天野亭(大阪府河内長野市) / 至誠(しせい)
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この建物は、里山の残る河内長野市でも、ほとんど見かけなくなった、貴重な茅葺き屋根の建物です。健在なうちにと思い、6Bの鉛筆でスケッチしました。
さて、一昨日(4月22日)は私の誕生日、何とか68歳を無事に迎えることができました。そのことを殊更に感慨に耽るのには理由があります。
それは、私が当時(中学時代)お世話になり、お慕いしていた中学校の恩師竹中允先生が69歳で亡くなられたことに関係しております。
先生は9年前(平成11年2月25日)、肝臓癌で逝去されました。その際に受けた感動、それはご自身で生前に書かれた次の「死亡の知らせ」に始まります。
「死亡のしらせ」
拝啓
昨年来、いろいろとご心配をおかけしています。皆様にはお変わり無くお過ごしのことと存じます。
さて、私その後癌との闘いに専念して参りましたが、昨年来、リンパ節に転移し、一月三十日夜、リンパ節が気管支や食道を圧迫し、左横隔膜を押し上げ、声が出にくくなるとの医師の判断もあり、兄弟一同に集まってもらいました。
「いいか、葬式はしてはいけない。身近な者だけの密葬を頼む。戒名はつけてはならない。従って、津山の墓に埋葬してはいけない」
私は長男であり、未だ家が岡山県の津山に残っていますから、兄弟たちは顔を引きつらせましたが、納得してもらうことが出来ました。
「友引、仏滅にこだわるな、密葬が済んだらすぐ火葬場で骨にして、床の間に置いてくれ」
妻とは死んだら、二人の骨を海に流してもらおうと約束しているのです。
「二人が死んだら骨を混ぜて太平洋に流してくれ。淡路の鳴門の渦がいいかなあ。二人の骨は轉びながら東インド会社のあったバタビアの海に流れて行くよ。俺が若い頃興味を持った海なのだ」
生体が圧迫されてほとんど声にならないから、沈黙の時間が流れ、しゃくり上げる声も聞こえた。
「一部の骨は東インド海流に乗って、長崎に流れて来る。今、俺が一番関心を持っている西洋医学伝来の海だ。日本海に流れ込んだ二人の骨は俺の誕生の地、博多の海や、お姉ちゃんの故郷、能登半島辺りで道草を喰いながら北へ北へ流れて行く。樺太の海は冷たい。俺たちの骨は薄くすりへって桜貝になって韃靼(だったん)海峡を渡るのさ。そこには俺とお姉ちゃんの故郷がある」
遺言を残し、明日にでも死ぬような話を済ませたら、翌日から少しずつ元気になりました。でも、私の体力気力より癌のパワーの方が強かったようです。私は平成十一年二月二五日、六十九歳で冥府へ旅立ちました。
残して行く妻が不憫であり、念願の随筆書などが未完成なのも残念ですが、これも運命と甘受しました。
誠に勝手ながら、私の死去に際し、ご来訪、御香奠、ご供料などのご配慮を賜ることは堅くご辞退願います。
歳月の浄化作用を受け、やがて妻も元気を取り戻すことでしょう。その節は励ましの言葉でもかけてやって下さい。
皆々様のご健康とご多幸を祈り生前のご交情に対し厚く御礼申し上げます。
合掌
竹中 允
「死亡の知らせ」の原文は以上ですが、この通知文を私がプリント、指定されていた関係者へ発送致しました。そして、その1年後の平成12年2月1日、故人念願であった随筆書が発刊されました。
竹中不拙著「随筆集『獅子身中の虫』」「文芸社」刊
実は、この発刊は故人の強い願望の実現です。私はその実現に微力ながら尽くすことが出来たことに感謝しております。
今年は、(故人が避けていた法要の)十回忌になります。ここに、改めてご冥福をお祈りする次第です。
2008年4月24日(木) at 12:32
このエントリ(記事)へのコメント
至誠様 / Broadway 店長
こんにちは、先日はコメント投稿ミス、大変失礼いたしました。
絵を仕上げるスピードはさすがですね!
至誠様の恩師であられる竹中様の人生観、シンプルでロマンさえ
感じますね!
まさに人生、死を考えると生きるがみえてきそうです、学ぶべき事の多い文面でした。
ありがとうございます!
絵を仕上げるスピードはさすがですね!
至誠様の恩師であられる竹中様の人生観、シンプルでロマンさえ
感じますね!
まさに人生、死を考えると生きるがみえてきそうです、学ぶべき事の多い文面でした。
ありがとうございます!
2008年04月24日(木) at 16:30
「獅子身中の虫」 / ikomanokaze URL
至誠さんの恩師の随筆集「獅子身中の虫」はどんな内容なのでしょうか?
「死亡のお知らせ」の内容から考えて とても複雑な心境です。「虫」との闘いはいろんな空想を思い描かせます。
そして 至誠さんの人脈といいますか 人とのかかわり方についても深いものを感じます。絵を描いておられたお父様のこと、中田武仁さんとのこと、竹中先生とのこと、深いつながりを感じます。
竹中先生は韃靼海峡でお姉さまとお話しておられるのでしょうか?
「死亡のお知らせ」の内容から考えて とても複雑な心境です。「虫」との闘いはいろんな空想を思い描かせます。
そして 至誠さんの人脈といいますか 人とのかかわり方についても深いものを感じます。絵を描いておられたお父様のこと、中田武仁さんとのこと、竹中先生とのこと、深いつながりを感じます。
竹中先生は韃靼海峡でお姉さまとお話しておられるのでしょうか?
2008年04月24日(木) at 20:00
Broadway 店長様 /
至誠(しせい) URL
末期癌を真っ正面から受けとめて、残された短期間の生命を燃焼し尽くして旅立たれました。まさしく、死を考えることは生を考えることでもある、という証でもありますね。
2008年04月24日(木) at 20:29
ikomanokaze様 /
至誠(しせい) URL
随筆集「獅子身中の虫」の命名は、この中に収めた同名の随筆の表題からです。癌を虫に例えて、獅子の体内で暴れる困った虫、という意味でしょうか。
この通知文の「姉」は先生の奥様のことです。長男である先生が兄弟(弟妹)相手に話されているのでその表現になっております。因みに、奥様はご健在、奥様が亡くなられたら一緒になった散骨が韃靼海峡へ旅する・・・、ということだと思います。
この通知文の「姉」は先生の奥様のことです。長男である先生が兄弟(弟妹)相手に話されているのでその表現になっております。因みに、奥様はご健在、奥様が亡くなられたら一緒になった散骨が韃靼海峡へ旅する・・・、ということだと思います。
2008年04月24日(木) at 21:02
散骨 /
そよ風君 URL
散骨は私も望むところで、太平洋まで同じなのは考え方に似たところがあるのでしょう。こうした思いは、小冊子にしたためてありますが、遺品の整理をした時に出てくるような仕掛けにしています。50代後半に書き残しましたが、今でも考えはなんら変りません。同じ考えの方がおられることを知っただけでも、勇気づけられます。
2008年04月24日(木) at 21:08
そよ風様 /
至誠(しせい) URL
私も散骨を希望しています。そのことは、元天竜寺住職・関牧翁老師が質問に「あの世なんて存在しない。死ねば無に帰するだけ」と答えられたことに起因しているのかも知れ得ません。
2008年04月25日(金) at 0:26
トンガの海に・・・ / 森すえ URL
竹中先生がお亡くなりなられたのは69歳のときだったんですね。
最後にお目にかかったのは同窓会の時で「まだまだこれからですよ」と私に言われたのが心に残っております。至誠さんは通知文や出版に
ご尽力をつくされ、本当にありがとうございました。先生もさぞかしお喜びのこととでしょう。
私も遺骨は太平洋の島、トンガの珊瑚の海の浅瀬にまいてほしいことを、詩で娘に託しております。南国のかわいい美しいお魚の餌になりたいと望んでおります。
最後にお目にかかったのは同窓会の時で「まだまだこれからですよ」と私に言われたのが心に残っております。至誠さんは通知文や出版に
ご尽力をつくされ、本当にありがとうございました。先生もさぞかしお喜びのこととでしょう。
私も遺骨は太平洋の島、トンガの珊瑚の海の浅瀬にまいてほしいことを、詩で娘に託しております。南国のかわいい美しいお魚の餌になりたいと望んでおります。
2008年04月25日(金) at 7:05
生と死 / 笛吹童子
まずは、至誠さんのお誕生日、お祝い申しあげます。
そして、貴殿の恩師の感動的な遺書を拝読し、69才で亡くなった私の父のこととと重ね合わせています。父も大学で本を残して死にましたが無味乾燥ともいえる商法の「実務書」で、私にはいまだ価値がわかりません。が、死ぬまで学生の就職運動に携わっていた生き方には
惹かれるところがあります。
そして、貴殿の恩師の感動的な遺書を拝読し、69才で亡くなった私の父のこととと重ね合わせています。父も大学で本を残して死にましたが無味乾燥ともいえる商法の「実務書」で、私にはいまだ価値がわかりません。が、死ぬまで学生の就職運動に携わっていた生き方には
惹かれるところがあります。
2008年04月25日(金) at 23:02
森すえ様 /
至誠(しせい) URL
死亡の通知の原稿を預かって、5日後に先生は逝去されました。ちょうど逝去されたその時、私は運悪く(白内障の手術で)5日間の入院中での出来事でした。従って、先生の死に目には会えませんでした。入院先に訃報が入って、用意していた「死亡通知」を投函した次第です。
死を目前にして、あのように冷静に死を直視、そして対処出来た人は知りません。勿論、私には到底無理なことだと再確認しております。
死を目前にして、あのように冷静に死を直視、そして対処出来た人は知りません。勿論、私には到底無理なことだと再確認しております。
2008年04月26日(土) at 2:52
笛吹童子様 /
至誠(しせい) URL
お父上は学生思いの心優しい先生だったのですね。笛吹童子様はまさしくお父上のその優しさを受け継がれているのですね。教え子達は幸せだと思います。
2008年04月26日(土) at 2:59
そうでしたの・・・ /
森 すえ URL
9年前に、至誠さんは白内障の手術をなさったのですか。その後はいかがでございますか。先生は冷静な方で論理性に優れた方だったかと思います。私にもできません。流れに任せていくだろうと思っています。本当にいつもお世話になりありがとうございます。
2008年04月26日(土) at 11:27
白内障/森すえ様 /
至誠(しせい) URL
左目(右目は正常です)の白内障手術を受けました。それまでは釣りの浮きが3本に見えたり、ゴルフのパットでボールが3個に見えてどれをヒットすれば良いのか・・・、でした。
手術後は「マイ ブルー ヘブン!」、「世の景色がこんなにも鮮明だったのか!」と、感銘。その気持ちが水彩画を始めるきっかけになりました。
ところで、竹中先生は、確かに論理的な方だったと思います。もう10年長生きされていたら、きっと芥川賞か直木賞を受賞されていたと確信しております。
手術後は「マイ ブルー ヘブン!」、「世の景色がこんなにも鮮明だったのか!」と、感銘。その気持ちが水彩画を始めるきっかけになりました。
ところで、竹中先生は、確かに論理的な方だったと思います。もう10年長生きされていたら、きっと芥川賞か直木賞を受賞されていたと確信しております。
2008年04月26日(土) at 14:49
茅葺き屋根。 /
大日如来 URL
親戚にも藁葺き(茅葺)屋根がありまして子供の頃屋根に上がったら藁が腐っていたのか膝まで埋まって大変な事をしたと言う記憶があります、怒られたかどうかは忘れましたが。
2008年04月28日(月) at 7:59
大日如来様 /
至誠(しせい) URL
懐かしい思い出ですね。その建物は今も健在でしょうか。昨今は屋根葺き職人がいなくなって、銅板葺きになっていたりしますね。

