PEN WORLD / nanikure
STATIONERY magazine004 / nanikure
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えい出版のエイムック1533「STATIONERY magazine004」を求めた。一見すると、この種のムック本の特徴である製品カタログの寄せ集めのようであるが、今号は「今使いたい文房具」「今流行っている文房具」「今買いたい文房具」を総覧的にうまく編集されている。マルマンのニーモシネ開発秘話などは、私自身が最近気に入って使っているメモだけに、興味深く読むことができた。ところで、あえて万年筆を取り上げてないのは「趣味の文具箱」との差別化を図るためであろが、「ステーショナリーマガジン」と銘打っているのだから、せめて、低価格帯のものでも(例えばセーラーのA.S.マンハッタナーズ 万年筆など)紹介すればなどと思ってしまうのである。
2008年5月21日(水) at 21:47
日経おとなのOFF / nanikure
Collectible FOUNTAIN PEN / nanikure
世界の万年筆 / nanikure
おやじの値段 / nanikure
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表題のエッセイは、古本屋の店主とその古本屋で自身の父親が著した自費出版の短編集を発見した客との遣り取りをつづったものである。
大きな借金をこしらえて自費出版をして悦に入るおやじに対して、その横でひもじい思いをする子どもたち。いつしか、その子も、おやじが亡くなった歳になったとき、ふと、とある古本屋でおやじの残した短編集に出会う。そして、その本を取り上げ、おやじを偲びしみじみと感慨にふけるという。当時は恨んでいたであろうに。さて、おやじが残した短編集の値段はいくらの値がついていたか、このエッセーの主題が、その値付けにある。
ところで、おやじの値段に一律の「基準」はなかろう。そこには、おやじと呼ぶ人にとっての、おやじに対する思いが「基準」ということである。それでも、「基」でなく「規」の方の「規準」となるものは、一般論として例示できそうである。その一・・・、その二・・・と。
2007年5月22日(火) at 23:16
「文明論之概略」を読む / nanikure
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今日は王子競技場のスタンドからアメリカンフトボールを観戦した。甲南大と学習院大の定期戦で、同僚の子息が甲南大の部員と言うことでチケットを手配してくれたので応援に行った。その彼も出場時間こそわずかであったが、しっかり仕事をこなしていた。これからの活躍に期待したい。
それにしても、学生達を見ていると、本当にすがすがしい気持ちにさせられる。同時に、自分自身が学生だった頃の思い出がよみがえってくる。
しかし、「あの頃は」などと感慨にふけっているようでは「おじさんの戯れ言」と言われてしまいそうだ。
それでも、つい「どうも最近は」などと口に出てしまうのはなぜだろうか。世の中のものすべてがギクシャクして来ているなかで、ここは一つ、近代日本の原点に立ち戻り考えて直して見てみても良いのではないか。一つのヒントとして、まずは名著「日本の思想」を著した丸山真男の「文明論之概略を読む」(岩波新書)から福沢諭吉の思想にふれてみてはどうだろうか。
2007年4月29日(日) at 23:17
紳士の文房具 / nanikure
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この本の「シャープペンシル」の章で板坂元氏は、もっとシャープペンシルにもこだわっても良いのではないかという趣旨のことを述べられておられる。確かに、小学生の頃に、繰り出し式のシャープペンシルを買ってもらって以来、今日に至るまで、毎日使わない日はない程の身近なものである。にもかかわらず、いやそれだからこそ、必然的に実用品として信頼できるものが一番であるという考えが先行し、つい実用一辺倒のものを選択してしまう。
確かに、デスクワークでは実用品で十分なのかも知れないが、毎日使うものだからこそ、万年筆と同様のこだわりをシャープペンシルにも持って良いかもと思う。
2007年1月31日(水) at 21:06
六甲山心中 / nanikure
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震災から12年が経った。
少女は笑顔で挨拶を返してくれていた。年が明けてもうすぐ高校3年生になるところだった。穏やかな立ち居振る舞いは時折見せる若い娘らしい伸びやかな姿とうまくとけあい、まさに青春を謳歌するといった具合に活き活きとしていた。「もしも」という言葉は悲しみを増すだけで、残されたものが使っても、まったく無意味なものであるが、「もしも」地震がなければ、彼女にはどんな素敵な出会いがあったろうか。どんなに素晴らしい人生が用意されていただろうか。
生きていくことの意味を問うとき、陳舜臣の「六甲山心中」を読む。貧しい若い男女が心中をするために六甲山中を彷徨ううちに、ある事件に遭遇し殺されそうになる。が、すんでのところで命拾いする。そして、二人で精一杯生きていこうと心に誓う話である。
2007年1月18日(木) at 22:46
マンボウおもちゃ箱 / nanikure
鼠 鈴木商店焼討ち事件 / nanikure
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昨今新聞を読むと、企業買収やM&Aの記事が踊り、いつの間にやら「○○ホールディングス」という会社も随分と増えた。そういえば、株価が低迷していた阪神電鉄が村上ファンドによる敵対的買収のターゲットとなった。結果的には友好的TOBを行った阪急ホールディングスと一緒になり「阪急阪神ホールディングス」になったのではあるが、神戸に住む私にとっては時代の流れを如実に感じさせられた。
さて、時は大正時代にさかのぼる。神戸には「鈴木商店」という大きな総合商社があり、全盛期の1920年には当時の我が国のGNPの10%にあたる16億円を売り上げたそうだ。ちなみに我が国の2005年度の実質GDPが538.9兆円で、現在の日本の経済力をもって単純に比較することはできないがGNPの10%は結構な数字にちがいない。はじめは一介の個人貿易の商店にすぎなかった「鈴木商店」も、M&Aを繰り返すことで従業員数3000人を抱える巨大企業に成長していった。しかし、第一次世界大戦の株価の下落や古い経営手法(三井物産や三菱商事のように系列銀行を持たなかったなど)により1927年には 事業停止・清算に追い込まれ倒産した。、それでも今は神戸製鋼、帝人、石川島播磨工業、双日(旧日商岩井)、昭和シェル石油、ダイセル化学工業(もとフジフィルムの親会社)などは「鈴木商店」の分身として大企業に成長している。
ところで、この「鈴木商店」の成長と衰亡の鍵を握っていたのが番頭(現在のCEO最高経営責任者に近い存在か)の金子直吉という人物であった。城山三郎は、この金子直吉を主人公とした『鼠(ねずみ)−鈴木商店焼打ち事件−』というノンフィクション小説を書いている。この小説は、折しも大正7年8月、小麦の買い付けで売り上げが急拡大した鈴木商店が、米を買い占めているというデマから暴徒化した市民によって、本社屋を焼き打ちされた神戸の米騒動事件を中心に描いており、鈴木商店の栄枯盛衰を緻密な取材と考察、精緻な筆致で見事に浮き上がらせている。冒頭筆者は「歴史は、裁断好き。」と書いているように、歴史はともすれば一側面から見たものがすべてのように語られがちだが、実際には別の真実があるといっている。つまり、ここでは、鈴木商店=米の買い占め=悪徳企業という刷り込みからステレオタイプな事態が生じたという事例である。
いつもこの本を読むと、思い込みの延長線上に偏見や差別が隠れているから気をつけようという戒めを受ける。
2006年12月17日(日) at 23:33
太陽1992年6月号 / nanikure
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先日ちょいとした話の中で、埴谷雄高が話題に上った。早速自宅の書架をひっくり返したところ、雑誌「太陽」1992年6月号の埴谷雄高特集号が出てきた。ページをペラペラめくっていて目に付いたのが『死霊』9章の原稿とその横に置かれた万年筆の写真である。モンブランのインクにマイスターシュティック、その横にはペリカンのスーベレーンが写っている。ペリカンは胴軸にペン先の太さを表すシールが張り付いたままのようである。また、原稿の方に目をやると一旦万年筆で記したうえで、後の訂正(校正)は鉛筆のようである。机上の乱雑さと原稿用紙の整った記述のギャップが面白い。
ちなみに雑誌に重ねているのは、講談社から1976年に発行された単行本の『死霊』である。これは丁度私が高校生ぐらいの頃に求めたものである。小林秀雄や吉本隆明などとともに、埴谷雄高が読みこなせれば一人前などと気取って「形而上学とは、存在論とは等々」と何も分からずに口走っていたことを思い出す。
2006年11月24日(金) at 23:16
あの人の手帳が見たい / nanikure
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手帳の季節も盛りと見えて、ロフトやハンズの手帳売り場、ナガサワの店舗前のワゴンには女性を中心に若い人が来年の手帳選びに余念がない。
売り場では、時間管理から趣味の領域や人生設計まで、果ては「この手帳で夢を叶えよう」などと提案されたり、思わず影響されそうになる。
ちなみに、この本は30人の30通りの手帳術が紹介されている。それぞれに必要から編み出された使い方なのだろうから、やはり個性が出るものと感心させられる。
ところで、今私の一番の問題は、メモを内容ごとにどう振り分けるのが効率的か、どうすれば一元化または分類できるかと言うことだ。つまり仕事でも私用でも思いついた雑記、備忘録にロディアが書きやすいので、ついこれに頼って後の整理を考えずに書いてしまう。メモの達人さんのものを参考に覗いてみたいものだ。
2006年10月20日(金) at 23:59
舟橋聖一「木石」 / nanikure
スーパー書斎の道具術 / nanikure
光文社新書から / nanikure
板坂 元 / nanikure
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20代の若者ならいざ知らず、40歳を越えて「男の作法」もないだろうと思われる向きもあろうか。当然ファッションスタイル、ライフスタイルも確立していて当たり前の年齢だが、これが意外に難しい。一頃、お上主導による「省エネルック」なる奇怪な服装が話題になったが、今年またぞろ「クールビズ」という装いがお上主導で行われている。ビジネスではワイシャツにネクタイを締めないでいると、Vゾーンが締まり悪く、どこから見ても奇妙である。ネクタイを締めたくないという人が自分のスタイルとして締めないのは理解できるが、横並びで「クールビズ」の大合唱は首を傾げる。ちなみに、暇つぶしに「男の作法」の類を読むのは、自身のスタイルにブレがないか確認するためといって良いかもしれない。



出先からの帰りに古本屋に立ち寄った。高校生の頃、よく読んだ「マンボウ」シリーズが目に留まり、『マンボウおもちゃ箱』を手に取りページをめくった。そこには「男の買い物、女の買い物」と題され、愛用の万年筆について触れられていた。シンガポールで購入したパーカーが気に入って5年間で数千枚の原稿用紙にペン先がすりへるまで使ったとある。ペン先がすり減るまでとは、さすが物書きだな思う一方で、1960頃に購入されたパーカーの型番は何だったのかと興味は別の方に向く。やはり51か?

光文社新書の「職人技を見て歩く」から、第9話「万年筆の伝道師」には、「万年筆は心を伝える道具になっていきます」「画一化が進む世の中がすこしは楽しくなる」とある。まさに的を射た言葉で、だから万年筆のみならず、いつもささやかな筆記具というモノにこだわるのでしょう。たとえ悪筆であったとしても。
タイトルに惹かれて買ってみたところ、
