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ルバイヤート (オマル・ハイヤーム) / からな

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この万障の海ほど不思議なものはない、
誰ひとりそのみなもとをつきとめた人はない。
あてずっぽうにめいめい勝手なことは言ったが、
真相を明らかにすることは誰にも出来ない。
 (解き得ぬ謎・8 p16)

岩波文庫。訳者は小川亮作。これも十数年ぶりに再読。2005年5月27日・・・最近やん。
初読時は、『アラブ飲酒詩選』と同じく、大学生の頃。みんな、これ持ってたよね? 読んだよね? の文庫、第二弾。

しつこいくらい書くが、当時は安い値段で手軽に読めるイスラーム関連の書籍が、なかなかなかったのだ。幸か不幸か「湾岸戦争」の2〜3年後に、関連書籍がどっと増えてきた。大学卒業してから、幾度歯噛みしたものか。

酒を飲め、土の下には友もなく、またつれもない、
眠るばかりで、そこに一滴の酒もない。
気をつけて、気をつけて、この秘密 人には言うな――
 チューリップひとたび萎めば開かない。
 (万物流転・47 p45)

本書とどちらを先に読んだのかは定かではないが、この当時、『サマルカンド年代記』 という本が出版された。
オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』の手稿本をめぐっての二部構成の小説。前半はオマルと彼が生きた時代に焦点を当てた内容。後半はミドルネームに「O」(オマルの「O」・・・って、ヘンに勘違いしないでね)と名付けられた青年が、幻の『ルバイヤート』を探し出す、という内容。

後半はともかく(苦笑)、 前半は面白かった。 オマルが生きたセルジューク朝のこの時期のサマルカンドには、「ニザーム学院」にその名を残すニザーム・アル=ムルクと、「アサシン」創設者のハサン・サッバーフもいたのだから。これが興味を惹かれないはずはない!

あしたのことは誰にだってわからない、
あしたのことを考えるのは憂鬱なだけ。
気が確かならこの一瞬(ひととき)を無駄にするな、
二度とかえらぬ命、だがもうのこりは少い。
 (一瞬をいかせ・135 p102)

たった四行で、簡潔かつ明快に謳い上げている。それが時代を越えて格言となり、人々の琴線に触れたのだろう。オマル・ハイヤームの思考や思想は、イスラームには反するものであるからだ。

われらが来たり行ったりする世の中、
それはおしまいもなし、はじめもなかった。
答えようとてだれにはっきり答えられよう――
 われらはどこへ来てどこへ行くやら?
 (解き得ぬ謎・10 p17)

これなどは、まるでゴーギャンの絵画を思わせる。
このような感情や諦観は、古今東西を問わない普遍のものであるらしい。まるで哲学ごとく、東洋思想にも西洋思想にも共通する、底辺の何ものかを感じ取ることが出来る。読んでいて強く思ったのが、これだった。

ないものにも掌の中の風があり、
あるものには崩壊と不足しかない。
ないかと思えば、すべてのものがあり、
あるかと見れば、すべてのものがない。
 (むなしさよ・106 p85)

2005年5月29日(日) at 00:22 / コメント( 10 )/ トラックバック( 2 )
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このエントリ(記事)へのコメント

ルバイヤートについて / 下等遊民

丁寧なコメントとTB返しありがとうございました。
取り上げた詩句が重複していないことについてですが、実は拙記事を書く前に、貴エントリーを拝読していまして、「なるべくならまだ紹介されていない詩句を」という下心(?)もありました(冷)。
好みといえば、いずれの詩句も甲乙つけがたく、結果、上記のような消去法も採用せざるをえなかったわけです。それにしても、貴エントリー、岩波文庫の解説よりも、はるかに本質をついていてゴーギャンにまで言及しての読みの深さには感じ入ってしまいましたた。
2005年10月09日(日)   at 0:12

ルバイヤートについて / 下等遊民 URL

 コメント&トラバ返しありがとうございました。
取り上げた詩句が重複していないことについてですが、好みと言えば、いずれの詩句も甲乙つけがたく、実は記事を書く前に、貴エントリーを拝読済みだったため、「なるべくなら重複しない詩句を」という消去法を採用したことにもよります。貴エントリーは岩波文庫の解説よりも、はるかに本質を突いていて、ゴーギャンにまで言及しての読みの深さには感じ入ってしまいました。
2005年10月09日(日)   at 0:30

そうだったんですか! / 本人マーク(認証コメント)からな URL

こんにちは。コメントありがとうございます。
こちらのブログのサーバーの調子が悪かったようで、コメント投稿に関してご迷惑をおかけしたようです。ごめんなさい。

>貴エントリーを拝読していまして、
>「なるべくならまだ紹介されていない詩句を」

あらー、お気を遣っていただいたというか、お手間をとらせたというか・・・(汗)
実のところ、この五つに絞るのは相当悩んで迷ったんです。
私は下戸なので、残念ながらお酒を楽しむ詩には共感しにくいところもありまして・・・(苦笑) 自然とお酒を詠んだ詩は、割愛せざるを得ませんでした。

>岩波文庫の解説よりも、はるかに本質を突いていて、
>ゴーギャンにまで言及しての読みの深さには感じ入ってしまいました。

お、お恥ずかしい・・・。ほめられることに慣れてないもので、こそばゆくて照れてしまいます。

私もかとうさんの記事の表記を見習って、ルバイヤートの番号を振ろうかなと思いました。後ほど記事の表記に手を加えます。


2005年10月09日(日)   at 13:52

酒とルバイヤート / 下等遊民 URL

実は私も酒の方はあまりイケルくちではないので、手放しで酒を讃えた詩句は少なめにしてしまった次第です。ところで、何人かの友人に「ルバイヤート」を読ませたところ、必ずしも酒好きの方がこの詩を好むとは限らないという面白いデータが得られました。やはり、「ルバイヤート」における酒は、「享楽」や「快楽」を象徴する記号と考えた方がよさそうですね。
ではまた。
2005年10月09日(日)   at 20:07

李白ならば、いかがでしょう? / 本人マーク(認証コメント)からな URL

こんにちは。

>何人かの友人に「ルバイヤート」を読ませたところ、
>必ずしも酒好きの方がこの詩を好むとは限らない

『ルバイヤート』には、「人生」も見え隠れしていますから、純粋にお酒を楽しみたい人には、そこが敬遠されるのでしょうか?

私の好きな唐の詩人・李白の詩ならば、いかがでしょう?
「詩仙」ならぬ「酒仙」と揶揄されてますけど(笑) 単純明快で、「酒」を詠んだ詩にはいいものも多いですし・・・。
日本人の「お酒飲みの人」の心境に、最も近いものがあるのでは、と思います。
「一杯 一杯 復一杯」なんて、そのものずはりですからね(苦笑)
2005年10月10日(月)   at 11:34

李白とルバイヤート / 下等遊民 URL

李白とルバイヤートが似ているようで決定的に異なるのは、飲酒に伴う罪悪感の有無ですかね。飲酒を罪悪視するイスラム文化にあっては酒を飲むにもそれなりの哲学を必要としたのかも知れませんね。ただその哲学には時代を超えた普遍性があったわけですが。
2005年10月10日(月)   at 18:06

比較するのも一興。 / 本人マーク(認証コメント)からな URL

こんばんは。

>飲酒に伴う罪悪感の有無

なるほど。・・・しかしオマム・ハイヤームの詩には「罪悪感」というのがあまり感じられないのですが・・・それは私だけでしょうか? 私が下戸だから?(苦笑)
どちらかといえば、「人生」のあれこれを謳っているように感じられます。・・・これを「哲学」と置き換えてもよろしいのでしょうか。

別記事で挙げている、『アラブ飲酒詩選』(http://blog.kansai.com/karanawakana/12)も、同じイスラームの詩人の詠んだものです。
気がむかれたらで結構ですので、『アラブ飲酒詩選』を読まれるのもよろしいかと。
『ルバイヤート』と比較、というのとはちょっと違うかもしれませんが、いろいろ面白く感じられるかと存じます。
2005年10月11日(火)   at 23:21

万物流転 / 下等遊民 URL

そうですね。罪悪感というより宗教的戒律へのプロテストといったほうが良かったかも知れません。
「哲学」というのは定義が曖昧な言葉なので、ルバイヤートを哲学的と評することの適否は微妙ですが、「所詮真理は解き明かせない」という懐疑主義、相対主義や「万物流転」といった無常感などを哲学と呼ぶことができれば、哲学的といっても間違いではないと思います。
 「アラブ飲酒詩選」は早速、読んでみようかと思います。
2005年10月12日(水)   at 0:39

ありがとうございました / 本人マーク(認証コメント)チョコちょこ URL

コメント、ありがとうございました。
TBさせていただこうとしたのですが、サーバーの調子が悪かったので、うまくできていないかも知れません(苦笑)。

まさか、同じ詩句を選ばれているとは知らず・・・このページを読ませていただいてから、コメントをお返しするべきだったと後悔しています(笑)。
飲酒についてお話が盛り上がっていたみたいですね。ハイヤームには恐らく、禁酒に対する罪悪感も反発もなかったと思いますよ。タリバンのような極端な原理主義は別でしょうが、ワインを飲むことは昔も今もこっそりと(でも公然と)されていますしね。もしも李白との違いがあるとすれば、それは李白の方がお酒に対して純粋だったということでしょうか。
2006年08月20日(日)   at 10:54

こちらこそありがとうございます。 / 本人マーク(認証コメント)からな URL

チョコちょこさん、こんにちは。コメントとTBありがとうございます。

>このページを読ませていただいてから、
>コメントをお返しするべきだったと後悔しています

いえいえ、お気になさらずに。昨年の記事ですから・・・。
チョコちょこさんのブログのコメントとも合わせてみてみますと、李白について言及されているのが「ああやっぱり、さすがチョコちょこさんだなあ」と思いましたよ。

>李白の方がお酒に対して純粋だった

そうかもしれません。オマル・ハイヤームには、「酒は飲んではいけない」というイスラームに縛られた中で、酒を飲む喜びを見い出し、背徳の喜びも感じつつ、自己嫌悪に陥っている・・・という思いが、見え隠れしている気もしますね。

2006年08月20日(日)   at 16:27

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『ルバイヤート』106 より / チョコちょこ読書雑記

ないものにも掌の中の風があり、
あるものには崩壊と不足しかない。
ないかと思えば、すべてのものがあり、
あるかと見れば、すべてのものがない。


『ルバイヤート』(オマル・ハイヤーム/岩波文庫)
2006年08月20日(日)   at 12:20

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