【外国人研修生制度】根本的な議論をすべき時期に / 中村智彦
おでかけ・旅 > 地域経済を考える
「外国人研修・技能実習制度」というものがある。
この制度で日本に入国している外国人は、約8万人超。あまりぴんと来ないでしょうが、8万人というと、長岡京市、館林市、綾瀬市、岩見沢市なんかの人口とほぼ同じ規模といえば、その人数の多さが理解できるでしょうか。
さて、この制度、まず、建前であるが、発展途上国の若者を中心として「研修生を招いて技術移転による人材育成を行い,それらの国々の発展を支援するという,長く広くその効果が浸透していく国際協力・国際貢献」である。
で、実際には、日本でのいわゆる3K労働者不足の補充として、低賃金外国人労働者として、発展途上国から若者を招くということ、そして、人的資源、つまり労働者の海外派遣を進める発展途上国側の要請に応えることのための制度である。
事の発端は、1980年代に始まった国内での若年労働者不足、特に3K労働現場での労働者不足である。特にバブル景気時期に、労働者不足は深刻化し、政府は、緊急措置として、一つには南米からの日系人の導入、そして、この「外国人研修・技能実習制度」による東南アジアからの労働者の導入を行った。
いずれにしても奇妙な手法である。前者は、すでに移民して何十年も経ってしまった子孫を「日本人」として扱うというものあり、そのくせ、きちんとした受け入れ策を講じなかったことが、今になって彼らの子供への教育問題や貧困層を生じさせるという問題の温床となってきた。
後者は、いわゆる鵺のような制度である。「研修生」であるから、労働者ではなく、したがって「賃金」支払われず、「労働者」としての地位も権利もない。それでいて、その「研修」は、工場や工事、農業、漁業、サービス業などの3K現場での「実習」である。研修で、実習なのだから、最低賃金も関係ないのだ。
外国人労働者の議論をすると、しばしば戸惑うことが多い。どちらかと言えば、右派を標榜する方で、外国人労働者には絶対反対と言う意見を持っている人に限って、実は数多くの「外国人研修生」が導入され、日本の製造業や建設業、農業のかなりの部分が、彼らの「労働力」によって支えられているという事実を知らないのだ。つまり、「外国人が多く働いている」というのは知っているが、それは「不法滞在外国人」だと信じているのだ。
「多くの人が労働したいと思いながら、働く場所がないのに、外国人労働者の導入など、とんでもない」という意見を述べても、それは実際問題として、たぶんに思想的、感情的にしかならないだろう。なぜならば、仮に現在、外国人「研修生」が働く場所を、日本人に譲ったとしても、日本人でそこで働きたいと思う者は、ほとんどいないだろうし、なによりそんな低賃金では働かないだろう。
強い調子で、外国人労働者に対して反論をする人と、少し落ち着いて話しをすると、それが「移民」とごっちゃになった議論であることにすぐ気がつく。
もちろん、ヨーロッパの事例などから、労働者がそのまま住み着き、移民となってしまったという話も、あながち議論の一つとしては間違っていない。
しかし、である。
いつまで、存在している「外国人労働者」を、「研修生」だと呼び変えて、誤魔化し通すのであろうか。随分前であるが、ある新聞社の見出しに違和感を覚えて、メールを送ったことがある。それは、「研修生、また脱走」という見出しだった。そもそも、「研修生」が「脱走」するのか?ここに、もっとも表れているではないか。
さて、この問題を少し整理してみよう。
(1)3K労働現場で労働力が不足している。
(2)こうした労働現場は、労働条件が悪く、低賃金が多く、日本人を雇用することは非常に難しい。
⇒ だから、「外国人」を導入しよう
というのが、そもそものスタートなはずである。
「国際貢献」だの、「技術移転」だのは、あくまで言い訳で後で付け加えたものなはずだ。
仮にあくまで、この制度は「国際貢献」と「技術移転」が主眼だというのであれば、国際協力機構(JICA)に一本化して、むしろ縮小すべきものだろう。しかし、そうはできないのは、上記が本音だからだ。
さて、現在の日本の少子高齢化の加速度的な進行を見れば、外国人労働者の導入は不回避というか、すでに定着してしまっているといえる。
仮に、あくまで外国人労働者反対を主張するのであれば、3K労働現場を持つ企業、すなわち日本国民を雇用するだけの賃金を支払うことのできない企業は市場から退出すべきだという主張をしなくてはならない。もちろん、合理化、機械化によって省人化を進めるという方法もあるにはあるが、それとて限界があるだろう。
外国人労働者絶対反対の場合は、現状をどのように変えるかの提案をしなくては前に進まない。
次に、労働者不足に対応して、外国人労働者導入やむなしという立場に立つとすれば、これはこれできちんとした議論が必要である。
ここでは、根本的な問題点が存在する。まず、日本人並みの賃金を支払ってもいいから、人材が欲しいという産業や企業が存在するという反面、日本人が来ないような低賃金で労働者を雇わないと経営が成り立たないという産業や企業も存在するという点である。
問題は、後者である。後者の場合、現在の研修生制度は非常に都合がいい。労働者であって、労働者ではない研修生を、労働現場で、低賃金で、なおかつ労働条件が悪いままで使えるからだ。
しかし、こんな方法が世界的に認められるのだろうか。研修生だとして、日本に来て、しばらくすれば、自分たちの「労働条件」が格段に悪いことくらい、すぐに気がつくだろう。だから「逃げる」のであり、脱走するのだ。使う側は、パスポートを取り上げ、賃金の一部をプールして帰国するまで支払わないようにしたり、あの手この手を講ずるが、すればするほど、「研修」とは名ばかりのものになっていく。
もういい加減に、日本古来の手法、「酒を般若湯」、「ウサギは、一羽二羽と数えて鳥扱い」とするような読み替えで事態を乗り切ろうというのは、止めるべきではないのか。
はっきり言うが、研修生制度反対=外国人労働者反対ではない、外国人労働者導入賛成=移民賛成でもない、そして、労働者である以上、日本国民も外国人も同等の条件、賃金を与えろという意見でもない。
しかし、すでに日本は外国人の労働力なしでは、経済活動が廻せない状況になっている事実がある。ここで、きちんと、
(1)外国人労働者は必要である。
(2)だからといって、永住を認める、すなわち移民を認めることはできない。
(3)すべからく、日本人と同等の労働条件を認めるわけにもいかない
という三点から、どのような制度が必要なのか、また、どういった法整備などが必要なのかを、きちんとすることが、長期的に見て、社会全体に有益なのではないか。
「研修制度を批判することは、中小企業いじめである」というおためごかしの批判を繰り広げる人がいるが、それは本当なのであろうか。
「研修生」だから、企業と直接、「雇用契約」を結べず、「受け入れ機関」なるものを作り、そこに関係省庁の人間が天下り、中小企業からも、研修生からもピンハネするという構図があるから、それを守ろうと省庁関係者が必死になっているようにみるのは、うがった見方だろうか。官製の女衒(ぜげん)のような機関が、ぬくぬくと懐を肥やしてきたことに対しては、しっかり批判すべきではないかと思っている。
外国人研修生の数は、2005年で83,319人、そのうち、財団法人国際研修協力機構(JITCO)が支援した研修生総数は57,050人にも上る。この機構は、厚生労働省の管轄であるが、経済産業省も研修制度には、「中小企業支援」の一環として実施拡大を求めているらしい。はてさて、一人につき一万円抜くだけでも・・・・
くだらない言葉遊びで、誰かが得しようとするチンケなマネはなんとか止めて、「外国人労働者は、労働者として、どのように受け入れ、どうしていくのか」をきちんと議論していただきたい。少子高齢化、人口減少は、急速に、着実に進んでいるのだから、一部の人たちの利益だけで未来を壊さないように。
*参考資料 「法務省出入国管理関連統計」
この制度で日本に入国している外国人は、約8万人超。あまりぴんと来ないでしょうが、8万人というと、長岡京市、館林市、綾瀬市、岩見沢市なんかの人口とほぼ同じ規模といえば、その人数の多さが理解できるでしょうか。
さて、この制度、まず、建前であるが、発展途上国の若者を中心として「研修生を招いて技術移転による人材育成を行い,それらの国々の発展を支援するという,長く広くその効果が浸透していく国際協力・国際貢献」である。
で、実際には、日本でのいわゆる3K労働者不足の補充として、低賃金外国人労働者として、発展途上国から若者を招くということ、そして、人的資源、つまり労働者の海外派遣を進める発展途上国側の要請に応えることのための制度である。
事の発端は、1980年代に始まった国内での若年労働者不足、特に3K労働現場での労働者不足である。特にバブル景気時期に、労働者不足は深刻化し、政府は、緊急措置として、一つには南米からの日系人の導入、そして、この「外国人研修・技能実習制度」による東南アジアからの労働者の導入を行った。
いずれにしても奇妙な手法である。前者は、すでに移民して何十年も経ってしまった子孫を「日本人」として扱うというものあり、そのくせ、きちんとした受け入れ策を講じなかったことが、今になって彼らの子供への教育問題や貧困層を生じさせるという問題の温床となってきた。
後者は、いわゆる鵺のような制度である。「研修生」であるから、労働者ではなく、したがって「賃金」支払われず、「労働者」としての地位も権利もない。それでいて、その「研修」は、工場や工事、農業、漁業、サービス業などの3K現場での「実習」である。研修で、実習なのだから、最低賃金も関係ないのだ。
外国人労働者の議論をすると、しばしば戸惑うことが多い。どちらかと言えば、右派を標榜する方で、外国人労働者には絶対反対と言う意見を持っている人に限って、実は数多くの「外国人研修生」が導入され、日本の製造業や建設業、農業のかなりの部分が、彼らの「労働力」によって支えられているという事実を知らないのだ。つまり、「外国人が多く働いている」というのは知っているが、それは「不法滞在外国人」だと信じているのだ。
「多くの人が労働したいと思いながら、働く場所がないのに、外国人労働者の導入など、とんでもない」という意見を述べても、それは実際問題として、たぶんに思想的、感情的にしかならないだろう。なぜならば、仮に現在、外国人「研修生」が働く場所を、日本人に譲ったとしても、日本人でそこで働きたいと思う者は、ほとんどいないだろうし、なによりそんな低賃金では働かないだろう。
強い調子で、外国人労働者に対して反論をする人と、少し落ち着いて話しをすると、それが「移民」とごっちゃになった議論であることにすぐ気がつく。
もちろん、ヨーロッパの事例などから、労働者がそのまま住み着き、移民となってしまったという話も、あながち議論の一つとしては間違っていない。
しかし、である。
いつまで、存在している「外国人労働者」を、「研修生」だと呼び変えて、誤魔化し通すのであろうか。随分前であるが、ある新聞社の見出しに違和感を覚えて、メールを送ったことがある。それは、「研修生、また脱走」という見出しだった。そもそも、「研修生」が「脱走」するのか?ここに、もっとも表れているではないか。
さて、この問題を少し整理してみよう。
(1)3K労働現場で労働力が不足している。
(2)こうした労働現場は、労働条件が悪く、低賃金が多く、日本人を雇用することは非常に難しい。
⇒ だから、「外国人」を導入しよう
というのが、そもそものスタートなはずである。
「国際貢献」だの、「技術移転」だのは、あくまで言い訳で後で付け加えたものなはずだ。
仮にあくまで、この制度は「国際貢献」と「技術移転」が主眼だというのであれば、国際協力機構(JICA)に一本化して、むしろ縮小すべきものだろう。しかし、そうはできないのは、上記が本音だからだ。
さて、現在の日本の少子高齢化の加速度的な進行を見れば、外国人労働者の導入は不回避というか、すでに定着してしまっているといえる。
仮に、あくまで外国人労働者反対を主張するのであれば、3K労働現場を持つ企業、すなわち日本国民を雇用するだけの賃金を支払うことのできない企業は市場から退出すべきだという主張をしなくてはならない。もちろん、合理化、機械化によって省人化を進めるという方法もあるにはあるが、それとて限界があるだろう。
外国人労働者絶対反対の場合は、現状をどのように変えるかの提案をしなくては前に進まない。
次に、労働者不足に対応して、外国人労働者導入やむなしという立場に立つとすれば、これはこれできちんとした議論が必要である。
ここでは、根本的な問題点が存在する。まず、日本人並みの賃金を支払ってもいいから、人材が欲しいという産業や企業が存在するという反面、日本人が来ないような低賃金で労働者を雇わないと経営が成り立たないという産業や企業も存在するという点である。
問題は、後者である。後者の場合、現在の研修生制度は非常に都合がいい。労働者であって、労働者ではない研修生を、労働現場で、低賃金で、なおかつ労働条件が悪いままで使えるからだ。
しかし、こんな方法が世界的に認められるのだろうか。研修生だとして、日本に来て、しばらくすれば、自分たちの「労働条件」が格段に悪いことくらい、すぐに気がつくだろう。だから「逃げる」のであり、脱走するのだ。使う側は、パスポートを取り上げ、賃金の一部をプールして帰国するまで支払わないようにしたり、あの手この手を講ずるが、すればするほど、「研修」とは名ばかりのものになっていく。
もういい加減に、日本古来の手法、「酒を般若湯」、「ウサギは、一羽二羽と数えて鳥扱い」とするような読み替えで事態を乗り切ろうというのは、止めるべきではないのか。
はっきり言うが、研修生制度反対=外国人労働者反対ではない、外国人労働者導入賛成=移民賛成でもない、そして、労働者である以上、日本国民も外国人も同等の条件、賃金を与えろという意見でもない。
しかし、すでに日本は外国人の労働力なしでは、経済活動が廻せない状況になっている事実がある。ここで、きちんと、
(1)外国人労働者は必要である。
(2)だからといって、永住を認める、すなわち移民を認めることはできない。
(3)すべからく、日本人と同等の労働条件を認めるわけにもいかない
という三点から、どのような制度が必要なのか、また、どういった法整備などが必要なのかを、きちんとすることが、長期的に見て、社会全体に有益なのではないか。
「研修制度を批判することは、中小企業いじめである」というおためごかしの批判を繰り広げる人がいるが、それは本当なのであろうか。
「研修生」だから、企業と直接、「雇用契約」を結べず、「受け入れ機関」なるものを作り、そこに関係省庁の人間が天下り、中小企業からも、研修生からもピンハネするという構図があるから、それを守ろうと省庁関係者が必死になっているようにみるのは、うがった見方だろうか。官製の女衒(ぜげん)のような機関が、ぬくぬくと懐を肥やしてきたことに対しては、しっかり批判すべきではないかと思っている。
外国人研修生の数は、2005年で83,319人、そのうち、財団法人国際研修協力機構(JITCO)が支援した研修生総数は57,050人にも上る。この機構は、厚生労働省の管轄であるが、経済産業省も研修制度には、「中小企業支援」の一環として実施拡大を求めているらしい。はてさて、一人につき一万円抜くだけでも・・・・
くだらない言葉遊びで、誰かが得しようとするチンケなマネはなんとか止めて、「外国人労働者は、労働者として、どのように受け入れ、どうしていくのか」をきちんと議論していただきたい。少子高齢化、人口減少は、急速に、着実に進んでいるのだから、一部の人たちの利益だけで未来を壊さないように。
*参考資料 「法務省出入国管理関連統計」
2007年5月14日(月) at 01:27
「ハチクロ」と「のだめ」 / 中村智彦
おでかけ・旅 > 地域経済を考える
タイトルを見て、「なんじゃ?」と思った方も多いでしょう。両方とも、今流行の漫画の題名です。
正確には、『はちみつとクローバー』(羽海野チカ・作)と『のだめカンタービレ』(二ノ宮知子・作)という漫画です。後者に関しては、テレビドラマも始まったので、名前くらいは知っているという人も増えているだろうと思います。『ハチクロ』も映画化されて、話題になりました。
『ハチクロ』は美大が、『のだめ』は音大が舞台になっている、ま、簡単に行ってしまえば青春モノです。ちょっと遅れて、両方とも読み出しているのですが、文系学部出身者としては、自分の青春時代と比べたりなんぞして、なかなかおもしろいなあと思っています。『ハチクロ』や『のだめ』は、ある意味、ファンタジーですが、美大や音大で学ぶ学生たちの悩みや、不安を描いているリアリステッィクな点が、現実の学生たちからも支持されている理由でしょう。
しかし、なぜ今、美大や音大の学生生活が漫画になって、若い世代に人気なのでしょうか。『ハチクロ』にしても、『のだめ』にしても、真面目に一生懸命なんですけど、どうにもあまり一般的な社会生活に適応できないような登場人物ばかりが出てくるのです。
考えてみると、バブル景気が崩壊して、長期の不況期が続き、大学選びも、「職が得やすいこと」とか、「資格が得やすいこと」など、いわば「すぐに役に立つ」ことが優先されてきたように思えます。文学系や芸術系は、どちらかと言えば冷遇され、理工系も基礎的な研究や独創的な研究よりも、実利的な研究が評価されがちの傾向に来たと言えます。もちろん、それらも理由があり、ある意味で成果も上がってきたのでしょう。
しかし、ここへ来て、なんとなく、そうした実利一辺倒の傾向に、疲れてきてしまっている、そんな風潮が出てきたのではないかと思うのです。「役に立たない」ことへの再評価と言っては言いすぎかもしれないですが、文化や芸術などに対する憧憬も、これらの漫画の人気の根底にあるのではと思うのです。
さて、通常、こうしたドラマや映画などには、メディアミックスという戦略が採られます。原作の漫画だけではなく、テレビ、ラジオ、映画、さらにはノベルティーグッズ、ゲーム、携帯電話やインターネットなど、大手の広告代理店などが手がけ、「流行っている」状況を「創り出す」わけです。「口コミ・マーケティング」などと言って、賞品を出したり、懸賞参加の条件にしたりして個人のブログに商品名や作品名を書かせる手法も、ある意味で同じかも知れません。
ところが、『ハチクロ』は、少し面白い経過を辿って、現在のブームがあります。この漫画は、当初から大きなブームを引き起こしたわけではなく、書店員たちが有志を募って、系列などの枠を超えたネットワークを構築し、そこで自主的に「応援」し始めたことが、ここまでのブームを起こしたのです。
もともとは、漫画好きの女性書店員たちが、自分たちの好きな漫画家の作品は、出版元の変更が多かったり、新人だtろいう理由から重版がかからず、品薄状態が続くといった問題をなんとかしたいと、約3年前に自主的に漫画応援団"自腹〜’s(ジバラーズ)"を結成し、『ハチクロ』の販売促進キャンペーンを行った。
この"自腹〜’s"だが、東京では7店、神奈川では4店、千葉が2店、そして愛知、山梨、京都、大阪、兵庫にそれぞれ1店ずつが参加しているが、全く系列に関係なく、自主的な集まりとなっている。店員たちは、自分たちで負担して、Tシャツを作ったり、衣装を作るなどするほか、作者から提供を受けて、販促用のポップなどを製作するなどしている。〔上の画像は、ネット上で提供されている書店のポップ用原稿。ダウロードして使用できるようになっている。〕
こうした"自腹〜’s"の活動は、『ハチクロ』だけに止まらず、他の作者の作品に関しても、自分たちで自主的な販促活動を行っています。
老舗書店の倒産や廃業など、書店経営は冬の時代だと言われている。一方で、大型店が次々と開店し、一層、競争が激しくなっている。大型店が、個性化を打ち出すようになってから、久しいが、その戦略の一翼を担っているのが、女性店員である。それぞれが仕入れや、レイアウト、ポップなど販促活動までを担当し、それぞれの大型店が個性を競い合っている。そんな中での女性書店員同士のネットワークによる流行の創出。
「男性」中心で、ネットワーク創出だのというと、すぐ製造業とか、共同受注とか、開発だとかに眼が行き勝ちですが、意外とこんなところに、これからのネットワークや連携の大きなヒントが隠れているのかもと思っています。
2006年10月17日(火) at 01:15
山形県長井市の地域提案型雇用創造促進事業 / 中村智彦
おでかけ・旅 > 地域経済を考える
さて、昨年度は一年間、長井市商工観光課のみなさんと、厚生労働省の地域雇用創造バックアップ事業に取り組んできました。このバックアップ事業の目的は、「地域による雇用創造のための構想を策定」すること。一年間、長井市の事業者、農業者、市民グループ、NPO、商工会議所など、さまざまな関係者が集まり、話し合いを繰り返し、商工観光課のみなさんで、構想案をまとめました。
今年度、その構想案が厚生労働省で採択され、(パッケージ事業)地域提案型雇用創造促進事業が開始することになりました。全国で31地域採択されたうちの一つであり、事業テーマは「〜地域の素材を活かした人・もの交流産業とロボット関連産業における 中核的人材育成による雇用機会の創出〜」となっています。
バックアップ事業に引き続き、全体構想のコーディネーターとして関わらせていただくことになっています。実は、非常に難しい課題なのですが、各分野の専門家の方たちのお力もお借りしながら、いろいろと考えながら、できる限りのことはやっていこうと思っています。
長井市は、戦前に東芝を東京から誘致するなど、古くから工業都市としての性格も持ってきました。現在も、機械製造業などを中心に数多くの製造業企業が操業し、地元には長井工業高校があり、人材育成に地域ぐるみで取り組んできました。(この様子は、2006年6月にNHK山形放送局『クローズアップ山形』「工業高校は地域の宝 〜長井 ものづくりの現場〜」で紹介され、反響が大きかったために東北全県で放映されました。今までの関わりから、私がコメンテーターとして出演させていただきました。)
しかし、現在の少子高齢化は、今後、地域の中小企業での求人に大きな影響をもたらすことは必至です。一方で、卒業後、あるいは定年退職後に、故郷である山形へ戻り、働きたいという人たちも少なくありません。こうした雇用に関わる問題をいかに解決していくかというのは、長井市だけではなくもちろん全国の地方都市の問題であると言えます。今回の事業の一つの柱は、この製造業に必要な人材の育成と、それによる雇用の創造です。
もう一つ、重要なのが観光産業による雇用創造です。こちらも、今、全国の地域で、それぞれが一生懸命取り組んでいる、つまり、競争の激しい分野です。長井市は、江戸時代からずっと商工業都市として、地域の中心となり、発展してきました。そのため、観光に対する取り組みも、関心も今まで、あまり充実していたとは言い難い点があります。それでは、観光資源が無いのかと言えば、さにあらず、数多くの観光資源があり、むしろ、「観光名所になりえるものが、多すぎて、逆に活用しきれていないのでは」と地元の若手が言うほどに存在するのです。
しかし、今回の事業の目的は、雇用創造。観光振興が成って、初めて産業が成長し、雇用が生まれるわけです。人材育成だけしても、求人が無ければ意味がないということで、人材育成と、観光振興は車の両輪になります。実は、この点が、バックアップ事業でも、最も議論が集中した点でした。
長井市では、ここ数年、観光振興にも力を入れてきました。今年度は、幸いにして、長井商工会議所が経済産業省の事業である「地域資源∞全国展開プロジェクト」に「まち歩き観光全国PR推進事業」の事業テーマで採択され、観光振興、観光産業振興に取り組んでいくことになっており、相乗効果が期待されています。
また、長井市建設課や周辺自治体により構成される最上川流域観光交流推進協議会は、かねてより国土交通省の支援を受け、最上川リバーツーリズムの振興、調査研究に取り組んでおり、セミナーなどの開催も行ってきた。こうした取り組みには、長井市の長井まちづくりNPOセンターも、最上川長井フットパス整備や振興に参画するなど活発な活動を行ってきました。
このように、市、県、国などの行政と、商工会議所、市民団体、NPOなどが協力、連携しつつ観光振興を進めているところであり、今回の地域提案型雇用創造事業における人材育成事業は、今後の観光産業振興に大きな意味があると期待されています。
地域振興というものは、地方部において、かつてより一層、重要な課題になりつつある。議論を進めていた中で、関係者の一人が、東京の大学を受験しに行く娘さんに、「お父さん、私、東京の大学出て、長井で働く場所あるのかな。戻ってこられるのかな」と聞かれ、絶句したと話したことが、非常に印象に残っている。働く場所を作ることが、今、地域にとって避けては通れない課題になっていると感じた一瞬でした。
長井市では、従来からの製造業の一層の発展と、農業や商業などを組み合わせた上での観光産業への発展が、今後の雇用創造の原動力になると考えられています。「今、追い風が吹きつつある。あと数年が山場だ。ここで頑張らねば」と、長井市のみなさんとは話しています。
事業が始まっても、恐らく試行錯誤の連続になるだろうと思っています。私自身、全体のコーディネーターとして、多くの専門家の方たちに教えを請いながら、なんとか地方における雇用創造の道筋を考えていけたらと思っています。
2006年9月17日(日) at 03:04
大阪ガス・ドリームタンカーを見て・・ / 中村智彦
おでかけ・旅 > 地域経済を考える
大阪ガスが創業100周年記念として、大型天然ガス運搬船「ドリームタンカー」を就航させた。それを記念して、9月3日、大阪・天保山に接岸し、出航式が行われた。
※大阪・天保山ふ頭を出航するドリームタンカー
その巨体は、間近に見ると感動すら与える。全長は約300メートル、四つの球形タンクを備え、液化天然ガスを最大約6万8千トン積載できる。ユニークなのは、主機関も、天然ガスを利用したスチームエンジンであることだ。そのため、煙突から出される煙は、他の船に比較して黒くない。その巨大さは、写真に写るビルや橋などとの比較で理解できるだろう。このタンカーは、片道8日間かけ大阪港からオーストラリアに向かい、天然ガスを満載して戻ってくる。天然ガスを積載するようになると、危険回避のため一般客のいる埠頭には接岸することはできなくなるため、天保山のような観光施設で見ることができるのは、これが最初で最後である。
実は、この出航式に先立って、大阪ガスによるセミナーが開催され、そこにも出席した。ドリームタンカープロジェクトの概要、タンカーに描かれたジミー大西氏の絵画と子供たちに公募した絵のコラボレーションと、タンクに描くまでの経緯や苦労話なども興味深かった。また、ガスの科学館のスタッフによる低温実験(天然ガスを輸送するために、超低温で液化して運送していることの説明)と、メタンハイブレードの説明もあった。また、エネルギーセキュリテーに関する講演も国際協力銀行の会田守志氏から行われた。
講演でも指摘があったことであるが、ほとんど全ての資源において、全世界的な価格上昇が進みつつある。もっとも実感しているのがガソリンなど石油関連の価格上昇であるが、今まで安定して供給され、低価格だった天然ガスも、これから確保競争が激しくなると予想されている。
天然ガスという資源に眼をつけたのは日本であった。環境に優しく、石油と異なり中東に集中せずに分布していることから資源安保の立場からも注目された。なにより石油と異なり、その利用には技術が必要であることか、日本以外での需要はあまり高く無かったことから、安定供給が可能だとされてきたのである。
1985年当時、天然ガスの世界市場に占める日本の割合は7割を越していた。ヨーロッパが3割弱、北アメリカが1割弱であり、事実上日本の独占だったといえる。ところが、発展途上国の経済成長が進むと同時に、先進国でも環境問題が深刻化するに従って、各国ともに日本と同様に低価格で、環境に優しく、安定供給が望める天然ガスに眼をつけ始めたのは当然である。
その結果、現在では世界市場に占める割合は、2割弱に後退し、その代わりに北アメリカ、ヨーロッパがそれぞれ3割弱になり、韓国や、その他の国々の割合が増加しつつある。近年では中国も天然ガスの利用を促進しており、資源確保に走っている。
従来、安定供給が最大のメリットであった天然ガスも、各国との確保競争が激化することになり、日本は次のエネルギーを模索せざるを得ない状況になりつつある。そこで注目されているのが、日本近海の深海湖底に大量に存在するメタン・ハイドレードである。現在のところ、その採掘や利用は、コスト的に商業ベースには乗らないとされているが、今後の資源状況によっては、本格的にその活用が進展する可能性もあると考えられる。セミナーの会場では、人工的に作られたメタン・ハイドレードのサンプルが公開されたが、室温で溶け出し、「プチプチ」と空気中にガスが放出される音が聞こえた。
※人工メタン・ハイドレード
40歳代以下の我々の世代は、オイルショックと言われても、繰り返し見せられるスーパーにトイレットペーパーを買いに押し寄せる人たちの映像と、かすかに残る子供の頃の記憶のようなものしかなく、実感としてはないと言える。少なくとも物心付いてから、資源の価格上昇を実感したのは湾岸戦争の期間中だけのことである。
ここ一年の石油価格の上昇は、多くの人の注目を集めているが、それ以外の資源も徐々に値上がりしつつある。「デフレ脱出」で、「インフレ」だからという説明で納得するのは危険だといえる。
石油や天然ガスといった資源だけではなく、食品や木材といった資源も値上がりしつつある。木材に関しては、先日も業者の方たちが、ベニヤ板の価格が昨年から1.5倍になっており、今後、大きく価格が上昇し、DIYの店で気軽に買える商品ではなくなるだろうと話していた。ベニヤ板だけではなく、多くの輸入木材が、産出国の伐採制限と輸出制限で、総量そのものが減少し、価格も急上昇しつつあるという。
こうした資源の価格上昇は、発展途上国、特に中国の経済成長による消費の拡大、人口増が大きく影響していると言われる。しかし、東南アジア全体、インドなどの国々の経済成長、人々の生活水準の向上が、エネルギーや食品の急増を招いている。天然ガスのように、日本の一人勝ちという状況は、終わりつつあるのだ。
極めて短絡的に、中国の経済成長が資源不足を招く、そのために我々が不利益を被るということから、反中国に傾斜する動きには、警戒すべきである。確かに、中国の成長は我々にとって脅威であり、隣人たる巨人とどのように付き合っていくかは大きな課題であり、非常に難しい問題である。しかし、いたずらに被害者意識と、キャッチアップしてきた後発国に対する反発だけを強めることは、一歩間違えれば第二次世界大戦の開戦を正当だと主張する論理、「日本は資源小国であり、その確保を難しくされ、やむなく開戦を行った」とする状況と同じくしてしまう恐ろしさがある。
発展途上国が経済成長し、やがてその存在が、先進国にとって脅威となっていくことは、いずれの時代も同じである。国という単位がある以上、我々は、自国がどのように生き残るかを考え、競争の中で戦う必要があるが、しかし、それはあくまで経済面、外交面で考えていく必要があるだろう。
※天然ガスを使用しているために、排ガスが黒くないのが特徴。
その巨体は、間近に見ると感動すら与える。全長は約300メートル、四つの球形タンクを備え、液化天然ガスを最大約6万8千トン積載できる。ユニークなのは、主機関も、天然ガスを利用したスチームエンジンであることだ。そのため、煙突から出される煙は、他の船に比較して黒くない。その巨大さは、写真に写るビルや橋などとの比較で理解できるだろう。このタンカーは、片道8日間かけ大阪港からオーストラリアに向かい、天然ガスを満載して戻ってくる。天然ガスを積載するようになると、危険回避のため一般客のいる埠頭には接岸することはできなくなるため、天保山のような観光施設で見ることができるのは、これが最初で最後である。
実は、この出航式に先立って、大阪ガスによるセミナーが開催され、そこにも出席した。ドリームタンカープロジェクトの概要、タンカーに描かれたジミー大西氏の絵画と子供たちに公募した絵のコラボレーションと、タンクに描くまでの経緯や苦労話なども興味深かった。また、ガスの科学館のスタッフによる低温実験(天然ガスを輸送するために、超低温で液化して運送していることの説明)と、メタンハイブレードの説明もあった。また、エネルギーセキュリテーに関する講演も国際協力銀行の会田守志氏から行われた。
講演でも指摘があったことであるが、ほとんど全ての資源において、全世界的な価格上昇が進みつつある。もっとも実感しているのがガソリンなど石油関連の価格上昇であるが、今まで安定して供給され、低価格だった天然ガスも、これから確保競争が激しくなると予想されている。
天然ガスという資源に眼をつけたのは日本であった。環境に優しく、石油と異なり中東に集中せずに分布していることから資源安保の立場からも注目された。なにより石油と異なり、その利用には技術が必要であることか、日本以外での需要はあまり高く無かったことから、安定供給が可能だとされてきたのである。
1985年当時、天然ガスの世界市場に占める日本の割合は7割を越していた。ヨーロッパが3割弱、北アメリカが1割弱であり、事実上日本の独占だったといえる。ところが、発展途上国の経済成長が進むと同時に、先進国でも環境問題が深刻化するに従って、各国ともに日本と同様に低価格で、環境に優しく、安定供給が望める天然ガスに眼をつけ始めたのは当然である。
その結果、現在では世界市場に占める割合は、2割弱に後退し、その代わりに北アメリカ、ヨーロッパがそれぞれ3割弱になり、韓国や、その他の国々の割合が増加しつつある。近年では中国も天然ガスの利用を促進しており、資源確保に走っている。
従来、安定供給が最大のメリットであった天然ガスも、各国との確保競争が激化することになり、日本は次のエネルギーを模索せざるを得ない状況になりつつある。そこで注目されているのが、日本近海の深海湖底に大量に存在するメタン・ハイドレードである。現在のところ、その採掘や利用は、コスト的に商業ベースには乗らないとされているが、今後の資源状況によっては、本格的にその活用が進展する可能性もあると考えられる。セミナーの会場では、人工的に作られたメタン・ハイドレードのサンプルが公開されたが、室温で溶け出し、「プチプチ」と空気中にガスが放出される音が聞こえた。
40歳代以下の我々の世代は、オイルショックと言われても、繰り返し見せられるスーパーにトイレットペーパーを買いに押し寄せる人たちの映像と、かすかに残る子供の頃の記憶のようなものしかなく、実感としてはないと言える。少なくとも物心付いてから、資源の価格上昇を実感したのは湾岸戦争の期間中だけのことである。
ここ一年の石油価格の上昇は、多くの人の注目を集めているが、それ以外の資源も徐々に値上がりしつつある。「デフレ脱出」で、「インフレ」だからという説明で納得するのは危険だといえる。
石油や天然ガスといった資源だけではなく、食品や木材といった資源も値上がりしつつある。木材に関しては、先日も業者の方たちが、ベニヤ板の価格が昨年から1.5倍になっており、今後、大きく価格が上昇し、DIYの店で気軽に買える商品ではなくなるだろうと話していた。ベニヤ板だけではなく、多くの輸入木材が、産出国の伐採制限と輸出制限で、総量そのものが減少し、価格も急上昇しつつあるという。
こうした資源の価格上昇は、発展途上国、特に中国の経済成長による消費の拡大、人口増が大きく影響していると言われる。しかし、東南アジア全体、インドなどの国々の経済成長、人々の生活水準の向上が、エネルギーや食品の急増を招いている。天然ガスのように、日本の一人勝ちという状況は、終わりつつあるのだ。
極めて短絡的に、中国の経済成長が資源不足を招く、そのために我々が不利益を被るということから、反中国に傾斜する動きには、警戒すべきである。確かに、中国の成長は我々にとって脅威であり、隣人たる巨人とどのように付き合っていくかは大きな課題であり、非常に難しい問題である。しかし、いたずらに被害者意識と、キャッチアップしてきた後発国に対する反発だけを強めることは、一歩間違えれば第二次世界大戦の開戦を正当だと主張する論理、「日本は資源小国であり、その確保を難しくされ、やむなく開戦を行った」とする状況と同じくしてしまう恐ろしさがある。
発展途上国が経済成長し、やがてその存在が、先進国にとって脅威となっていくことは、いずれの時代も同じである。国という単位がある以上、我々は、自国がどのように生き残るかを考え、競争の中で戦う必要があるが、しかし、それはあくまで経済面、外交面で考えていく必要があるだろう。
2006年9月17日(日) at 01:06
世知辛い話 〜 近代建築の部材盗難事件 / 中村智彦
おでかけ・旅 > 地域経済を考える
近代建築のメーリングリストに入れていただいています。色々な情報を教えていただいて、いつも感謝しているのですが、今回は世知辛い話が廻ってきました。
http://blog.stained.co.jp/archives/50422907.html
最近、色々なところで人々に親しまれた建築物が取り壊され、新しい建築に取って代わっています。残念なことですが、ある程度は仕方のないことかもしれません。そんな状況の中でも、永年使い込んできた部材を活用することで、新しい建物に「記憶」を埋め込もうということは、その建物の持ち主や、居住者や、あるいはなんらかの思い出を持つ人たちにとっては、非常に大事な行為だろうと思うのです。
建物からステンドグラスをはずして持っていくという荒っぽい手口は、マニアでしょうか、それともプロの転売目的でしょうか。
建築関係の特集を組むと、女性誌でもよく売れると言われるくらい建築ブーム。それはそれでいいのでしょうけど、こんな事件がこれか多発するかもしれないと思うと、ちょっと気分が滅入ります。
人々の思いが詰まっているものを盗み出して、それを部屋に飾って、満足なのでしょうかね・・・・
http://blog.stained.co.jp/archives/50422907.html
最近、色々なところで人々に親しまれた建築物が取り壊され、新しい建築に取って代わっています。残念なことですが、ある程度は仕方のないことかもしれません。そんな状況の中でも、永年使い込んできた部材を活用することで、新しい建物に「記憶」を埋め込もうということは、その建物の持ち主や、居住者や、あるいはなんらかの思い出を持つ人たちにとっては、非常に大事な行為だろうと思うのです。
建物からステンドグラスをはずして持っていくという荒っぽい手口は、マニアでしょうか、それともプロの転売目的でしょうか。
建築関係の特集を組むと、女性誌でもよく売れると言われるくらい建築ブーム。それはそれでいいのでしょうけど、こんな事件がこれか多発するかもしれないと思うと、ちょっと気分が滅入ります。
人々の思いが詰まっているものを盗み出して、それを部屋に飾って、満足なのでしょうかね・・・・
2006年9月4日(月) at 22:55 / トラックバック( 1 )
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旭山動物園 〜 北海道旭川市 / 中村智彦
おでかけ・旅 > 地域経済を考える
話題の旭山動物園に行って来た。九州・小倉の到津の森動物園、大分のうみたまご(大分マリンパーク)と話題の動物園、水族館を回ってきて、やっと一番人気の旭山動物園。
JR北海道のクーポンを手に、怪しい中年の一人旅。旭川駅に到着すると、旭山動物園行きのバスに乗るのだが、5番乗り場というのが、駅前は駅前だが、少し離れたところ。
休日には直行の急行バスがでるらしいが、平日は通常の路線バスのみ。動物園に行く中高年のグループや、若いカップルだけでも相当な人数だが、そこへ買い物帰りの高齢者たちが乗り込むので、平日の昼過ぎとは言え、かなりの乗客数だ。駅から動物園までは、約40分。立っているのは、結構、こたえる。
動物園の前まで来ると、まず驚かされるのは、駐車場に向かう車の数。平日で、なおかつ雨だったのだが、この混み具合。確かに、全国の動物園の中では異例中の異例だと言える。
来訪客の年齢層は、かなり高い。夏休み前と言うこともあり、子供の姿は、保育園の遠足で来ているらしい園児たちを除けば、全くいない。多いのは、50歳代以上のグループや、夫婦連れ。そして、家族連れや若い世代は、中国人や韓国人の団体客、グループである。
見せ場になっているアザラシや白クマ、オランウータンのところでは人だかりができ、動物たちの動きに歓声が上がる。
規模はそう大きくはないが、案内板や説明表示が手書きが多用され、手作りの感じが非常に暖かで良い。こうした点が人気の源泉にあるのだろう。
動物たちの見せ方も、噂通りに、工夫されており、確かに大人が楽しめるようになっている。耳に入ってくる訪問客たちの会話も、「以前にきたときよりも楽しい」とか、「動物たちがよく動いていて、見ていて飽きない」と言っている。
動物園の内容については、数多くの書籍が出版されているから、ここでは訪問しての感想を書くことにしよう。
まず、動物の説明や案内が細かになされており、それは手書きで行われている点がある。しばしば、こうした案内板などは、費用を捻出できないという理由から、整備が後回しにされたり、古く汚れたままで放置されている。しかし、仮に予算がないのであれば、ある範囲で手書きで書いてもいいのではないかという姿勢が、逆に動物園というところの暖かみを訪問客に与えることになっている。
動物たちの見せ方というか、むしろ訪問客の見方が、受け身ではなく、自ら行動する形になっている。例えば、ヤマアラシの檻には、ロープを引っ張ると下の板が上がり、地下の巣が見えるような仕掛けがしてあったりする。
私たちは、しばしば動物の「見せ方」を変えると発想するが、そうではなく訪問客の「見方」を変えるという発想は、動物園だけではなく他にも応用が利くのではないだろうか。
こうした良い点は、恐らくどの書籍にも書かれているだろう。さて、園内でレストランや売店を覗いてみた。どこも多くの人で、ごったかえしていた。
おおむね、それらの販売員などの対応は、非常に良く、清潔な感じも受けた。ただ、いくつかの場面で、ある意味での転換期に差し掛かっているのかなと思うことがあった。
転換期と思ったのはは、こういう意味だ。恐らく、この動物園は、衰退する中で、管理職をはじめ、スタッフや、市民なども巻き込み、その再生に色々な取り組みが行われてきた。その成果が、この暖かな雰囲気を醸しだしている動物園を生み出した訳だ。そして、そこから多くの訪問客を引き寄せている。
しかし、ここまでの多くの訪問客に対応するために、新しい売店やレストラン、施設などが増設され、また現在も増設されている。そうなった場合、どうしても新たに雇用されるスタッフも増えてくる。外部の業者に委託すれば、別に動物園に来たかったわけではなく、命令に従って派遣されてくるという人も増えるだろう。
非常に興味があるのは、そうした当初の「思い入れ」のある人たちだけではなく、「ごく普通の仕事」として来た人たちが増加してきた時に、「思い」をどのように共有していくのだろうという点である。運営側は、ブームだからと外部が思うよりも冷静に見ているとも伺っている。これから、どのような工夫を見せてくれるのだろうかと、外部の一人としては期待してしまう。
もう一点は、動物園サイドの問題ではなく、広く旭川の観光に関連してである。冒頭で書いたように、ここまで旭川の名前を打ち出している動物園であるのに、バス乗り場は分かりにくい。もう少し案内表示に工夫ができないものだろうか。特に、復路は、なぜかJRの駅前ではなく、ひとつビルの裏側のバス停名も一条なんとかというところが終点である。確かに地元の人にとっては、角まで歩けば駅が正面に見えるところなのだが、初めての来訪者にとっては面食らう。実際、香港から来たという家族連れは、連れてバスの中で寝ているうちに終点になり、何度も「JRの駅はここなのか?」と尋ねていた。
土産物も、動物園関連の商品が駅やデパート、地元のスーパーにまでコーナーがある。多少、依存しすぎの感がないでもない。札幌駅のキオスクや千歳空港の売店にまで、旭山動物園のおみやげが並んでいるのは、「そこでしか買えない」という希少性を削いでいるのではないだろうか。
旭川には、他にも三浦綾子記念文学館や、 井上靖記念館といった地元ゆかりの作家たちの名所や、資料館、博物館などもある。もちろん、それらを回る観光用のバスも運行されているのだが、今ひとつ観光案内が充実しているとは感じられないのはなぜだろうか。
もちろん、旭川の市民や企業の様々な取り組みも行われている。市の中心部には、「旭川屋」と題して期間限定のオープンカフェが開かれているし、少し不便に感じた駅前の再開発も進んでいくそうである。
動物園が頑張って、これだけの訪問客を集めている。地域が、それをどのように継続性があるものにしていくのか。また、しばらくしてから、旭川を再訪してみたいと思った。


1.路線バスは動物園へのお客で満員。

2.アザラシが目の前を通り抜けていく展示は大人気。しかし、「フラッシュを焚かないでください」という係員の指示に従わない人が多いのは残念。見る方の協力も必要なのに。

3.随所にこうした手書きの説明板が掲出されている。しっかりした説明が書かれているので、手製が逆に一つの雰囲気を生み出している。

4.大人気の白クマの透明ドームは、20分待ち。「待っていただいても、必ずしも白クマは来ません」という説明は、なんとなくユーモラス。

5.ヤマアラシの柵のまででは、地下の巣が覗ける。

6.ツアー客の大半が中高年者。
JR北海道のクーポンを手に、怪しい中年の一人旅。旭川駅に到着すると、旭山動物園行きのバスに乗るのだが、5番乗り場というのが、駅前は駅前だが、少し離れたところ。
休日には直行の急行バスがでるらしいが、平日は通常の路線バスのみ。動物園に行く中高年のグループや、若いカップルだけでも相当な人数だが、そこへ買い物帰りの高齢者たちが乗り込むので、平日の昼過ぎとは言え、かなりの乗客数だ。駅から動物園までは、約40分。立っているのは、結構、こたえる。
動物園の前まで来ると、まず驚かされるのは、駐車場に向かう車の数。平日で、なおかつ雨だったのだが、この混み具合。確かに、全国の動物園の中では異例中の異例だと言える。
来訪客の年齢層は、かなり高い。夏休み前と言うこともあり、子供の姿は、保育園の遠足で来ているらしい園児たちを除けば、全くいない。多いのは、50歳代以上のグループや、夫婦連れ。そして、家族連れや若い世代は、中国人や韓国人の団体客、グループである。
見せ場になっているアザラシや白クマ、オランウータンのところでは人だかりができ、動物たちの動きに歓声が上がる。
規模はそう大きくはないが、案内板や説明表示が手書きが多用され、手作りの感じが非常に暖かで良い。こうした点が人気の源泉にあるのだろう。
動物たちの見せ方も、噂通りに、工夫されており、確かに大人が楽しめるようになっている。耳に入ってくる訪問客たちの会話も、「以前にきたときよりも楽しい」とか、「動物たちがよく動いていて、見ていて飽きない」と言っている。
動物園の内容については、数多くの書籍が出版されているから、ここでは訪問しての感想を書くことにしよう。
まず、動物の説明や案内が細かになされており、それは手書きで行われている点がある。しばしば、こうした案内板などは、費用を捻出できないという理由から、整備が後回しにされたり、古く汚れたままで放置されている。しかし、仮に予算がないのであれば、ある範囲で手書きで書いてもいいのではないかという姿勢が、逆に動物園というところの暖かみを訪問客に与えることになっている。
動物たちの見せ方というか、むしろ訪問客の見方が、受け身ではなく、自ら行動する形になっている。例えば、ヤマアラシの檻には、ロープを引っ張ると下の板が上がり、地下の巣が見えるような仕掛けがしてあったりする。
私たちは、しばしば動物の「見せ方」を変えると発想するが、そうではなく訪問客の「見方」を変えるという発想は、動物園だけではなく他にも応用が利くのではないだろうか。
こうした良い点は、恐らくどの書籍にも書かれているだろう。さて、園内でレストランや売店を覗いてみた。どこも多くの人で、ごったかえしていた。
おおむね、それらの販売員などの対応は、非常に良く、清潔な感じも受けた。ただ、いくつかの場面で、ある意味での転換期に差し掛かっているのかなと思うことがあった。
転換期と思ったのはは、こういう意味だ。恐らく、この動物園は、衰退する中で、管理職をはじめ、スタッフや、市民なども巻き込み、その再生に色々な取り組みが行われてきた。その成果が、この暖かな雰囲気を醸しだしている動物園を生み出した訳だ。そして、そこから多くの訪問客を引き寄せている。
しかし、ここまでの多くの訪問客に対応するために、新しい売店やレストラン、施設などが増設され、また現在も増設されている。そうなった場合、どうしても新たに雇用されるスタッフも増えてくる。外部の業者に委託すれば、別に動物園に来たかったわけではなく、命令に従って派遣されてくるという人も増えるだろう。
非常に興味があるのは、そうした当初の「思い入れ」のある人たちだけではなく、「ごく普通の仕事」として来た人たちが増加してきた時に、「思い」をどのように共有していくのだろうという点である。運営側は、ブームだからと外部が思うよりも冷静に見ているとも伺っている。これから、どのような工夫を見せてくれるのだろうかと、外部の一人としては期待してしまう。
もう一点は、動物園サイドの問題ではなく、広く旭川の観光に関連してである。冒頭で書いたように、ここまで旭川の名前を打ち出している動物園であるのに、バス乗り場は分かりにくい。もう少し案内表示に工夫ができないものだろうか。特に、復路は、なぜかJRの駅前ではなく、ひとつビルの裏側のバス停名も一条なんとかというところが終点である。確かに地元の人にとっては、角まで歩けば駅が正面に見えるところなのだが、初めての来訪者にとっては面食らう。実際、香港から来たという家族連れは、連れてバスの中で寝ているうちに終点になり、何度も「JRの駅はここなのか?」と尋ねていた。
土産物も、動物園関連の商品が駅やデパート、地元のスーパーにまでコーナーがある。多少、依存しすぎの感がないでもない。札幌駅のキオスクや千歳空港の売店にまで、旭山動物園のおみやげが並んでいるのは、「そこでしか買えない」という希少性を削いでいるのではないだろうか。
旭川には、他にも三浦綾子記念文学館や、 井上靖記念館といった地元ゆかりの作家たちの名所や、資料館、博物館などもある。もちろん、それらを回る観光用のバスも運行されているのだが、今ひとつ観光案内が充実しているとは感じられないのはなぜだろうか。
もちろん、旭川の市民や企業の様々な取り組みも行われている。市の中心部には、「旭川屋」と題して期間限定のオープンカフェが開かれているし、少し不便に感じた駅前の再開発も進んでいくそうである。
動物園が頑張って、これだけの訪問客を集めている。地域が、それをどのように継続性があるものにしていくのか。また、しばらくしてから、旭川を再訪してみたいと思った。
2006年7月22日(土) at 22:21
元気出して行こう、地方。〜山形県長井市の「ロボット・プロジェクト」 / 中村智彦
おでかけ・旅 > 地域経済を考える
☆本稿は、石川県中小企業団体中央会「会報」2005年No.2に掲載したものの再録です。
内閣府が2005年7月 7 日に発表した「地域再生に関する特別世論調査」によると、自分の住んでいる地域に「元気がない」と回答した人は全体の43.7%にも上っている。「元気がない」理由は、「子供や若い人が減っている」が 59.2 %でトップ。続いて、「商店街など中心部のにぎわいが薄れている」50.9 %、「地域の産業が衰退している」38.5 %と、地域経済の沈滞気味を反映している。
さて、それでは自分の地域を「元気にするにはどうしたらよいか?」という課題に、どう答えていくべきか。地域産業を活性化するためには、まず経営者、従業員が元気を出さねばならない。自分たちが自信を持って、「これが私たちの特色だ。」と情報発信できるものを見つけることが第一歩だ。
山形県長井市は、ロボットの街「ロボテク・シティ」として売り出そうとしている。「これからなんて、なんと悠長な」とおっしゃる方も多いだろう。確かに、ロボット産業を次世代の地域産業、地域経済の牽引役として期待をかけている地域は多い。派手な宣伝合戦が数年前から始まる中、この悠長はなぜだろうか。
「他の地域の情報も、現地を訪ねたり、ロボット関係の展示会などで集めています。他の地域では、イベントとソフトに重点を置き、特にイベントについては大幅に先行しています。でも、こちらはとりあえず造るほう重視ということで・・・」と、西置賜工業会の次世代グループのメンバーである小関博資さん((株)昌和製作所開発部)は言う。もちろんこうした意見には、裏付けがある。
長井市は、人口約3万数千人、山形県南部にある小さな街である。市街地を出れば、のどかな田園風景が拡がる農業、商業、工業の併存する都市として、戦前から戦後と発展してきた。
この街に工業が発展したのは、戦前に誘致をした東芝の存在が大きい。機械工業が発展し、地元の中小企業も高い技術水準を誇ってきた。その後、東芝の撤退、さらには関係企業の倒産など、1980 年代後半以降、ご多分にもれず厳しい環境が続いてきた。
こうした厳しい地域経済を活性化するために、平成 10 年から全国でも珍しい産官学連携の人材育成事業が開始され、注目を浴びた。それが NAGAI 次世代マイスター育成協議会である。実は、産官学の中身が興味深いのだ。地元企業が求める応用力をもった技能労働者を育成するという目的に、市内の製造業約 30 社、長井市商工観光課、長井商工会議所そして、県立長井工業高校が連携して、人材育成事業に取り組んだのである。5年間の事業実施により、多くの長井工業高校卒業生が、即戦力として市内製造企業に就職を果たし、大きな成果をもたらした。また、この事業を通じて、地元企業、工業高校、行政、商工会議所を結ぶ連携体制が創出された。この事業に続いて、平成 15 年には「ものづくり伝承塾」事業が、長井商工会議所、西置賜工業会、商工会議所によって実施された。
「初年度の活動を通じて、色々な問題点が浮かび上がってきた。」と長井市商工観光課の横山照康課長補佐が説明してくれた。技術研修に対する企業側の期待は大きいが、共通したテーマを見つけることが難しい。さらに、市の財政難から自己負担分の捻出が難しく、国の補助を受けることが困難な状況に追いつめられていた。人材育成事業は縮小を余儀なくされていた。そんな中で、求心力があり、話題性もあるロボットがテーマとして上がってきたのである。このロボットも、単に思いつきで出てきた訳ではない。実は、長井市の企業の中には、生産現場で使用される工業用ロボット(省力化機器)の製造に携わってきた企業が存在するのである。つまり、ロボットが話題になる前から、製造を行ってきた実績があるのだ。そうした素地が、先の小関氏の言葉となっているのだ。また、以前からロボットマウスに関する研究や開発なども行われてきた。
日本は、世界一のロボット大国である。ロボットと言うと、どうしても二本足であるく人型ロボットを想像しがちである。しかし、実際には、ロボットの多くは工場などの生産現場で活躍している。こうした工業ロボットの技術の蓄積を活かして、さらに様々なロボットを研究開発を協力して行っていこうというのが、長井市内の事業所の若手約 30 名が集まった次世代グループである。この「ロボット・プロジェクト」には、一般市民の有志も参加し、長井市商工観光課や商工会議所、工業高校なども支援協力を行ってきた。平成15 年から、他地域の状況など視察調査を行ったり、大手メーカーのロボット開発担当者を招いての勉強会を実施し、次第に手応えを感じたメンバーは、次年度からのテーマと
して、オリジナル・ロボットの製造と、ロボワン競技の参加と開催誘致を計画した。そして、若手経営者が自主的な研究開発を始めたのである。この頃、「実は、市内某所にロボット開発基地があるんですよ」と、若手経営者が楽しそうに話してくれた。参加者たちは、市販ロボットを購入し、地域内の技術と比較するなど、研究を進めていった。平成 16 年になると、従来のものづくり伝承塾事業のテーマ「経営能力の向上と技術者養成要請」を一本化し、「ロボット開発を通じた技術力向上と人材育成」とし、本格的な取り組みが開始された。芝浦工業大学や山形大学の教授陣を招いてのロボット開発技術取得のための講習会開催や、ロボワン本戦の視察と出場へ向けた取り組みが行われた。まずは、市販されているロボット・ベースを購入し、それをもとにオリジナルモデルを2体製作。そこから、全てオリジナルのロボット設計に取り組んだ。夏以降、2週に一回のペースで開発会議が開かれ、その様子は産業振興の好事例として全国放送の報道番組や地元テレビ局でも紹介された。
平成 17 年度になると、「若手技術者約 10 名によって始められたロボットづくりは、平成 17 年度にはロボットによる格闘技ロボワンへの参戦を予定しており、部品や装置に地域を越えた注目や評価を得つつあります。技術の集積やわかりやすいイメージづくりを支援することで、ものづくりのまち長井をリードする存在になって欲しい」と目黒栄樹市長も施政方針の中で、エールを送った。春には、置賜地域地場産業センターの中の一室を、研究開発室としてオープンした。「長井ロボット・ファクトリー」と名付けて、完全長井オリジナルのロボットの開発や、それに使用するための難加工材の加工技術取得などが進められている。
長井市での取り組みは、いくつかユニークな点を見出すことが出来る。目的は地場企業振興のための人材育成であるが、そこに固執することない活動を行っている。例えば、自分たちのロボット開発から得た知識を地域内の教育活動に活用していこうと、少年少女ロボットセミナーを開催したり、ほかの地域行事にも積極的に参加している。また、有機農法に取り組む農家から、草取りに活躍するカモ型ロボット開発の提案があり、その研究開発への取り組みなども始まっている。企業、学校(高校・大学)、市、商工会議所が、密接に連携して事業を進めている。
地方都市で産業振興の取り組みというと、「お金が無い」、「大都市には勝てない」という後ろ向きの声が多く出る。長井市も、決して恵まれた状況にある訳ではない。むしろ、逆だろう。限られた予算、人材、その中で自分たちの強みはどこにあるのか、そして、自分たちが楽しみながら、何か新しいものを取得し、多くの人を巻き込めることはなにか。そこを考え始めれば、大都市にも負けない、ちゃんと地域に根を張った産業振興事業が始まる。派手な宣伝をしなくとも、大都市から研究者や開発関係者を、魅き寄せることができる。
今、東北の「ロボテク・シティ・長井」では、若き企業人がロボットの開発を進めている。こんな取り組みが、地域を元気にしていくのだ。
All Copyrights Reserved by Tom NAKAMURA

※ロボット戦隊 ナガレッド
※水田除草ロボ・・カモじゃなくて、あひるちゃんじゃん!!(爆)
内閣府が2005年7月 7 日に発表した「地域再生に関する特別世論調査」によると、自分の住んでいる地域に「元気がない」と回答した人は全体の43.7%にも上っている。「元気がない」理由は、「子供や若い人が減っている」が 59.2 %でトップ。続いて、「商店街など中心部のにぎわいが薄れている」50.9 %、「地域の産業が衰退している」38.5 %と、地域経済の沈滞気味を反映している。
さて、それでは自分の地域を「元気にするにはどうしたらよいか?」という課題に、どう答えていくべきか。地域産業を活性化するためには、まず経営者、従業員が元気を出さねばならない。自分たちが自信を持って、「これが私たちの特色だ。」と情報発信できるものを見つけることが第一歩だ。
山形県長井市は、ロボットの街「ロボテク・シティ」として売り出そうとしている。「これからなんて、なんと悠長な」とおっしゃる方も多いだろう。確かに、ロボット産業を次世代の地域産業、地域経済の牽引役として期待をかけている地域は多い。派手な宣伝合戦が数年前から始まる中、この悠長はなぜだろうか。
「他の地域の情報も、現地を訪ねたり、ロボット関係の展示会などで集めています。他の地域では、イベントとソフトに重点を置き、特にイベントについては大幅に先行しています。でも、こちらはとりあえず造るほう重視ということで・・・」と、西置賜工業会の次世代グループのメンバーである小関博資さん((株)昌和製作所開発部)は言う。もちろんこうした意見には、裏付けがある。
長井市は、人口約3万数千人、山形県南部にある小さな街である。市街地を出れば、のどかな田園風景が拡がる農業、商業、工業の併存する都市として、戦前から戦後と発展してきた。
この街に工業が発展したのは、戦前に誘致をした東芝の存在が大きい。機械工業が発展し、地元の中小企業も高い技術水準を誇ってきた。その後、東芝の撤退、さらには関係企業の倒産など、1980 年代後半以降、ご多分にもれず厳しい環境が続いてきた。
こうした厳しい地域経済を活性化するために、平成 10 年から全国でも珍しい産官学連携の人材育成事業が開始され、注目を浴びた。それが NAGAI 次世代マイスター育成協議会である。実は、産官学の中身が興味深いのだ。地元企業が求める応用力をもった技能労働者を育成するという目的に、市内の製造業約 30 社、長井市商工観光課、長井商工会議所そして、県立長井工業高校が連携して、人材育成事業に取り組んだのである。5年間の事業実施により、多くの長井工業高校卒業生が、即戦力として市内製造企業に就職を果たし、大きな成果をもたらした。また、この事業を通じて、地元企業、工業高校、行政、商工会議所を結ぶ連携体制が創出された。この事業に続いて、平成 15 年には「ものづくり伝承塾」事業が、長井商工会議所、西置賜工業会、商工会議所によって実施された。
「初年度の活動を通じて、色々な問題点が浮かび上がってきた。」と長井市商工観光課の横山照康課長補佐が説明してくれた。技術研修に対する企業側の期待は大きいが、共通したテーマを見つけることが難しい。さらに、市の財政難から自己負担分の捻出が難しく、国の補助を受けることが困難な状況に追いつめられていた。人材育成事業は縮小を余儀なくされていた。そんな中で、求心力があり、話題性もあるロボットがテーマとして上がってきたのである。このロボットも、単に思いつきで出てきた訳ではない。実は、長井市の企業の中には、生産現場で使用される工業用ロボット(省力化機器)の製造に携わってきた企業が存在するのである。つまり、ロボットが話題になる前から、製造を行ってきた実績があるのだ。そうした素地が、先の小関氏の言葉となっているのだ。また、以前からロボットマウスに関する研究や開発なども行われてきた。
日本は、世界一のロボット大国である。ロボットと言うと、どうしても二本足であるく人型ロボットを想像しがちである。しかし、実際には、ロボットの多くは工場などの生産現場で活躍している。こうした工業ロボットの技術の蓄積を活かして、さらに様々なロボットを研究開発を協力して行っていこうというのが、長井市内の事業所の若手約 30 名が集まった次世代グループである。この「ロボット・プロジェクト」には、一般市民の有志も参加し、長井市商工観光課や商工会議所、工業高校なども支援協力を行ってきた。平成15 年から、他地域の状況など視察調査を行ったり、大手メーカーのロボット開発担当者を招いての勉強会を実施し、次第に手応えを感じたメンバーは、次年度からのテーマと
して、オリジナル・ロボットの製造と、ロボワン競技の参加と開催誘致を計画した。そして、若手経営者が自主的な研究開発を始めたのである。この頃、「実は、市内某所にロボット開発基地があるんですよ」と、若手経営者が楽しそうに話してくれた。参加者たちは、市販ロボットを購入し、地域内の技術と比較するなど、研究を進めていった。平成 16 年になると、従来のものづくり伝承塾事業のテーマ「経営能力の向上と技術者養成要請」を一本化し、「ロボット開発を通じた技術力向上と人材育成」とし、本格的な取り組みが開始された。芝浦工業大学や山形大学の教授陣を招いてのロボット開発技術取得のための講習会開催や、ロボワン本戦の視察と出場へ向けた取り組みが行われた。まずは、市販されているロボット・ベースを購入し、それをもとにオリジナルモデルを2体製作。そこから、全てオリジナルのロボット設計に取り組んだ。夏以降、2週に一回のペースで開発会議が開かれ、その様子は産業振興の好事例として全国放送の報道番組や地元テレビ局でも紹介された。
平成 17 年度になると、「若手技術者約 10 名によって始められたロボットづくりは、平成 17 年度にはロボットによる格闘技ロボワンへの参戦を予定しており、部品や装置に地域を越えた注目や評価を得つつあります。技術の集積やわかりやすいイメージづくりを支援することで、ものづくりのまち長井をリードする存在になって欲しい」と目黒栄樹市長も施政方針の中で、エールを送った。春には、置賜地域地場産業センターの中の一室を、研究開発室としてオープンした。「長井ロボット・ファクトリー」と名付けて、完全長井オリジナルのロボットの開発や、それに使用するための難加工材の加工技術取得などが進められている。
長井市での取り組みは、いくつかユニークな点を見出すことが出来る。目的は地場企業振興のための人材育成であるが、そこに固執することない活動を行っている。例えば、自分たちのロボット開発から得た知識を地域内の教育活動に活用していこうと、少年少女ロボットセミナーを開催したり、ほかの地域行事にも積極的に参加している。また、有機農法に取り組む農家から、草取りに活躍するカモ型ロボット開発の提案があり、その研究開発への取り組みなども始まっている。企業、学校(高校・大学)、市、商工会議所が、密接に連携して事業を進めている。
地方都市で産業振興の取り組みというと、「お金が無い」、「大都市には勝てない」という後ろ向きの声が多く出る。長井市も、決して恵まれた状況にある訳ではない。むしろ、逆だろう。限られた予算、人材、その中で自分たちの強みはどこにあるのか、そして、自分たちが楽しみながら、何か新しいものを取得し、多くの人を巻き込めることはなにか。そこを考え始めれば、大都市にも負けない、ちゃんと地域に根を張った産業振興事業が始まる。派手な宣伝をしなくとも、大都市から研究者や開発関係者を、魅き寄せることができる。
今、東北の「ロボテク・シティ・長井」では、若き企業人がロボットの開発を進めている。こんな取り組みが、地域を元気にしていくのだ。
All Copyrights Reserved by Tom NAKAMURA
※ロボット戦隊 ナガレッド2006年6月12日(月) at 07:29
鹿児島の朝市 / 中村智彦
おでかけ・旅 > 地域経済を考える
数少なくなったとはいえ、各地には「市」が残っている。もちろん観光地で、観光客対象の「朝市」なども数多いが、一方で古くから地元の人たちのために生鮮品などを供給する役割を担ってきた「市」も依然として根強く残っている。
大型小売店舗や郊外型ショッピングセンターの影響が強調されるが、こうした朝市が依然として活況を呈している(観光という意味ではなく)背景に、個人商店や中心市街地のあり方などを考えるヒントがあるのではないかと思っている。
さて、鹿児島市にも、「朝市」がある。複数あるのだが、今回は、午前中の仕事の空いた時間に、鹿児島中央駅(旧 西鹿児島駅)前の朝市に出かけてみた。
九州新幹線の開通と同時に、駅名を変更した鹿児島中央駅には、若者をターゲットにしたショッピングセンターがあり、大きな赤い観覧車が目印になっている。(写真1)
都会的な駅前には、市街電車が走り、中距離の都市間バスのターミナルがある。その前に広がるのが、中央駅前の朝市。この朝市の始まりは、第二次世界大戦後のことで、鹿児島本線、指宿枕崎線、日豊本線の沿線の人たちが、農産物や海産物を持ち寄り、駅前やバスロータリーで販売していたのが起こりらしい。今から約20年前に、現在の形態となった。
朝市についたのは、平日の午前9時過ぎ。すでにピークを過ぎた頃かなと、タクシーを降り立ったのだが、周辺は車や人で結構な賑わい。
この朝市は、二つの大きなテント張りの共同店舗と、一つの共同店舗、そして約10ほどの店舗、そして複数の露店で構成されている。
テント張りの共同店舗は、それぞれ組合組織になっており、「西駅指宿線朝市相互組合」(写真2)と、「西駅前朝市協同組合」である。これ以外に、建物に入っている共同店舗も、「駅前朝市通り会」という組合組織となっている。
朝市で目に付いたのは花の多さ。(写真3)後で、南日本新聞社の方に伺ったのだが、鹿児島県の「切り花」の消費支出は、全国第二位。(一位は、宮城県。)一月当たりの消費支出は、15,522円(「平成16年総務省家計調査年報」より)だというから、かなりの金額。水道代や電気代と同じくらい使っているわけだ。南日本新聞社の方によると、鹿児島は祖先を敬う気持ちが強く、仏壇や墓地にも花を欠かさない風習があるためではないかとのこと。
活気あふれていたのは、いずこも同じで新鮮な魚介類を扱っている魚屋さん。料理店などの方も買いに来られているようでした。(写真4)
そして、もうひとつ目を引いたのは、薩摩芋。その種類の豊富なこと。さすが、本場だけのことはあります。あと切干大根も多かった。良くある切干大根のほかに、見かけは同じなのですが「蒸し大根」というのもあり、こちらの方が鹿児島名物ですよとのこと。
大通りに沿っては、数は少ないが、農家のおばさんらしき人たちが店を出している。のんびりと、芋の皮をむいたり、たけのこの皮をむいたりして、お客を待っている。(写真5)
こうした「市」を語る時に、どうしても「観光資源」としての視点に偏りがちだ。地域商業を議論する時には、大型小売店と、商店街という対立軸でしばしば考えてしまう。しかし、このような地域に密着した形で残っている「市」を、地域商業の中で、どう位置づけるのか、また、その要素をとりれることはできないのか、もう少し考えてみたいと思っている。
*このブログで取り上げた他の朝市 → 「上越・高田の朝市」
※写真1 後方が鹿児島中央駅。市は、角を右に入ったところ。
※写真2 指宿線朝市(西駅指宿線朝市相互組合)。左手はバスターミナル。
※写真3 花屋さんがずらりと並ぶ。
※写真4 威勢のよい掛け声。
※写真5 おばさんたちが、自分で作ったり、採ってきたものを売っている。
※写真6 朝市の賑わい。右手奥に見える、かまぼこ型のテントが「西駅前朝市協同組合」。
大型小売店舗や郊外型ショッピングセンターの影響が強調されるが、こうした朝市が依然として活況を呈している(観光という意味ではなく)背景に、個人商店や中心市街地のあり方などを考えるヒントがあるのではないかと思っている。
さて、鹿児島市にも、「朝市」がある。複数あるのだが、今回は、午前中の仕事の空いた時間に、鹿児島中央駅(旧 西鹿児島駅)前の朝市に出かけてみた。
九州新幹線の開通と同時に、駅名を変更した鹿児島中央駅には、若者をターゲットにしたショッピングセンターがあり、大きな赤い観覧車が目印になっている。(写真1)
都会的な駅前には、市街電車が走り、中距離の都市間バスのターミナルがある。その前に広がるのが、中央駅前の朝市。この朝市の始まりは、第二次世界大戦後のことで、鹿児島本線、指宿枕崎線、日豊本線の沿線の人たちが、農産物や海産物を持ち寄り、駅前やバスロータリーで販売していたのが起こりらしい。今から約20年前に、現在の形態となった。
朝市についたのは、平日の午前9時過ぎ。すでにピークを過ぎた頃かなと、タクシーを降り立ったのだが、周辺は車や人で結構な賑わい。
この朝市は、二つの大きなテント張りの共同店舗と、一つの共同店舗、そして約10ほどの店舗、そして複数の露店で構成されている。
テント張りの共同店舗は、それぞれ組合組織になっており、「西駅指宿線朝市相互組合」(写真2)と、「西駅前朝市協同組合」である。これ以外に、建物に入っている共同店舗も、「駅前朝市通り会」という組合組織となっている。
朝市で目に付いたのは花の多さ。(写真3)後で、南日本新聞社の方に伺ったのだが、鹿児島県の「切り花」の消費支出は、全国第二位。(一位は、宮城県。)一月当たりの消費支出は、15,522円(「平成16年総務省家計調査年報」より)だというから、かなりの金額。水道代や電気代と同じくらい使っているわけだ。南日本新聞社の方によると、鹿児島は祖先を敬う気持ちが強く、仏壇や墓地にも花を欠かさない風習があるためではないかとのこと。
活気あふれていたのは、いずこも同じで新鮮な魚介類を扱っている魚屋さん。料理店などの方も買いに来られているようでした。(写真4)
そして、もうひとつ目を引いたのは、薩摩芋。その種類の豊富なこと。さすが、本場だけのことはあります。あと切干大根も多かった。良くある切干大根のほかに、見かけは同じなのですが「蒸し大根」というのもあり、こちらの方が鹿児島名物ですよとのこと。
大通りに沿っては、数は少ないが、農家のおばさんらしき人たちが店を出している。のんびりと、芋の皮をむいたり、たけのこの皮をむいたりして、お客を待っている。(写真5)
こうした「市」を語る時に、どうしても「観光資源」としての視点に偏りがちだ。地域商業を議論する時には、大型小売店と、商店街という対立軸でしばしば考えてしまう。しかし、このような地域に密着した形で残っている「市」を、地域商業の中で、どう位置づけるのか、また、その要素をとりれることはできないのか、もう少し考えてみたいと思っている。
*このブログで取り上げた他の朝市 → 「上越・高田の朝市」
※写真1 後方が鹿児島中央駅。市は、角を右に入ったところ。
※写真2 指宿線朝市(西駅指宿線朝市相互組合)。左手はバスターミナル。
※写真3 花屋さんがずらりと並ぶ。
※写真4 威勢のよい掛け声。
※写真5 おばさんたちが、自分で作ったり、採ってきたものを売っている。
※写真6 朝市の賑わい。右手奥に見える、かまぼこ型のテントが「西駅前朝市協同組合」。2006年4月9日(日) at 18:48
九州全県訪問達成 / 中村智彦
おでかけ・旅 > 地域経済を考える
鹿児島に行ってきました。
南日本新聞社の南日本政経懇話会で呼んでいただき、鹿児島会場(城山観光ホテル)、霧島会場(ホテル京セラ)、川薩会場(ホテルグリーンヒル)の三ヶ所で講演をさせていていただきました。
さて、今回の南日本新聞社での講演会で、九州の全県をこの約二年半で廻らせていただいたことになりました。お呼びいただいた各県、地域の新聞社の方には心より御礼を申し上げたいと思います。
九州と一口で言っても、本当にいろいろと特徴があり、また県民性、地域性というものを感じられて、非常に勉強になりました。
正直な感想としては、今、私たちは様々な情報をいながらにして入手できるようになったのですが、やはり現地に行ってみると、見えてくるもの、感じられるものが違うということです。仕事で伺いますので、なかなか時間もないのですが、できる限り、地元の市場やスーパー、朝市などに顔を出すようにしています。そこには、その土地土地の生活があり、私のようなものには大変、勉強になります。
今回も、講演会にお越しいただいた様々な方たちと短い時間ですが、お話でき、大変、よい経験をさせていただきました。心より、お礼を申し上げ、また今後も、頑張っていきたいと気持ちを新たにしました。
画像は、島津家別邸仙巌園(磯庭園)より、桜越しに見た桜島です。
南日本新聞社の南日本政経懇話会で呼んでいただき、鹿児島会場(城山観光ホテル)、霧島会場(ホテル京セラ)、川薩会場(ホテルグリーンヒル)の三ヶ所で講演をさせていていただきました。
さて、今回の南日本新聞社での講演会で、九州の全県をこの約二年半で廻らせていただいたことになりました。お呼びいただいた各県、地域の新聞社の方には心より御礼を申し上げたいと思います。
九州と一口で言っても、本当にいろいろと特徴があり、また県民性、地域性というものを感じられて、非常に勉強になりました。
正直な感想としては、今、私たちは様々な情報をいながらにして入手できるようになったのですが、やはり現地に行ってみると、見えてくるもの、感じられるものが違うということです。仕事で伺いますので、なかなか時間もないのですが、できる限り、地元の市場やスーパー、朝市などに顔を出すようにしています。そこには、その土地土地の生活があり、私のようなものには大変、勉強になります。
今回も、講演会にお越しいただいた様々な方たちと短い時間ですが、お話でき、大変、よい経験をさせていただきました。心より、お礼を申し上げ、また今後も、頑張っていきたいと気持ちを新たにしました。
2006年3月29日(水) at 17:11
最近の仕事 / 中村智彦
おでかけ・旅 > 地域経済を考える
ここ2ヶ月のお仕事をまとめておきます。
12月
北海道新聞・帯広市・道新十勝政経文化懇話会講師
帯広は初めての訪問。豊かな大地を感じることができました。最近は農産物の輸出でビジネスチャンスをつかみ始めているそうです。新聞社支局の一階で地元産地のお弁当販売などのイベントを開催するなど、地方の新聞社としての地域活性化の取り組みを拝見しました。ITだとか、サービス産業がこれからの主流だと言われているけれど、農産品も意外と可能性が高いかもと、色々お話しを聞いて思いました。
四国新聞・高松市・政経懇話会講師
新幹線と特急を乗り継いでいくと、本州から近くなったなあと実感できました。高松の観光地・屋島からの瀬戸内海の眺めは絶品だと思うのですが、最近、山頂のホテルが廃業したり、ケーブルカーが休業したりと、どうも元気が無い様子。歴史性もあるし、景色もいいのですが、観光開発の難しいところだなあと実感。
神戸新聞・丹波市・政経懇話会講師
新しく誕生した丹波市の柏原。「かいばら」と読むのですが、大阪には柏原(かしわら)というところもあり、もう少しで切符を間違えるところ。不勉強の極みです。織田家の城下町ということで、しっとりした風情のある町並みでした。講演会の会場となった料亭旅館「三友楼」は著名人も数多く泊まったという老舗。近い所のことも結構、知らないものだと反省しました。
東海市議会議員「緑水会」勉強会・講師
議員先生とお話しをしました。ゼミ生も同行。緊張してました。女性の議員の方たちが、とても元気で、こちらが良い勉強になりました。
岐阜県中小企業団体中央会・土岐市青年部懇談会勉強会講師
陶磁器というと、「瀬戸」が有名ですが、少し奥になる岐阜県の多治見や土岐も有名な産地。しかし、輸入品の増加や、需要の低迷によって、厳しい状況が続いています。勉強会では、地元金融機関の方のお話や、岐阜県で進めているイチイ・プロジェクトの話など興味深いお話が聞けました。
最上川流域観光交流推進協議会・最上川リバーツーリズムセミナー講師
長井市から新庄市に移動し、シンポジウム。海外からの観光客の増加に対応すべく、中国語や韓国語、英語の最上川小唄を船頭さんが歌うという話には感動。「連携や協力というのは、民間企業の立場から言えば、自分より弱いものと組んでも意味がないのです」という経営者の言。「少し言い過ぎましたかねえ」と照れておられましたが、大事なことだと思います。
☆その他、長井市関連、知多市関連、高槻市関連の会議ならびに打ち合わせがありました。十二月はまさに師走。昨年に比べて、山形も大雪。新庄では雪が積もって大変だったのが、酒田に抜けると雪は少ない。でも、風が強く、標識にはまるでスプレーで吹き付けたように雪がべったり。一週間後にJRの特急が脱線して、それが思い出されて、たまりませんでした。
1月
知多地区5市5町職員研修会・大府市・講師
いつもお世話になっている職員の顔がちらほら見えて、ちょっと話し辛かったりしました(笑)来年度も、いくつかの市役所とは委員会や審議会でお世話になります。
JICA青年招聘事業(スリランカ)講師
ひと月に一回くらいある研修の講師です。スリランカは過去に二回も行ったことのある好きな国の一つ。昔、行った時の写真を持っていきました。行ったことのある国だと、講義もしやすいです。JICAの研修は、それでなくてもへたくそな英会話を、それ以上、さび付かせないようにする良い機会。
愛知県商店街連合会・活性化事業報告会・アドバイザー
大府市の共和駅前商店街組合で取り組んでいる活性化事業の報告会でした。と言っても、発表をしてくださったのは、組合広報の中村さん(同姓です)。県内の色々な事例が聞けて、参考になりました。
静岡放送ラジオ「とれたてラジオ」コメンテータ
数ヶ月ぶりに静岡放送ラジオ。澤木さんは風邪気味でしたけど、いつも通り、ダンディー。様々な分野の情報をお持ちだし、鋭い意見をきちんと持っていらっしゃるので、こちらも真剣。緊張感のあるスタジオでの仕事は楽しいです。
☆その他、長井市関連、知多市関連の会議ならびに打ち合わせなど。一月は正月ボケが長引き、いろいろ失敗をしでかして、ご迷惑をおかけしてしまいました。
月末には、愛知県の愛知ブランド認証式に、ゼミ生の坊谷君と一緒に出席。ポッカ・コーポレーションの創業者である谷田利景顧問も出席されており、感激している坊谷君とのツーショット。「僕、写真下手です」と言うだけあって、私の写真はことごとくピンボケ
↓ 愛知ブランド認証式会場にて
12月
北海道新聞・帯広市・道新十勝政経文化懇話会講師
帯広は初めての訪問。豊かな大地を感じることができました。最近は農産物の輸出でビジネスチャンスをつかみ始めているそうです。新聞社支局の一階で地元産地のお弁当販売などのイベントを開催するなど、地方の新聞社としての地域活性化の取り組みを拝見しました。ITだとか、サービス産業がこれからの主流だと言われているけれど、農産品も意外と可能性が高いかもと、色々お話しを聞いて思いました。
四国新聞・高松市・政経懇話会講師
新幹線と特急を乗り継いでいくと、本州から近くなったなあと実感できました。高松の観光地・屋島からの瀬戸内海の眺めは絶品だと思うのですが、最近、山頂のホテルが廃業したり、ケーブルカーが休業したりと、どうも元気が無い様子。歴史性もあるし、景色もいいのですが、観光開発の難しいところだなあと実感。
神戸新聞・丹波市・政経懇話会講師
新しく誕生した丹波市の柏原。「かいばら」と読むのですが、大阪には柏原(かしわら)というところもあり、もう少しで切符を間違えるところ。不勉強の極みです。織田家の城下町ということで、しっとりした風情のある町並みでした。講演会の会場となった料亭旅館「三友楼」は著名人も数多く泊まったという老舗。近い所のことも結構、知らないものだと反省しました。
東海市議会議員「緑水会」勉強会・講師
議員先生とお話しをしました。ゼミ生も同行。緊張してました。女性の議員の方たちが、とても元気で、こちらが良い勉強になりました。
岐阜県中小企業団体中央会・土岐市青年部懇談会勉強会講師
陶磁器というと、「瀬戸」が有名ですが、少し奥になる岐阜県の多治見や土岐も有名な産地。しかし、輸入品の増加や、需要の低迷によって、厳しい状況が続いています。勉強会では、地元金融機関の方のお話や、岐阜県で進めているイチイ・プロジェクトの話など興味深いお話が聞けました。
最上川流域観光交流推進協議会・最上川リバーツーリズムセミナー講師
長井市から新庄市に移動し、シンポジウム。海外からの観光客の増加に対応すべく、中国語や韓国語、英語の最上川小唄を船頭さんが歌うという話には感動。「連携や協力というのは、民間企業の立場から言えば、自分より弱いものと組んでも意味がないのです」という経営者の言。「少し言い過ぎましたかねえ」と照れておられましたが、大事なことだと思います。
☆その他、長井市関連、知多市関連、高槻市関連の会議ならびに打ち合わせがありました。十二月はまさに師走。昨年に比べて、山形も大雪。新庄では雪が積もって大変だったのが、酒田に抜けると雪は少ない。でも、風が強く、標識にはまるでスプレーで吹き付けたように雪がべったり。一週間後にJRの特急が脱線して、それが思い出されて、たまりませんでした。
1月
知多地区5市5町職員研修会・大府市・講師
いつもお世話になっている職員の顔がちらほら見えて、ちょっと話し辛かったりしました(笑)来年度も、いくつかの市役所とは委員会や審議会でお世話になります。
JICA青年招聘事業(スリランカ)講師
ひと月に一回くらいある研修の講師です。スリランカは過去に二回も行ったことのある好きな国の一つ。昔、行った時の写真を持っていきました。行ったことのある国だと、講義もしやすいです。JICAの研修は、それでなくてもへたくそな英会話を、それ以上、さび付かせないようにする良い機会。
愛知県商店街連合会・活性化事業報告会・アドバイザー
大府市の共和駅前商店街組合で取り組んでいる活性化事業の報告会でした。と言っても、発表をしてくださったのは、組合広報の中村さん(同姓です)。県内の色々な事例が聞けて、参考になりました。
静岡放送ラジオ「とれたてラジオ」コメンテータ
数ヶ月ぶりに静岡放送ラジオ。澤木さんは風邪気味でしたけど、いつも通り、ダンディー。様々な分野の情報をお持ちだし、鋭い意見をきちんと持っていらっしゃるので、こちらも真剣。緊張感のあるスタジオでの仕事は楽しいです。
☆その他、長井市関連、知多市関連の会議ならびに打ち合わせなど。一月は正月ボケが長引き、いろいろ失敗をしでかして、ご迷惑をおかけしてしまいました。
月末には、愛知県の愛知ブランド認証式に、ゼミ生の坊谷君と一緒に出席。ポッカ・コーポレーションの創業者である谷田利景顧問も出席されており、感激している坊谷君とのツーショット。「僕、写真下手です」と言うだけあって、私の写真はことごとくピンボケ
↓ 愛知ブランド認証式会場にて
2006年2月6日(月) at 01:34
冬の山形に行きませんか? / 中村智彦
おでかけ・旅 > 地域経済を考える
地域振興のお仕事をしている山形県長井市で、
下記のような催しを開催します。
冬の長井も素敵です。
実は、大手旅行代理店の人から、
「本当になにもないところですね」と言われた
地元の関係者は、昨年、少し落ち込んでいました。
でも、何も無いはずないじゃないですか。
長井は、最上川最上流の港町として栄えた
歴史ある街です。
江戸時代の商家、わらぶきも民家、さらには、
繁栄を物語る明治、大正、昭和の洋館建築などに
加え、豊かな食文化の伝統もあります。
とにかく一度、足を運んでもらおうと
企画されたのが、この企画です。
今回の目玉は、東京からの無料バス。
関西、中部方面からは、東京発には間に合いませんが、
米沢駅まで新幹線で来れば、間に合います。
もちろん、遅れてきての参加も歓迎。
(ただし、定員になって時点で締め切りです。)
ぜひ、この機会に、まっしろな山形を
見に来てください。
そして、あなたなりの地域振興のアイデアをぜひ
聞かせてください。
********************
雪灯り回廊&ふるさと体験ツアー
なにもない長井で、本当の「冬」を体験しませんか?
あるのは、真っ白い雪と、まばゆい星空と、ゆったりした時の流れ
日時: 2月11日(祝)〜12日(日)
場所:山形県長井市館町北 タスビル
参加申し込み締め切り : 2月4日(土)
(注 参加予定人数に達しました時は、締め切り前に打ち切ることがございます。)
◇交通手段について
東京⇒米沢⇒現地に無料送迎バスを運行!!
1.東京八重洲口 2/11(祝)7:00にバスが迎えにいきます。
2.米沢駅 2/11(祝) 12:30にバスが迎えにいきます
3.タスビル 14:00集合(交通費は実費になります。)
※バス代は、いずも無料です。
※お帰りは八重洲口までのバスのみ運行いたします。
※上記よりお選び、申込みの際にお知らせください。
※ツアー参加がバス乗車の条件です。バスだけの利用はできません。
◇参加費について
お一人様 10,000円(宿泊代、食事代込み)
◇宿泊先について
タスパークホテル
長井市館町北6番27号 TEL:0238-88-1833
◇お願い
とにかく寒いです。防寒具、長靴、手袋を必ず準備ください
■ 2月11日(祝)
14:00 タスパークホテル ロビー集合
14:30〜 オリエンテーション
15:00〜
*その1. スノーランタン作り
*その2. かんじき、深ぐつ体験
*その3. 雪あそび
16:45〜 ティータイム
17:30 ランタン点灯
18:00〜 長井のごっつおうを楽しもう
*きき酒大会やつけものバイキング
もあります
19:30〜 街中へレッツゴー
■ 2月12日(日)
9:00 タスパークホテル ロビー集合
・・・長井を語る歴史の散歩道へ・・・
・丸大扇屋でむかし語り
【長井の文化のはじまり。最上川舟運の軌跡がうかがえる豪商】
⇒通常、冬季閉館中を特別に囲炉裏を体験!!
・小桜館 (旧郡役所)
【明治11年建築のペンキ塗り木造二階建て洋風建築物。文明開化の息吹が伝わる】
11:00〜 餅つき体験
13:00 解散
申込み問い合わせ先
(財)置賜地域地場産業振興センター
〒993-0011 山形県長井市館町北6番27号
TEL(0238)-88-1815 FAX(0238)88-1854
E-Mail jibasan@e.jan.ne.jp
http://www.jibasan.com/
2006年1月13日(金) at 02:13
情報の一極集中 / 中村智彦
おでかけ・旅 > 地域経済を考える
宮崎に行きました。伊丹から飛行機に乗って、ちょうど一時間。東京に行くのと同じくらいの感覚です。
宮崎には、何度か行ったことがあります。空港を降り立ってから、市内までは20分ほど。九州でも、博多に次いで便利な空港です。
市内は、フェニックスの木が街路樹で立ち並んでおり、暖かな南国の雰囲気が伝わってきます。
所用があって、宮崎市からJRに乗り、日向市に向かいました。日豊本線は日向灘に沿って走っており、雄大な海岸風景が楽しめます。
車窓からの風景を楽しんでいると、ある湾の部分で異様な光景を眼にしました。材木というか、木々が漂着し、山積みになっているのです。それを重機で取り除き、一部はそこで焼却していました。
「台風の被害ですよ。氾濫した川から流れ出た材木や木々や、海に流れ着いたのです。」
一緒にいた地元の人が説明をしてくれました。
「宮崎は、あまり台風の被害はないのですが、今回のはひどかったですね。私の家など、昨日、やっと水道が出るようになったのです。」
台風14号が宮崎県を襲い、大きな被害を出したのは9月4日から5日にかけて。それからすでに2ヶ月が経過しようとしているのにである。
宮崎市内では浄水場が水没。そのために上水道の供給がストップし、再開まで2ヶ月近くかかった言う。
確かに台風の時には、増水した大淀川の映像やがけ崩れの映像などをテレビで見た覚えがあるが、いまだに水道などの復旧ができていなかったなどとは思いもよらなかった。
「テレビのニュースなど御覧なさいよ。九州に台風が来るなんて、ほとんど報道なんかされない。ところが、伊豆諸島に近づくなんていうと、もう大騒ぎでニュースで流す。結局、首都圏のことだけなんだよ。」タクシーの運転手は、笑いながらも、そう話した。
今、多くの情報は地方からいったん東京に集められ、そこで選別され、整理され、そしてもう一度地方に戻される。その過程で、地方では、どうにも感覚のズレを感じてしまうことになるのだろう。
「県とも相談して、やっと予算がついたと喜んでいたら、この大災害だ。それでなくとも財政難なのに、これで全て駄目になってしまう。頭の痛いことですよ。」ある中小企業団体の職員は、そう言った。
地震だ、台風だとここのところ災害に慣れてしまったのかもしれない。しかし、こうして見てみると、ネットだ、ITだと騒ぐ割に、地方の情報が伝わっていないことを実感する。
地方が、どうやって情報を発信するのか。地方新聞の役割、地方テレビ局の役割、さらにはネットの活用など、検討する課題は山のようにあるだろう。
宮崎には、何度か行ったことがあります。空港を降り立ってから、市内までは20分ほど。九州でも、博多に次いで便利な空港です。
市内は、フェニックスの木が街路樹で立ち並んでおり、暖かな南国の雰囲気が伝わってきます。
所用があって、宮崎市からJRに乗り、日向市に向かいました。日豊本線は日向灘に沿って走っており、雄大な海岸風景が楽しめます。
車窓からの風景を楽しんでいると、ある湾の部分で異様な光景を眼にしました。材木というか、木々が漂着し、山積みになっているのです。それを重機で取り除き、一部はそこで焼却していました。
「台風の被害ですよ。氾濫した川から流れ出た材木や木々や、海に流れ着いたのです。」
一緒にいた地元の人が説明をしてくれました。
「宮崎は、あまり台風の被害はないのですが、今回のはひどかったですね。私の家など、昨日、やっと水道が出るようになったのです。」
台風14号が宮崎県を襲い、大きな被害を出したのは9月4日から5日にかけて。それからすでに2ヶ月が経過しようとしているのにである。
宮崎市内では浄水場が水没。そのために上水道の供給がストップし、再開まで2ヶ月近くかかった言う。
確かに台風の時には、増水した大淀川の映像やがけ崩れの映像などをテレビで見た覚えがあるが、いまだに水道などの復旧ができていなかったなどとは思いもよらなかった。
「テレビのニュースなど御覧なさいよ。九州に台風が来るなんて、ほとんど報道なんかされない。ところが、伊豆諸島に近づくなんていうと、もう大騒ぎでニュースで流す。結局、首都圏のことだけなんだよ。」タクシーの運転手は、笑いながらも、そう話した。
今、多くの情報は地方からいったん東京に集められ、そこで選別され、整理され、そしてもう一度地方に戻される。その過程で、地方では、どうにも感覚のズレを感じてしまうことになるのだろう。
「県とも相談して、やっと予算がついたと喜んでいたら、この大災害だ。それでなくとも財政難なのに、これで全て駄目になってしまう。頭の痛いことですよ。」ある中小企業団体の職員は、そう言った。
地震だ、台風だとここのところ災害に慣れてしまったのかもしれない。しかし、こうして見てみると、ネットだ、ITだと騒ぐ割に、地方の情報が伝わっていないことを実感する。
地方が、どうやって情報を発信するのか。地方新聞の役割、地方テレビ局の役割、さらにはネットの活用など、検討する課題は山のようにあるだろう。
2005年10月31日(月) at 16:02
CAPフェスタ / 中村智彦
おでかけ・旅 > 地域経済を考える
京都中小企業団体中央会青年部の主催で、CAPフェスタ2005が京都の梅小路公園で開催されました。京都の各団体の青年部さんが一同に会して、それぞれ趣向を凝らした模擬店や展示を行っておられました。こんなかたちで、各団体が交流し、市民にアピールするというのも、素晴らしいことだと思います。
そんな中、私が顧問を務めさせていただいている機青連(京都機械金属中小企業青年連絡会)は、自製の綿菓子製造器で、綿菓子の屋台を出店。
あれ、みなさん、テントの中で、座って、がっくり・・・
どうも故障してしまったようです。初めてのチャレンジ。確かに、他の団体を見ても、製造器まで自分たちで作ってしまおうという考えは機青連だけ。なかなか機械は、思ったように動いてくれない。でも、だからこそ、機械作りはおもしろいのでしょうね。
※「ああ、もう閉会式やってるで」代表幹事が心配そうに・・修理されて運ばれてきた部品を総出で取り付け、確認していきます。「おかっしなあ、これでええはずやのに。」「なんやひっかかっているで。」みなさん、真剣です。「あんた!普段、うちで働いている時よりも、真剣な顔してるで!」と声が飛んだりして
※会場内は各団体の出店で大にぎわい。会場は梅小路機関車館に隣接しているので、時折、蒸気機関車の汽笛の音が響きます。
※「よっしゃ、なんとかいけそうや!」「はよせな、電源切られるで!」ここまでくれば意地でも、動かさねば。ぎりぎりで直りました。モーターの音が響きます。
※「もう今日は、タダや。持っていって!」子供たちが集まります。せっかく色々なフレーバーの材料も用意していたのに、残念!
でも、これがまた新たな経験になて、次へ進んでいくのが「機青連」ですよね。
きっと次までには、本職真っ青な自動綿菓子製造器に進化しているはず。そうしたら、学生たちと借りて、大学の中で綿菓子売ってみたいな
そんな中、私が顧問を務めさせていただいている機青連(京都機械金属中小企業青年連絡会)は、自製の綿菓子製造器で、綿菓子の屋台を出店。
あれ、みなさん、テントの中で、座って、がっくり・・・
※「ああ、もう閉会式やってるで」代表幹事が心配そうに・・修理されて運ばれてきた部品を総出で取り付け、確認していきます。「おかっしなあ、これでええはずやのに。」「なんやひっかかっているで。」みなさん、真剣です。「あんた!普段、うちで働いている時よりも、真剣な顔してるで!」と声が飛んだりして
※会場内は各団体の出店で大にぎわい。会場は梅小路機関車館に隣接しているので、時折、蒸気機関車の汽笛の音が響きます。
※「よっしゃ、なんとかいけそうや!」「はよせな、電源切られるで!」ここまでくれば意地でも、動かさねば。ぎりぎりで直りました。モーターの音が響きます。
※「もう今日は、タダや。持っていって!」子供たちが集まります。せっかく色々なフレーバーの材料も用意していたのに、残念!
でも、これがまた新たな経験になて、次へ進んでいくのが「機青連」ですよね。
きっと次までには、本職真っ青な自動綿菓子製造器に進化しているはず。そうしたら、学生たちと借りて、大学の中で綿菓子売ってみたいな
2005年10月3日(月) at 01:00
国内ローカル航空路 / 中村智彦
おでかけ・旅 > 地域経済を考える
最近、地方への出張にローカル航空路を利用することが多い。プロペラ機やジェット機だが、いわゆるビジネスユースを前提にした航空機だ。
地方空港の建設ブームは一段落した。今まで、地方空港の滑走路の長さが、建設の際の焦点となっていた。いわく、欧米への路線開設のためには、大型機の離発着ができるだけの長さを確保したいというのが地元?の意見であったのだ。
その結果、欧米へ飛行する航空機が離発着「できる」空港がたくさんできた。しかし、「できる」ことと、飛行機が「飛ぶ」というのは別問題である。
結果的に、大きな滑走路に立派なターミナルと、小さな飛行機がちょこんと並んでいるところが大半だ。
しかし、考えてみれば、それで当然なのだろう。一時間に一本くらいの間隔で、羽田と結ばれていれば、ビジネスユースには最高の環境だろう。まあ、そこまで行かなくとも、早朝の東京行きと、夜の地方行きがあれば、地方からの出張には問題ないし、それに加えて逆方向も同じようにあれば、東京からの出張に差し支えない。
同じような時間帯に地方空港を飛行機が出発し、同時に羽田なり、伊丹に到着する。また、夕方には羽田や伊丹から方に向けての出発が集中する。
今回、高知から伊丹を経由した仙台まで移動したのだが、伊丹での待ち時間はわずかに30分。11時45分に高知市内のホテルをタクシーで出て、1時に高知空港で飛行機に乗り、伊丹を経由して、仙台に着いたのは3時半だった。その日に会議を二つこなせた。
ただ、いかんせんここの動画にあげているQ400にしろ、ジェット機にしろ、機内が狭く小さい。ビジネスマンばかりの時には、まず機内持ち込みの荷物が少なく、慣れた風の人たちが多いので。とっとと乗り込み、とっとと降りていく。整然としたものだ。
ところが観光客が多いと、大混乱に陥る。機内が小さいために、大きな手荷物を持って乗り込むと、前進も後退も難しくなる。席上のロッカーも小さい。すべてがビジネスユースで設計されているから、ロッカーもブリーフケース程度しか入らないのだ。降りるときも、大騒ぎだ。我先に一カ所しかないドアに進むのだが、通路も席も小さいので、通路に誰かが立ってしまうと、その両側の乗客は立ち上がることすらできない。
観光客の多い路線は、やはりある程度の大きさのある機材で運航して欲しいと思うのである。
2005年6月19日(日) at 23:48
市街電車 / 中村智彦
おでかけ・旅 > 地域経済を考える
色々なところに旅するが、市街電車の走る街が好きだ。喫茶店で珈琲を飲んでいても、夜の街を歩いていても、独特のあの走行音が響くと、どこかしら懐かしい。
実際には、懐かしさだけでは経営は立ち行かず、かなり苦しいところも多い。
しかし、妙な新交通システムを作るよりも、コスト的にも、拡張性も、発展性もある。そうしたところが、ヨーロッパを始めとする国々で再評価されているところだろう。
乗車してみれば、この交通システムが、いかに人間的かを体感できるはずである。
日本で、なかなか再評価が進まないのは、一大自動車輸出国だからだろう。中部地方のある大都市の、交通機関を兼用する委員会で委員をやっていたある人は、「市街電車の話は、持ち出さないでください」と役所から念を押されたそうだ。
まあ、そんな生臭い話は、この際よい。夜の街を、車体を大きく左右に振りながら、轟音を立てて、走り去る市街電車は、素敵だ。

