芸妓さんのカレンダー 其の弐〜春 / 若旦那
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二月になりますと、この頃ではあまりしなくなりましたが、節分のお化けがございます。なんでも昔は、この日に仮装をしてお稲荷さんにお参りしたとかで、花街にその風習が残り、この日、芸妓は仮装してお座敷へ向かいます。
私も、年季の入ったお姐さんが舞妓に化けた、えずくるしいお化けを見たことがございます。
春になりますと、京都では祇園の「都おどり」、先斗町の「鴨川おどり」など、芸妓さんの劇場公演が次々行われますが、大阪にもございます。
古くは四花街(北新地、南地、新町、堀江)各々にございまして、春の踊りとして、親しまれておりましたが、大阪万博より四花街合同で公演を持つようになり、名前を「大阪おどり」と改めました。
この頃は、やったり、やらなんだりですが、「大阪おどり」を引き継いで「上方花舞台」が催されています。「上方花舞台」となりましてからは、能狂言、歌舞伎、落語、宝塚といった上方由縁の芸能の方々と芸妓が共演する形をとっております。
私も母に連れられまして、小さい頃から見ております。その頃は、先年、焼失しました道頓堀の中座で行われておりました。
芸妓さんの劇場公演は、京都もそうですが、舞踊劇に続いて出演芸妓の総踊りで終わるのが、だいたい慣例となっております。華やかな催しですが、とりわけこの総踊りは華やかで、照明が落とされて暗くなった舞台に一頻りだんじり囃子が鳴り響きますと、一瞬にして舞台が明るくなります。舞台には黒紋付の裾引きに正装した芸妓が、姿よろしく並んでおります。唄が始まりますと、花道からも芸妓が出て参りまして、花道、本舞台に、ずらりと芸妓が並んで踊る様子は、夢を見ているように華やかで、今でも懐かしく思います。
六月になりますと、御田植がございます。これは住吉大社の御田植神事のことでして、芸妓が、その中心となる役割をつとめます。
住吉へおもむいた芸妓は、まず粉黛式(ふんたいしき)といって、巫女に黛(まゆずみ)と紅を引いてもらいます。実際は、お化粧している上をなぞるだけなのですが、この儀式を通じて芸妓は神の遣いとなります。
神の遣いとなりました芸妓は「植女(うえめ)」と呼ばれ、ラッパを伏せたような形をした笠をかぶります。実際の田植は「替植女(かえうえめ)」と呼ばれる近在の農家の方がなさいますので、芸妓扮する植女は、豊穣を祈願された早苗を神主から受け取り、替植女へと手渡す役をいたします。
田植のなされている間、御田の周りでは武者行列や住吉踊りなど、様々な芸能が披露、奉納されます。また御田の中央には舞台が設けられ、豊作を祈願した神 楽舞を芸妓が奉納いたします。この役を勤める芸妓は、御稔女(みとしめ)と呼ばれ、髪をおすべらかしにして袴をつけ、御所風の扮装をいたします。
この御田植、もともとは新町の行事で、昔は山車を仕立て稚児を従え、はるばる新町から住吉まで練り歩いたそうです。新町のお茶屋は、ちょうど祇園祭のように、店先に床几を出し屏風を並べて、お客さまをお迎えし、行列を御覧いただいていたそうです。現在では南が引き継いで行っております。
画像は「御田植にて植女に扮する芸妓さんたち」です。
(つづく)
2004年11月30日(火) at 15:32 / コメント( 0 )/ トラックバック( 0 )
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