ブログ移転のお知らせ / 田中 敦
フランス人に剣道指導 / 田中 敦
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昨日は枚方市に国際交流で来日しているフランスのエセック経済商科大学大学院の学生20人に剣道指導をした。日本文化講習として、剣道を始め、茶道、華道、書道を学ぶという。私自身、これは日本人の文化の押し付けで、本人たちは嫌がっているのではないかなぁ。と思ったのであるが、学生たちは思いの外、真剣にそして楽しく取り組んでくれた。
岡田先生の挨拶の後に吉川先輩と剣道形の演武、そして面をつけての試合稽古。その後に指導者別に班分けをして指導した。私は、バルフェティ君とシャバリエ君の二人を指導した。短い時間でもあるし、言葉も通じないので、身振り、手振り、そして片言の英語で指導を行った。日本人なら礼法を先に指導するところであるが、価値観や文化的背景の異なるフランス人は礼法を形で覚えたとしても意味を理解出来ることは難しいと考え、竹刀を振ることから指導しました。二人とも飲み込みが早く短時間に素振り、そして踏み込み足での打突まで覚えてくれた。防具をつけて体験出来る程度に飲み込めたので残った時間で礼法の指導を行った。剣道に挑戦してみるか?の問いに二人ともイエスの返事。稽古着、袴に着替えて防具をつけての剣道に挑戦した。日本語で暑いを連発してい。しかし楽しそうに稽古をしていた。帰りには楽しかったです。ありがとうと流暢な日本語でお礼を言っていただきました。文化交流の行事は体を動かすものが少ないらしく体を動かす剣道体験は好評のようである
。外国人に剣道の深い部分を指導するのは難しいが剣道というものの宣伝にはなったと思う。私も楽しく指導出来たし来年もこの企画があればよいなぁと考えています。
岡田先生の挨拶の後に吉川先輩と剣道形の演武、そして面をつけての試合稽古。その後に指導者別に班分けをして指導した。私は、バルフェティ君とシャバリエ君の二人を指導した。短い時間でもあるし、言葉も通じないので、身振り、手振り、そして片言の英語で指導を行った。日本人なら礼法を先に指導するところであるが、価値観や文化的背景の異なるフランス人は礼法を形で覚えたとしても意味を理解出来ることは難しいと考え、竹刀を振ることから指導しました。二人とも飲み込みが早く短時間に素振り、そして踏み込み足での打突まで覚えてくれた。防具をつけて体験出来る程度に飲み込めたので残った時間で礼法の指導を行った。剣道に挑戦してみるか?の問いに二人ともイエスの返事。稽古着、袴に着替えて防具をつけての剣道に挑戦した。日本語で暑いを連発してい。しかし楽しそうに稽古をしていた。帰りには楽しかったです。ありがとうと流暢な日本語でお礼を言っていただきました。文化交流の行事は体を動かすものが少ないらしく体を動かす剣道体験は好評のようである
。外国人に剣道の深い部分を指導するのは難しいが剣道というものの宣伝にはなったと思う。私も楽しく指導出来たし来年もこの企画があればよいなぁと考えています。
2008年7月10日(木) at 08:55
気力先行 / 田中 敦
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6月から全国少年剣道錬成大会・大阪府下選抜少年剣道大会の選手を対象に強化稽古を行っている。
低学年から中学生までの選手を集めて稽古しているが、始めにやったことは剣道の基本である。選手といえども悪い癖がたくさんついているし、一足一刀の間合いから継ぎ足をすることなく打突出来ていない選手が8割である。この一足一刀の間合いから一拍子で打突が出来ないと出頭など、剣道で最高の機会を捕えた技を出すことは出来ない。まずは基本。基本とは何か?実戦で通用するレベルの基本を身につけてほしいと思う。
徐々にではあるが選手のレベルは確実に上がっている。しかしながら選手に覇気や気力が見えてこない・・覇気や気力を指導するのはどうしたらよいか、自分自身も悩んでいる。私が剣道を始めて間もないころから一貫して師匠に言われたことは「剣道は気力先行!技が先にはしるようではいかん!」その頃はぴんとこなかったが、今ではよくわかる。先生はその気力を鍛えるために鬼のような稽古をつけてくれたんだと思う。小学生相手にも容赦のない突き、足払い、息が切れても永遠と続くような打ち込み。先生に並ぶのはかなり勇気がいった。しかしなぜか先生にかからないと強くならない気がした。先生は別にかからなくても何も言わないし、何も怒らない。その気持ちは「強くなりたくないなら来なくていい」という気持ちだったのであろう。現に先生を避けてた者は強くはならなかった。今回、私は師匠の昔を思い出した。ああして私が倒れるまで稽古をつけてくれた師匠の姿を・・
今、私は昔の師匠のように選手を鍛えてあげないといけない時期なんだなぁと思う。選手にとっては非常にきつい稽古になると思う。だか、その涙が出るような稽古をつんだものにしかわからない気力を養えると信じている。
今の子供たちのキーワードは「気力先行」である。乗り越えれば確実にレベルアップ出来るだろう。なんとか悔いを残すことなくよい試合をさせてあげたいと思っている。
低学年から中学生までの選手を集めて稽古しているが、始めにやったことは剣道の基本である。選手といえども悪い癖がたくさんついているし、一足一刀の間合いから継ぎ足をすることなく打突出来ていない選手が8割である。この一足一刀の間合いから一拍子で打突が出来ないと出頭など、剣道で最高の機会を捕えた技を出すことは出来ない。まずは基本。基本とは何か?実戦で通用するレベルの基本を身につけてほしいと思う。
徐々にではあるが選手のレベルは確実に上がっている。しかしながら選手に覇気や気力が見えてこない・・覇気や気力を指導するのはどうしたらよいか、自分自身も悩んでいる。私が剣道を始めて間もないころから一貫して師匠に言われたことは「剣道は気力先行!技が先にはしるようではいかん!」その頃はぴんとこなかったが、今ではよくわかる。先生はその気力を鍛えるために鬼のような稽古をつけてくれたんだと思う。小学生相手にも容赦のない突き、足払い、息が切れても永遠と続くような打ち込み。先生に並ぶのはかなり勇気がいった。しかしなぜか先生にかからないと強くならない気がした。先生は別にかからなくても何も言わないし、何も怒らない。その気持ちは「強くなりたくないなら来なくていい」という気持ちだったのであろう。現に先生を避けてた者は強くはならなかった。今回、私は師匠の昔を思い出した。ああして私が倒れるまで稽古をつけてくれた師匠の姿を・・
今、私は昔の師匠のように選手を鍛えてあげないといけない時期なんだなぁと思う。選手にとっては非常にきつい稽古になると思う。だか、その涙が出るような稽古をつんだものにしかわからない気力を養えると信じている。
今の子供たちのキーワードは「気力先行」である。乗り越えれば確実にレベルアップ出来るだろう。なんとか悔いを残すことなくよい試合をさせてあげたいと思っている。
2008年7月2日(水) at 12:00
一年ぶりの試合 / 田中 敦
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日曜日は枚方市春季総体剣道一般の部が開催された。私は午前中は大会総務副委員長として会場の設営、雑務を務めた。もっとも私の役目は大会が始まるまでの準備や段取りが仕事で大会が始まるとほとんど仕事は終わっていて円滑な運営を見守り、突発的な出来事があれば対応するという感じだ。そして午後からの団体戦で菅原支部の中堅として試合に出場した。去年もこの大会に参加して以来の試合である。今年は先鋒、次鋒が教え子、中堅、副将、大将が指導者という布陣で挑んだ。気心の知れたみんなと試合に出て一緒に試合できることは勝ち負けを抜きに非常に楽しいものである。結果はみんながうまく噛み合って優勝出来ました。チームワークの勝利です。今回、私以降の三人がみんな錬士六段ということもあり、勝って当たり前と言う方も多かったが試合になれば段位は関係ないし、相手は負けて当然という立場、こちらは受けてたつ立場。試合前にみんなで受け身にまわることなく攻めようと話した。試合は全て副将までに勝負が決まる内容でした。私も5試合全て二本勝ちで一本
もとられずの結果でしたが、自分の剣道には少し不満が残ります。試合なので位がどうのとは言ってられないのですが、六段としての剣道を見せれたかは疑問が残るかな・・・しかし今回の大会では自分の年齢を感じました。対戦した相手全員が私より年下でした。中には自分の半分以下の年齢の高校生もいました。でもみんな元気なかったなぁ。私のほうが気迫で勝ってたと思います。私は若い頃は言葉は悪いが、こんなおっさんに負けるわけないやろ!くらいの強い気持ちで試合をしていましたが、今の子は少しおとなしい印象を受けました。
試合後、大会会長を務めていた師匠に全員で挨拶に行き、師匠もとても喜んでいただきました。それと同時に試合で気付かれたことをご指導いただきました。ずっと見ていてくださったこと、わがことのように喜んでいただいたこと本当に嬉しく思います。ほんの少し師匠孝行が出来たかなと感じた1日でした。
もとられずの結果でしたが、自分の剣道には少し不満が残ります。試合なので位がどうのとは言ってられないのですが、六段としての剣道を見せれたかは疑問が残るかな・・・しかし今回の大会では自分の年齢を感じました。対戦した相手全員が私より年下でした。中には自分の半分以下の年齢の高校生もいました。でもみんな元気なかったなぁ。私のほうが気迫で勝ってたと思います。私は若い頃は言葉は悪いが、こんなおっさんに負けるわけないやろ!くらいの強い気持ちで試合をしていましたが、今の子は少しおとなしい印象を受けました。
試合後、大会会長を務めていた師匠に全員で挨拶に行き、師匠もとても喜んでいただきました。それと同時に試合で気付かれたことをご指導いただきました。ずっと見ていてくださったこと、わがことのように喜んでいただいたこと本当に嬉しく思います。ほんの少し師匠孝行が出来たかなと感じた1日でした。
2008年6月25日(水) at 08:52
市民大会 / 田中 敦
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今週の日曜日は枚方市春季総体剣道一般の部である。枚方市の一般社会人の大会は年に一度この試合だけである。私は数年前までは毎年審判をさせていただいていたのだが、去年より正式に六段以上の参加が認められるようになり選手として出場させてもらっている。今年は菅原支部は2チーム参加します。私はAチームの中堅を務めます。Aチームは教え子二人と一緒に少年指導をしている先生二人とのチームで、仲間同士楽しく試合が出来そうです。Bチームは親子での参加もありこちらのチームも和気藹々、楽しんで試合をしてくれると思います。この大会では普段の仲間や教え子と対戦することも多くやりにくい面はありますが、楽しんで試合をしてきたいと思います。
私は枚方市剣道連盟の事務局次長をしておりますので、大会当日までの様々な段取りをしておりますが、運営サイドにはたくさんの苦労があります。日取りの設定。体育館の予約、体育館との打ち合わせ。審判リストの作成、審判依頼、大会案内の作成、郵送、申込み後のリスト作成、審判講習会の開催。まだまだ書ききれないほどの仕事があります。市民大会といってもこの全ての運営は枚方市体育協会から剣道連盟が依頼を受けて連盟側で全ての運営を取り仕切っています。そして全ての方々に無償でボランティアで動いていただいています。参加者にはこの点を理解していただき、よい大会になるようお願いしたいと思います。
いずれにせよ、熱戦が展開されよい大会になればと思います。また私も大会を盛り上げるべくよい試合が出来るように心がけます。
私は枚方市剣道連盟の事務局次長をしておりますので、大会当日までの様々な段取りをしておりますが、運営サイドにはたくさんの苦労があります。日取りの設定。体育館の予約、体育館との打ち合わせ。審判リストの作成、審判依頼、大会案内の作成、郵送、申込み後のリスト作成、審判講習会の開催。まだまだ書ききれないほどの仕事があります。市民大会といってもこの全ての運営は枚方市体育協会から剣道連盟が依頼を受けて連盟側で全ての運営を取り仕切っています。そして全ての方々に無償でボランティアで動いていただいています。参加者にはこの点を理解していただき、よい大会になるようお願いしたいと思います。
いずれにせよ、熱戦が展開されよい大会になればと思います。また私も大会を盛り上げるべくよい試合が出来るように心がけます。
2008年6月20日(金) at 15:17
強化稽古がはじまりました。 / 田中 敦
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昨日から、7月末の全国少年剣道錬成大会、8月末の大阪府下選抜少年剣道大会に向けての強化稽古がはじまりました。強化稽古では根本的な剣道力のアップを目指して指導していきます。子供たちは大会を節目として貪欲に吸収していって欲しいと思います。
昨日の稽古では基本力の向上をテーマに稽古しました。基本力とは一本にする力です。一本を取れない技でいくら稽古をしてもなかなか力はつきません。細かい指導もたくさんやりましたが、私はまず気持ちが大切と思っています。「この技で決めてやる。一本にしてやる」という信念を持った技で稽古することが大切です。そして左足が重要です。昨日みんなの足をよく見ているとやはり左足が決まってない子が多いです。左足が決まってないとは、遠い間合いから一歩攻めて面打ちをしたときに一歩入ってた状態でピタリと左足が決まらず、もう一度、小さく反動をつけたような打ち方になっている状態です。左足がきまらないと当然、左足で蹴る力は弱くなり打突の強度も落ちてしまうし、遠くから飛び込むことも出来ないし、なにより一拍子の技にならない。一拍子の技にならないから実戦で通用しない。実戦で通用しない技を試合前に稽古しても無意味ということになる。まずはここを徹底的に指導したい。今、活躍している中学生には小学生時代に徹底的にこの指導をした。それがよか
ったと感じているので、今の小学生にはまずここを突破してほしい。その次に打突の機会の稽古に入りたいと思う。6月はまず基本力のアップを徹底的にやります。
昨日の稽古では基本力の向上をテーマに稽古しました。基本力とは一本にする力です。一本を取れない技でいくら稽古をしてもなかなか力はつきません。細かい指導もたくさんやりましたが、私はまず気持ちが大切と思っています。「この技で決めてやる。一本にしてやる」という信念を持った技で稽古することが大切です。そして左足が重要です。昨日みんなの足をよく見ているとやはり左足が決まってない子が多いです。左足が決まってないとは、遠い間合いから一歩攻めて面打ちをしたときに一歩入ってた状態でピタリと左足が決まらず、もう一度、小さく反動をつけたような打ち方になっている状態です。左足がきまらないと当然、左足で蹴る力は弱くなり打突の強度も落ちてしまうし、遠くから飛び込むことも出来ないし、なにより一拍子の技にならない。一拍子の技にならないから実戦で通用しない。実戦で通用しない技を試合前に稽古しても無意味ということになる。まずはここを徹底的に指導したい。今、活躍している中学生には小学生時代に徹底的にこの指導をした。それがよか
ったと感じているので、今の小学生にはまずここを突破してほしい。その次に打突の機会の稽古に入りたいと思う。6月はまず基本力のアップを徹底的にやります。
2008年6月17日(火) at 09:15
運鈍根 / 田中 敦
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剣道を強くなる素質は?と聞かれたら私は「運・鈍・根」と答えるだろう。以前にも書いたが「才能とは同じモチベーションを持続出来ることである」という谷川浩司棋士の言葉。これに集約されると思う。
剣道を始めてからの数年は身体能力、そして運動能力に大きく左右される。しかしそれは一時的なものでしかない。剣道はそんな軽いものではない。継続的な努力しか道はないと思う。道場でいつも話していることは「信念をもって一年間頑張ってみろ!周りに流されず、先生にやらされるのではなく自分から一年間取り組んでみろ。そうすれば必ず変わる。ただ短期間ではダメだ。一年間やりつづけることで稽古の大切さ、気持ちの持ち方の大切さがわかるはずだ。」
運鈍根とあるが私はまず鈍が大切だと思う。鈍と書くと、どんくさいとか鈍いとか、そういう言葉のイメージを持つ方が多いと思うが、この場合は大きな志を持ち、小さな事ではぶれない志を持ち続けるということだ。器用な人は何をやってもそれなりにこなすので、いろんなことに目移りする場合も多いと思う。そして稽古を多少さぼったとしてもある程度の結果を残せるが、鈍いと言われる人は稽古をしないと勝てない、結果が出ないということを知っている。だから自分で手を抜かない。根気よく努力する大切さを知ってるということだ。これが根。そして運、これは私はチャンス、転機、運命的な出会いだと思っている。しかし、努力をしない人間にはチャンスはまわってこない。継続して努力することで技量もあがり、周りもその努力を認めて運が開けるということだ。だから、鈍、根をなしえた人に運が開くと考えている。
人にが引いてくれた道を歩くのではなく自分で道を切り開く気持ち。それを持ち続けることこそが大成する秘訣ではないかと考えている。
剣道を始めてからの数年は身体能力、そして運動能力に大きく左右される。しかしそれは一時的なものでしかない。剣道はそんな軽いものではない。継続的な努力しか道はないと思う。道場でいつも話していることは「信念をもって一年間頑張ってみろ!周りに流されず、先生にやらされるのではなく自分から一年間取り組んでみろ。そうすれば必ず変わる。ただ短期間ではダメだ。一年間やりつづけることで稽古の大切さ、気持ちの持ち方の大切さがわかるはずだ。」
運鈍根とあるが私はまず鈍が大切だと思う。鈍と書くと、どんくさいとか鈍いとか、そういう言葉のイメージを持つ方が多いと思うが、この場合は大きな志を持ち、小さな事ではぶれない志を持ち続けるということだ。器用な人は何をやってもそれなりにこなすので、いろんなことに目移りする場合も多いと思う。そして稽古を多少さぼったとしてもある程度の結果を残せるが、鈍いと言われる人は稽古をしないと勝てない、結果が出ないということを知っている。だから自分で手を抜かない。根気よく努力する大切さを知ってるということだ。これが根。そして運、これは私はチャンス、転機、運命的な出会いだと思っている。しかし、努力をしない人間にはチャンスはまわってこない。継続して努力することで技量もあがり、周りもその努力を認めて運が開けるということだ。だから、鈍、根をなしえた人に運が開くと考えている。
人にが引いてくれた道を歩くのではなく自分で道を切り開く気持ち。それを持ち続けることこそが大成する秘訣ではないかと考えている。
2008年6月12日(木) at 09:18
独行道 / 田中 敦
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独行道 これは剣豪宮本武蔵が残した書である。宮本武蔵の我ことにおいて後悔をせず。 という言葉だが、まさにこのように生きたいと思う。人間どれだけ最善を尽くしたと思っても必ずやああすれば結果は違ったかな?とか、こうしておけばよかったと思うものである。またそうやって過去の過ちを振り返り反省をし次に活かしていかなければ成長しないものだとも思う。
私と師匠の話だが、私は昔は地元では知らない人はいないような不良少年であった。髪を染め、バイクに乗り、喧嘩は日常茶飯事、警察のお世話になることもしばしばだった。そんな私を大きな目で見ていてくれたのが師匠であった。しかしある時、師匠の自宅に呼ばれた。そこで師匠に言われたことがある。それが今の自分を作ってるといっても過言ではない。師匠が話されたこと。まずは剣道家としての心構えだ。「昔の武士は刀を二本差していた。その刀は何のために差していたと思う?」こう問いかけられた。私は「自分の身を守るため」と答えた。師匠は「それも間違いではない。しかし、武士はそんな自分の命を守ることを第一に刀を差していたいたのではない。自分の大事なものを守るために差していたのだ。それは何か?国であり、信義であり、忠義である。大事なものを守るために刀を差していた。その刀を抜くときはその大事なものを守る時だけだ。それがお前はどうだ?自分を見つめてみろ。自分の気分が悪かったら怒る。そして小さなことで相手に手を出す。これが剣道家といえるか?剣道家なら気で相手を封じろ。もめ事になりそうになれば気で相手を押せ。そうすれば相手は引く。もめ事にならずに済む。それが剣道家の喧嘩のやりかただと・・・」そして「田中よ。お前は俺と約束しろ。お前は残りの長い人生で怒ることはあと一回にしろ。しかしその一回は本当に大事なものを守る時だけだ。その時は相手を殺せ。そこまでの怒りを覚えたときにだけだ。約束しろ。」これを約束してから私は自分が怒りを覚えたときも冷静に自分を見つめることができている。15歳で約束してからずっと守っているつもりである。そしてあと一つ「男に生まれたからには後悔するな。思いっきり生きろ。思うように行動しろ。そのかわり人様には迷惑をかけるな。」これも約束した。それからは自分の中でもやもやしていたことがスッキリ晴れた気がした。今も自分の生き方の信念はここにある。剣道も仕事も、すべての事も信念をもってやり遂げたい。
自分と師匠の強い結び付きはここから生まれている。自分の人生の師匠である。剣道の師匠でもあるが、人生というもの、男というものを教えていただいたと思っている。
その教えを指導者となった私が伝えていけるか?これも自分次第だと思っている
私と師匠の話だが、私は昔は地元では知らない人はいないような不良少年であった。髪を染め、バイクに乗り、喧嘩は日常茶飯事、警察のお世話になることもしばしばだった。そんな私を大きな目で見ていてくれたのが師匠であった。しかしある時、師匠の自宅に呼ばれた。そこで師匠に言われたことがある。それが今の自分を作ってるといっても過言ではない。師匠が話されたこと。まずは剣道家としての心構えだ。「昔の武士は刀を二本差していた。その刀は何のために差していたと思う?」こう問いかけられた。私は「自分の身を守るため」と答えた。師匠は「それも間違いではない。しかし、武士はそんな自分の命を守ることを第一に刀を差していたいたのではない。自分の大事なものを守るために差していたのだ。それは何か?国であり、信義であり、忠義である。大事なものを守るために刀を差していた。その刀を抜くときはその大事なものを守る時だけだ。それがお前はどうだ?自分を見つめてみろ。自分の気分が悪かったら怒る。そして小さなことで相手に手を出す。これが剣道家といえるか?剣道家なら気で相手を封じろ。もめ事になりそうになれば気で相手を押せ。そうすれば相手は引く。もめ事にならずに済む。それが剣道家の喧嘩のやりかただと・・・」そして「田中よ。お前は俺と約束しろ。お前は残りの長い人生で怒ることはあと一回にしろ。しかしその一回は本当に大事なものを守る時だけだ。その時は相手を殺せ。そこまでの怒りを覚えたときにだけだ。約束しろ。」これを約束してから私は自分が怒りを覚えたときも冷静に自分を見つめることができている。15歳で約束してからずっと守っているつもりである。そしてあと一つ「男に生まれたからには後悔するな。思いっきり生きろ。思うように行動しろ。そのかわり人様には迷惑をかけるな。」これも約束した。それからは自分の中でもやもやしていたことがスッキリ晴れた気がした。今も自分の生き方の信念はここにある。剣道も仕事も、すべての事も信念をもってやり遂げたい。
自分と師匠の強い結び付きはここから生まれている。自分の人生の師匠である。剣道の師匠でもあるが、人生というもの、男というものを教えていただいたと思っている。
その教えを指導者となった私が伝えていけるか?これも自分次第だと思っている
2008年6月6日(金) at 11:40
精一杯やれているか?? / 田中 敦
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私が指導している子どもたちが今年も日本武道館で行われる全日本少年剣道錬成大会に参加出来るようになった。とても素晴らしいことだと思う。剣道をやっているものでも日本武道館で試合をしたことのある人間などほんの一握りしかいない。私も日本武道館での試合を経験したことはない。このような晴れ舞台に立てる子供たちを羨ましくも思う。
しかし、この全国大会の出場を機に自分の剣道、そして生活を見直し、剣道も人間も一つ大きくなって武道館での試合に挑んでほしい。人間にいろいろな節目があり、その節目でしっかりと頑張れる人間とそうでない人間とでは剣道の技量しかり、人間力でも大きな差がつくことであろう。ひとつの試合を行事のようにとらえるようでは試合から得るものは少ない。一つの試合を目標に稽古に励み、自分の理想とすることろまで自分を引き上げてから試合に挑むことで力がつく、試合をすることでなく過程が大事だと思っている。ひとつの目標に向かって稽古を積むことで大きくステップアップすることであろう。
武道館に行く子供たちにはこう問いかけたい「自分をごまかすことなく精一杯やれているか?自分に甘えてないか?」7月末までの期間、目標に向かって自分に甘えることなく精一杯頑張ってほしいと思う。
私も6月22日に枚方市春季総体に出場する。今年は教え子二人、そしていつも一緒に指導している先生2人と私で出場する。私は中堅のポジションである。剣道を始めてから中堅というポジションで試合をしたことがないので多少とまどいはあるが、楽しんで試合をしてきたい。楽しむといってもそれなりの準備をしていかないと相手に失礼なので、自分なりに稽古に励み、調整して試合に挑みます。
しかし、この全国大会の出場を機に自分の剣道、そして生活を見直し、剣道も人間も一つ大きくなって武道館での試合に挑んでほしい。人間にいろいろな節目があり、その節目でしっかりと頑張れる人間とそうでない人間とでは剣道の技量しかり、人間力でも大きな差がつくことであろう。ひとつの試合を行事のようにとらえるようでは試合から得るものは少ない。一つの試合を目標に稽古に励み、自分の理想とすることろまで自分を引き上げてから試合に挑むことで力がつく、試合をすることでなく過程が大事だと思っている。ひとつの目標に向かって稽古を積むことで大きくステップアップすることであろう。
武道館に行く子供たちにはこう問いかけたい「自分をごまかすことなく精一杯やれているか?自分に甘えてないか?」7月末までの期間、目標に向かって自分に甘えることなく精一杯頑張ってほしいと思う。
私も6月22日に枚方市春季総体に出場する。今年は教え子二人、そしていつも一緒に指導している先生2人と私で出場する。私は中堅のポジションである。剣道を始めてから中堅というポジションで試合をしたことがないので多少とまどいはあるが、楽しんで試合をしてきたい。楽しむといってもそれなりの準備をしていかないと相手に失礼なので、自分なりに稽古に励み、調整して試合に挑みます。
2008年6月5日(木) at 14:50
見えないものの美しさ / 田中 敦
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今日は大阪府道場連盟主催の少年剣道錬成大会でした。私も監督として選手を引率してきました。試合の結果はさておき、7月に行われる全国少年剣道錬成大会の予選も兼ねた大会です。日本武道館で行われる全国少年剣道錬成大会は少年剣士にとって憧れの舞台でもあり、憧れの舞台に向けて懸命に稽古した中身を発揮する場でもありました。剣道協会の子供たちは勝ち負け云々は別として力は出してくれたと思います。そして試合後の涙に本当の悔しさ、そして自分の足らないところを感じてくれたと私は感じました。なのでまだまだ強くなってくれるでしょう。
試合を見ると、どうしても勝ち負け、結果に目がいきますが、それは一時的なものであり、長い時間子供たちと接していると剣道の技量的な成長も感じれるが、人間的な成長も感じることができる。それが試合の時に一番感じれるものである。試合の結果にはあらわれない。そして試合の時だけ子供をみていても感じることのできないものだと思う。私だけではなく、さまざまな指導者、そして保護者が一つの大会でいろいろなものを感じることと思う。そういう意味では今日はよい大会だったと思う。私の監督した中学生チームは武道館までにチーム力をまだまだ高めていってくれるように感じている。私も監督として統率力を磨きたいと思う。
先日、ある書家の方と話をしたのだが、書を見るときにその書を書かれた方の心を書を通じて読み取るのだとお聞きした。心の乱れは書に現れる、稽古してなければそれもわかる。そして書というものを通して無言の会話ができるとお聞きした。非常に剣道にも通ずる点が多いと感じた。そしてその方との話の中で一番興味をひかれたのが、書に現れない空中での筆の動きまでわかるということである。その方は数百年前の書家とその方の書を通じて会話できるのだという。その見えない部分の筆の動きまで会話できるという。その見えないところが面白いし、そこを意識することで書も活きてくるらしい。剣道でも後姿が美しい剣道家は素晴らしいと思う。打突という現象をとらえていろいろなことを言われる先生も多いし、書物もたくさんでているが、打突に至るまでの精神的なプロセスを感じることで尚一層の技量向上につながると思う。
剣道でも同じ、子どもの成長も同じ、見えないところを大事にしていかないと精神的な成長は望めないのかもしれない。そして見えない部分を重要視するのが日本人の心でもあり、美しい心の在り方のように思えた。
私もこの話を聞いて書に取り組んでみようかと思った。まずは真似をすることかた始めなさいと言われたので近いうちに取り組んでみようかと思っている。
試合を見ると、どうしても勝ち負け、結果に目がいきますが、それは一時的なものであり、長い時間子供たちと接していると剣道の技量的な成長も感じれるが、人間的な成長も感じることができる。それが試合の時に一番感じれるものである。試合の結果にはあらわれない。そして試合の時だけ子供をみていても感じることのできないものだと思う。私だけではなく、さまざまな指導者、そして保護者が一つの大会でいろいろなものを感じることと思う。そういう意味では今日はよい大会だったと思う。私の監督した中学生チームは武道館までにチーム力をまだまだ高めていってくれるように感じている。私も監督として統率力を磨きたいと思う。
先日、ある書家の方と話をしたのだが、書を見るときにその書を書かれた方の心を書を通じて読み取るのだとお聞きした。心の乱れは書に現れる、稽古してなければそれもわかる。そして書というものを通して無言の会話ができるとお聞きした。非常に剣道にも通ずる点が多いと感じた。そしてその方との話の中で一番興味をひかれたのが、書に現れない空中での筆の動きまでわかるということである。その方は数百年前の書家とその方の書を通じて会話できるのだという。その見えない部分の筆の動きまで会話できるという。その見えないところが面白いし、そこを意識することで書も活きてくるらしい。剣道でも後姿が美しい剣道家は素晴らしいと思う。打突という現象をとらえていろいろなことを言われる先生も多いし、書物もたくさんでているが、打突に至るまでの精神的なプロセスを感じることで尚一層の技量向上につながると思う。
剣道でも同じ、子どもの成長も同じ、見えないところを大事にしていかないと精神的な成長は望めないのかもしれない。そして見えない部分を重要視するのが日本人の心でもあり、美しい心の在り方のように思えた。
私もこの話を聞いて書に取り組んでみようかと思った。まずは真似をすることかた始めなさいと言われたので近いうちに取り組んでみようかと思っている。

