カリオストロ伯爵夫人 (モーリス・ルブラン) / からな
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「それならお互い、目をつぶりましょう。盗みは褒められたものじゃないからこそ、黙って知らないふりをするの」 (p135)
ハヤカワ文庫HM。訳者は平岡敦さん。読んだのは2005年12月10日〜14日。
映画公開に合わせたせいか、こちらの方の発売を1ヶ月早めたようです。私が買ったのは2冊同時でしたが。
「いやはや何とも、人を騙すのは実にたやすいな! 少しばかりの大胆さと明晰で論理的な思考、矢のように目標にむかって突っ走る強い意志。これさえあれば、目の前に立ちふさがる壁も勝手に消えてなくなるんだから」 (p217)
ラウール・ダンドレジーが「アルセーヌ・ルパン」と名乗る前に遭遇した事件。20代の若く情熱的で大胆不敵なルパンが楽しめます。
だかしかし! 今回の「主役」は、タイトルロールのカリオストロ伯爵夫人ことジョゼフィーヌ・バルサモだ!
「永久(とわ)の別れをするときには、贈り合ったものを返さなくてはいけません。私の写真を返してね、ラウール」
「だめだ、絶対に」
「でも、わたしは」とジョゼフィーヌはうっとりするようなほほえみを浮かべながら言った。「私はもっと誠実だから、あなたがくれたものをちゃんと返します」
「何のことですか? ジョジーヌ」
「最初の晩……納屋で……眠っていたら……あなたは私のうえに身をのり出して、気がつくと唇を重ねていましたね」
ジョゼフィーヌはラウールの首に手を絡ませ、顔を引きよせた。 (p138)
ああんもう、何て魅力的なの! ラウールどころか他の男だって、きっとメロメロよん
なのにラウールは、あんなにも愛し合い、協力し合った彼女より、可憐な恋人・クラリスを選んでしまう・・・。(珍しくも(?)「女性に手の早い」アルセーヌ・ルパン・・・。それともクラリスの方がしたたかなのか?)
ラウールのアホ!
いや、こんな若造(←暴言スレスレ)には、彼女の表に見せない弱さも、儚さも、虚しさも扱えないし、持て余すし、包み込めないか・・・。
「病人だと言ってもいい。どこかに嘘があるとすれば、それはきみの美しさなんだ」 (p251)
ところで、フランス人が「小説」を書くと 全て「恋愛小説」になってしまうなあと思うのは、私だけだろうか?
日本人ならとても言えない言葉が、ポンポン出てくるし、ミステリだろうがサスペンスだろうが、必ずといっていいほど「恋愛」の要素が盛り込まれているんだもん。
この作品も、そう。主人公の男性(ラウール・ダンドレジー)に対して、妖艶な大人の魅力を持った女性(ジョゼフィーヌ・バルサモ)と、可憐で優美な魅力を持った女性(クラリス・テディグ)との三角関係。
思うに、これって男の都合のいい夢なのですね。古今東西、このパターンは変わらないのですね。どちらのタイプの女性も、我がものにしたいのですね。つまり男は身勝手なんですね(←決めつけてるな〜)
「恋とふしだらは違いますよ」 (p204)
ほとんどの男性が「妻」に選ぶのは、後者のタイプの女性。前者のタイプは、「たった一夜の美しい思い出として」というパターンが多い。(ラウールは一夜どころか、数ヶ月も一緒に暮らしていますが・笑)
このようなパターンが多いせいか、「恋愛小説」というジャンルに分類される小説は、読みたくないんです。わざわざ「恋愛小説」と銘打たなくても、他ジャンルの本に「恋愛」の要素は多少は盛り込まれていることが多いから。
今回の 「カリオストロ伯爵夫人」 にも、「恋愛小説の要素」更には「恋愛の基本」の数々がきちんと入っている。「冒険物」としてももちろん、「恋愛物」としても、より一層楽しめる作品だろう。
カリオストロ伯爵夫人の魅力にKOされて下さい。この女性のおかげでアルセーヌ・ルパンは、著しい成長を遂げたと言っても、決して過言ではありません。
ところで子供向け・青少年向けの 「カリオストロ伯爵夫人」 では、ラヴ・シーンはどう描かれているんだろう・・・? (一切カットはしていないでしょうけど・・・。そうでなきゃ続編の 「カリオストロの復讐」 への繋がりが弱いだろうと思われる)
以下に挙げるのは、「恋愛物」の視点からのピックアップです。上品でスマート、かつ情熱的で大胆な大人のムードたっぷりの場面をお楽しみ下さい。
こうした愛の代償は、避けがたい沈黙である。いくら口では言葉を交わしても、その声は孤独な心を包む陰鬱な沈黙を破ることはない。それぞれが自分勝手にもの思いにふけり、相手の胸のうちに入り込もうとはしないのだ。 (p227)
二人は互いの腕に身を投げた。終わりが近いと感じているだけに、喜びを味わいつくそうとするかのように、欲望はいっそう掻きたてられた。 (p232)
それは運命に引き離される恋人達の悲痛な喜びだった。疑惑の毒に満ちた喜び。互いに相手の密かな思惑を探り、唇を重ね合わせているときも、愛していながらまるで憎んでいるかのように、傷つけあっているのを知っている。
「愛しているよ。愛してる」とラウールは、うわ言のように何度も繰り返した。 (p232)
ときに二人の抱擁は、取っ組み合って戦う敵同士のように激しかった。愛撫は荒々しく、目つきはまるで威嚇するようだ。心の内には憎しみが、愛情の中には絶望があった。その様子は、まるで致命傷を与えるための弱点を見つけようと、探り合っているかのようだった。 (p232〜233)
どうやら私が <アルセーヌ・ルパン>シリーズ に求めるものは、ロマンス らしい・・・。
ハヤカワ文庫HM。訳者は平岡敦さん。読んだのは2005年12月10日〜14日。
映画公開に合わせたせいか、こちらの方の発売を1ヶ月早めたようです。私が買ったのは2冊同時でしたが。
「いやはや何とも、人を騙すのは実にたやすいな! 少しばかりの大胆さと明晰で論理的な思考、矢のように目標にむかって突っ走る強い意志。これさえあれば、目の前に立ちふさがる壁も勝手に消えてなくなるんだから」 (p217)
ラウール・ダンドレジーが「アルセーヌ・ルパン」と名乗る前に遭遇した事件。20代の若く情熱的で大胆不敵なルパンが楽しめます。
だかしかし! 今回の「主役」は、タイトルロールのカリオストロ伯爵夫人ことジョゼフィーヌ・バルサモだ!
「永久(とわ)の別れをするときには、贈り合ったものを返さなくてはいけません。私の写真を返してね、ラウール」
「だめだ、絶対に」
「でも、わたしは」とジョゼフィーヌはうっとりするようなほほえみを浮かべながら言った。「私はもっと誠実だから、あなたがくれたものをちゃんと返します」
「何のことですか? ジョジーヌ」
「最初の晩……納屋で……眠っていたら……あなたは私のうえに身をのり出して、気がつくと唇を重ねていましたね」
ジョゼフィーヌはラウールの首に手を絡ませ、顔を引きよせた。 (p138)
ああんもう、何て魅力的なの! ラウールどころか他の男だって、きっとメロメロよん
なのにラウールは、あんなにも愛し合い、協力し合った彼女より、可憐な恋人・クラリスを選んでしまう・・・。(珍しくも(?)「女性に手の早い」アルセーヌ・ルパン・・・。それともクラリスの方がしたたかなのか?)
ラウールのアホ!
「病人だと言ってもいい。どこかに嘘があるとすれば、それはきみの美しさなんだ」 (p251)
ところで、フランス人が「小説」を書くと 全て「恋愛小説」になってしまうなあと思うのは、私だけだろうか?
日本人ならとても言えない言葉が、ポンポン出てくるし、ミステリだろうがサスペンスだろうが、必ずといっていいほど「恋愛」の要素が盛り込まれているんだもん。
この作品も、そう。主人公の男性(ラウール・ダンドレジー)に対して、妖艶な大人の魅力を持った女性(ジョゼフィーヌ・バルサモ)と、可憐で優美な魅力を持った女性(クラリス・テディグ)との三角関係。
思うに、これって男の都合のいい夢なのですね。古今東西、このパターンは変わらないのですね。どちらのタイプの女性も、我がものにしたいのですね。つまり男は身勝手なんですね(←決めつけてるな〜)
「恋とふしだらは違いますよ」 (p204)
ほとんどの男性が「妻」に選ぶのは、後者のタイプの女性。前者のタイプは、「たった一夜の美しい思い出として」というパターンが多い。(ラウールは一夜どころか、数ヶ月も一緒に暮らしていますが・笑)
このようなパターンが多いせいか、「恋愛小説」というジャンルに分類される小説は、読みたくないんです。わざわざ「恋愛小説」と銘打たなくても、他ジャンルの本に「恋愛」の要素は多少は盛り込まれていることが多いから。
今回の 「カリオストロ伯爵夫人」 にも、「恋愛小説の要素」更には「恋愛の基本」の数々がきちんと入っている。「冒険物」としてももちろん、「恋愛物」としても、より一層楽しめる作品だろう。
カリオストロ伯爵夫人の魅力にKOされて下さい。この女性のおかげでアルセーヌ・ルパンは、著しい成長を遂げたと言っても、決して過言ではありません。
ところで子供向け・青少年向けの 「カリオストロ伯爵夫人」 では、ラヴ・シーンはどう描かれているんだろう・・・? (一切カットはしていないでしょうけど・・・。そうでなきゃ続編の 「カリオストロの復讐」 への繋がりが弱いだろうと思われる)
以下に挙げるのは、「恋愛物」の視点からのピックアップです。上品でスマート、かつ情熱的で大胆な大人のムードたっぷりの場面をお楽しみ下さい。
こうした愛の代償は、避けがたい沈黙である。いくら口では言葉を交わしても、その声は孤独な心を包む陰鬱な沈黙を破ることはない。それぞれが自分勝手にもの思いにふけり、相手の胸のうちに入り込もうとはしないのだ。 (p227)
二人は互いの腕に身を投げた。終わりが近いと感じているだけに、喜びを味わいつくそうとするかのように、欲望はいっそう掻きたてられた。 (p232)
それは運命に引き離される恋人達の悲痛な喜びだった。疑惑の毒に満ちた喜び。互いに相手の密かな思惑を探り、唇を重ね合わせているときも、愛していながらまるで憎んでいるかのように、傷つけあっているのを知っている。
「愛しているよ。愛してる」とラウールは、うわ言のように何度も繰り返した。 (p232)
ときに二人の抱擁は、取っ組み合って戦う敵同士のように激しかった。愛撫は荒々しく、目つきはまるで威嚇するようだ。心の内には憎しみが、愛情の中には絶望があった。その様子は、まるで致命傷を与えるための弱点を見つけようと、探り合っているかのようだった。 (p232〜233)
どうやら私が <アルセーヌ・ルパン>シリーズ に求めるものは、ロマンス らしい・・・。
2005年12月25日(日) at 21:18 / コメント( 0 )/ トラックバック( 0 )
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