ブログの引越し。 / たいき
日記・その他 > いろいろ
関西どっとコムのサービス終了に伴い、
ブログを移行することとなりました。
新しいURLは
http://taiki.blog.eonet.jp/aozora/
と、なるはずです。
あやふやで申し訳ありません。
ただいま、いろいろ試行錯誤中です。
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新しいURLは
http://taiki.blog.eonet.jp/aozora/
と、なるはずです。
あやふやで申し訳ありません。
ただいま、いろいろ試行錯誤中です。
2008年7月10日(木) at 23:56
避暑地。 / たいき
旧友テルオと珈琲を。 / たいき
日記・その他 > いろいろ
20年以上前からの友人、テルオ。

本名、松本照生。
所属スイミングはKTV石橋。高校は大阪の名門池田高校。
一緒のチームになったことはないけど、
大阪の公立高校所属のトップスイマー(自称
)として仲良しだった。
一緒のチームになったことはないとはいえ、
お互い、大阪府の強化練習とかに選抜されて、
一緒のプールで練習したことはあったと思う。
専門種目が違うので、一緒のコースで練習はしなかったけど。
それでも休日に遊びに行ったりした記憶もあるので、
大切な友人の一人だった。
その後、神戸商船大学を経て就職したテルオとは、
大学時代も実業団時代も水泳の試合でたまに会うくらいだったけど、
兵庫県実業団大会に元気な息子さんがついてきてて、
ええな〜、息子さんが試合の応援に来てくれるなんて。
と、うらやましく思ってたことを覚えてる。
それからしばらく疎遠になってたけど、
僕が備前に転勤したことで、再会することになる。
なんと不思議な人の縁
今、テルオは備前に住んでいる。
しかも、あの時の息子さんが今は中学生になってて、
僕の備前SSの選手コースの教え子の大輝と同級生。
つまり、僕の教え子の友達のお父さんがテルオ。
もう一回言おう。なんと不思議な人の縁
で、今日は貴重な休日を備前市温水プールに泳ぎに来てくれて、
泳ぎ終わった後に、時間調整で昼過ぎに退社の僕を珈琲に誘ってくれた。
ということで、冒頭の写真につながる
たわいもない昔話がめちゃめちゃ癒しの時間になった。
こういう時間、最近減ってるな〜、と改めて思う。
ここには書けないような話もイロイロしながら、笑った、笑った。
ここに書ける話といえば、自分たちのあの頃を振り返って、
水泳の練習を頑張ってたのは自分やけど、
やっぱり『親に感謝』するよな〜、ってこと。
自分の力だけじゃ継続できへんからな〜、と。
お互い、親になって、こんな話をするなんて、
あの頃は考えもせえへんかったけど…
一緒にはしゃいだ青春時代、貴重な思い出。
水泳をやってたからこそ、出会えた仲間。
ま、また今度はマスターズ、一緒に出よう。
そのテルオ、
今は環境にやさしい仕事をしてる。
地球温暖化防止のためにCO2削減に取り組んでいる会社。
「備前グリーンエネルギー株式会社」
ま、宣伝はこれくらいにして
最後に昔をふりかえって、テルオに一言。
いや〜、あん時の上海遠征、やっぱり俺も行けばよかった

本名、松本照生。
所属スイミングはKTV石橋。高校は大阪の名門池田高校。
一緒のチームになったことはないけど、
大阪の公立高校所属のトップスイマー(自称
一緒のチームになったことはないとはいえ、
お互い、大阪府の強化練習とかに選抜されて、
一緒のプールで練習したことはあったと思う。
専門種目が違うので、一緒のコースで練習はしなかったけど。
それでも休日に遊びに行ったりした記憶もあるので、
大切な友人の一人だった。
その後、神戸商船大学を経て就職したテルオとは、
大学時代も実業団時代も水泳の試合でたまに会うくらいだったけど、
兵庫県実業団大会に元気な息子さんがついてきてて、
ええな〜、息子さんが試合の応援に来てくれるなんて。
と、うらやましく思ってたことを覚えてる。
それからしばらく疎遠になってたけど、
僕が備前に転勤したことで、再会することになる。
なんと不思議な人の縁
今、テルオは備前に住んでいる。
しかも、あの時の息子さんが今は中学生になってて、
僕の備前SSの選手コースの教え子の大輝と同級生。
つまり、僕の教え子の友達のお父さんがテルオ。
もう一回言おう。なんと不思議な人の縁
で、今日は貴重な休日を備前市温水プールに泳ぎに来てくれて、
泳ぎ終わった後に、時間調整で昼過ぎに退社の僕を珈琲に誘ってくれた。
ということで、冒頭の写真につながる
たわいもない昔話がめちゃめちゃ癒しの時間になった。
こういう時間、最近減ってるな〜、と改めて思う。
ここには書けないような話もイロイロしながら、笑った、笑った。
ここに書ける話といえば、自分たちのあの頃を振り返って、
水泳の練習を頑張ってたのは自分やけど、
やっぱり『親に感謝』するよな〜、ってこと。
自分の力だけじゃ継続できへんからな〜、と。
お互い、親になって、こんな話をするなんて、
あの頃は考えもせえへんかったけど…
一緒にはしゃいだ青春時代、貴重な思い出。
水泳をやってたからこそ、出会えた仲間。
ま、また今度はマスターズ、一緒に出よう。
そのテルオ、
今は環境にやさしい仕事をしてる。
地球温暖化防止のためにCO2削減に取り組んでいる会社。
「備前グリーンエネルギー株式会社」
ま、宣伝はこれくらいにして
最後に昔をふりかえって、テルオに一言。
いや〜、あん時の上海遠征、やっぱり俺も行けばよかった
2008年7月3日(木) at 23:15
ヒロシマのある国で。 / たいき
日記・その他 > いろいろ
中国春季遠征は水泳以外にも色々と深い時間を過ごした。
以前から広島はじっくり訪問したい場所で、
遊びに行くような軽い感じじゃなく、
日本人として、いや地球人として心に焼き付けなきゃいけない、
そんなイメージの場所だった。
電車に乗るのはもったいないので、とりあえず歩いた。
試合会場のビッグウェーブからモノレール沿いに歩くと広島城が見えた。

目的地は平和記念公園だったけど、地図を持っていなかったので、
方向があっているのかどうか不安だった。
でも…気にせず歩いた。
こういう時は、なんとなく間違っていない気がする。
根拠はないけど。
仮に間違っていても、それはそれで何かに出会うやろうと思った。
町並みが賑やかになってきて、広島市民球場が見えてきた。

ここまで来ると、街頭にある地図で目的地が確認できた。
やっぱり方向は間違っていなかった。
そして、
…辿り着いた。

初めて見る原爆ドーム。
この瞬間の気持ちは言葉ではうまく言い表せない。
平和記念公園内をさらに歩いた。

原爆の子の像の前で、
流暢な日本語を話す外国の方に出会った。
「外国人観光客の方に折鶴の折り方を教えるためにいます。
月に2〜3回ですけど。はい、ボランティアです。」
そんな話を聞いて、辺りを見回すと、
確かに外国の方が多いことに気づく。
原爆の子の像とは少し縁があって、
この像のモデルになったサダコさんの甥っ子のYUJIさんが、
ボーカルを務めるロックバンド「ゴッドブレス」に、
ラサSS(僕のジュニアスイマー)時代の後輩だった三戸詞介君がベースで参加していた。
少し前に脱退したけど。
そんな縁があったので、
YUJIさんとはメールか掲示板で少しやりとりしたことがあった。
話が逸れたけど、
テレビで見たことがある風景の中をさらに歩く。

資料館に入る。
入館料は50円やけど、まずは無料のフロアをウロウロしてみる。
地下に下りると、被爆者の方が描かれた絵が掲示されていた。

被爆後、しばらく経ってから子供さんと再会できた方の絵。
子供さんの唇はいちじくのように腫れ上がっており、
見た目からは判別がつきにくい状態だったけど、
話す言葉から間違いなく自分の子供であると確信されたとのこと。
子供さんは親に会えた安心感からか、
自転車の荷台に座った瞬間に息を引き取られたと…。
涙がこぼれた。
止まらなかった。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
この日はその後、平和記念公園から広島駅の近所まで歩いた。
結局、3〜4時間くらい歩いたと思う。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
次の日、広島から相生に帰ってくると、
嫁さんと息子と娘が相生駅まで迎えに来てくれた。

お土産のお好み焼き風センベイも喜んでくれた。

当たり前に訪れる日常は、本当は当たり前じゃなく、
なんて大切な一日一日なんやろう、と本当に心から思う。
以前から広島はじっくり訪問したい場所で、
遊びに行くような軽い感じじゃなく、
日本人として、いや地球人として心に焼き付けなきゃいけない、
そんなイメージの場所だった。
電車に乗るのはもったいないので、とりあえず歩いた。
試合会場のビッグウェーブからモノレール沿いに歩くと広島城が見えた。

目的地は平和記念公園だったけど、地図を持っていなかったので、
方向があっているのかどうか不安だった。
でも…気にせず歩いた。
こういう時は、なんとなく間違っていない気がする。
根拠はないけど。
仮に間違っていても、それはそれで何かに出会うやろうと思った。
町並みが賑やかになってきて、広島市民球場が見えてきた。

ここまで来ると、街頭にある地図で目的地が確認できた。
やっぱり方向は間違っていなかった。
そして、
…辿り着いた。

初めて見る原爆ドーム。
この瞬間の気持ちは言葉ではうまく言い表せない。
平和記念公園内をさらに歩いた。

原爆の子の像の前で、
流暢な日本語を話す外国の方に出会った。
「外国人観光客の方に折鶴の折り方を教えるためにいます。
月に2〜3回ですけど。はい、ボランティアです。」
そんな話を聞いて、辺りを見回すと、
確かに外国の方が多いことに気づく。
原爆の子の像とは少し縁があって、
この像のモデルになったサダコさんの甥っ子のYUJIさんが、
ボーカルを務めるロックバンド「ゴッドブレス」に、
ラサSS(僕のジュニアスイマー)時代の後輩だった三戸詞介君がベースで参加していた。
少し前に脱退したけど。
そんな縁があったので、
YUJIさんとはメールか掲示板で少しやりとりしたことがあった。
話が逸れたけど、
テレビで見たことがある風景の中をさらに歩く。

資料館に入る。
入館料は50円やけど、まずは無料のフロアをウロウロしてみる。
地下に下りると、被爆者の方が描かれた絵が掲示されていた。

被爆後、しばらく経ってから子供さんと再会できた方の絵。
子供さんの唇はいちじくのように腫れ上がっており、
見た目からは判別がつきにくい状態だったけど、
話す言葉から間違いなく自分の子供であると確信されたとのこと。
子供さんは親に会えた安心感からか、
自転車の荷台に座った瞬間に息を引き取られたと…。
涙がこぼれた。
止まらなかった。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
この日はその後、平和記念公園から広島駅の近所まで歩いた。
結局、3〜4時間くらい歩いたと思う。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
次の日、広島から相生に帰ってくると、
嫁さんと息子と娘が相生駅まで迎えに来てくれた。

お土産のお好み焼き風センベイも喜んでくれた。

当たり前に訪れる日常は、本当は当たり前じゃなく、
なんて大切な一日一日なんやろう、と本当に心から思う。
2008年6月5日(木) at 22:41
今年のペーロン祭。 / たいき
また今度、行きます。 / たいき
いろんなことが。 / たいき
雪が積もってます。 / たいき
「感謝、感謝」が最後の言葉。 / たいき
日記・その他 > いろいろ
昨日…1月20日は爺ちゃんの命日だった。
爺ちゃんが亡くなったのは僕が高校3年の1月20日。
当時の僕は大学も推薦で決まっていたので遊び呆けていて、
友人の家に外泊もしょっちゅうしてたし、
家には着替えに帰るくらいで、家にいる時間はほとんどなかった。
だからその日の夕方、
爺ちゃんの亡骸と一緒に家に帰ってきた父と母が、
家にいる僕を見て、「なんでおるんや」と驚いていたのを鮮明に覚えてる。
なにしろあの時期、夕刻に家にいたのはあの日だけだった。
あの日だけはなんとなく、家におらなあかん気がして…
今でもフシギな感覚が残っている。
虫の知らせってあるんやな、と本当に思った。
爺ちゃんは絵に描いたような頑固ジジィで、
笑顔なんてほとんど見たことがない。
「ただいま」を言わずに家に入ろうものなら、
「誰やっ!!!」と襖の向こうから大声で怒鳴られたりした。
そんな恐い爺ちゃんやったけど、
水泳の大会から帰ってきた僕が、獲得したメダルや賞状を見せると、
「ほ〜、たいしたもんや、よお、がんばったな」
と少しだけ微笑んでくれたりする。
爺ちゃんが亡くなってから少し後に、
ピープル招待という大会に出場したけど、
あまり練習していなかったのにそこそこのタイムで泳げた。
その時、爺ちゃんが近くにいる感じがした感覚は今でも覚えてる。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
今日、お通夜に行ってきた。
キリスト教では前夜式と言うらしい。
嫁さんの知り合いで、お世話になっている教会で知り合った方だ。
僕も年末の燭火礼拝の時に、
その方が車椅子で来られていたのを覚えている。
その方は93歳で、
お亡くなりになる直前までジョークを言ったりしていたそうだ。
そして「感謝、感謝」と言葉を残して、
まもなく意識がなくなっていったとの事。
僕も最後の言葉が「ありがとう」になるような生き方をしたいと思う。
爺ちゃんが亡くなったのは僕が高校3年の1月20日。
当時の僕は大学も推薦で決まっていたので遊び呆けていて、
友人の家に外泊もしょっちゅうしてたし、
家には着替えに帰るくらいで、家にいる時間はほとんどなかった。
だからその日の夕方、
爺ちゃんの亡骸と一緒に家に帰ってきた父と母が、
家にいる僕を見て、「なんでおるんや」と驚いていたのを鮮明に覚えてる。
なにしろあの時期、夕刻に家にいたのはあの日だけだった。
あの日だけはなんとなく、家におらなあかん気がして…
今でもフシギな感覚が残っている。
虫の知らせってあるんやな、と本当に思った。
爺ちゃんは絵に描いたような頑固ジジィで、
笑顔なんてほとんど見たことがない。
「ただいま」を言わずに家に入ろうものなら、
「誰やっ!!!」と襖の向こうから大声で怒鳴られたりした。
そんな恐い爺ちゃんやったけど、
水泳の大会から帰ってきた僕が、獲得したメダルや賞状を見せると、
「ほ〜、たいしたもんや、よお、がんばったな」
と少しだけ微笑んでくれたりする。
爺ちゃんが亡くなってから少し後に、
ピープル招待という大会に出場したけど、
あまり練習していなかったのにそこそこのタイムで泳げた。
その時、爺ちゃんが近くにいる感じがした感覚は今でも覚えてる。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
今日、お通夜に行ってきた。
キリスト教では前夜式と言うらしい。
嫁さんの知り合いで、お世話になっている教会で知り合った方だ。
僕も年末の燭火礼拝の時に、
その方が車椅子で来られていたのを覚えている。
その方は93歳で、
お亡くなりになる直前までジョークを言ったりしていたそうだ。
そして「感謝、感謝」と言葉を残して、
まもなく意識がなくなっていったとの事。
僕も最後の言葉が「ありがとう」になるような生き方をしたいと思う。
2008年1月21日(月) at 23:00
傷つけた人へ。 / たいき
日記・その他 > いろいろ
たかだか38年の自分の人生を振り返る。
数え切れないほどの人との出会いや別れがある。
関わりの深い人、浅い人、長い人、短い人。
きっとこれからも会えるだろう人。
きっともう二度と会えない人。
思い返せば、思い返すほど、
もう一度、会って、どうしても謝りたい人がいる。
「ごめんなさい」を伝えたい人がいる。
こども時代に出会った、
「ごめんなさい」を伝えたい人。
どうしてもっとあなたの辛さ、苦しさ、痛みを、
感じることができなかったのだろう。
直接会って伝えたい。
でも叶わない。
ここで謝っても届かないことはわかっていても…
ごめんなさい。
本当に…ごめんなさい。
数え切れないほどの人との出会いや別れがある。
関わりの深い人、浅い人、長い人、短い人。
きっとこれからも会えるだろう人。
きっともう二度と会えない人。
思い返せば、思い返すほど、
もう一度、会って、どうしても謝りたい人がいる。
「ごめんなさい」を伝えたい人がいる。
こども時代に出会った、
「ごめんなさい」を伝えたい人。
どうしてもっとあなたの辛さ、苦しさ、痛みを、
感じることができなかったのだろう。
直接会って伝えたい。
でも叶わない。
ここで謝っても届かないことはわかっていても…
ごめんなさい。
本当に…ごめんなさい。





