会議が終わって。 / たいき
サクラ咲く報告、ありがとう。 / たいき
スポーツ > スイミングコーチの僕
今日は相生勤務時代の教え子から嬉しいメールをいただいた。
希望の大学に合格したとのこと
合格おめでとう。報告ありがとう。
と返信すると、さらに嬉しい返事が…
ありがとぉございます!
これで水泳続けることができます!
と。
指導を始めた16年前からずっと感じているのは、
教え子に恵まれているということ
昔の教え子はもう30歳を越えている。
そんな昔の教え子から、今の教え子まで…
最高です。幸せです。
ありがとう
今日、メールをくれた教え子の進学先は、びわこ成蹊スポーツ大学。
若吉教授もいらっしゃるし、一孝選手もいてる。
きっとこれからも頑張って泳いでいけるで。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
今日の備前SS。
ウェアが届きました。

で、今日も…

誰よりも先に着用しました
希望の大学に合格したとのこと
合格おめでとう。報告ありがとう。
と返信すると、さらに嬉しい返事が…
ありがとぉございます!
これで水泳続けることができます!
と。
指導を始めた16年前からずっと感じているのは、
教え子に恵まれているということ
昔の教え子はもう30歳を越えている。
そんな昔の教え子から、今の教え子まで…
最高です。幸せです。
ありがとう
今日、メールをくれた教え子の進学先は、びわこ成蹊スポーツ大学。
若吉教授もいらっしゃるし、一孝選手もいてる。
きっとこれからも頑張って泳いでいけるで。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
今日の備前SS。
ウェアが届きました。

で、今日も…

誰よりも先に着用しました
2008年2月1日(金) at 23:27
新ユニフォーム。 / たいき
スポーツ > スイミングコーチの僕
新春マスターズのことを書こう、書こうと思いつつ、
先延ばしになってしまっています。
いろいろな方のお写真を撮らせていただいたのに申し訳ありません。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
待ちに待った備前SSの新ユニフォームが今日…
ジャージはもうしばらくかかるようなので、
とりあえず水着をご披露いたします。

「海と緑と炎の町」をイメージした備前市の市章と同じカラーを使用しました。
炎というのは備前焼のカマドの炎のことです
地域のみなさまに応援していただけるチームでありたい、
という思いを込めてユニフォームを作りました。
このユニフォームでこれからの大会に、
少しずつでも備前旋風を巻き起こしたいと思います
そんな備前SS、最近の秘密兵器はこれ。

プールの形状の影響で、クイックターン以外のターンを、
ほとんどの選手が壁をつかんで行ってしまっています。
この秘密兵器で少しは改善できるかな?
まあ、秘密兵器というほど、大げさなモノではありませんが…
というより、秘密になっていませんが
今日の新ユニフォームの納入、一番楽しみにしていたのは…

誰よりも先に着用し、記念撮影しました
しかし、もう少し体を絞らないと…
スイマーではなくレスラーです
先延ばしになってしまっています。
いろいろな方のお写真を撮らせていただいたのに申し訳ありません。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
待ちに待った備前SSの新ユニフォームが今日…
ジャージはもうしばらくかかるようなので、
とりあえず水着をご披露いたします。

「海と緑と炎の町」をイメージした備前市の市章と同じカラーを使用しました。
炎というのは備前焼のカマドの炎のことです
地域のみなさまに応援していただけるチームでありたい、
という思いを込めてユニフォームを作りました。
このユニフォームでこれからの大会に、
少しずつでも備前旋風を巻き起こしたいと思います
そんな備前SS、最近の秘密兵器はこれ。

プールの形状の影響で、クイックターン以外のターンを、
ほとんどの選手が壁をつかんで行ってしまっています。
この秘密兵器で少しは改善できるかな?
まあ、秘密兵器というほど、大げさなモノではありませんが…
というより、秘密になっていませんが
今日の新ユニフォームの納入、一番楽しみにしていたのは…

誰よりも先に着用し、記念撮影しました
しかし、もう少し体を絞らないと…
スイマーではなくレスラーです
2008年1月30日(水) at 23:08
雪が積もってます。 / たいき
京橋で打ち上げ。 / たいき
日記・その他 > 携帯より
試合を終えて京橋で高校の後輩たちと打ち上げでした。
6歳下から19歳下まで。
特に6歳下から10歳下までは僕が20代で大阪勤務の頃、
ソフトボールチームを作って一緒に遊びまくった仲間たち。
懐かしい仲間と懐かしい街。
今日もノンアルコールですが心地いいです。
※1/28追記
打ち上げメンバーとの写真撮影、忘れちゃいました。
チーム・イブロニュ、かわいい後輩たちです。【追記終わり】
で、その仲間とも分かれ、
今は帰りの電車の中。
それにしても京橋にはたくさんの思い出があります。
写真は「京橋はええとこだっせ」で有名なグランシャトー。
あ、試合の結果はまた後日掲載します。
皆様、お疲れ様でした。
ありがとうございました。
6歳下から19歳下まで。
特に6歳下から10歳下までは僕が20代で大阪勤務の頃、
ソフトボールチームを作って一緒に遊びまくった仲間たち。
懐かしい仲間と懐かしい街。
今日もノンアルコールですが心地いいです。
※1/28追記
打ち上げメンバーとの写真撮影、忘れちゃいました。
チーム・イブロニュ、かわいい後輩たちです。【追記終わり】
で、その仲間とも分かれ、
今は帰りの電車の中。
それにしても京橋にはたくさんの思い出があります。
写真は「京橋はええとこだっせ」で有名なグランシャトー。
あ、試合の結果はまた後日掲載します。
皆様、お疲れ様でした。
ありがとうございました。
2008年1月27日(日) at 22:10
改めて、ありがとう。 / たいき
日記・その他 > 携帯より
今は大阪へ向かう始発電車の中。
今日は大阪門真のなみはやで新春マスターズ。
昨日は嶋邨コーチと2月に鳴尾浜で開催される、
アクアティック水泳大会のリレー編成や種目設定などで、
夜11時半まで選手会議をしていたので、
帰宅したのは12時過ぎ。
嫁さんは起きてくれてて夜食を作ってくれた。
今朝は始発電車に乗るために4時半過ぎに起きると、
嫁さんはすでに起きていて、
「ご飯がいい?パンがいい?」と僕に聞く。
う〜ん。
嫁さんをカミさんと言うけど、
僕にとっては神様みたい。
改めて、感謝します。
いつもありがとう。
「行ってきます」
「がんばって」
なんか頑張れそうな気がする。
今日は大阪門真のなみはやで新春マスターズ。
昨日は嶋邨コーチと2月に鳴尾浜で開催される、
アクアティック水泳大会のリレー編成や種目設定などで、
夜11時半まで選手会議をしていたので、
帰宅したのは12時過ぎ。
嫁さんは起きてくれてて夜食を作ってくれた。
今朝は始発電車に乗るために4時半過ぎに起きると、
嫁さんはすでに起きていて、
「ご飯がいい?パンがいい?」と僕に聞く。
う〜ん。
嫁さんをカミさんと言うけど、
僕にとっては神様みたい。
改めて、感謝します。
いつもありがとう。
「行ってきます」
「がんばって」
なんか頑張れそうな気がする。
2008年1月27日(日) at 06:06
のんちゃんの宿題。 / たいき
「感謝、感謝」が最後の言葉。 / たいき
日記・その他 > いろいろ
昨日…1月20日は爺ちゃんの命日だった。
爺ちゃんが亡くなったのは僕が高校3年の1月20日。
当時の僕は大学も推薦で決まっていたので遊び呆けていて、
友人の家に外泊もしょっちゅうしてたし、
家には着替えに帰るくらいで、家にいる時間はほとんどなかった。
だからその日の夕方、
爺ちゃんの亡骸と一緒に家に帰ってきた父と母が、
家にいる僕を見て、「なんでおるんや」と驚いていたのを鮮明に覚えてる。
なにしろあの時期、夕刻に家にいたのはあの日だけだった。
あの日だけはなんとなく、家におらなあかん気がして…
今でもフシギな感覚が残っている。
虫の知らせってあるんやな、と本当に思った。
爺ちゃんは絵に描いたような頑固ジジィで、
笑顔なんてほとんど見たことがない。
「ただいま」を言わずに家に入ろうものなら、
「誰やっ!!!」と襖の向こうから大声で怒鳴られたりした。
そんな恐い爺ちゃんやったけど、
水泳の大会から帰ってきた僕が、獲得したメダルや賞状を見せると、
「ほ〜、たいしたもんや、よお、がんばったな」
と少しだけ微笑んでくれたりする。
爺ちゃんが亡くなってから少し後に、
ピープル招待という大会に出場したけど、
あまり練習していなかったのにそこそこのタイムで泳げた。
その時、爺ちゃんが近くにいる感じがした感覚は今でも覚えてる。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
今日、お通夜に行ってきた。
キリスト教では前夜式と言うらしい。
嫁さんの知り合いで、お世話になっている教会で知り合った方だ。
僕も年末の燭火礼拝の時に、
その方が車椅子で来られていたのを覚えている。
その方は93歳で、
お亡くなりになる直前までジョークを言ったりしていたそうだ。
そして「感謝、感謝」と言葉を残して、
まもなく意識がなくなっていったとの事。
僕も最後の言葉が「ありがとう」になるような生き方をしたいと思う。
爺ちゃんが亡くなったのは僕が高校3年の1月20日。
当時の僕は大学も推薦で決まっていたので遊び呆けていて、
友人の家に外泊もしょっちゅうしてたし、
家には着替えに帰るくらいで、家にいる時間はほとんどなかった。
だからその日の夕方、
爺ちゃんの亡骸と一緒に家に帰ってきた父と母が、
家にいる僕を見て、「なんでおるんや」と驚いていたのを鮮明に覚えてる。
なにしろあの時期、夕刻に家にいたのはあの日だけだった。
あの日だけはなんとなく、家におらなあかん気がして…
今でもフシギな感覚が残っている。
虫の知らせってあるんやな、と本当に思った。
爺ちゃんは絵に描いたような頑固ジジィで、
笑顔なんてほとんど見たことがない。
「ただいま」を言わずに家に入ろうものなら、
「誰やっ!!!」と襖の向こうから大声で怒鳴られたりした。
そんな恐い爺ちゃんやったけど、
水泳の大会から帰ってきた僕が、獲得したメダルや賞状を見せると、
「ほ〜、たいしたもんや、よお、がんばったな」
と少しだけ微笑んでくれたりする。
爺ちゃんが亡くなってから少し後に、
ピープル招待という大会に出場したけど、
あまり練習していなかったのにそこそこのタイムで泳げた。
その時、爺ちゃんが近くにいる感じがした感覚は今でも覚えてる。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
今日、お通夜に行ってきた。
キリスト教では前夜式と言うらしい。
嫁さんの知り合いで、お世話になっている教会で知り合った方だ。
僕も年末の燭火礼拝の時に、
その方が車椅子で来られていたのを覚えている。
その方は93歳で、
お亡くなりになる直前までジョークを言ったりしていたそうだ。
そして「感謝、感謝」と言葉を残して、
まもなく意識がなくなっていったとの事。
僕も最後の言葉が「ありがとう」になるような生き方をしたいと思う。

