上方の宵 若旦那のお座敷入門

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NINAGAWA 十二夜 / 若旦那

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今日は歌舞伎座。
はぁ、何年ぶりかしらん?
木村屋でアンパンとサンドイッチを買って準備オッケー!
さぁ、はじまり、はじまり!!

幕が開くと、舞台全面、鏡。
客席の私たちが映っています。
照明が切りかわると、舞台には満開の枝垂れ桜。

この幕開きが象徴するように、
鏡(ハーフミラー)が随所に効果的に使われています。

「十二夜」は、ややこしい話で、
瓜二つの双子の兄妹が遭難して生き別れ、
身分を隠すため男装した妹は、女性に恋をされたり、
男装しているため、好きな男性に恋を告白できなかったり、
一人の人間が男性と女性の間をくるくると、
それこそ鏡像のように行き来をするのですが、
これを美しく華のある菊之助が演じると、違和感がないのです。

鏡は、
舞台の上の役者と、私たち観客を常に映し出して、
私たちは夢と現実を同時に目にすることになります。
私が見ているのは、夢か?現か?はやくも感覚が麻痺します。

「十二夜」に登場する人物は、多くが、
恋に恍惚としています(←うらやましい!)が、
面白いのは、名前の置きかえ。
オリウ゛ィエは織笛姫、シーザリオは獅子丸、といった具合。
音を残したため、シェークスピアと歌舞伎が二重化されて、
これまた鏡像関係にあるよう。

結局、
もつれた恋の糸もほぐれて、
めでたく大団円!(だってお芝居なんだも〜ん)

画像は、歌舞伎とはなんの関係もなく、
通りかかった東大赤門前にて。
2005年7月18日(月) at 21:47 

このエントリ(記事)へのコメント

良いなー / ケママ

古い日記への書き込みですみません。

この十二夜、本当に本当に観たかったのですが機会に恵まれず諦めました。
その代わり・・といってはなんですが、一番新しい映画版を繰り返し観ています。
繰り返し観ては、「ああ、さぞ面白かったろうなー」と思うので、精神衛生上どうなんだろうと思うのですが・・

ほんの少しでも様子がわかって、ちょっぴり気が済みました。
ありがとうございます。
2005年08月08日(月)   at 23:51

信二郎讃 / 本人マーク(認証コメント)谷川恵 URL

ケママさん、コメントありがとうございます。
どうぞ遠慮なく。

幕があいて、
前述の鏡そして満開の桜に目を奪われていると、
花道から供をつれて、
信二郎扮する大篠左大臣(原作のオーシーノー!)が登場するのですが、
信二郎さん、美しい〜!!

恋に目を潤ませ、
想いに憂えているのですが、
恋する人間の美しさを示すと同時に、
これから始まる物語を示唆していて、
見事でした!
2005年08月09日(火)   at 15:01

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NINAGAWA 十二夜 / ようこそ劇場へ!

数多いシェイクスピアの作品の中でもとりわけ大好きな喜劇『十二夜』が、蜷川幸雄の歌舞伎初演出で、歌舞伎の殿堂で見事にしかも美しく花開いた。
嵐で難破した双子の兄妹のうち、妹のヴァイオラが男装したことで様々な取り違えが生じてくるのだが、歌舞伎では女形という既に存在する虚構があって、更にひとひねり加わることになる。シェイクスピアの時代の演劇では女形があったわけだから、決して奇異なことではなくて、オリジナルへの回帰とも言えるところが面白い。
今回の歌舞伎座公演では小田島雄志のダジャレ満載の翻訳を基に、今井豊茂が脚本を担当している。
時代設定は南北朝時代。登場人物の名前も、全て元の役名の「音」から逸脱しない程度に改名されている。
例えばヴァイオラ=琵琶姫(尾上菊之助)で、男装してシザーリオ=獅子丸(菊之助)となって仕える先がオーシーノ公爵=大篠左大臣(中村信二郎)。キューピッドの使者を男と勘違いして好きになるのがオリヴィア=織笛姫(中村時蔵)という風になる。
道化のフェステ=捨助(尾上菊五郎)もなかなか良い改名だ。
勿論、時代と名前の他に中身も歌舞伎の要素はふんだんに入っており、なかなか素敵な翻案で楽しめる。

幕が引かれると、舞台前面に張られた鏡に客席が映っている。蜷川らしい度肝を抜く演出である。驚くのはまだ早く、次の瞬間には咲き乱れる満開の桜が浮かび上がる。そこではチェンバロ演奏で三人の男の子が歌っている。音楽はエリザベス朝のメロディー(音楽=笠松泰洋)。美しく奇想に満ちた開幕であった。
次の場は嵐の海上。風雨を表わす太鼓の音に合わせて、舞台奥から大きな船が登場するスペクタクルな場面へと移行してゆく(装置=金井勇一郎)。
場面転換の多いシェイクスピア劇だが、回り舞台と鏡を多用した3幕18場、4時間半の長丁場である。歌舞伎調のセリフのテンポでは致し方ないことか?
また、通常の歌舞伎公演と異なり客電が消されるため、舞台照明が重要になるが、蜷川作品で数々のマジックを見せてきた原田保の腕が光る。

今回最大の収穫は、歌舞伎の奥の深さと歌舞伎役者の底力を思い知ったことである。
通常の歌舞伎公演の稽古が数日というのも驚きだが、今回の膨大なセリフ量のシェイクスピアでもたったの10日とのこと。ヒェ〜!である。
しかも、マイク無しで口跡明瞭。現代語訳のシェイクスピア劇より、よほど聴き取りやすいというこの不思議。恐るべし歌舞伎役者!

その一、菊之助。『十二夜』で、双子の兄妹の両方を同一俳優が演じるのを観たのは初めてである。それに勿論、偽装の男装があるので実質3役である。
早替りも鮮やか!そして、姿が上品で声が良い。男装していることをふと忘れ、娘心の微妙な綾を、自由に行きつ戻りつする錯綜感は一種快感でもあった。
兄と再会する場面でのソックリさん登場は致し方なく、ご愛嬌ということにしておこう。
その二、菊五郎。今回は道化の捨助(=フェステ)と丸尾坊太夫(=マルヴォーリオ)という、これまた通常は別々の俳優が演じる正反対の役柄を早替りで見せてくれる。ダジャレ合戦など軽妙な語り口は絶品。
その三、中村時蔵。その気品と美しさ。
その四、尾上松緑。歌舞伎界の御曹司がここまでやるか、というくらい奇天烈なメイキャップと衣装の可笑しさ。
その五、市川亀治郎。コミック・グループ唯一の女性で、頼りない男どもを引っ張る賢くてお茶目な麻阿(=マライア)の存在感。
等など・・・取り上げればキリがない。

こんなに違和感のないシェイクスピアなら海外公演もOKだなと感じたのは、私だけではないはずだ。あの大掛かりなセットでは難しいかなあ〜?
歌舞伎の奥の深さを再認識すると同時に、宝塚歌劇は何故こんな最適な題材を放っておくのだろうか?という疑問も生まれる。『ベルサイユのばら』と同じく男装の女性がヒロインである。ハッピー・エンディングの祝祭ムードいっぱいのミュージカルに、是非とも木村信司あたりが脚色してくれないものか。

伝統の重みに串田和美、野田秀樹などの新しい血を吹き込み、今回は満を期しての蜷川投入で懐の深さを見せた歌舞伎。
ハマッテしまいそうな予感が・・・。
(2005-7-27 歌舞伎座にて butler)
2005年08月18日(木)   at 20:12