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銘菓『ひよ子』〜世界一受けたい授業SPより / 中村智彦

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新年1月13日(土)放送予定・日本テレビ系『 世界一受けたい授業・1億人の国語算数理科社会音楽2007最強熱血先生が大集合SP!』(19:00〜20:54)に出演いたしました。
 今回は、西日本新聞社さんのお仕事で、九州にお邪魔した時のご縁で、銘菓『ひよ子』の工場を紹介させていただきました。
 
《東京ひよ子・草加工場にて》

 
 「九州生まれ東京育ち」、博多銘菓であり、東京銘菓でもある「ひよ子」。株式会社東京ひよ子様の草加工場にお邪魔し、焼きたての「ひよ子」も食させていただきました。また、愛知ブランド認定企業である野安製瓦株式会社様の工場もご紹介させていただきました。
  
 さて、収録現場でも、歓声が上がったのが、ひよ子饅頭。普段から、駅などの売店で眼にすることも多いし、食べた経験がないという方も少ない、まさにベストセラー商品です。
 
 意外と知られていないのが、ひよ子は九州の発祥だということ。もともとは、炭鉱が盛んだった筑豊・飯塚が発祥の地なのです。
 飯塚を訪れた時に教えていただいたのですが、ひよ子の製造元である株式会社ひよ子も、千鳥饅頭やチロリアンで有名な千鳥屋も、実は飯塚が創業の地。その理由を聞いて、なるほどと思うと同時に、驚いのである。

 かつて、盛んだった炭鉱。筑豊では、大手だけではなく、数多くの中小や家族経営の採炭もあった。厳しい労働環境、落盤などは、簡単に命を失う。働く人々は、その日、その日、明日はわが身かと案じながら、酒を飲む。しかし、誰しもが酒で憂さを晴らせるわけでもない。酒が飲めない者は、甘いものを求めた。当時としては贅沢品であった砂糖や、卵などをふんだんに使ったお菓子が、飯塚では人気を集め、後に銘菓と呼ばれるものが創りだされた。

 ちょうど飯塚を訪れる直前、なにかで次のようなことが書かれていたのを眼にした。その著者は、若い頃、炭鉱地帯で、お茶を売る仕事をしたのだが、貧しい鉱夫たちが行商の彼が来るのを待ちうけ、最も高価なお茶を購入するのに驚いた。しかし、それは彼らの最高の楽しみであったのだという記述であった。まさに、銘菓が誕生した、その理由と同じである。
 
 ひよ子は、ある意味、数奇な運命の銘菓である。昭和39年(1964)の東海道新幹線の開通。これからの時代を予見した経営者は、東京に進出を決意し、埼玉県草加市に工場を建設する。
 
 ひよ子の本格的な東京進出は、当時としては異例の地方起業の東京進出だったのだ。これ以降、駅の売店などで、ひよ子は人気商品となり、「東京銘菓」としての地位を築いていく。
 
 草加工場を見学させていただいたのだが、もっとも驚いたのは、ひよ子が成型される部分である。まだ柔らかく、中の餡と、外側の皮が一体となった状態で、上から型が一気に押し付けられ、あのひよ子の形になるのである。こうして一日16万個のひよ子が作りだされていく。
 
 【動画→ (クリックすると、youtubeに掲載した動画を見ることができます。)
 
 案内してくださった工場長も、「ここがうちの肝の部分です」とおっしゃったが、一度でくちばしまで作り出してしまい、なおかつ、二層になっているものを均一にしつつ延ばすのは、驚きである。
 この型は、重要部品であり、九州の本社が厳重に管理し、製作は、高い技術を保有する職人が行っていると言う。詳しいことは、秘密だそうだ。
 確かに、この型はすごい。工場長は、「類似品を見つけると、真っ先に眼が行くのは、やはりくちばしの部分です。なかなかうちのように出来ているのはありません。」と話す。
 
 ちなみに巨大ひよ子や、ミニひよ子は、手作業で作られている。「洋菓子に比べて、和菓子は、包みに2年、餡練り3年と、最低でも十年は掛かりますから、若い人には辛いのでしょうねえ。なかなか成り手がありません。」担当の方は、そう苦笑していた。大量生産の工場現場なのにと思って、尋ねてみると、「自動化しているといっても、機械は機械です。やはり、職人の知識や勘や技術というものがないと、いいものは作れません。それに、同じ工場で手作業での和菓子作りなどもしているのです」とのことだった。和菓子の職人は、両手で饅頭を丸められなければ一人前になれない。だから、「家に帰っても、両手にゴルフボールを持ち、同じようにくるくる廻せるように練習するのですよ」と言われた。やってみると判るが、意外と難しい。職人になる道は、なかなか険しくて、そして地道な努力が必要なのだ。
 
 しかし、一日16万個である。これが、直営店23店舗をはじめ、キオスク、スーパーや量販店など関東一円で販売される。製造も去ることながら、その流通ももっと知りたいところである。

 さて、巨大ひよ子は、イベント用に作製されるものだが、もう一つの目的は餡と皮の部分が一体になったものを手の感覚だけで、均一になるように延ばし、成型していく技の伝承だとか。皮の部分が不均一になれば、焼いた時に薄い部分が破れて、中の餡が噴出したり、重みに耐えかねて首の部分が下がってくるのだそうだ。
  
 ちなみに、東京ひよ子と、九州のひよこは、関連会社だが別々になっており、商品構成も多少違っている。ミニひよ子は、東京ではイベント用であるが、九州では注文すれば慶事用として購入可能だ。
 
 テレビで放映する時は、どうしても大量生産のすごさが中心になってしまうが、現場では職人魂のようなものを持った職人さんたちが活躍していることが多い。工場見学すると、確かに機械のすごさにびっくりさせられるが、そうした職人さんたちの話に、感動させることも多いのだ。
 
 博多駅や東京駅に並ぶ多くの「ひよ子」たちを眺めると、今までと違った親しみを感じてしまう今日この頃である。 

 なお、『世界一受けたい授業SP』(2007/1/13放映 2時限目)で放送された部分は、こちらでご覧いただけます。→こちら 
2007年1月31日(水) at 02:37 

不思議!手が切れないプルトップ缶の工場 〜 谷啓製作所(蒲田) / 中村智彦

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※指を当てても切れない!!


 8月5日放送の「世界一受けたい授業 スペシャル」の第二時間目の冒頭で、紹介した手切れないプルトップ缶のふたを製造しているのが、谷啓製作所です。番組の収録を前に、無理をお願いして、工場を見学させていただき、創業者である会長・谷内啓二氏のお話を伺ってきました。
 
 工場は、東京国際空港(羽田)に近い、蒲田にあります。町工場がたくさんあり、運河には釣り船が並んでいて、なんだか懐かしい雰囲気の漂う街です。

※谷啓製作所


 谷内会長は、こどもの頃から発明が大好きで、これまでも数々の新製品の開発を手がけてきたいわば「町工場のエジソン」的存在。十代から、東京に出てきて、金型加工の腕を磨いてきたのだそうです。
 
 そんな中、谷内氏の発明心をくすぐったのがプルトップ缶。実は、私もあるのですが、「パッカン」を簡単にあくプルトップ缶は、便利なのですが、その開けたふたの縁で指を切ってしまうことが、しばしば。鋭い金属の刃で切られてしまったようになって、傷口は深いは、ざっくりなっているは、血が出るわ、痛いわ、治りには時間がかかるわ・・・「あの缶って怖いよねえ」と思う人は多いはず。
 
 大人でもそうですから、子供や高齢者には、危険。そこで、なんとか安全なプルトップ缶が作ることが出来ないかと、考えたのは、実は、谷内氏だけではなかったのです。日本のトップクラスの大学や研究機関、アメリカの一流大学の研究所など、同時期に開発を進めたのですが、いずれも断念。コンピューターを駆使しても、結局、不可能だということになったのです。
 
※仕組み


 さて、同じ時期に考えていた谷内氏。その原理は、考え付いたのですが、実際の開発には大変な苦労が。
 原理は、まず、ふたになる円板の縁をジャバラのように折り曲げておきます。ふたを開けると、切り口になる部分が折り曲げた湾曲部分に巻き込まれるようにすることで、指に金属の鋭い切断面があたらないのです。
 原理は出来たのですが、製作は難しい。簡単だが実際に作ってみるとなかなかうまくいかない。少しでも寸法が狂うと堅くて開けることができない。逆に緩くすると切り口が隠れない。
 コンピューターでも解決できなかった製作法を編み出したのは、谷内氏の「勘ピューター」だったわけです。もちろん、「勘」といっても、いい加減なものではなく、長年の金属加工の経験と知識、そして現場で研ぎ澄まされた感覚の賜物なのです。
 
 さて、工場ですが、まず、すでに缶のふたになるように印刷された金属板を円形に切り取るところから作業が始まります。

※鉄の板にはすでに印刷されている。


 そして、円盤状の板をプレスをして、形を作っていくわけですが、当然ながら引っ張る部分も別に作られていきます。

※右側からプレスされていく過程が分かる


 先に円形に切り取られた金属板は、プレスを繰り返し、次第に缶のふたの部分を形作っていきます。正確には、ふたの開く部分とその枠の部分が一枚の板で作られるのです。

※左側のものが、複雑なプレスをされて、右側の完成品になる。


 この工場の心臓部分がここです。複雑なジャバラ状の部分が、精密な金型を使い、プレスされて作られていきます。
 
※プレスされる前と後


※左側からふたの部分が送り込まれ、右側からは引っ掛けの部分が送り込まれ、機械の中で完成する。


 右側からは指をかけて引っ張る部分が送り込まれ、左側で出来上がってきたふたの部分に接合されます。そうして、安全なプルトップ缶のふたが完成です。

※精密な金型もすべて自社製


 さて、工場の中の機械をこんな風に見せてしまって大丈夫なのでしょうか・・・

 「大丈夫だよ。使っている機械は、全部、市販されているもの。でも、かなり改造しているから。中までは分からないでしょ。」

 この辺の製作のために機械は、周辺の企業に作らせているのですか。

 「いや、ぜーんぶ、自分で作っているの。」

※独立してからずっと使われている。


 これが、この工場のマザーマシン。年季が入っていますが、今でも現役。なんでも、この機械で作ってしまうのだそうです。
 ここが、町工場のエジソンのエジソンたる所以でしょうね。
 
 「いままでに、そうだなあ。この工場の四つや五つ分のお金はつぎ込んでいるかなあ。あははは。。。」

 谷内会長が開発した安全プルトップ缶は、世界シェアの四分の一を占めるほどになっています。その理由は、アメリカの大手食品メーカーが採用したこと。そのメーカーからは技術者が研修のために、この蒲田の工場に滞在、技術を学んで行ったそうです。また、谷内会長も、アメリカの工場に招かれ、現地で技術指導をしたそうです。
 その時の経験談は、非常に興味深いものでした。こうしたものづくりの技術とか「匠の技」といったものは、日本のお家芸のように言われていますが、谷内会長はアメリカに行き、製造現場における職人たちのプライドの高さや、その技術水準の高さに感激したと言います。

 「海の向こうにいって、こっちら側を見ると、なんだか変だなあと思えてくるものも多いねえ。」

 ※様々な商品に使われ始めている


 消費者にとっては、安全なもので、もっと普及して欲しいものです。アメリカのメーカーがいち早く導入したのは、やはり消費者の安全に対する製造者責任の追及が強いこともあるのでしょう。しかし、周囲に聞いても、「手を切ったことがある」という経験者は多数。こうした安全なものがあるのですから、もっと普及してもらいたいですね。アメリカの企業とか企業経営に対して、色々な批判もありますが、「良いものがあれば、どこの国のものでも、導入しよう」という姿勢は、もう少し見習ってもいいのではないでしょうか。

※谷啓製作所自家製の「おかゆ」の缶詰


 せっかくの発明品を、自分達でも広めようと考えて、自社製品まで作ってしまったというところも、おもしろい!
 コシヒカリを使った「おかゆ」の缶詰です。缶きりもいらないし、非常食にもぴったり。

 なんですが、ただのおかゆではないところが、やはり町工場のエジソンたるところ。
 
 缶を開けてみると、なぜかレトルトパックが入っています。それに、そのパックの外側には水が入っている。缶詰の中に、レトルトパック。そして、その外側の水は捨ててくださいと書かれています。
 
 製造工程を伺って、びっくり。まず、米を水と一緒にレトルトパックに入れて、缶の中に入れます。そして、熱を加える。それだけ。しかし、その「それだけ」が驚く効果をもたらすのです。レトルトパックは、実は小さな穴が開いています。それが熱を加えることによって、その小さな穴が、大きくなる。(といっても、ごくごく小さな穴ですが。)
 そして、浸透圧の影響で、その穴から不純なものが出てしまうのだそうです。その結果、えぐ味などがなくなり、美味しいおかゆになるのです。

 このレトルトパックと、缶詰の組み合わせは、まだまだ色々なことに使えるそうです。会長いわく、「缶詰というのは、本当に色々な可能性を、まだまだ秘めているから、おもしろいね。」
 
 谷内会長のところには、大手企業などから、「どうしたら、こういった発明や開発ができるようになるのか。子供の頃から、そうだったのか」と話を聞きに来たそうです。

 もちろん、教育も大切ですが、新しい発明や技術を、きちんと評価し、柔軟に受け入れていく社会を作ること。それも大切なのではないでしょうか。ベンチャー企業育成の問題からしても、資金提供なども重要な問題でしょうけれど、まずは新しいものを、きちんと評価すること、それを受け入れることが求められているのでは。その点では、まだまだ欧米に学ぶべき点も多いのだろうと、お話しを伺って思いました。
 
 ごくごく普通の町工場に見える、その中で、色々な工夫や、発明や、開発が続けられている。そして、そこで作り出されてきたものが、私たちの生活を豊かに、安全にしていっている。何気なく、いつも使っていますけれど、そうしたことを忘れてはいけないなあと、思いながら、そして、とても楽しそうに開発の、ものづくりの苦労をお話いただいた谷内会長と奥様のお顔を思い出しながら、帰路に着きました。
 
 ☆(有)谷内製作所 
 『世界一受けたい授業 スペシャル』で使わせていただいた缶のふたは、谷内製作所からご提供いただきました。お礼を申し上げます。 
 

 

 
2006年8月5日(土) at 19:57 

うなぎパイの工場見学 / 中村智彦

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 前々から一度、行ってみたかった『うなぎパイ』の工場。先日、行って来ました。

 春華堂の「うなぎパイ」工場は、浜松市の浜松技術工業団地の一角にあります。周囲は、近代的な工場が並んでいます。

 行ったのは平日の昼間でしたが、結構、多くの人たちが訪れていました。多かったのはご婦人方で、工場に併設されたカフェサロンがお目当てのよう。

 さて、入り口で受付をすると、おみやげに「うなぎパイ」の試供品がもらえます。そして、製造工程に関するパネルなどを見ながら、工場をガラス越しに見学するわけです。
 
 考えてみれば、当たり前なのですが、焼きあがる前の生地段階は、「細い!」



 これが釜で焼かれていくと、だんだん膨らんで、いかにもおいしそうになって行きます。




 もう、このままでも充分においしそう。ベルトコンベアで自動的に焼きあがっていくのは、見ていて飽きません。




 ここの工程が、一番、感心したと同時に、笑みがこぼれてしまいました。
 ホンモノの蒲焼のようにタレを、ここで塗りつけるのですが、ハケが自動的に動く様は、なかなかのものです。ガラス越しですが、香りや音まで伝わってくる感じがします。




 いろいろな工場を見学していて、いつも感心するのは、「やはり最後のチェックは人間が」という点です。
 日本の製品は、海外の人たちからよく、非常にきれいだし、不良品が少ないと評価されてきました。それは、こうした最後の「人の手」にかかっている点にあったのではないか、また、現在でもそうではないかと思うのですが。




 見学ルートの最後にある記念写真ポイント。人間の身長くらいある商品が並んでいて、こどもたちが大騒ぎしていました。




 工場内にあるカフェサロンは、ちょっとしたデパートの中の喫茶室のような感じ。うなぎパイを使ったデザートや、和菓子などが提供されています。

 最近、食品関係で工場見学コースをうまく使って、販売や宣伝に活用している企業が増えています。この工場も、平日でも多くの人が訪れており、隣接する工場などでは「小判サメ」商法で、看板をだして「小売します」と販売をしているところも出てきていました。
 
 「産業観光」の振興が主張されていますが、一方で、企業側から見た時に、見学コースの維持管理には膨大な費用がかかります。見学コースを整備したことで、どれほどの宣伝効果があるのかとう点から見ると、なかなか直接、消費者に接することのないメーカーなどでは社内の同意を得ることも難しいでしょう。また、工業団地の中に立地している場合は、仮に多くの観光客が自家用車などでやってくると、他の工場などの搬入や搬出の妨げになるのではという懸念も出てくるでしょう。
 
 「産業観光」が、なかなか軌道に乗らないのは、そうした多くの問題があるからで、単に企業側の認識の低さを問題にしてはいけないのです。
 しかし、今、政府与党が進めているアメリカ型の会計基準、株主の権利拡大の方向で行けば、みすみす利益を失ってしまう工場の見学コース設置や資料館の設置、美術館の運営などは、どうなるのでしょうか。ファンドの人たちからすれば、こうした「無駄」な出費を抑えて、配当を増やせと言うことになるでしょう。
 
 これからそうしたことに、どう折り合いを付けていくのか、あるいは付けていけなくなるのか。仮に折り合いがつかなくなって、大企業が文化事業とか地域貢献事業から撤退していくならば、大きな損失が生まれると同時に、一層、株式公開をせず、オーナー企業で地域貢献をしようと試みる中小企業の役割が大きくなるのだろうと、うなぎパイが載ったデザートを食べながら、考えさせられたのでした。

春華堂 工場見学案内
2006年5月23日(火) at 01:15 

ナニワ企業団地協同組合25周年記念 / 中村智彦

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 2005年7月15日に、ナニワ企業団地協同組合の設立25周年記念パーティーが開催され、出席させていただきました。

 

 ナニワ企業団地協同組合をご紹介くださったのは、現在の雇用能力開発機構の大阪事務所の方でした。
 
「おもしろいことをやっているところがあるから、見においでよ。」

 この一言がきっかけでした。

 大阪府の研究所に勤務していた10年前の話です。

 雇用能力開発機構が、ナニワ企業団地で中小企業向けのコンピュータの講習を開始したところでした。中小企業の経営者や従業員は、勤務時間のこともあり、日中は講習など参加できない、夜も遠方まで通えない、だから出前で講座をと組合側は要求したのです。
 雇用能力開発機構側の担当者は、かなり苦労をされたようですが、結果的に先進事例として、その講習は成功しました。

 驚いたのは、ナニワ企業団地を訪問してしばらくしたからのことでした。別件で大阪市役所を訪れた時、「最近は、どういう調査をやっておられるのですか」との質問に、ナニワ企業団地の名前を出したところ、急に市の職員の表情が険しくなり、「あそこのことなら、担当に話をさせます」と急に慌ただしい動き。
 そして、いかにナニワ企業団地が、市の計画に反するものであったか、いかに指導に従ってないかを聞かされたのです。

 今となっては、笑い話です。しかし、当時はそういった感じだったのです。今では、様々なところで好事例として紹介されていますが、ここに至るまでは多くの関係者や、それを支援する人たちの陰での働きがあったことを忘れてはならないでしょう。

 研究者にも、成功事例だけをポンっと取り上げて、そこまでの経緯などを全く分析しない人がいます。そうなってはいけないなと、経営者や事務局のみなさんの顔を拝見して、改めて自戒した夜でした。

 

 今回のパーティーでは、理事の方たちの交代も発表されました。10年、一昔と言いますが、「ああ、自分も歳を取ったのだなあ」とその光景を見ながら、思っていました。
2005年8月29日(月) at 01:27 

京都機械金属中小企業青年連絡会 / 中村智彦

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 もうお付き合いいただいて8年くらいになります。当時は、同年代の会員の方たちは「若手」。
 こちらも若かったです。
 
 最初の例会にお邪魔したときに、「そんなん言うているからや、お前が辞めてしまえ!」という激しい先輩会員のお言葉に、びっくりしたのは私だけではなかったようです。

 2005年4月の総会に「顧問」としてお邪魔しましたが、その時の同年代「若手」が、いまや幹事たちです。

 45歳で壮年会員で卒業するという機青連の規則も、「ほほーん」と思っていたのが、気が付いたら自分もその年齢に近づいているんですねえ。

 というわけで、キセイレンでもブログを作っておられます。が、開くと、なんか厳つい顔が並んでますなあ(笑)
2005年5月5日(木) at 23:08