんですから、ちょっとはルパンを見習ったら?

《放っておくんだ、ルパン。頭に血がのぼっているときは、判断を誤るからな。だから、何も考えるんじゃない。特に推測はやめておけ! しっかりした出発点が決まらないうちに、次から次へと推測を重ねるほど、馬鹿げたことはないんだ。そうやって、みんなおかしな方向へ行っちまう。本能の声を聞き、直観にしたがって進むんだ。理屈じゃない。論理は抜きだ》 (p90)

2007年5月20日(日) at 23:08 / コメント( 0 )/ トラックバック( 0 )
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新・特捜司法官S−A 1 (麻城ゆう) / からな

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「合成人間が、人間ではないということに、今も変わりはありません」 (p128)

新書館ウイングス文庫。読んだのは8月12〜14日。
『特捜司法官S−A』 から約15年ぶりの新作というから、驚く反面、嬉しさいっぱい。もうお目にかかれないかと思ってました。
だって私はスペードエースが好きなのさ。 彼が出ていなきゃ、私は<JOKER>シリーズを買っていないと断言できる(笑)
だから今回の引用文は、全てスペードエースの台詞からピックアップ♪

このシリーズは「漫画→漫画の外伝の小説」という、珍しい形態をとっています。漫画の<JOKER>シリーズで、主人公・六道リィンが大家さんと見ている人気TV番組「特捜司法官S−A」でS−Aを演じる俳優・秋津秀が、小説では主人公。
「合成人間である特捜司法官しか持つことの許されない銀色の人工眼球を、人間で唯一持つことを許された男」である秋津が、いろんな事件に巻き込まれていく・・・というストーリー。その秋津を守るのが、特捜司法官S−A、スペードエース。つまり「本物の特捜司法官S−A」。

「秋津、もう一度言います。
余計な真似、危険な真似を絶対するんじゃない。協力は要請しましたが、これは本来あなたの仕事ではないのだから」
 (p140)

秋津はスペードエースに親近感と友情を抱いているが、スペードエースは一線を引こうと努めています。
「人間と合成人間にも、友情は成立する」と考えている秋津。
「人間と合成人間は、相容れない」と考えているスペードエース。
本家の<JOKER>シリーズでも、人間のリィンと合成人間のジョーカーの間に恋愛関係は成立していたのですが、スペードエースは二人の邪魔をしてました(笑) (その理由は省略)
そのどちらの思いも分かる、こういう関係が私は好きなのさ。 それを読みたくて、私は今回の新作を手にしたのかもしれない。

「いや、ど素人でもないか。秋津は特捜司法官S−A、僕の偽者だった」 (p202)

個人的好みだが、スペードエースが「秋津」と言うのが、何だか好きなのさ。 「あきつ」という響きが、私は好きなのかもしれない。

ああ、『特捜司法官S−A』 を探し出して、もう一回読み返したいなあ・・・。スペードエースの台詞で、とても好きな台詞があるんだけどなあ。
(去年、引越しした時の荷物の整理が未だに終わってない)

今回の新作では、『特捜司法官S−A』 より五年後の設定になっているのだが、添えられている道原かつみさんのイラストが・・・誰がどう見ても五年は若返ってる。 秋津もスペードエースも若返りすぎや〜! それだけが違和感あります。

今回は書評にも感想にもちっともなっていませんね(苦笑) まあ、いいか。

最後に、本作の読者の誰もが知っていて、誰もが書いていないことを、蛇足を承知で一つ。
「S−A」には「スペードエース」以外にも、あることを示していますね?

「女の子は聞きたいことは聞き逃さないものですよ」 (p215)

2005年8月16日(火) at 22:22 / コメント( 0 )/ トラックバック( 0 )
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すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた (ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア) / からな

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夢――この世界に対する、かすかに自嘲的で真剣そのものの夢。もっと遠くへ、とその夢はうながす。もっと遠くのどこかにある、すべての知識を超えた場所、それを見つけろ。 (「リリオスの浜に流れついたもの」p53〜54)

ハヤカワ文庫FT。何と生まれて初めて買ったファンタジー文庫だ。 訳者は浅倉久志さん。読んだのは2004年11月。
「世界幻想文学大賞」を受賞しているが、そんなことはどうでもいい。(←暴言?) 私は「○○章受賞作」というものには、ほとんど食指が動かないタイプ。
ティプトリーの作品だから、購読している。

ティプトリーは、いつも私を異世界へ連れて行ってくれる。そして同時に、現実も突きつけてくれる。

車の往来が絶えることは、魚やカニがとりつくされて絶滅したことを意味する。またひとつ、野生の美が夜を迎えるのだ。 (「水上スキーで永遠をめざした若者」p90)

ティプトリーは、私が「作家で読む」数少ない作家の一人。
今回の本はSF文庫ではなくFT文庫に収められている。ティプトリーは「SF作家」なので、とまどう人も多かったはずだが、こういう作品があったことで、ティプトリーの新たな一面を知ることが出来たので、個人的には喜んでいる。

SFファンにはお馴染みの、ティプトリー作品を翻訳している訳者さんたちの一人・浅倉さんの訳だから、安心。
それに読み出せば、ジャンルの違いは取るに足らないことに気づく。SFだろうがファンタジーだろうが、「ティプトリー節」に変わりはない。

「だが、ひょっとすると海は――それとも自然は、人間の手にかかっておとなしく死んでいったりしないかもしれない……ひょっとすると、死そのものが、恐ろしい生命を備えて逆襲してくるかもしれない。もっと機械的な破滅だけでなしに……」 (「デッド・リーフの彼方」p179)

「わたし」という語り手の男性が聞いた、3つの物語という連作集。「わたし」は語り手でもあるけれど、聞き手でもある。メインの物語を語るのは、各々違う人物たちだからだ。

各物語の冒頭にティプトリーによる、詩のようなエピグラムが挙げられている。一つの物語を読んだ後にもう一度読むと、その意味が解って思わず感嘆してしまう。

  恋をするならご用心、避けて通ろう、
  あのきらめく波からのほほえみを。
 (「リリオスの浜に流れついたもの」 冒頭のエピグラムの最後)

やがて読み手は気づくだろう。この連作の真の語り手は、他ならぬキンタナ・ローの海。
その海からのたゆまぬささやきをティプトリーは耳にとらえて、この物語を書き上げたのだ。

恐るべし、ティプトリー。

  キンタナ・ロー、と地図は名づけた、
  あの燃えさかり、血に染まった岸辺を、
 (中略) 
  死から産まれた生は飢えにかられて、
  海底からささやくように呼びかけるのだ。
 (『すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた』 最後のエピグラムより抜粋)
2005年6月14日(火) at 23:30 / コメント( 2 )/ トラックバック( 0 )
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そして誰もいなくなった (アガサ・クリスティー) / からな

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人間が未来を予想できないのは、あるいはいいことかもしれない。 (p58)

新創刊されたクリスティー文庫。訳者は清水俊二。2004年の秋頃に読了。
本書を読むのは、これが初めてではない。初めて読んだのは、中学生の時。これと 『七つのダイヤル』 (創元推理文庫)が、私が初めて買ったクリスティの作品だった。どちらを先に読んだのかは、覚えていない。
ただ、どういう状況で読んでいたのかだけは覚えている。熱出して寝込んでいた時だ。 ・・・余計に具合が悪くなりそうなものだが・・・。

「自分の命が危ういというときには、感傷的なことは考えないものですよ」 (p132)

どちらもTVで放映された映画とドラマを観て、「読んでみようか」と、買ったのだ。
以前のものは、ある友達に貸したのだが、帰ってこなかった。 新創刊されたのを機に、購読。大まかな筋は覚えているけれど、さすがに細かいところまでは覚えてへんわ・・・。
後に知ったところによると、『そして誰もいなくなった』 は原作と映画・芝居では筋書きが違う。その理由は、本書を読んだ方にはお判りだろう。
だけど、絶対原作の方がいいですよ!

「警戒にまさる武器はない。ぜったいに危険をおかしてはならぬ。あくまで危険を恐れるのだ」 (p206)

本書は「初めて読むクリスティ作品」としては、最もふさわしい作品だと思う。クリスティの特徴・特色が詰め込まれている。
例えば、「登場人物全員が怪しい」ということ。「マザーグース」を活用していること。どちらもクリスティの専売特許みたいなものだ。

それに、解説の赤川次郎さんも書かれているように、
「エンタテインメントとしてのミステリー」  「サスペンスに満ちた展開」  「時代を超えた面白さ」
に、満ち満ちている。これ以上、何を付け加えることがありましょう。
「初めて読むクリスティ作品」だけではなく、「初めて読むミステリ・サスペンス作品」としても、優れている。ミステリ・サスペンスを未読の方には、私ならばこちらを強くお薦めしたい。

目に見える危険は怖くはない。彼が恐怖を感じるのは、目に見えない危険なのだ。 (p293)

クリスティー文庫版には、彼女の孫による序文があるのだが、間接的とはいえ、犯人をバラしているのだ。 とんでもない孫だなあ。 未読の方は、要注意! 序文は本編を読了してから読むように!

しかし、いかなる芸術家も、芸術そのものをもって満足するものではない。芸術が他人に認めてもらいたいという欲望をともなうものであることは否定できない。 (p361)

2005年5月15日(日) at 20:25 / コメント( 0 )/ トラックバック( 0 )
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ソネット集 (ウィリアム・シェイクスピア) / からな

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きみを夏の一日にくらべたらどうだろう。
きみはもっと美しくて、もっとおだやかだ。
 (ソネット第18番)

岩波文庫。訳者は高松雄一さん。
『ソネット集』 については、シェイクスピアを知った際に必ず出てくると言っても過言ではない。
最初に「読んだ」と言いきれるのは、<書物の王国>シリーズ の 『美少年』 の巻頭に置かれていた、ソネット第18番。
吉田健一さんの訳に、いっぺんに魅せられた。だから第18番に関しては、思い入れがかなりある(笑)
以下に、吉田訳を挙げておく。

君を夏の一日に喩へようか。
君は更に美しくて、更に優しい。
心ない風は五月の蕾を散らし、
又、夏の期限が余りにも短いのを何とすればいいのか。
太陽の熱気は時には堪へ難くて、
その黄金の面を遮る雲もある。
そしてどんなに美しいものもいつも美しくはなくて、
偶然の出来事や自然の変化に傷けられる。
併し君の夏が過ぎることはなくて、
君の美しさが褪せることもない。
この数行によつて君は永遠に生きて、
死はその暗い世界を君がさ迷つてゐると得意げに言ふことは出来ない。
人間が地上にあつて盲にならない間、
この数行は読まれて、君に命を与へる。


思い入れがあるので、原詩もネットで探しましたわ。

Shall I compare thee to a summer's day?
Thou art more lovely and more temperate:
Rough winds do shake the darling buds of May
And summer's lease hath all too short a date:
Sometime too hot the eye of heaven shines
And often is his gold complexion dimmed
And every fair from fair sometime declines
By chance or nature's changing course untrimmed:
But thy eternal summer shall not fade
Nor lose possession of that fair thou ow'st
Nor shall death brag thou wand'rest in his shade
When in eternal lines to time thou grow'st
So long as men can breathe or eyes can see
So long lives this and this gives life to thee.


その後岩波文庫で購読。
戯曲作品とは全く違う、シェイクスピアの裏の魅力(笑)に戸惑いつつ……。
謎のW.H.氏、謎の黒い女。実在人物なのか、架空人物なのか、全てが謎。
ただ、「つれない恋人に宛てたソネット」であることは、相手が誰であれ、ほぼ共通しているようだ。
時には高らかに愛を謳い、時には不実をなじる。そこから見えてくるものは、恋をしている一人の男の存在。

映画「恋におちたシェイクスピア」では、ソネット18番が効果的に使われたらしい。(らしい、というのは、私は観ていないから)

最後に、私が好きな他のソネットを挙げておく。この原詩、探しているんだけど見つかりません。どなたかご提供して下さいませ。
え、自分で原書を買え? そんなご無体な・・・。

離れていたせいで、わが焔が弱まったように見えても、
私が不実な人間だなどとは言ってほしくない。
きみの胸のなかにいるわが魂と別れるのは、
私がこの自分と別れるくらいむりなことだ。
きみの胸がわが愛の住みかだ。たとえさまよい出ても、
旅に出かけた男のように私はまたもどってくる、
時間どおりに、時をへても心変わりもせずに。
つまり、私はわが罪を清める涙水をもって帰ってくる。
たとえ、あらゆる気質の人びとを悩ませる、
あらゆる弱点が私の性格を支配しようと、
無にひとしいもののために、きみの美徳を
そっくり捨てるほどひどく堕ちたとは思ってくれるな。
 わが薔薇よ、きみがいなければ、私はこの広い世界を
 無と呼ぶ。この世ではきみが私のすべてなのだ。
 (ソネット第109番)

***

以下は、非常に個人的な私見。
『リヴィエラを撃て』 の、「ダーラム侯から見たノーマン・シンクレアとレディ・アン」というシチュエーションが、このソネット集にはピタリと当てはまる気がするんですよね。

  ダーラム侯=シェイクスピア
  シンクレア=W.H.氏
  レディ・アン=黒い女


いかがです? タカムラーの皆さま。上記に挙げたソネットだけでも、ふさわしいと思いません?

ところが、私が 『ソネット集』 を読んだのは、『リヴィエラを撃て』 を読む約1年以上前のことです。
こんな風に感じたのは、『リヴィエラを撃て』 を読了した後です。

念を押しますが、これは「個人的私見」。『リヴィエラを撃て』 を未読の方は、先入観を与えてしまうかもしれません。ご注意を。

***

2005.10.22 追記

上記で探していたソネット第109番の原詩を見つけました!
こちらのサイト から入室して、シェイクスピア→『ソネット集』とクリックすれば、原詩が全て閲覧可能。
せっかくなので、ソネット第109番の原詩を載せます。

O, never say that I was false of heart,
Though absence seem'd my flame to qualify.
As easy might I from myself depart
As from my soul, which in thy breast doth lie:
That is my home of love: if I have ranged,
Like him that travels I return again,
Just to the time, not with the time exchanged,
So that myself bring water for my stain.
Never believe, though in my nature reign'd
All frailties that besiege all kinds of blood,
That it could so preposterously be stain'd,
To leave for nothing all thy sum of good;
For nothing this wide universe I call,
Save thou, my rose; in it thou art my all.


2005年4月1日(金) at 23:19 / コメント( 0 )/ トラックバック( 0 )
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殺人よ、さようなら (赤川次郎) / からな

> さ行のタイトル本
時折素直になる、ってのは、大人に信じてもらうための、いい方法なのだ。 (p99)

角川文庫。買ったのは平成7年の発売当時。ところが読んだのは、平成16年8月。しかも会社の就業時間を利用して読んでしまった。
だって仕事があまりない時期で、雑用も全て済ませて、ヒマな時間があったから〜。時間は有効に使わないと、もったいないもん。
なるべく上司が留守の時に読むようにしたしね。読んでいる途中で中断しても、差し支えないような本を・・・と思って、なし崩し的に選んだ本。

本書は 『殺人よ、こんにちは』 の続編。
少女漫画雑誌「なかよし」で松本洋子さんが 『殺人よ こんにちは』 をマンガ化されて(←マンガのタイトルには「、」はない)、それを愛読していた私が原作に手を出したのが、きっかけ。
小説とマンガは、似て非なるもの。登場人物にも多少の違いがある。大方の筋と結末は一緒ですけどね。

ミステリなので、ネタバレも犯人も書けませんが。(ミステリ・サスペンス等の書評・感想で困ることは、これだ。これさえなきゃ、もっと自由に綴れるのに・・・)

分ってないよ、大人なんてね。子供の心を、結局、誰も分ろうとしないんだよ。「いい子」は「いい子」でくくって、みんな同じだと思ってる。 (p190)

主人公・有紀子のような、こまっしゃくれた小悪魔みたいな少女を描くことにかけては、赤川さんは天下一品だと思う。素晴らしい。
赤川さんの作品はわずか数作しか読んでいないが、こういう少女が登場するのは、赤川作品の特色の一つなんでしょうね。

大人は勘違いしている。もっと子供たちを「大人でいなくてはならない場」へ連れ出して、「美意識」を育てればいいのだ。そうすりゃ、誰も似合いもしない金髪だの、引きずりそうなスカートなんかで「自己主張」しなくてすむんだから。
――ま、そんなことはどうでもいい。
 (p207〜208)

こういうところが、いかにもいかにも、なのですよね。

更に特筆すべきは、 『殺人よ、こんにちは』 『殺人よ、さようなら』 の各章の最初に、世界の有名な小説の出だしの部分をもじって書かれていることだ。
ちょっとした世界文学案内になっている。こういう洒落た遊びは、私は好きだ。

取り上げられた作品との比較は、文庫の解説に書かれているので省くが、タイトルからしてもじっているのが解る。
そう、2004年に亡くなったフランソワーズ・サガンの 『悲しみよ こんにちは』 だ。

この作品も同じく、「少女」が「大人」に成りつつある、又は成りきれない不安定な時期を描いたものだろう。不安定でいて、充実していた「少女」の日々。その頃に発生した「事件」がきっかけで、「少女」は「大人」へと・・・。

ミステリと銘打っていても、実はこういう少女を赤川さんは描きたかったんだろうなあ。約10年後に、続編を上梓したくらいだから、愛着もあったんだろうな。
私も読むことができて、良かったです。楽しめました。

大人だって、成長する。
大人が大人になる、ってことも、世の中にはあるんだ……。
 (p135〜136)

2005年3月24日(木) at 22:26 / コメント( 0 )/ トラックバック( 0 )
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