本音で話す時期が来た〜産業振興ビジョンについて / 中村智彦
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4年前の記事なのですが、読み返してみて、今、思っていることとあまりブレていないので、再掲することにしました。
長らく続く景気低迷。その中で、経済の構造改革が叫ばれている。地方と都市圏のあり方も再考が求められている。「血を流す必要がある」、「痛みを伴う改革を」という意見に、賛同の声も多い。しかし、誰が血を流し、痛みを感じるのかは、明からではない。テレビの街頭インタビューでも、多くの人が「自分がそうなるのは反対」と回答していた。
経済の構造改革が実施されれば、地方経済は一段の落ち込みを見せるだろう。仮に、政治家たちの言い分を信じるとして、それが一時的なものであったとしても、相当の影響が出ることは避けられない。そんな状況の前で、我々は、一体、何を考え、何を行うべきなのだろうか。
「難しいことは、お役所や偉い先生方が、考えてくれる」という物わかりの良い中小企業の社長では、これから先、大切な企業を守れない。
関西経済の地盤沈下
昨年、関西経済に関する研究会に参加していた。その報告書をまとめるために、第二次世界大戦直後からの様々な経済に関する報告書に目を通した。
年代を追って、読み進めた。敗戦直後のものは、簡素な作りで、気を付けないとバラバラになってしまう程に痛んでいるものもあった。しかし、非常におもしろいのである。官庁だけではなく、総合商社や金融機関などの調査、企画部門がまとめたものも少なくない。現在ほど、データが豊富ではないが、そうした状況の中で、状況の分析を行い、批判、意見、展望などがまとめられている。そして、それらは執筆者名が記載されている。官庁の報告書ですら、現在では恐らく許されないであろうと思わせるようなはっきりした批判や指摘を行っている。「どや、俺は、こない思うんや。文句があったら、言ってこい」という行間からの声が聞こえてくるようなものが多いのである。
いかにも大阪人らしい、歯に衣着せぬ威勢の良さが伝わってくる報告書が、数多く残されているのである。
大阪万博を境に
ところが、ある年代を境に急激に報告書類が生彩を欠くようになる。1970年である。1970年、この年は関西経済にとって記念すべき年である。大阪万国博覧会が開催されたのである。
面識のある多くの関西の経済人たちが、「関西経済の凋落は、実は万博を境に始まった」と指摘する。この指摘の正しさを示すように、これ以降の報告書は自画自賛調が目に付き、終始、楽観論で埋め尽くされる。
多くの経済人が関西経済の地盤沈下を実感し始めた時期に、「まだ大丈夫や」という自画自賛調の報告書が増えていく。さらに、次第に「関西の特徴は」、「大阪人は」という点が強調されていく。実際には、各地から多くの人が集まり、そこで活躍の場を見い出せるという点が大阪、ひいては関西経済の強みであった。しかし、次第に根拠の無い「関西人」、「大阪人」の特性が強調され、「よそ者」が経済を活性化してきた点が見過ごされるようになる。今では、「排他的だ」、「保守的だ」と指摘する声すらあるのも、そうした傾向が進んだせいであろう。
大阪批判を続けてきたが、しかし、ここで読者のみなさんの住む地域でも同様の傾向がないだろうか。首都圏への経済の集中と、地域経済の衰退を考えた時に、実は大阪、関西の状況は一つの事例に過ぎないのである。
シンクタンクの弊害
実は、この1970年代に様々な報告書の作成方法が大きく変化している。つまり、戦後の混乱期から、高度成長期に移り、次第に世の中が安定してくる。それに伴って、大手金融機関などが次々にシンクタンクを設立する。また、コンサルタント会社なども設立されていく。
こうした企業が、次第に調査、研究事業を受託するようになるのである。確かに、こうした企業の増加によって、様々な調査、研究が進んだ側面は否定できないし、大きな功績を残してきた。しかし、こうした企業が、官庁などからの受託という形で調査、研究を行うようになったことは、すなわち発注者と受注者という上下関係が調査、研究、提案の世界に入り込んできたことも意味する。
シンクタンクは、調査、研究を行う。これらを元にした提案に関しては、学識経験者を中心に構成された委員会が行うという形を取る。委員長には、多くの場合、著名大学の教授が就任し、委員には発注元官庁の職員や関係団体の役職者が就任する。
「形を取る」という嫌みな表現を取ったのは、実際には提案部分もシンクタンクが用意し、多少の議論が委員会で行われるだけで、多くの場合、「承認」が取り付けるだけである。
こうなると、勢い、シンクタンクは、クライアント(発注側)の意に添った提案を行う。つまり、結論が先にあり、調査、研究を行うということが行われるのである。さらに、多くの委員を満足させるために、自画自賛調の報告が多用されるようになる。また、あくまで委員会の提案として報告者が作成されるので、一体、誰が責任を持つのかすら曖昧なものになるのである。
丸投げでは通用しない
こうした傾向は、大阪だけのことではない。様々な地域経済振興策が、シンクタンクやコンサルへの丸投げで立案された。官庁だけど非難することは、出来ないだろう。社団法人や協同組合あるいは商工会議所なども、同様の手法を採ってきたのではないだろうか。
バブル景気の頃からは、シンクタンクだけではなく、大手広告代理店までが地域振興策の受注を行うようになった。映画祭だ、演劇祭だと大騒ぎし、巨額の予算を付けたが、金の切れ目が縁の切れ目で、一発花火で後が続かないという状況が続出している。
シンクタンクや広告代理店ばかりが悪者ではない。彼らは、それが商売であり、あくまでクライアントが望んだ通りに実施したのである。「別の所で使用した提案書の表紙だけを取り替えて、それで納得してくれれば、社としては利益が上がる。そもそも、視察などをしているはずで、同じものだとも気が付かないクライアントにも責任がある」と、大手広告代理店に勤める知人が平然と言っていた。
「景気が良い時代は、内容に独自性があるなしに関係なく、形式が整っていれば補助金などが支出される仕組みがあった」と、ある官庁の職員は回顧する。妙に難しい提案を行うより、前例もあり、右へ倣え式の提案の方が、実施する際の予算獲得にも有利だと、誰しもが考えたのである。行政も、そして実は我々自身も、そう思ってきたのではないだろうか。
認識のズレ
誰も責任を持たない総花的で、楽観的な調査報告書。それを元に、補助金を受け、特色のない事業を展開する。そうした繰り返しが、現在の地域経済の行き詰まりの一因である。
「いまだに、なにかやってみたらどうかと提案すると、じゃあ、どれくらい金を付けてくれるのかと返してくる」と、ある地方自治体の商工担当者は嘆く。「他の地方も参考にしてなどと言うと、温泉地ばかり希望先を提案してくる」という別の担当者もいる。いずれも、「自分達が置かれている状況、我々の地域がどうなっているかの認識がずれているとしか思えない」と口を揃える。
残念なことであるが、こうした批判の矛先は、中小企業関係の商工団体や、中小企業経営者そのものに向けられることも少なくない。
関西の例で見たように、1970年代から現在まで、シンクタンクやコンサルタントに丸投げすれば、それなりの報告書が出来上がり、予算も付くという状況が続いてきた。30年以上、続いてきたのだから、従来通り、丸投げ形式で、何か報告書を作れば、それで終わりだという考えから抜け出せない人たちが多いのも仕方がない。しかし、すでにそうした時代は終わったのである。
その気になれば
自分達の置かれている状況を冷静に分析し、検討することは必要なことである。そこで、多くの場合、アンケートでまず現状を把握しようとする。その集計や、グラフ作成は、従来なら専門家に委託しなければ、非常に困難であった。
最近では、こうした作業が簡単に行えるようになった。パソコンが普及したおかげで、特別なソフトを使わなくとも、集計作業やグラフ作成などが簡単に行えるようになったのである。
また、最近では大学が地域社会との交流を進めている。アンケートの作成や分析などを、大学の教員や学生の協力を得て進めていくことも可能となっている。全くタダという訳にはいかないものの、以前のような巨額の費用が必要ではない。
やる気のある企業だけ
不透明な時代と言われるようになって、どれくらい経つだろうか。不透明さに慣れることなく、どこかしらに将来への不安を抱えたまま日々すごすようになってしまっている。
したり顔で、「秋頃には景気は上向きます」などと話す大手シンクタンクの研究員たちも、本音のところでは全くそんなことは思っていないだろう。先進国としての位置を固めた日本において、以前のような好景気は、到底望めないことなど、彼らが一番知っているからである。


☆月刊『労働と経営』2001年7月号掲載
長らく続く景気低迷。その中で、経済の構造改革が叫ばれている。地方と都市圏のあり方も再考が求められている。「血を流す必要がある」、「痛みを伴う改革を」という意見に、賛同の声も多い。しかし、誰が血を流し、痛みを感じるのかは、明からではない。テレビの街頭インタビューでも、多くの人が「自分がそうなるのは反対」と回答していた。
経済の構造改革が実施されれば、地方経済は一段の落ち込みを見せるだろう。仮に、政治家たちの言い分を信じるとして、それが一時的なものであったとしても、相当の影響が出ることは避けられない。そんな状況の前で、我々は、一体、何を考え、何を行うべきなのだろうか。
「難しいことは、お役所や偉い先生方が、考えてくれる」という物わかりの良い中小企業の社長では、これから先、大切な企業を守れない。
関西経済の地盤沈下
昨年、関西経済に関する研究会に参加していた。その報告書をまとめるために、第二次世界大戦直後からの様々な経済に関する報告書に目を通した。
年代を追って、読み進めた。敗戦直後のものは、簡素な作りで、気を付けないとバラバラになってしまう程に痛んでいるものもあった。しかし、非常におもしろいのである。官庁だけではなく、総合商社や金融機関などの調査、企画部門がまとめたものも少なくない。現在ほど、データが豊富ではないが、そうした状況の中で、状況の分析を行い、批判、意見、展望などがまとめられている。そして、それらは執筆者名が記載されている。官庁の報告書ですら、現在では恐らく許されないであろうと思わせるようなはっきりした批判や指摘を行っている。「どや、俺は、こない思うんや。文句があったら、言ってこい」という行間からの声が聞こえてくるようなものが多いのである。
いかにも大阪人らしい、歯に衣着せぬ威勢の良さが伝わってくる報告書が、数多く残されているのである。
大阪万博を境に
ところが、ある年代を境に急激に報告書類が生彩を欠くようになる。1970年である。1970年、この年は関西経済にとって記念すべき年である。大阪万国博覧会が開催されたのである。
面識のある多くの関西の経済人たちが、「関西経済の凋落は、実は万博を境に始まった」と指摘する。この指摘の正しさを示すように、これ以降の報告書は自画自賛調が目に付き、終始、楽観論で埋め尽くされる。
多くの経済人が関西経済の地盤沈下を実感し始めた時期に、「まだ大丈夫や」という自画自賛調の報告書が増えていく。さらに、次第に「関西の特徴は」、「大阪人は」という点が強調されていく。実際には、各地から多くの人が集まり、そこで活躍の場を見い出せるという点が大阪、ひいては関西経済の強みであった。しかし、次第に根拠の無い「関西人」、「大阪人」の特性が強調され、「よそ者」が経済を活性化してきた点が見過ごされるようになる。今では、「排他的だ」、「保守的だ」と指摘する声すらあるのも、そうした傾向が進んだせいであろう。
大阪批判を続けてきたが、しかし、ここで読者のみなさんの住む地域でも同様の傾向がないだろうか。首都圏への経済の集中と、地域経済の衰退を考えた時に、実は大阪、関西の状況は一つの事例に過ぎないのである。
シンクタンクの弊害
実は、この1970年代に様々な報告書の作成方法が大きく変化している。つまり、戦後の混乱期から、高度成長期に移り、次第に世の中が安定してくる。それに伴って、大手金融機関などが次々にシンクタンクを設立する。また、コンサルタント会社なども設立されていく。
こうした企業が、次第に調査、研究事業を受託するようになるのである。確かに、こうした企業の増加によって、様々な調査、研究が進んだ側面は否定できないし、大きな功績を残してきた。しかし、こうした企業が、官庁などからの受託という形で調査、研究を行うようになったことは、すなわち発注者と受注者という上下関係が調査、研究、提案の世界に入り込んできたことも意味する。
シンクタンクは、調査、研究を行う。これらを元にした提案に関しては、学識経験者を中心に構成された委員会が行うという形を取る。委員長には、多くの場合、著名大学の教授が就任し、委員には発注元官庁の職員や関係団体の役職者が就任する。
「形を取る」という嫌みな表現を取ったのは、実際には提案部分もシンクタンクが用意し、多少の議論が委員会で行われるだけで、多くの場合、「承認」が取り付けるだけである。
こうなると、勢い、シンクタンクは、クライアント(発注側)の意に添った提案を行う。つまり、結論が先にあり、調査、研究を行うということが行われるのである。さらに、多くの委員を満足させるために、自画自賛調の報告が多用されるようになる。また、あくまで委員会の提案として報告者が作成されるので、一体、誰が責任を持つのかすら曖昧なものになるのである。
丸投げでは通用しない
こうした傾向は、大阪だけのことではない。様々な地域経済振興策が、シンクタンクやコンサルへの丸投げで立案された。官庁だけど非難することは、出来ないだろう。社団法人や協同組合あるいは商工会議所なども、同様の手法を採ってきたのではないだろうか。
バブル景気の頃からは、シンクタンクだけではなく、大手広告代理店までが地域振興策の受注を行うようになった。映画祭だ、演劇祭だと大騒ぎし、巨額の予算を付けたが、金の切れ目が縁の切れ目で、一発花火で後が続かないという状況が続出している。
シンクタンクや広告代理店ばかりが悪者ではない。彼らは、それが商売であり、あくまでクライアントが望んだ通りに実施したのである。「別の所で使用した提案書の表紙だけを取り替えて、それで納得してくれれば、社としては利益が上がる。そもそも、視察などをしているはずで、同じものだとも気が付かないクライアントにも責任がある」と、大手広告代理店に勤める知人が平然と言っていた。
「景気が良い時代は、内容に独自性があるなしに関係なく、形式が整っていれば補助金などが支出される仕組みがあった」と、ある官庁の職員は回顧する。妙に難しい提案を行うより、前例もあり、右へ倣え式の提案の方が、実施する際の予算獲得にも有利だと、誰しもが考えたのである。行政も、そして実は我々自身も、そう思ってきたのではないだろうか。
認識のズレ
誰も責任を持たない総花的で、楽観的な調査報告書。それを元に、補助金を受け、特色のない事業を展開する。そうした繰り返しが、現在の地域経済の行き詰まりの一因である。
「いまだに、なにかやってみたらどうかと提案すると、じゃあ、どれくらい金を付けてくれるのかと返してくる」と、ある地方自治体の商工担当者は嘆く。「他の地方も参考にしてなどと言うと、温泉地ばかり希望先を提案してくる」という別の担当者もいる。いずれも、「自分達が置かれている状況、我々の地域がどうなっているかの認識がずれているとしか思えない」と口を揃える。
残念なことであるが、こうした批判の矛先は、中小企業関係の商工団体や、中小企業経営者そのものに向けられることも少なくない。
関西の例で見たように、1970年代から現在まで、シンクタンクやコンサルタントに丸投げすれば、それなりの報告書が出来上がり、予算も付くという状況が続いてきた。30年以上、続いてきたのだから、従来通り、丸投げ形式で、何か報告書を作れば、それで終わりだという考えから抜け出せない人たちが多いのも仕方がない。しかし、すでにそうした時代は終わったのである。
その気になれば
自分達の置かれている状況を冷静に分析し、検討することは必要なことである。そこで、多くの場合、アンケートでまず現状を把握しようとする。その集計や、グラフ作成は、従来なら専門家に委託しなければ、非常に困難であった。
最近では、こうした作業が簡単に行えるようになった。パソコンが普及したおかげで、特別なソフトを使わなくとも、集計作業やグラフ作成などが簡単に行えるようになったのである。
また、最近では大学が地域社会との交流を進めている。アンケートの作成や分析などを、大学の教員や学生の協力を得て進めていくことも可能となっている。全くタダという訳にはいかないものの、以前のような巨額の費用が必要ではない。
やる気のある企業だけ
不透明な時代と言われるようになって、どれくらい経つだろうか。不透明さに慣れることなく、どこかしらに将来への不安を抱えたまま日々すごすようになってしまっている。
したり顔で、「秋頃には景気は上向きます」などと話す大手シンクタンクの研究員たちも、本音のところでは全くそんなことは思っていないだろう。先進国としての位置を固めた日本において、以前のような好景気は、到底望めないことなど、彼らが一番知っているからである。

