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「曲がり角のむこうには」 / 村をんな

ニュース・芸能 > ストレートプレイ
観劇日…2004年5月9日
劇場…新神戸オリエンタル劇場


 この芝居に出てくるのは3組の夫婦です。
 作家で文学賞を受賞するなど仕事の波に乗っているトムと女性の目から見てもコケティッシュな魅力のあるイヴ夫婦。
 フリーライター(だと思う)のダンとドキュメンタリー映画プロデューサーのジェーン夫婦。
 不動産業者のハリーと料理研究家でテレビにも出演したり本を出版しているヘニー夫婦。
 ある日、トムの文学賞受賞を祝って、ディナーパーティーをトムの家で開くことになったのです。招待客の中のハリー・ヘニー夫婦は7ヶ月前に自宅を火災で失って後、みんなの前から姿を消していたのでした。
 久しぶりに顔を出したハリー・ヘニー夫婦は失踪する前の事件について語りだします。彼らがあるパーティーの後、車で帰る途中突然道に飛び出してきた動物を避けようとしてハンドルを切り損ない道端の樹にぶつかって危うく命を落としそうになっていたのです。その後なんとか家に戻ってくると、火事で二人が築いてきたもの全てが炎の中で燃えてしまっているところでした。
 仕方なく二人は安ホテルに泊まり、数日後に高級ホテルのスイートルームに場所を移して以後、7ヶ月誰にも会うことなく暮らしてきたというのでした。
 初めは無事な二人に喜んでいたのですが、二人の浮き世離れした言動に段々周りの人間はいらいらし始め、ついにそれぞれがお互いの人間性を暴き始め、セレブで幸せそうに見えたカップルが崩壊していくという話でした。

 この芝居を書いたジョアンナ・マレー=スミスという作家は男性を二種類に分けて、名誉欲に動かされる男と性欲に動かされる男がいると考えているのではないかと思いました。
 名誉欲に取り付かれているトムは仕事が順調な分、気むずかしくて扱いにくい娘の子育てを妻に押しつけてしまい逃げている。
 性欲に振り回されているダンはトムの妻にご執心でなんとかものにしたいと狙っている。
 こういう男達のエゴイズムをあぶり出すために、まるで何かの新興宗教にでもマインドコントロールされているよう見えるハリーとヘニーという無欲な二人を配してきたのではないでしょうか。この無欲な二人に刺激されてイヴは夫のエゴイズムに気がつき、夫を非難し始める。夫はその非難をかわすように、ジェーンのプロデュースしようとしている映画を批判する。ジェーンはイヴの魅力と夫が自分に興味を失いイヴのことだけを思い続けている事に寂しさを募らせていることを打ち明ける。ダンはイヴへの思いを告白し、トムは仕事に対して意欲を持ってなさそうなダンを内心バカにしていたのに実は自分の妻を狙っていたことに愕然とさせられる。
 このように内面を暴かれた4人の姿を通して、人間の弱さや愚かさを描いたこの作品、見終わった後で感想をまとめている内に面白さがじわじわと湧き上がってくる感じがしています。芝居を見ている最中には、ハリーとヘニー夫婦が周りから浮き上がっている姿を見て、偶然重なった事故から絶対的なものに生かされている命という宗教的啓示を受け止めてしまった二人が説明しようにも説明できないもどかしさに、こういう体験というものは言葉では言い表せないものだからねぇと同情しつつ、痒いところに手の届かない気にさせられていました。
 原題の「RAPTURE」は狂気・忘我・恍惚・有頂天・歓喜というような意味を持っています。まさしくハリーとヘニーはそういう精神状態を演じているのですが、これをもう少し仏教用語的に考えると煩悩から解き放たれた状態つまり涅槃とか無我というものかと思うのです。それを「曲がり角の向こうには」という邦題にしてしまっているのですが、涅槃や無我とは精神的な曲がり角の向こうに存在するものなのでしょうか。どうも少し違うのではないかという気がしてなりません。演出家・翻訳者ともに邦題のつけ方に苦労されたらしいのですが、微妙な違和感が残ってしまいました。

2005年11月30日(水) at 20:46