「扉を開けて、ミスター・グリーン」 / 村をんな
ニュース・芸能 > ストレートプレイ
観劇日…2003年4月26日
劇場…新神戸オリエンタル劇場
労演の代表者よりの突然の動員がかかり見に行ってきました。
ストーリーは、道に突然飛び出してきた老人を車で引きそうになった為に、裁判官から週に一度その老人の家に行って世話をするように命じられた青年。
老人の名はグリーンで、ロシア系ユダヤ人。ロシアでユダヤ人の虐殺事件が起きたとき、難を逃れるために両親とアメリカに移民してきたのです。グリーンは厳格なユダヤ教徒で、食べるものもユダヤ教のお払いを済ませた物しか口にせず、お皿も食品によって4種類も揃えているくらいだったのです。
グリーンの妻は何年か前に亡くなり、家の掃除や食事などの家事がほとんどできない昔人間でした。
初めグリーンは青年ガーディナーに対して、堅く心を閉ざしていたのですが、ガーディナーもロシア系のユダヤ人であることを知り、徐々に心を許していくようになりました。ガーディナーの親は高級弁護士で彼自身ハーバードを卒業し、世界的に有名なクレジット会社に勤めるエリートでした。
グリーンから見ると何不自由ない青年だったのですが、ガーディナーは自分がゲイであることをカミングアウトします。厳格なユダヤ教徒であるグリーンにとって、ユダヤ人のガーディナーがゲイであることは許されることではありませんでした。
グリーンは妻が亡くなってから一人暮らしだったのですが、娘が一人いたことを黙っていました。宝物のように可愛がっていた娘が、異教徒と結婚して出ていってしまったからです。異教徒と結婚することもユダヤ教徒にとっては許されることではなく死と同然とされるのです。グリーンは妻と共に娘の喪にまで服していたのでした。
厳格なユダヤ教徒とゲイ、二人はお互いの生き方を理解できず批判し傷つけあってしまいます。しかし反発しあうことでお互いが似たもの同士であったことに気づきます。そしてグリーンは娘と会うことに、ガーディナーはゲイであることに少しずつ自信を持つことができるようになっていきます。
あらすじが長くなってしまいましたが、チラシの裏に書かれていたあらすじがぬる〜い感じでとてもじゃないですがこの芝居の見所は描けてないように思えました。
アメリカ社会の中でさえ、ユダヤ人として生きていくこと・ゲイとして生きていくことの厳しさ、厳しさ故に意固地になって自分の殻に閉じこもってしまう人間の弱さ、世代間のすれ違い。アメリカ社会の持つ複雑さを垣間見ることができたと思います。
ですからちゃんとしたあらすじが書きたくなってしまいました。
折角手錬れの役者が二人、丁々発止とやり合っていい舞台を創り上げているのに、ぬる〜いあらすじで損をするのはもったいないでは有りませんか。
劇場…新神戸オリエンタル劇場
労演の代表者よりの突然の動員がかかり見に行ってきました。
ストーリーは、道に突然飛び出してきた老人を車で引きそうになった為に、裁判官から週に一度その老人の家に行って世話をするように命じられた青年。
老人の名はグリーンで、ロシア系ユダヤ人。ロシアでユダヤ人の虐殺事件が起きたとき、難を逃れるために両親とアメリカに移民してきたのです。グリーンは厳格なユダヤ教徒で、食べるものもユダヤ教のお払いを済ませた物しか口にせず、お皿も食品によって4種類も揃えているくらいだったのです。
グリーンの妻は何年か前に亡くなり、家の掃除や食事などの家事がほとんどできない昔人間でした。
初めグリーンは青年ガーディナーに対して、堅く心を閉ざしていたのですが、ガーディナーもロシア系のユダヤ人であることを知り、徐々に心を許していくようになりました。ガーディナーの親は高級弁護士で彼自身ハーバードを卒業し、世界的に有名なクレジット会社に勤めるエリートでした。
グリーンから見ると何不自由ない青年だったのですが、ガーディナーは自分がゲイであることをカミングアウトします。厳格なユダヤ教徒であるグリーンにとって、ユダヤ人のガーディナーがゲイであることは許されることではありませんでした。
グリーンは妻が亡くなってから一人暮らしだったのですが、娘が一人いたことを黙っていました。宝物のように可愛がっていた娘が、異教徒と結婚して出ていってしまったからです。異教徒と結婚することもユダヤ教徒にとっては許されることではなく死と同然とされるのです。グリーンは妻と共に娘の喪にまで服していたのでした。
厳格なユダヤ教徒とゲイ、二人はお互いの生き方を理解できず批判し傷つけあってしまいます。しかし反発しあうことでお互いが似たもの同士であったことに気づきます。そしてグリーンは娘と会うことに、ガーディナーはゲイであることに少しずつ自信を持つことができるようになっていきます。
あらすじが長くなってしまいましたが、チラシの裏に書かれていたあらすじがぬる〜い感じでとてもじゃないですがこの芝居の見所は描けてないように思えました。
アメリカ社会の中でさえ、ユダヤ人として生きていくこと・ゲイとして生きていくことの厳しさ、厳しさ故に意固地になって自分の殻に閉じこもってしまう人間の弱さ、世代間のすれ違い。アメリカ社会の持つ複雑さを垣間見ることができたと思います。
ですからちゃんとしたあらすじが書きたくなってしまいました。
折角手錬れの役者が二人、丁々発止とやり合っていい舞台を創り上げているのに、ぬる〜いあらすじで損をするのはもったいないでは有りませんか。
2005年11月14日(月) at 20:56 / コメント( 0 )/ トラックバック( 0 )
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