上方の宵 若旦那のお座敷入門

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宵は華やいで / 若旦那

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若旦那のお座敷入門も、いよいよ最終回となりました。
当初、編集部にご提示いただいた表題は「上方の夜 若旦那のお座敷入門」でしたが、
お願いして「上方の宵 若旦那のお座敷入門」に変えていただきました。

お茶屋が一番、華やぐのは夜ではなく、夕方「宵」の頃です。
今ではお客さまをお迎えする緊張する時間ですが、
記憶をたどってみますと、
明るい幸福な時間という印象があります。

毎日、四時半、時間通りに
「おはようございます」と通いの仲居がやって参ります。
うちそとの明かりをつけ、水をまき、
お客さまを迎える支度を始めるのですが、
明かりがつくと不思議に、家のうちが生き生きと息づきはじめます。
お茶屋で化粧をするのは女たちばかりではありません。
座敷も玄関も、明かりがつくと、
化粧をしたようにはんなり生気を帯びるのが、
不思議でもあり、嬉しくもありました。

やがて板前さんが料理を運び込み、こちらも支度にかかります。
換気扇が回って、蒸し器が湯気を吹き始めます。

そうするうち、
こんばんはぁ、と芸妓さんがやって来ます。

私が子供の頃は連日連夜、二回転三回転は当たり前、
お客さんが座敷に入りきらず、
芸妓さんの出を待つ部屋から、
果ては仏間にお通しすることもありました。

そんなでしたから、
芸妓さんも大勢入っておりまして、
小さい頃の私の楽しみは、
芸妓さんに遊んでもらうことでした。
出を待つ間、一緒にトランプをするんです。
ババ抜きや七並べ。
よく遊んでくれたと思います。

お客さまがお揃いになれば、
お座敷に行かなければなりません。
ぼん、ごめんねぇ。
芸妓さんは札をおいてお座敷へ向かいます。
楽しいのもつかの間、一人減り二人減り、やがて一人残されてトランプを片付けたのは、甘酸っぱい思い出です。

2004年、NHKで先斗町を舞台にしたドラマがありました。
主人公の芸妓さんには子供がいて、
出番の前、舞妓さんや芸妓さんが一時、遊んであげるのですが、
幼いときの自分を目の前に見るようで、
急に胸に込み上げました。

華やかな宵が、黄昏になりませぬよう、
精進していきたいと存じます。

お名残惜しゅうはございますが、
またお目にかかる日まで、
どなたさまも、ごきげんよう。

(おわり)


2004年12月21日(火) at 21:31 / コメント( 4 )/ トラックバック( 0 )
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お茶屋遊び あれこれ / 若旦那

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「お茶屋遊び」というと、とかくお金のかかる贅沢なものと思われているようですが、夜な夜な散財騒ぎを繰り広げている訳ではありません。この頃は昔のような遊びをされる方は少なくなってきました。

お座敷で、どう振る舞っていいか分からない、と緊張される方もいらっしゃいます。畳のないお家で暮らしておられる方も大勢いらっしゃいますから、日本も遠くなりにけりです。

「遊び」というぐらいですから、余裕のあるリラックスした状態でないと楽しめませんし、また楽しむ気にならないでしょう。その点、お茶屋はお馴染みになれば、親身にお世話いたしますし、ご要望に添うよう便宜を図りますので、居心地の良い、くつろげる場であろうと自負しております。

こんなお客さまがいらっしゃいました。
昼でも「たに川」へ立ち寄られると、
必ず「カレーうどん」をご注文になられます。
「カレーうどん」の注文があると、
今日はお見えだな、とわかるぐらいでした。
一度「カレーうどんがお好きですね」とお尋ねしましたら、
会社や人前だと、人がおかしく思う、ここだと人の目がないだろう、
とお答えになりました。
今と比べて、昔は会社の社長といえば威厳がありました。
気さくなお方でしたが、ご自分のポリシーなのでしょう。
えらい人は、そういうものかと思いましたが、
お座敷でカレーうどんをお召しあがりになるのが、
そのお方のほっとする遊びの時間だったのかもしれません。

私どもはお会社のご利用が多うございますので、
派手な散財をされる方といって特にはいらっしゃいませんが、
それでも、伝説のようにお名前を残しておられる方がいらっしゃいます。

そのお方が「『たに川』に十二時に集合!」とおっしゃいますと、
北新地から、京都から、はては福岡からお茶屋の女将さんが芸妓さんを各々二、三人連れて、やって来るんです。もちろん夜の十二時ですよ。
福岡からは板前さんが、ふぐを下げてやってくることもありました。
南の芸妓さんも入りますから、男性一人を芸妓さん十人ほどが取り巻いて、宴会が始まります。

コップになみなみとお酒をついで、「飲むか、飲まなければ芸をせい」とおっしゃり、宴が終わるのは、白々夜が明ける頃。
当時、お燗番をしていた、おばあちゃんがよその女将さんの着崩れを直してあげていたそうです。

遊びは、その方の内面世界に深く関わりますから、ご満足いただきましたら、たいへん喜んでくださいます。
生活様式の変化もありますが、それ以上に遊びにくい世の中になっているかもしれません。とかく管理が行き届いておりますものね。
せいいっぱい遊ぼうじゃありませんか!

画像は「南地名物へらへら踊り」

(つづく)
2004年12月14日(火) at 23:03 / コメント( 2 )/ トラックバック( 0 )
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芸妓さんのカレンダーその参〜夏から秋へ / 若旦那

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七月になりますと、いよいよ天神祭りです。

大小さまざま数多くの船が大川を行き交いますが、一部は横堀川をくだり道頓堀川まで出てまいります。役者さんを乗せた歌舞伎船、文楽の大夫さんや人形遣いを乗せた文楽船、観光客を乗せた屋形船などなど、芸能関係を中心に様々な船がくだって参ります。これらの船は、だんじり囃子を賑やかに打ち鳴らして 進むところから、「どんどこ船」と呼ばれております。この「どんどこ船」に芸妓さんが乗り込みまして、芸妓船が仕立てられることもございます。

私どもの家は川に近いこともありまして、毎年のように見物しております。お囃子の音で船が近づいてきたことが分かります。横堀川をくだってくる間は、川の上を阪神高速が蓋をするように走っておりますから、トンネルのように暗うございます。乗っていらっしゃる方はお酒を飲むばっかりで、道頓堀に出てくる頃には、すっかり出来上がっておられます。

道頓堀に出てまいりますと、ようやく空も見えて、嬉しくてしょうがないんでしょう、伏せておりました幟(のぼり)を立てて、岸や橋に人を見つける度に「大阪締めしましょう!」と呼びかけます。「大阪締め」をご存じですか?

打ちましょう、、
も一つせぇ、、
祝うて三度、、、

船と陸とで大阪締めをしますと、船は「おおきに」と声を残してくだってゆきます。どんどこ船が夜の道頓堀川をくだってゆきますのは、大きな灯籠が流れて行くようで、楽しいですよ。

秋になり十一月になりますと、道修町の「神農さん」がございます。

道修町の少彦名神社の祭礼で、参拝客に福笹を授ける役を、ながらく北と南の芸妓が交代で勤めておりました。裾引きの着物のうえに福娘が着るような薄い上着を羽織り、「おひとつどうです」と売っていたのだとか。

三回にわたり一年の行事をご紹介してまいりましたが、大阪を代表するお祭りには芸妓が深く関わり、大阪の人々に愛され親しまれてきたことが、おわかりいただけるかと思います。
(つづく)
2004年12月7日(火) at 15:53 / コメント( 0 )/ トラックバック( 0 )
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芸妓さんのカレンダー 其の弐〜春 / 若旦那

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二月になりますと、この頃ではあまりしなくなりましたが、節分のお化けがございます。なんでも昔は、この日に仮装をしてお稲荷さんにお参りしたとかで、花街にその風習が残り、この日、芸妓は仮装してお座敷へ向かいます。
私も、年季の入ったお姐さんが舞妓に化けた、えずくるしいお化けを見たことがございます。

春になりますと、京都では祇園の「都おどり」、先斗町の「鴨川おどり」など、芸妓さんの劇場公演が次々行われますが、大阪にもございます。
古くは四花街(北新地、南地、新町、堀江)各々にございまして、春の踊りとして、親しまれておりましたが、大阪万博より四花街合同で公演を持つようになり、名前を「大阪おどり」と改めました。

この頃は、やったり、やらなんだりですが、「大阪おどり」を引き継いで「上方花舞台」が催されています。「上方花舞台」となりましてからは、能狂言、歌舞伎、落語、宝塚といった上方由縁の芸能の方々と芸妓が共演する形をとっております。

私も母に連れられまして、小さい頃から見ております。その頃は、先年、焼失しました道頓堀の中座で行われておりました。
芸妓さんの劇場公演は、京都もそうですが、舞踊劇に続いて出演芸妓の総踊りで終わるのが、だいたい慣例となっております。華やかな催しですが、とりわけこの総踊りは華やかで、照明が落とされて暗くなった舞台に一頻りだんじり囃子が鳴り響きますと、一瞬にして舞台が明るくなります。舞台には黒紋付の裾引きに正装した芸妓が、姿よろしく並んでおります。唄が始まりますと、花道からも芸妓が出て参りまして、花道、本舞台に、ずらりと芸妓が並んで踊る様子は、夢を見ているように華やかで、今でも懐かしく思います。

六月になりますと、御田植がございます。これは住吉大社の御田植神事のことでして、芸妓が、その中心となる役割をつとめます。
住吉へおもむいた芸妓は、まず粉黛式(ふんたいしき)といって、巫女に黛(まゆずみ)と紅を引いてもらいます。実際は、お化粧している上をなぞるだけなのですが、この儀式を通じて芸妓は神の遣いとなります。

神の遣いとなりました芸妓は「植女(うえめ)」と呼ばれ、ラッパを伏せたような形をした笠をかぶります。実際の田植は「替植女(かえうえめ)」と呼ばれる近在の農家の方がなさいますので、芸妓扮する植女は、豊穣を祈願された早苗を神主から受け取り、替植女へと手渡す役をいたします。

田植のなされている間、御田の周りでは武者行列や住吉踊りなど、様々な芸能が披露、奉納されます。また御田の中央には舞台が設けられ、豊作を祈願した神 楽舞を芸妓が奉納いたします。この役を勤める芸妓は、御稔女(みとしめ)と呼ばれ、髪をおすべらかしにして袴をつけ、御所風の扮装をいたします。

この御田植、もともとは新町の行事で、昔は山車を仕立て稚児を従え、はるばる新町から住吉まで練り歩いたそうです。新町のお茶屋は、ちょうど祇園祭のように、店先に床几を出し屏風を並べて、お客さまをお迎えし、行列を御覧いただいていたそうです。現在では南が引き継いで行っております。

画像は「御田植にて植女に扮する芸妓さんたち」です。

(つづく)
2004年11月30日(火) at 15:32 / コメント( 0 )/ トラックバック( 0 )
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芸妓さんのカレンダー 其の壱〜新春 / 若旦那

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芸妓さんがいて、お茶屋さんのある街を花街と申します。集い、遊ぶ中から、様々な文化が生まれ、伝えられて参りました。芸妓さんの装いに続いて花街、南地の一年を、ざっとご紹介しましょう。

新年は、まず十日戎が大きな行事です。
難波の南にある今宮戎神社へ道頓堀の戎橋から、南の芸妓が駕籠(かご)を連ねて参詣したのが始まりで、宝恵駕籠行列と称して二百年以上にわたって続いております。

宝恵駕籠(ほえかご)とは、「ほぃ、ほぃ、ほぃ駕籠ほぃ」という駕籠かきの掛け声に縁起のいい字を当てたものです。

「十日戎」という上方唄がございます。十日戎の縁起物、福笹の「吉兆」をかついで南へ繰り出す様子を唄ったもので、この唄は花街だけでなく、広く大阪の人々に親しまれていたようです。谷崎潤一郎の小説「細雪」に、吉兆に吊り下げられた縁起物は何だったか、この唄を唄って思い出す、という場面 がございます。ご紹介します。

十日戎の売り物は
はぜ袋に取り鉢(とりばち) 銭かます
小判に金箱(かなばこ) 立烏帽子(たてえぼし)
ゆで蓮 才槌(さいづち) たばね熨斗(のし)
お笹をかたげて千鳥足

これは南地のテーマソングのようなもので、大阪おどりのフィナーレにも、よく使われておりました。

また、戎神社で参拝客に福笹を授ける役を、以前は南の芸妓が勤めておりました。芸妓による奉納舞も行われ、経験した芸妓さんに聞きますと、飛んでくるお 賽銭を避けながら舞うのだとか。
十日戎も、現在では広く市民の祭りとなり、芸妓だけでなく、役者さんや野球選手、芸人、福娘なども宝恵駕籠に乗せまして、行列揃えて賑やかに南の街を 練り歩いております。
(つづく)
2004年11月23日(火) at 20:41 / コメント( 2 )/ トラックバック( 0 )
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芸妓さんの装い / 若旦那

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芸妓さんと聞いて、まず思い浮かべるのは、日本髪を高く結い上げて、裾を引いた姿ではないでしょうか?今では、あんな姿を日常的にするのは芸妓さんだけなんですから、思えば花柳界とは不思議なところですね。

舞妓さんは髪を地毛で結いますが、芸妓さんの日本髪はカツラなんです。我々は濁って「かづら」と呼びます。ですから、日本髪、裾引き姿の芸妓さんをお願いする時は、「今日はかづらで」とか「裾引きで」と申します。

それに対して、髪をアップに結って、普通に着物を着つけた(ちょうど画像のような)姿を、「洋髪(ようはつ)」と呼んでおります。日本髪に対する新しい髪の結い方ということで「洋髪」と呼ぶようになったのでしょうが、こちらも古い言い方ですね。

以前は南でも芸妓さんに出て三年間は、雨が降ろうが風が吹こうが、かづらかぶって、裾を引かなければならなかったのですが、今ではそんなことも言うておられず、お正月や宴会で披露する踊りによっては「かずら」ですが、そうでなければ「洋髪」がほとんどです。

洋髪の着物は、一般に女性がお召しになる着物と変わりませんが、裾引きは、今や花街に残るばかりとなりましたので、少しご説明申しましょうか。

もう間もなく、十二月から二月にかけては、二枚重ね(にまいがさね)を着用します。着物を二枚重ねて着るから「二枚重ね」。昔は今のように暖房も発達していませんでしたから、防寒のためもあり着物を重ねて着ていたんですね。

お正月、元旦から松の内の間は、黒紋付の二枚重ねを着ます。一般でいう留袖にあたり、芸妓さんの正装になります。松の内の間は、頭につける挿し物も特別で、白い鳩が稲穂をくわえた形のかんざしと、その年の干支の挿し物をいたします。この鳩のかんざしを「とりこめ」(鳥と米!)と呼んで、新年最初のお客さまや好きな人に朱で目を入れていただく習慣がございます。

そうして三月から五月にかけて、いわゆる袷(あわせ)の着物になります。これを我々の世界では、二枚重ねに対して「一枚着」と呼びます。五月から六月にかけて、単(ひとえ)になります。二枚重ね、一枚着の裾にある「ふき」が、単の着物からなくなります。「ふき」というのは、裾の周縁ぐるり、裏地を表に返して綿を入れた部分のことです。これは裾がきれいに広がるよう重しの役目を果たすのだろうと思われます。

六月から九月までが、絽(ろ)になります。衣更えをいつするか、いつまで守るか、着物をお召しの方は、悩む所だと思います。南では六月に行われる住吉大社の御田植神事がすめば、絽を着てもよいことになっています。
そして再び、九月から単、十月から一枚着になります。

季節にあわせて、頭の挿し物や、着物の柄が変わってゆきます。
芸妓さんって風流でしょ。
(つづく)

2004年11月16日(火) at 14:01 / コメント( 5 )/ トラックバック( 0 )
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芸妓さんのお仕事 その実際は? / 若旦那

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仕事としての芸妓さんについて長々お話ししたものの、芸妓さんのお仕事については、まだ詳しくお話ししていませんでしたね。今日は芸妓さんのお仕事についてお話しいたしましょう。

街によって、しきたりや呼び名が違いますので、私ども大阪、南を例にとって、お話し申します。

芸妓さんは検番という組織に所属しています。お茶屋は芸妓さんが必要な時には、検番に電話して芸妓さんを派遣してもらいます。
芸妓さんの出先は、主に料亭かお茶屋ですが、料亭が芸妓さんを呼ぶときは、お茶屋を通して芸妓さんを呼びます。

これは、そういうしきたりだからといってしまえば、そうなのですが、例えて申しますと、料亭はレストラン、お茶屋はバーかクラブのようなもので、まず職域、領分が違います。また馴染みのお茶屋を通せば、お客さまの好みもわかっておりますので、お客さまの贔屓の、あるいは好みの芸妓さんが入ることはあっても、合わない芸妓さんが入ることは避けられます。

芸妓さんはお座敷の始まる、だいたい三十分前にはお茶屋なり、料亭なりにこしらえをすまして入ります。お客さまがお揃いになったら出番です。お膳をささげもってお客さまの前に置くのは芸妓さんの仕事。お膳が全て並んだら、一礼してビール、お酒を持ち、お客さまの横に控えるように座ります。

食事の給仕は仲居がしますので、芸妓さんはお酌をしたり、お座敷が明るく和やかになるようお話のお相手をします。
お酌ぐらいと思われるかもしれませんが、慣れるまでは難しいんですよ。お客さまのお杯なりコップがあいてしまうことのないよう絶えず気をつけなければいけませんが、つい話に夢中になって気がつかなかったり、タイミングを逸してなかなか注げなかったり。
慣れたお姐さんはお話も上手で、場が和んで盛り上がるよう次々話題をつないでいくので、私どもも安心して任せられます。

そうして、お客さまに求められたら踊りや唄を披露いたしますが、芸妓さんの技芸は専門化されておりまして、踊りを受け持つ「立方(たちかた)」さん、唄やお三味線を受け持つ「地方(じかた)」さんに分かれます。ですから、お座敷で踊りを見るには、芸妓さんを最低二人、立方さんと地方さんの二人を呼ばなければなりません。

お座敷で踊るのは緊張する、と芸妓さんはよく申します。大きな料亭には舞台のあるお部屋もございますが、そうでなければ同じ畳の上で、お客さまの見ている目の前で踊らなければなりません。
お客さまにしてみたら、すぐ目の前で踊ってくれるのですから、まさにプライベートシアター。楽しい踊りなら、楽しい空気が、情趣深い踊りでしたら、その情趣が、お座敷に広がって、同じ空気に浸るのですから、きっと感動されることと思います。

宴が終われば、お見送り。
お名残おしいですけれど、また会う日まで。
どうぞ、お近いうちに。
(つづく)
2004年11月9日(火) at 20:20 / コメント( 1 )/ トラックバック( 0 )
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芸妓さんのお名前は? / 若旦那

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さて、
芸妓さんになりますには、芸名を考えなければいけません。
芸妓さんの名前について、ご存じですか?

芸妓さんの名前ですが、まず「芸名」と申しまして「源氏名」とは申しません。今では水商売一般に広く使われておりますが、「源氏名」というのは、お女郎さんの名前を指していう言葉なんです。

そして、この芸名ですが、
「豆づる」「菊二三(きくふみ)」「小楽(こらく)」など、
お客さまに覚えてもらうよう、耳に残るよう、
縁起のよい、かわいらしい、音や字を当てたものが多うございます。
氏名でいえば、名前だけしかないように思えますが、実は芸妓さんの氏名のようなもので、名前を見れば、どこのお茶屋さんの妓か?だれの妹になるのか?など分かるように出来ているんです。

例えば、私ども「たに川」から出た芸妓さんは名前に「鶴」が入ります。
豆鶴(まめづる)、千鶴(ちづる)、百々鶴(ももづる)、ひな鶴(ひなづる)など。

という訳で、花街の人やお馴染みのお客さまは名前を聞いただけで、たに川さんとこの妓やな、と分かる訳です。

また、誰か先輩の芸妓さんの妹分として芸妓さんに出る場合、先輩の芸妓さんの一字をもらって名前とします。例えば、尚子さんの妹として芸妓さんに出たならば、「尚鈴(なおすず)」「尚ゆき」など「尚」の字をもらいますので、同じように名前を聞くと、尚子さんの妹であることが分かります。

姉になる芸妓は、妹になる芸妓を、なにかと引き立て世話することになります。
この頃では、姉さんなしで芸妓さんに出る人も増えました。昔気質はウエットなんでしょうか?

芸妓さんは女将さんを「おかあさん」と呼び、先輩の芸妓さんを「おねえさん」と呼びます。疑似家族ですね。昔は口減らしに親元を離れて芸妓さんになる人も多かったのですから、その響きは、切実なものだったでしょう。

「たに川」から次に芸妓さんが出るときは「てこ鶴」かなぁ?なんて女将と話しております。(^^)
(つづく)
2004年11月2日(火) at 09:47 / コメント( 5 )/ トラックバック( 0 )
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『Oh, Madame Butterfly!』芸妓さんへ とらばーゆ 其の弐 / 若旦那

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こうしてブログで芸妓さんについてお話しいたしましたら、反響をいただきました。嬉しい驚きです!頂戴しました質問には、適宜お答えすることにしまして、今日は、現代の女性の職業として芸妓さんについてお話ししてみましょうか。

芸妓さんについてお話ししますと、芸妓さんは若くないとなれない、と多くの方が思われていることに驚きます。舞妓さんのイメージが強いのでしょう。芸事やお座敷のイロハを身につけるのですから、若い方がよいことは事実ですが、けっして十代でなければ、ということはございません。母など、やる気があれば、三十代までなら、お引き受けすると、よく申しております。

ただ舞妓さんばっかりは十代のお方しか、なれません。舞妓は、もともと芸妓になる前の少女が勤めるものでした。それに、あの扮装をええ大人がしますと、 えずくるしくなります。現在では法律がありますから、たしか15歳を過ぎないとお座敷には出れないのですが、昔は今より幼い少女が舞妓さんを勤めていたそうです。

一億総モラトリアムなどと言われる時代、十代の少女に一生の仕事を求めるのは難しいかもしれません。京都は舞妓さん制度を守り活かしてこられたから、現在もあれほどの質と量を保っておられるのだと思います。舞妓さんになりたいと門を叩く方は現在でも多くいらっしゃいますが、途中でお辞めになる方も、また数多くいらっしゃいます。

この世界が合わない、修業が辛いと言って辞める分には、あることですし、わかるのですが、気質も時代につれて、今では、舞妓さんになるのが夢でしたから、と芸妓さんにならずに辞める人も多いのだそうです。芸妓になって、これから一人前というところまで育てて、不満があるでもなしに辞められるのですから、置き屋の女将さんの心中を思うと、気の毒な話です。

水商売は若さを売る、買うという一面もございますが、芸妓の世界は、そればっかりではございません。芸妓は芸を売るのが商売。人より秀でた芸さえあれば (芸事に限らず話芸も含めて)定年もありませんから、極端な話、九十を過ぎて、お座敷のかかるお姐さんもいらっしゃいます。芸さえあれば働いていける。女性の仕事が限られていた時代、女たちが生きてきた世界って、すごいなぁと思います。

今の時代、OLをしながら芸妓さんをするのも、一つの仕事のあり方かなぁ、と若旦那は思います。昔のように一晩にお座敷を二つも三つも回るのは当たり前という時代でもなくなってきました。

料亭、お茶屋は日本のおもてなし文化を、柔らかくしなやかに伝えています。一流の料亭、お茶屋ともなれば、しつらえ、調度はさりげなく、それでいて立派ですし、お客さまも、それなりの方がお見えになります。芸妓さんになるということは、そのような場にふさわしい、輝く女性になるよう自分を磨いていくことだと思います。

現在の世界の変動には恐ろしいものがございます。合理化、グローバル化はますます進むのでしょうか?いずれにせよ、Geisha Girl は、いよいよ存在感を増していくことでしょう。だって、世界で一番有名な日本女性は「蝶々さん」なんですもの!

(つづく)

画像は、「若旦那、ちょっと一杯」
ピンカートンでは、ありません!
2004年10月26日(火) at 15:23 / コメント( 4 )/ トラックバック( 0 )
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芸妓さんへ とらばーゆ / 若旦那

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前回に引き続きまして、芸妓さんについてお話しいたしましょう。

見習いさんを経まして、座敷に出るようになる訳ですが、お座敷は舞台と同じくお客さまと一期一会の時間を過ごします。お客さまに「またこの芸妓さんを呼んでみたいなぁ」と思っていただくには、当たり前のことですが、不愉快な思いをさせず満足して帰っていただかなければなりません。本人の向き不向きもありますが、慣れるまでは難しいですし、慣れたら慣れたなりの難しさがございます。
「どれだけ誠実にお客さまに接したか」、私たちの言葉でいえば、「どれだけ座敷を勤めたか」、ということなのでしょう。私もお客さまをお見送りした後、振り返って反省したり、また逆に、満足したり、いろいろです。
その上で、気が利くこと、話し上手、聞き上手であること、身ぎれいであること、などが求められますし、必要になってまいります。

私は商売柄、若い娘さんを見ますと「芸妓さんになってみませんか」と声をかけるのですが、なかなか「なってみたい」と答えてくださる娘さんにお目にかかりません。女性の社会進出が進んで、広く自立して生きていけるようになりましたし、稼ぐという点では、もっと手っ取り早い仕事がいくらもあるのですから、芸妓なんてめんどくさい、と思うのでしょうか。「芸事ができなければいけないから」、「お酒が飲めなければいけないから」、とお答えになる方もいらっしゃいます。

もちろん、できないよりは芸に秀でた方がよいですし、飲めないよりは飲めた方がよいのですけれども、必ずしもそれだけではございません。なによりかより、まず「お客さまに満足して帰っていただく」。このことを大切に思える人でないと残っていかないように思います。

一方で、悲しいことに、世間の方が抱く芸妓像と、実際の芸妓像には、ずれがございます。時代劇で芸妓といえば、お客さまにしなだれかかるようにお酌をして、「あれぇ」と帯を解かれるものですから、芸妓が簡単にお客と寝るように思われているのは、残念でなりません。

地方や店によっては、そのようなことが行われていたことも事実ですが、それをもって芸妓はそういうものと、決めつけていただくのは、一生懸命、稽古に座 敷に励む芸妓がかわいそうですし、私どもも心外です。安易に流れる人は、どの世界にも居られます。芸妓は芸を売るのが商売、娼妓ではございません。

芸妓さんというお仕事は、自身を磨き、高めていくことがお好きな方には向いていると思います。この文を目にされた方で、なりたいと思われた方は、ぜひご一報くださいませ。親身にお世話いたします。(^^)

(つづく)画像は、南地・菊二三(きくふみ)さん。
2004年10月19日(火) at 22:57 / コメント( 11 )/ トラックバック( 0 )
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