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あの「騒音おばさん」をスカウトする? / パーソナリティ・チアラ

社会・政治 > 龍馬の船中八策


ガソリンや電気、ガス、食品など品目数にすれば、2400品目が値上げなんだとか。
いや、まあ、凄まじいばかりの値上げラッシュだ。にもかかわらず、庶民からは「反対」の声も挙らず沈黙しきったままである。ちょっと可笑しくはないか? ニッポン人。このままでいいのか?

お隣の韓国では、米産牛肉の輸入解禁・BSE問題等で学生や市民のデモが韓国大統領の支持率を急降下させている、というのに。もちろん、経済的手腕はほぼゼロというのが露呈したという背景はあるのだが、それにしても韓国民は声を挙げた。
日々のニュースでは年金、後期医療費負担、値上げラシュにも係らず、ニッポン人は声すら挙げないというのを見透かしたように、次から次へと政府の庶民イジメ、高齢者イジメには際限がない。
いつぞや逮捕されてしまったけれど、奈良の「騒音おばさん」が懐かしい。詳細はムービークリップをリンクしておくので興味のある方はどうぞ。
こんな騒音おばさんこそ、いま、人材活用するべきではないか、と言ったらお叱りを受けそうだが、この騒音おばさんを先頭に国会議事堂前や赤坂の衆議院宿舎前を片手にフトンたたき、もう一方に座布団やら鍋を持って叩きながら歩いてみてはいかがだろうか。ちょっと過激だが「宿舎出ていけ、年金返せ!」(パンパン:叩く音)とか「後期は廃案、道路はやめろ!」(パンパン)とかなんとか…。まあ、なんかしないとねえ。このままやられっぱなしではねえ。そう思いませんか?
いまは、高齢者も若い人も「死に急ぐ時代」というのは寂しいですね。どうせなら、デモの一つや二つやって、歩けば健康・健脚、腹式呼吸で大声出せばメタボもなくなる、パンパン叩けば握力、腕力も強くなる。そうすれば自ずと医者に掛かる必要もない。掛かりつけの医者にペコペコする必要なんざ、おまへんがな。ま、多少は腹減りまんな。そりゃ、健康の証拠。

というわけで、とんと最近見なくなった「意地悪ばあさん」の活用法など考えてみると面白いですよ。ニッポンのお国(アホ議員やアホ役人)のように経済面だけで、机上の数字合わせだけで考えれば、そりゃ、高齢者は早く死んで欲しいとなるが、一方、文化的に考えれば「おばあちゃん(おばちゃん)の知恵」も隣近所との「コミュニケーション能力」もあるわけで、幼稚園や学校の送り迎えに、おじいちゃん、おばあちゃんを活用すればよい。もちろん、家の前などには昔ながらの縁台を出して高齢者がたむろしておればよい。そうすれば、昨今の子供に対する犯罪も減るだろう。また地域の犯罪も減るだろう。携帯やランドセル、カバンにGPSを付けるよりは随分よい。
ただし、それに見合った料金を国や市町村が支払うことだ。ボランティアだなんてアホらしいことはやってられない。ボランティアなんて考えは金輪際、ドブに捨てようではないか。年金や後期医療で取るなら取れ、ジャンジャン取ればよろしい。しかし、地域を守る、子供を犯罪から守る、こちらはこちらで、ジャンジャン料金を貰って当たり前。地域の高齢者の収入とするのだ。
そのためにも、もうそろそろ、国に向けてもの申す時期が来ているのではないか。フトンたたき片手に「騒音おばさん」になってみるのもいいかも知れない?



●奈良の騒音おばさんムービークリップ




2008年5月8日(木) at 21:33 

心斎橋と新世界の違いは「二度……」。 / パーソナリティ・チアラ

社会・政治 > 龍馬の船中八策

…と、このタイトルを書いただけで、「ああ、あれやな」と想像できる人はエライ。いや、別にエラくもないか。
この二つ、街のつくりに大きな特長がある。心斎橋(御堂筋)界隈は名だたるブランドショップが軒をつらね(ちょっと表現がレトロやね)、先端のファッションや雑貨、あるいはグルメで人々の満足を満たす。一方、新世界界隈はといえば、通天閣に続く商店街などは、かつては閑古鳥が鳴き、時代に取り残された明治〜昭和にかけてのレトロな街であった。ところが、この4、5年の間の観光ブームでレトロが爆発、大阪でも観光客が押し掛ける人気のスポットになった。
この二つの街に共通するのが冒頭の「二度」である。
心斎橋の「二度」といえば、一昨日あたりから再びマスコミを賑わす、いわずと知れた再建中の”大阪船場吉兆”。こちら、何が「二度」かといえば、客に出した料理のうち、手つかずのもの、早い話が客が喰い残したものを次の客に再加工して出していたことで、新社長が「猛省している」と画面で謝罪会見。塩焼きの鮎は再び焼き直し、天ぷらは二度揚げ、刺身は下げたものを並び替え、ツマものは洗って再び利用、山葵(ワサビ)は、ワサビ醤油として加工。なるほど見事なまでの「二度」利用である。新社長の弁を借りれば先代社長の”もったいない”を忠実に守っている、ただし私は知らない、のだとか。
一方の新世界、ご存知のように通天閣、ビリケンさんの他に、「串カツ」の街でもある。俳優で元ボクシング選手の赤井氏経営による有名な”だるま”をはじめ、最近では次々に串カツの店がオープンして大きな賑わいを見せる。その串カツ、実は「ソースの二度漬けお断り」の書き物がソースの横やテーブル前、壁など、あちらこちらに張られている。もちろん、自分の、他人のかじった串をそのままソースの器に漬けられるのはあまりいい気がしない。見た目や衛生面も考慮しての断り書きであるのは一目瞭然。もちろん、一度と二度、ソースを漬けるのは店側からすれば「ソースの量」(=お金)も違うだろう。
ま、そんなわけでブランド店が並ぶその一角、心斎橋の高級料亭・大阪船場吉兆では、裏でこちょこちょと「二度…」を企み、知らぬが仏と客に出す。一方、庶民の街の新世界では、店が白昼堂々と「二度…」を客に訴えるし、場合によっては叱りもする。安くて旨くて大満足が庶民の街、新世界である。
ついでに言うなら、今の大阪では粋にお座敷で遊ぶ旦那衆もない。料理屋の女将は常連客や一見客への気遣い、心遣いをすることもなく、「銭かね」の損得勘定に走った結末がこれとは老舗の看板が泣く。それ以上に商人(あきんど)の街・大阪が泣くというものだ。江戸の粋(いき)は一枚一枚脱いでいくらしい。宵越しの金(ゼニ)は持たねえと、キレイさっぱり飲んでしまうのがそれ。一方、大阪の粋(すい、という)は一枚一枚積み重ねていくのだとか。あえて言うなら、技術の粋(すい)を集めるとなるが、罪の上塗り、嘘の積み重ねが大阪の恥を上塗りしていく。これが大阪船場の「粋」(すい)だとすれば、情けないの一言だ。


2008年5月8日(木) at 19:58 

支持率急降下! 韓国・李明博大統領のなぜ? / パーソナリティ・チアラ

社会・政治 > 龍馬の船中八策
韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が経済再生の期待を受けて2月に登場してからまだそんなに日にちが経たないが、もうすでに支持率は20%台に急落しているようで、なにやら我が国の先の安倍内閣、現在の福田内閣を見ているようだ。就任時の2月時点での支持率は70%台、それが4月には40%台を割り込み、現在、20%台なんだとか。
その理由として上げられているのが、「韓国政府や与党側は経済政策で有効な手を打てなかった」としているが、その他にも側近の辞任劇やアメリカ産牛肉(BSE混入等)の輸入を巡る問題で消費者から批判が噴出。高校生等も含めて大きなデモ騒ぎとなっている。また、肝心の北朝鮮対策も空振り気味。政・財界経験者だけに鳴り物入りで大統領に就任したものの、その経済政策で手腕が発揮できずに早くも崖っぷち犬の様相を呈している。この分では国民に約束した経済成長率6%や国民所得4万ドル、世界11位の経済規模を7位に引き上げは露と消える、そんな気がする。
そんなわけで、果たして崖の下に待ち構えるセーフティネットはあるやなしや?気にかかるところだ。

と、お隣、「韓流」さんの心配はとりあえず横に置いておいてニッポン。昼食時にふと見た日中共同の記者会見。福田はん、パンダの手土産に気を良くしたのか、報道陣に向かって「会見の内容(も含めて)を曲げて書いたり、報道したりしないように!」と中国側に気を使ったのか、比較的強い口調でクギを刺す場面もあった。記者団からの毒ギョーザ問題やチベット問題、油田開発、五輪招待などの質問には、「ムニャムニャ」と歯切れの悪い、奥歯に物の挟まったような答えで、記者ならずとも「あんたは中国の回し者か」と思ったぐらいだ。ま、コトを荒立てたくないという配慮、それは分かるが、こんな時にこそしっかりと発言するべきだ。でないと、ニッポンの国民にも中国側にもこの来日のミッションはこれだ!といったメッセージが伝わらない。よしんば福田はんが中国を刺激するような発言をしたところで、この時期は中国の報道では検閲でカット(リアルタイムの場合は砂嵐かノイズを入れる)されるであろうから、結果、伝わるのは「日中共に友好、共に理解し合えた」などとしか伝わらない。
その証拠に、もうすでに中国の中国情報局の報道によれば、『日本の福田首相が北京五輪の開幕式に出席する可能性について、秦剛報道官は「日本の五輪委員会を通じて福田首相に招待状を出すことになるだろう」と述べた。また、秦剛報道官は「中国は、日本政府が北京五輪の開催を支持しているものと認識している。中国は五輪の分野で日本との交流、協力を強め、北京五輪が成功することを期待している」と語った。』と報道されている。
先の共同会見では五輪問題の質問に、「まだ、五輪開催までにはたっぷり時間があるから考えてみたい」と記者団に答えたが、中国情報局は「五輪支持」との報道だ。ということは「招待を受ける」ということではないか。
最近のアンケートでは、中国がアジアで一番仲良くしたい国は韓国、三番目はニッポンだそうで、言ってみれば、「まあ、どうでもええやんニッポンは…」という感じか。
そんなわけで、お隣の李明博(イ・ミョンバク)はんと福田はん、共に支持率急落同士で手をつないで五輪開会式に行っておいでやす。
行きはよいよい、帰りは怖い…ってか!

ああ〜、とりあえずパンダ渡したらこれでおしまい。巧くいったわ。ホンマに。後は観光、観光…。コナモンの関西で、お好み焼き、たこ焼き食べて、USJ行って、有馬で温泉でも入ってお土産貰って帰ろっと。
パンダでまた1億円(年間)、儲かったわ。

2008年5月7日(水) at 22:10 

GW…雑感おまけ 「暖春の旅」と「融氷の旅」 / パーソナリティ・チアラ

社会・政治 > 龍馬の船中八策
北国・北海道ではこのGWの時期になんと気温31度を記録、季節外れの「夏」到来である。テレビの画面には公園の噴水で水と戯れる子供の姿とノースリーブのママさんが映し出され、見るからに「夏が来た!」と思わず騙されそうになった。
ま、そんな折、本日、中国の胡錦濤主席がわざわざ「暖春の旅」と命名しての訪日だとか。別に命名しなくてもいいのではないかと思うが、なにしろ、昨年訪中した福田はんが「融氷の旅」と表現したので、そのお返しの命名か? 気持ちは分からないこともないが、命名合戦、ネーミング合戦は、もっと分かりやすいものにしてほしい。
たとえば、「パンダ持参の旅」とか「毒ギョーザ謝罪の旅」とか…。こちらのほうが、ニッポンの国民にも分かり易いし、訪日の意味もナルホドと理解してもらえるのではないか?
ましてや日中両国間にてんこもりの問題、課題を抱えた中で、この時期、何をどうするというんだ。ま、回転寿司屋でいえば、目の前を皿に載った「食料安全(毒ギョーザ)問題」「五輪・開会式招待問題」「チベット人権問題」「温暖化(温室効果ガス半減留意)問題」「東シナ海ガス田開発問題」「パンダ頂戴問題」…等々がぐるぐると回っている状態だ。福田はんとしては、この中で、ササッと手を伸ばして皿を取りやすいのはどれか?自ずと知れたもの。パンダぐらいのものだ。その他は、大見栄張ってよっしゃよっしゃと皿を取ろうものならケガもケガ、大ケガをする。ま、複雑骨折ものだろう。で、結局、年寄りが寄り集まって茶を飲みながらパンダ談義をして、シャンシャンとおしまいといったところではないか。もっとも、パンダの見返りにニッポンが何の援助を出すのだろうか?興味津々。

ところで、4年ほど前になるが堺市歴史博物館館長の角山先生に「ホスピタリー・インダストリー」について話を伺った。早い話が「おもてなしの心」ということ。最近では観光の話になると必ずでてくるのがこの「おもてなし」や「おもてなしの心」である。
角山先生は、茶の湯の研究家として著作物も数多く出しておられるが、欧米にはなくて日本にあるもの、すなわち「おもてなしの心」がこれからのキーワードであり重要であると。
そのルーツは「茶の湯」であり、それは4帖ほどの狭い空間から生まれたという。入口の小さなくぐり戸を背を折り曲げて入るとそこには、実はおもてなしの巨大な空間が拡がっている。戦国時代に戦をする者同士が話し合いを行う場として、鎧(よろい)を脱ぎ刀を置いて丸腰でくぐらなければ入れない茶室は、文字どうり、コミュニケーションを前提としたおもてなし空間だ。なつめから椀に茶を入れ、釜から湯を注ぐ。毒殺が当たり前の戦国時代、毒味をせずとも安心して飲める…。そんな茶の湯から派生した、それが「おもてなしの心」なんだと話しておられた。
今回の胡錦濤主席の訪日、茶の湯での「おもてなし」も某何とか千家によって行われると思うが、それはそれ、言うべきははっきりと主張して欲しいと思うがいかがだろうか。
くれぐれも、パンダの皿に手を伸ばすのは後回しにしてほしい。でないと、ニッポン、見くびられまっせ!!

ちなみに、私のiMacで、胡錦濤主席と入力し変換したら、一度目は「小均等」となり、二度目は「古今党主席」となった。ん〜、分かったようで分からんが、結構、面白い。誤変換コンテストには応募できそうだな。


2008年5月6日(火) at 11:46 

GW…休日雑感。「こどもの日」に思う。どちらを選びますか? / パーソナリティ・チアラ

社会・政治 > 龍馬の船中八策
5月5日は「こどもの日」である。「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨として、1948年に公布・施行の祝日法によって制定された、とある。古来、端午の節句として知られているが、ま、昨日総務省が発表した推計人口によると4月1日現在、15才未満の子供の数は、前年に比べ13万人少ない1725万人で過去最少を更新したそうだ。ちなみに減少は27年連続で、総人口に占める割合も0.1%低下し13.5%と34年連続で下がり過去最低を更新、国際的にも最低水準だとか。
詳細は新聞などで確認していただくとして、その中でも東京都の子供の数は最低である。ということは東京(都会に)に企業、産業が集中するなかで、労働者はいつまで経っても地方から吸い上げる構図は変わらない。地方では働き手はいない、産業もない、高齢者ばかりが住み暮らす限界集落化へまっしぐらだ。今さら、道路を造り、新幹線を通してみたところで地方が活性化するわけはない。ま、せいぜい、都会に労働者として出た若者が1年に一度、家族を連れて顔見世興行的に故郷に戻ってくる、そんな時に利用される程度だから、政治家のいうところの「便利になる」は嘘っぱちである。第一、田舎で高齢者がホイホイと車に乗れるわけがないだろう、危なっかしくて。
冒頭の「母に感謝する…」といっても、近頃は子供を生むにも30も40もの”病院のたらい回し”で産むに産めない状態なのだ。先日、実家(土佐の高知)の母に電話で聞いたところ、「こっちに戻って来て産む人多いよ。産んで半年ぐらい田舎でゆっくりして、また都会へ戻るみたいよ」と話していたが、ま、どうなるんだろうね、少子化。
あ、そうそう、数日前の新聞にお医者(病院)さんについて面白い記事がでていた。ある地方の小さな病院で4人いた先生が救急患者が多くて体が持たないと3人が辞めて1人になった。これは一大事と市民が立ち上がり「健康に気をつけて不必要な救急を減らそう。お医者さんを守ろう」運動をはじめたところ”勤務希望”のお医者さん3人から応募があって元通りになったそうだ。
一方、本日の新聞には私(は貝塚ですが)の住んでいる泉州エリア・阪南市の病院の記事がでていた。なんとこちらは逆で「お医者さんに歩合制を取り入れよう」であった。救急でもなんでもかんでも患者を診れば診るほど、一人ナンボの歩合が増えて収入が増す、というものだ。これまで給料が他市の病院に比べて低かったから辞めたのだとの認識で歩合制にしたとか。少々、安易過ぎはしないか?
前述の田舎の病院は、市民が「みんなで健康に気をつけよう」と立ち上がり、後述の病院は、病院が「金さえつめばなんとかなる」…。さて、みなさんはどちらを選択し行動しますか? 自ら立ち上がる、あるいは、他人(行政)任せ?
少子化は他人任せでは改善できまへんで!!

ちなみに私の娘(手術(オペ)室)の勤める某市の病院は先日、救急患者の受け入れ停止を発表したばかりですが、そんなわけで、救急患者のたらい回しに拍車がかかりそうですね〜。




●チアラのおまけ/詳しくはWebで!

たった26分短縮に2600億円 九州新幹線・長崎「壮大なるムダ遣い」
http://www.j-cast.com/2008/05/01019682.html

 九州新幹線・長崎ルートが着工された。在来線の特急「白いかもめ」が1時間57分で走る長崎‐福岡・博多間を、新幹線は26分短縮するという。この26分に2600億円超が投じられる。しかも実質的な時間短縮は「13分30秒」しかない。「税金のムダ遣い」に限りなく近いのではないか。
 2008年4月28日、佐賀県嬉野市で九州新幹線・長崎ルートの武雄温泉(佐賀県)‐諫早(長崎県)間45キロの着工式が華やかに執り行われた。この日、長崎市では長崎「新幹線」の建設中止を求める県民の会が「不要不急の公共事業」のチラシを手に行った街頭署名に列ができた。以下省略(2008/5/ 1)


2008年5月5日(月) at 12:11 

北京五輪開会式に出席検討=福田首相が表明 / パーソナリティ・チアラ

社会・政治 > 龍馬の船中八策
あらら、シッポ振って行きますか? 開会式へ…。
パンダ外交の返礼とでもいうことですかねえ?
それともブッシュのお伴ですか?
それとも、宗教団体に頼まれてのニッポン売りですか?
昨日、ブッシュが「ニッポンは友達」とコメント出しましたね。
しかし、福田はんに対しては言及していない、とか。
ま、そのあたりは微妙なところですが、断われば、「ニッポンは敵」ということ?
ビビってんですかね?
これでニッポンも息の根が止まりそうだな。
さよなら、ニッポン。
さよなら福田はん。
本日発表の最新調査では内閣の支持率が19%にまで下がっておりまっせ。
もう、終わりじゃん!最後の外遊にでもなんでも行ってきなはれ。
それぐらいの餞別は税金から出してもらっても結構。
とりあえず、ヨーロッパのみなさんからは笑いものなんだろうけど。

ああ、忘れてました。パンダを中国からレンタルすれば高こうつきまっせ。
ついでに転載しておきますが…。まさか、福田はん、パンダをタダでくれ、貸せじゃおまへんよな。あっちはレンタルビジネスでっせ!




以下、転載 ↓

 福田康夫首相は2日昼、8月8日に行われる北京五輪開会式への出席について「まだ決めていない」としながらも、「行けたらと思います」と述べ、出席を検討する考えを表明した。首相官邸で記者団に語った。
 開会式をめぐっては、中国政府によるチベット暴動弾圧を理由に、複数の欧州の首脳が不参加の意向を示している。首相は7日の胡錦濤国家主席との首脳会談や、中国政府とダライ・ラマ14世側との対話を見極めた上で、最終的に判断する考えとみられる。
 ただ、日本国内ではチベット問題に加え、中国製冷凍ギョーザによる中毒事件の真相が解明されていないことへの不満が強い。開会式に出席した場合、国内の批判が高まる可能性もある。



●パンダのおまけ

パンダを借りる日本とパンダに会えない中国の子供
2006/10/07(土) 12:46:06更新
中国文化探訪 第8回−岡崎英遠

  パンダのペアが1億円。

 パンダを購入する値段ではない。パンダを1年間借り受けるレンタル料としての金額だ。現在日本には3カ所パンダを見物できる施設があるが、この高いリース料を払ってまでパンダを借り受け、入園者数を伸ばしている神戸の王子動物園の話題は一時世間を賑わせた。まさに「客寄せパンダ」である。

 かつて中国はパンダを贈って友好を深めるという、いわゆるパンダ外交を展開した。しかし絶滅を危惧してか、贈与から貸し出しという形に切り替えた。たとえ貸し出し中に繁殖を成功させても、その子供は中国国籍になる。また80年代までに贈られたパンダでは高齢のため繁殖は難しい。

 そうなるとまるで巨大なビジネスのようだ。多くの子供(子供だけではないが)に夢を与えるパンダを中国以外で飼育している国は6カ国しかない。その中でも日本が一番多く、6頭飼育している。韓国ではこの高いレンタル料を払えず、1999年にパンダを返還している。

 中国の地方都市を歩いていると、街中に「動物園がやって来た!」という看板に出会う。移動動物園だ。興味を惹かれビニールシートで囲われたその動物園に入ってみた。籠に入ったサルが3匹、ラクダ1頭、鳥が数羽、ビニールの簡易池に入れられた50センチほどのワニ、そして動物園の目玉であろう年老いた雌のライオン。それがこの動物園の全てだった。

 そこで出会った子供たちは、パンダはおろか、普通の動物園にさえ行ったこともないだろう。それでも子供たちは、嬉々として食い入るように見つめている。その姿を眺めていると、動物園の本質が見えてくるようだ。

 年間1億円もの大金を払ってパンダを借りる巨大ビジネス化した日本の動物園、サーカス小屋のような数えるほどしか動物がいない中国の田舎の移動動物園、共に現実である。本来中国に生息するパンダを中国の子供はなかなか見ることができない。

 経済大国の日本人である私などは後ろめたさを感じてしまう。しかし子供たちの目に、私たち日本人がすでに失ってしまった輝きを見ることができた。そのことによって少し救われた気がした。(執筆/写真提供:岡崎英遠 第1期サーチナ・サポーター)

2008年5月2日(金) at 20:07 

G.W雑感  気づいてますか?…「豊かさは幻想」 / パーソナリティ・チアラ

社会・政治 > 龍馬の船中八策

どこまで行っても結局、「豊かさは幻想だ!」ということに気がつかない限りこのまま、作っては壊し、作っては壊しするんじゃないか。

政治家は自然の破壊と引き換えに「地域の繁栄と人々の生活の豊かさ」を約束し、住民は環境という足許がぐらつきつつあるのをバラ色の幸せにカムフラージュされて気がつかない!
一方企業は「この製品(商品)を使えばもっと便利に、ハッピーになれる!」と次から次へと新製品を繰り出してくる。世の中「幸せ願望」商品の氾濫。
それはもう麻薬のようなもので、今さら「全自動洗濯機」から「洗濯板」へ戻れと言われたって、あるいは「リモコンテレビ」から「回転式チャンネルのテレビ」へ戻れと言われたって、もう後戻りできません。なにしろ、食事しながら、ピピッとチャンネルが変わるんですからね。
もう幸せこの上ありません。極めつけは郊外に買った一戸建て。幸せ願望の際たるもの、変じて借金(ローン)地獄となる。昔も今も、崩壊への一番手には変わりはありません。

最近、ちょっと落ち着いてはいるものの某タレントさんの「お掃除」関連本が売れているそうですが、その少し前には「捨てるテクニック」本が幅を利かせていましたね。部屋をスッキリ、シンプル、オシャレに見せるためにはとにかく「捨てなさい」。と言われたところでなかなか捨て切れるものではない。子供の頃、いつも一緒だったぬいぐるみ、洋服ダンスやクローゼットで場所をとるもう何年も着ていない洋服類、食器棚の奥に眠る貰いものの食器等々・・・。
著者は語ります。「そんなもの思いきって捨てなさい」、「思いきって捨てれば部屋も広くなり、使い勝手もよい、その結果、あなたは幸せになれる」と。そして、フローリングの何もない部屋に寝転がって幸せを感じる、ああ幸せ。著者は「捨てることは幸せだ!」と、ちゃっかり「幸せ願望」を商売にしていましたが(捨てる→幸せ=レトリック)、なるほどと納得して捨てた読者は汗して働いて得た報酬を自ら減らして喜ぶ。で、ゴミとして捨てられた商品(製品)は焼却場で燃やされてダイオキシンとなって人様へ逆襲に転じる(幸せ転じて災いとなる、か?)…。

近頃のニッポン、やたらと殺したり、殺されたりと、ま、殺人のオンパレード、殺人大国ニッポンの様相を呈しておりますが、なんとかならないものでしょうかね。
覚えていますか?もう随分前になります。東京で幼稚園児が殺害された事件がありました。犯人は同級生の母親。犯行の動機はともかくとして、この時使われた言葉に「母親が壊れていく」と表現されていました。かつて高度成長期には父親不在で家庭が崩壊し、バブル不況による企業倒産やリストラで父親が壊れていく、学校ではいじめや最近の10代の子供たちが引き起こす殺人(自殺)等、様々な犯罪で見られるように子供たちが壊れていく・・・。そして人間が次々と壊れていった結果、どうなるんだろう?
壊すものがなくなったときは、作るものがなくなったときなんでしょうか?
で、人類の終焉となるんでしょうか。

ああ、そう言えば、お涙頂戴的リフォーム番組って、いつのまにか終っていたんだな。マスコミも一時はリフォームブームを煽っておきながら、ま、その次に仕掛けたブームが単なる「大食い」とはね。
リフォームブームに煽られて登場したリフォーム家族のその後、見てみたい気がする。足の踏み場もないほどの家具や生活用品がリフォーム後はスッキリと…。やっぱり捨てられたんでしょうかね? で、幸せ、つかんだ?
ん〜、気になる…。

そんなわけで、さあ、幸せになるために明日は何を捨てて、何を大食いしようかなあ。


2008年5月1日(木) at 21:06 

GW…休日雑感。「格差社会は、一億総白痴化から始まった?」 / パーソナリティ・チアラ

社会・政治 > 龍馬の船中八策
1950年代後半、大宅壮一氏がテレビ番組を「一億総白痴化メディア」だと批判して話題になった。その10年後の1960年代には団塊世代が大学生になってもマンガを読み、再び日本総白痴化の危機が叫ばれた。そして、さらに20年後の1980年代には団塊世代も40歳の中年世代になり、ついに子供から大人まで日本全国総マンガ世代、一億総白痴化の時代を迎えた。
また、「一億総白痴化」の時代と言われる一方で、1960年代から日本の国民意識を指す言葉として、「一億総中流」という言葉が流行りだした。この一億総中流は特に1970年代から1980年代にかけて強く叫ばれ、メディアにもことあるごとに登場した。

話が横にそれてしまったので元に戻すと、男性の愛読誌が青年コミックスだとしたら、女性はレディースコミックスである。単純なストーリー展開に大胆なセックス描写を取り入れ、少女マンガを卒業した女性たちに支持を受けた。1980年代の時代、コンビニで夜食やおやつを買うついでにコミックスを買う。ポリポリと食べながらベッドに横たわり何も考えずに読むには最適だろう。
こうした1980年代のマンガ現象の到達点が、いわゆるビジネスマンガ・ブームである。1986年に刊行された「日本経済入門」によって火がつき、このブームによって、子供から大人まで国民全体が活字離れしたことを証明した。政治から文学まであらゆるジャンルがマンガの対象となり、大学入試から官公庁のパンフレットまでマンガは取り入れられた。そして、1988年にはついに新潮社などの文芸出版社までもがマンガを出版するようになってしまった。

そして、マンガによる思考停止状態をさらに進行させたのが、ダラダラと無目的に見られる深夜テレビである。深夜テレビの視聴率もその後、年を追うごとに順調にアップしていった。コミックの急増や深夜テレビの視聴率アップにより1985年後半から日本全体が白痴化の足並みを揃えたといえそうだ。「難しいことは考えずに楽しく生活を消費していくこと、平成元禄、太平日本の暮らし方」が定着したのだ。

今、政府は国を挙げて、マンガ、コミック、アニメなどを「日本の文化」として輸出しようと積極的だ。大学には、マンガ科やアニメ科といった専科が続々と出来ているし、漫画の大家と呼ばれるような人たちが教授として迎えられ教壇に立つようにもなった。
「一億総白痴化」から「一億総中流化」へ。そしてバブルの崩壊を経て、今、バブルの再来、ミニバブル(?)と呼ばれる中での「格差社会」の到来。さらに、グル〜っと一回りして、「一億『超』白痴化」への時代が「国策」であるとしたら、格差社会はますます深化し、日本の明日はない。

その「一億総白痴化」の最たるものが、先日、アキバ路上パフォーマンスで逮捕された女性。昼下がりの歩行者天国で道路脇の柵に上り電柱にもたれて足を上げ、ポーズを取って下着を見せる。そこに群がるカメラ小僧たち。それを横目に見る外国人観光客は「信じられない…」「クレイジー」を連発だ。
ま、翻ってみれば、かつて小泉元首相に群がったおばさま達もそう大差はないと思うが、今になってほぞを噛む人は未だしも、年金が、後期なんとか保険が、ガソリン値上げが、食品値上げが…で右往左往するなと言いたい。だいたい、頭も使わずに、わ〜わ〜、きゃ〜、きゃ〜と騒ぐだけ騒いでおきながら、今ごろブツブツ言ったところで遅すぎる。
これまで「自分の命、家族の命は自分が守る」ぐらいの気持ちで生きてきたのなら、今さらガソリンが30円上がったところでこの期に及んで早朝からスタンドに行列することもないと思うが。
ま、そのためにはとりあえず「見栄」は捨てよう。「見栄」を捨てれば、ブランドものやデパ地下の食品めがけて走り回ることもない。多少は将来のために貯金も余裕もできるというものだ。ブランドものは札ビラを切る中国人観光客に任せておこうじゃないか。

さて、福田の次に来る者は?
コミックの麻生なら、さらに白痴化が進む。規制緩和の小泉復活なら、さらに格差社会(貧富の差拡大)、ニッポン売りが進む。

「果報は寝て待て」とは昔の話。今どきは「家崩は寝たきりで待て」。
ん〜、マンガを枕に寝たきりで家共々、朽ち果てるか?

※本文は2年前の文章に加筆したものです。



●チアラのおまけ/おバカ祭りはこちら↓
“おバカ祭り”羞恥心&Pabo、神宮で始球式とミニライブ!
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080505/tnr0805051109002-n1.htm


2008年4月29日(火) at 16:57 

思想を売るプロバガンダ。聖火リレーは「肉体広告」 / パーソナリティ・チアラ

社会・政治 > 龍馬の船中八策
すべての国民が同じことを信じ、一丸となって突き進んだあの時代、大衆はどうやって思想を売りつけられたのか? 
ま、それはともかくとして、今回の北京オリンピックに係るチベット暴動、聖火阻止などなど、一連の騒動、結局のところ「誰」が裏で糸を引いてるんでしょうか? 気になるところです。
ま、そんなわけで、その昔、ドイツで開催されたベルリン・オリンピックはプロバガンダ(政治的宣伝)に利用されたことでも有名ですね。ちょっとひも解いてみますと、その手法は、今回の騒動とあの時と、結構、似ておりますよ。

あらゆるメディアを総動員したナチスの劇的演出術。
ナチスといえば、ヒトラー。ヒトラーの演説は人々の心を揺さぶったが、競技場や広大な広場などでは肉声はそんなに遠くまで届くとこはない。その頃、1930年代といえばラジオが瞬く間に広がった、そんな時期でもあったのでヒトラーはこれを戦時中のプロバガンダ、いわゆる政治的な宣伝にとことん活用したんですね。
ヒトラーについてよく言われることですが、1936年のベルリン・オリンピックは、まさにそれで、第三帝国の圧倒的な力を誇示する大変な見せ場でもあった。しかも、ヒトラーの凄いところは、このオリンピックを映像によって記録したことです。「意志の勝利」や「オリンピア」を撮ったレニ・リーフェンシュタールは斬新なカメラワークを駆使して、当事者ならともかく、第三者にとっては退屈でしかないはずの熱狂の有様を異様な作品に仕立て上げてみせた。この記録映画は見る者に、ナチス・ドイツへの畏怖を必ずや喚起したことだろう。そして各国の人々がこの映画を見る度にその畏怖は及び、強迫的に拡大再生産され続けたようだ。

ところで、宣伝の手法のひとつでもあるプロバガンダは「味方の中に団結と熱意を敵の中に混乱と恐怖をつくりだすこと」である。とすれば、かつてのナチス・ドイツは味方を共同体・家族として演出し、敵には暴力による恐怖と混乱を与えた。そしてとりわけメディア媒体(ラジオ)を重視し積極的に活用した。
ロージャ・マンヴェル・ハインリッヒ・フレンケルは「第三帝国と宣伝」の中で次のように書いています。
「ゲッペルス(ナチスの広報担当)は一つの国を占領する以前からその国のラジオ聴取者に接近する計画を注意深く作成した。第一段階は友好の雰囲気、すなわちドイツはよき隣人だという雰囲気をつくりあげることであった。第二段階は批判的な空気をつくり出して、やがてはその国の指導者を公然と攻撃することであった。そして、第三段階は暴力をほのめかして威嚇し、その国民が指導者を見捨てて降伏するよう仕向けることであった。この最後の段階はドイツ軍がその国の放送施設を取り上げ、自らの手で管理する前に、わざと混乱をひきおこすための段階であった」と。そして、ナチスの場合はレーニン型のプロバガンダを下敷きにして、あらゆるメディアを使い、第三帝国をつくりあげた。つまり、プロバガンダによって帝国をつくりあげてしまったといってもいい。

別(宣伝)の切り口から見たら、ということなんですが、今の中国とチベットに当てはめてみるとなんとなく分かり易いような気がしますね。そして中国とチベットの指導者が対話をするよう、他国が勧めているようですが、対話実現となれば、中国が勝利したということになりませんか。チベットは屈服と。
ま、そんなわけで、冒頭にも書きましたが、誰が裏で糸を引いているのか、ん〜、プランナーの私としては、とても気になるところですね。

で、ついでに言えば、聖火リレー(ランナー)はチンドン屋とおなじ「肉体広告」ですね。チンドン屋は西洋にない日本独特の”肉体”を使った広告です。チンチンドンドンと鉦や太鼓、少し時代が下ればラッパやアコーディオンなど、鳴り物も増え賑やかに囃し立てながら、しかも、プラカードを立て宣伝ビラを撒いて商店街や通りを練り歩いてゆく。昔はどこの町でも人の足を止めさせるアピール度一番の広告だったんですが、テレビやラジオ、新聞雑誌などのマスメディアが発達、過激になるにつれてその数は急激に減ってしまったんですね。
ま、翻ってみれば、チンドン屋のはじまりは今から160年ほど前。弘化2年(1845年)、大阪千日前の香具師(やし:がまの油売りやバナナの叩き売り。早い話がフーテンの寅さんでんな)の元締めの子分だった飴勝(あめかつ)という若い江戸者がすっとんきょうな売り声を張り上げて、大阪の町中に飴を売り歩いたのが、このチンドン屋の始まりなんだとか。
そしてこの飴勝の跡を継いだのが二代目で勇亀(いさみかめ)だったが、この人は芝居の口上(こうじょう)を真似て「トザーイ、トーザイ」と大声で叫びながら町中を練り歩いたようです。これが明治13年頃で、以後、関西では東西屋が今のチンドン屋の屋号(呼称)として使われたとか。東京では明治18年、東西屋から分かれて上京した秋田柳吉という人物が広目屋(ひろめや)という屋号で始めたのが最初のようです。昭和30年代には、かなりの数がいたチンドン屋、今では全国で200人前後なんだそうです。ま、それでも今日まだなおその火は消えずに続いているのは、チンドン屋がニッポンの文化だからか。

で、会開始式への招待は、行くの? 行かないの? 
どないすんねん、福田はん。
えらいこってっせ!!

2008年4月21日(月) at 20:50 

ニッポンは夕張同様、すでに破綻状態なんだとか。 / パーソナリティ・チアラ

社会・政治 > 龍馬の船中八策
いや、なんのことはおまへんけど、本日の東京新聞経済面の記事では、「国の財政は夕張以下」なんだとか。
ということは、とっくに破綻してますやんか、ニッポン。
記事によれば、18日、財務省の財政制度審議会の部会で、地方自治体の財政健全度を示す「実質公債費比率」を国の財政に当てはめたところ80.4%となった。これは財政破綻した北海道夕張市の38.1%をはるかに上回る(どろこじゃねえな)んだとか。ま、言い訳としては、地方より国の財政状況がより一層厳しい事を国民に知らせたい、また、地方交付税削減に反発する自治体をけん制する狙いがあるとはいうものの、おいおい、こんな破綻状態のニッポン、国会議員の皆さん、どないしはりますねん。
夕食時のテレビニュースでは、「食料危機は深刻。貧困国では暴動で死者もでている」とやってましたんやで。米ドロボウがあちこちで頻発。住民は「これまでこんなことはなかったのに…」と。ブッシュ政権のバイオエネルギー政策に端を発してトウモロコシの値上がりと転作、サブプライム、原油や食料(原材料)への投機マネーの流入…。いやはや、前述の住民のつぶやいた言葉…「金(の地金)と米(コメ)がいまや同じになってしまった」と。
ついでに書けば、いつぞやのあるブログでは、これからのニッポン、「工業国をめざすのか」、あるいは「農業国をめざすのか」どちら?と。ブログの書き手、著名な某氏は「農業国をめざせ」だった。自動車や家電製品(電子機器)を輸出して「食料を買う」のか、農業国・ニュージーランドのように食料を輸出して、ニッポンの一等地である銀座や青山、六本木などの世界的に見れば「格安(極安)の土地(日本)をどんどん買い占めるか」…どちら? と。
これまで食料自給率39%のニッポンが「飽食国家」として生きながらえたことは奇跡でしかないのでは。いまやニッポンの台所を賄っているのは中国。その中国でさえ、実はすでに「食料輸入大国」となっている。とすれば、なにかと文句の多いニッポンなど相手にしなくとも、多少、危険な食品であれなんであれ高価で買ってくれる国はいくらでもある、と開き直ったら、その時はニッポン、おしまいである。

ま、昨日の橋下大阪府知事 v.s 府下市町村の首長さんのやりとりではないが、どんぶりの底に残ったうどんの汁をぐるぐるかき混ぜてるだけでは、どうしようもない。「くれ、くれ」「して、して」ではなくて、橋下大阪府知事の思いをどのようにしたら実現(1100億円削減)できるのか、橋下知事と共に考えてみたらどうか。そういう考えの首長が一人もいないというのは、実に情けない。橋下はん、とことんやりなはれ!! 応援してまっせ。

そんなわけで、冒頭の「ニッポンは、すでに破綻だ!」宣言した財務省、どないしまんねん、この始末は…。

2008年4月19日(土) at 21:46