再開発散文 / ササヲ
職 > 都市オモ
大阪には、再開発計画のある地区が沢山ある。
これまでも、色々な再開発が行われてきたけど、再開発は大きく2つに分けることができると思う。
ひとつは、フェスティバルゲート、大阪ドーム、なんばパークスみたいな「跡地」の有効利用のために行われた再開発。人を新たに呼び込むための「ゼロから人の流れを生み出す」再開発。
もうひとつは、上本町ハイハイタウンや大阪駅前ビルみたいな戦後の混乱期に形成された街の再開発で、「住環境改善」「土地の高度利用」のための再開発。現行の街が生まれ変わるために「街の性格を変える」再開発。
前者は新たに需要を開拓するっていう意味で、クリエイティブな側面がすごく高い。「何を作れば価値があるか」が大事。バブルから今まではそういうのが良く目についた。大阪北ヤードの再開発も前者になる。貨物ヤード跡地の有効利用っていう意味で。つまり、このタイプの再開発は、一旦街としての役目を終えて、その体だけが残ってて、そこに新たな街の生命を吹き込む再開発。むしろ感覚は新開発に近い。
それに対して、後者は老いた体を治療する再開発。って言っても、なにも健康で若いバリバリの体に手をつけるってことはなくて、それなりに治療対象になるには条件がある。お初天神とか、阿倍野とか堺東とか、実際に利用者はいるけど、土地柄の割に利用されてなくて(儲けてなくて)もったいないとか、防火対策が施されてない木造家屋が多いとかの理由があるときにこのタイプの再開発が行われる。で、前者の再開発が一旦キタヤードで終わりになるやろうって言われてて、これからの再開発は(戦後の混乱期に作られたとは限らないけど)後者の治療型のタイプのものが増えてくる。
で、後者の再開発で気になるのは、老いながらも命がある(少ないけど利用者は居る)のに、体を元気にするために新たな命が体を乗っ取る(新しい命で今の命を塗りつぶしてしまおうとする)っていう場合が多いこと。しかも、それは予算さえあれば確実に現実的になる(店や家の立ち退きは進む)。
力技で再開発計画が進んでいく原因としては、土地所有者と利用者が一致してないのと、土地所有者が複数居るのが考えられる。街は色んな人が居て成り立つ。街が好きでその街に暮らしたいっていうのはそこでの人とのコミュニケーションがある前提で言えること。だから1人の思いで再開発は妨げられない。街が歯抜けになるのを見ながら闘い続けるのはものすごく難しい。そんな感じで開発会社は自らの「利益」のために再開発を進めようとするし、対象地域の利用者は自らの「利益」のためにそれを止めようとする。
っていうのが再開発を取り巻く今の状況やと思う。
じゃあ、じゃあじゃあ!!!
そこで、直接の利害関係にない自分みたいな人は、何を根拠にして再開発の是非を考えたらいいんやろう。再開発は社会的には何のために行われる(行われない)べきなんやろう。
地区内の利用者のため?(にみんなの利益や未来の利益は棄てられる?)
地区を含む地域全体のため?(に地区内の利用者の利益は棄てられる?)
未来のため?(に現在の利益は棄てられる?)
大義のために小さなモノに目をつむるのもおかしいけど、感情論に傾いて、大義を見失うのもおかしいし。
再開発の意義って何なんやろう。
何を大義として据えたらええんやろう。
これまでも、色々な再開発が行われてきたけど、再開発は大きく2つに分けることができると思う。
ひとつは、フェスティバルゲート、大阪ドーム、なんばパークスみたいな「跡地」の有効利用のために行われた再開発。人を新たに呼び込むための「ゼロから人の流れを生み出す」再開発。
もうひとつは、上本町ハイハイタウンや大阪駅前ビルみたいな戦後の混乱期に形成された街の再開発で、「住環境改善」「土地の高度利用」のための再開発。現行の街が生まれ変わるために「街の性格を変える」再開発。
前者は新たに需要を開拓するっていう意味で、クリエイティブな側面がすごく高い。「何を作れば価値があるか」が大事。バブルから今まではそういうのが良く目についた。大阪北ヤードの再開発も前者になる。貨物ヤード跡地の有効利用っていう意味で。つまり、このタイプの再開発は、一旦街としての役目を終えて、その体だけが残ってて、そこに新たな街の生命を吹き込む再開発。むしろ感覚は新開発に近い。
それに対して、後者は老いた体を治療する再開発。って言っても、なにも健康で若いバリバリの体に手をつけるってことはなくて、それなりに治療対象になるには条件がある。お初天神とか、阿倍野とか堺東とか、実際に利用者はいるけど、土地柄の割に利用されてなくて(儲けてなくて)もったいないとか、防火対策が施されてない木造家屋が多いとかの理由があるときにこのタイプの再開発が行われる。で、前者の再開発が一旦キタヤードで終わりになるやろうって言われてて、これからの再開発は(戦後の混乱期に作られたとは限らないけど)後者の治療型のタイプのものが増えてくる。
で、後者の再開発で気になるのは、老いながらも命がある(少ないけど利用者は居る)のに、体を元気にするために新たな命が体を乗っ取る(新しい命で今の命を塗りつぶしてしまおうとする)っていう場合が多いこと。しかも、それは予算さえあれば確実に現実的になる(店や家の立ち退きは進む)。
力技で再開発計画が進んでいく原因としては、土地所有者と利用者が一致してないのと、土地所有者が複数居るのが考えられる。街は色んな人が居て成り立つ。街が好きでその街に暮らしたいっていうのはそこでの人とのコミュニケーションがある前提で言えること。だから1人の思いで再開発は妨げられない。街が歯抜けになるのを見ながら闘い続けるのはものすごく難しい。そんな感じで開発会社は自らの「利益」のために再開発を進めようとするし、対象地域の利用者は自らの「利益」のためにそれを止めようとする。
っていうのが再開発を取り巻く今の状況やと思う。
じゃあ、じゃあじゃあ!!!
そこで、直接の利害関係にない自分みたいな人は、何を根拠にして再開発の是非を考えたらいいんやろう。再開発は社会的には何のために行われる(行われない)べきなんやろう。
地区内の利用者のため?(にみんなの利益や未来の利益は棄てられる?)
地区を含む地域全体のため?(に地区内の利用者の利益は棄てられる?)
未来のため?(に現在の利益は棄てられる?)
大義のために小さなモノに目をつむるのもおかしいけど、感情論に傾いて、大義を見失うのもおかしいし。
再開発の意義って何なんやろう。
何を大義として据えたらええんやろう。

