虐待事件 / 智*Long
ニュース・芸能 > 私感
福島県にある 知的障害者更正施設で起こった 様々な虐待の事実が 明らかになった!
職員が入居者にぬれぎぬ
人として 触れ合ってない現状と虐待の実態
虐待を知った家族の想い
この記事を読んでいて 昔 起こった
アカス紙器事件
を 思い出した。
どちらも 本当に ひどい虐待が 施設内で実際に行われてた。
施設職員の全てが こういった虐待をしていたわけじゃない!でも ひとつの施設で こういった虐待の実態を知り 施設長にも 報告し適切なる処遇を求めていたにも関わらず 施設長は ある部分では認め ある部分では 虐待ではないと発言してる。
こういった 入所型の施設では 今までも 虐待され その事実を自分で訴えることが困難な人たちが 数年間 虐待に無言で耐えていた事実もあり 悲しくも 命を落とした方もおられる。
あたしが この施設に関する事件内容記事を読んでいて思ったのは 施設職員の道徳的観念の欠落に驚愕した。
人と人
なんら 変わりないこと。確かに 意思表示をすることが困難な人もいるし 自分の思いを伝えられないが為に 自分の中で葛藤し苦しんで それを行動の中で 何らかのかたちで表現する人も多い。そういったことは 接する側が 一歩下がって一息ついて受け止めることが 大事やないかなぁ・・・と思う。
相手が 自分の要求に応じないからといって 腹立たしい思いをすることは 正直 誰だってあるんちゃうかなぁって思う。
ただ 会話をして 納得しあえることも 解決のひとつになるけど 会話がうまく出来ない人に対しては その人との会話の仕方ってもんが それぞれあると思う。
ことばだけが 会話ではないし 相手だって どうしたら伝えられるのか・どうして伝えられないのか・・・そういった 悶々とした中に 孤独感を味わいながら 苦しんでるのも想定した上で 会話や意思伝達を考慮していかないといけないと思います。
虐待は 障害者に限った問題ではなく 今 連日流れるニュースの中でも 虐待事件のニュースを目にするほど 大きな社会問題になってる。
距離が近くなれば それだけ 息苦しくなることもある。
だからこそ 抱え込んで ギリギリまで耐えてしまって 中には 悲しい結末が起きたりする。
サポート側も 虐待されてしまう側も どちらにも 葛藤があったり 閉鎖的な場所で 息苦しくなってる事実もある。
ゆとりを持って 理解を深め 人と人として 接していくことは 当然のことであると思う。もちろん あたしも 知的障害者の人と 外出したり 仕事をしていて 理解が出来ないことも 多かったし お互いがどうしたらいいか わからなくなって ほんとに 参ったこともあったし 道路でも バスでも 電車でも どこでも 取っ組み合いをしたりもした。でも イライラしたりするのは 誰にでもあると思う。同時に 喜びを感じることも あると思う。
イライラして ことばで感情を伝えられないから 理解してもらえなくて 更に イライラしたりして 暴れて訴えるのを見てると 初めは どうしたらいいか わからなくて ただ ただ 落ち着く様に促しながら 体を押さえ込んだりしたけど いつしか 『そうやんなぁ・・・イライラしたり 腹立つことも あるよなぁ・・・』って一言 声をかけると それまで 暴れまくってた人が ふっと止まって 笑ったりした。あたしも 何度も 何度も 失敗したり 考えたり 苛立ったりした中で どう接していけばいいか どうしたらその訴えに答えられるか なんかを模索していってた。
結局 確かな答えがあるってもんでもないと思う
十人十色っていう様に それぞれ 性格も感情も生い立ちも違うし そのとき そのときの気分も様々。だから こう接すれば 間違いないってもんは 未だにないし そのとき そのときに 対応してるだけのことやけど やっぱり 一緒に悩んで苦しんだりするから 一緒に笑ったりも出来るんやと思う。
虐待は あってはならないもの。
犯罪であるということ。
一生 その傷を背負って 生きていくってこと。
もう こんな 悲しく痛ましい事件が起きないことを 祈り信じるばかりです。
職員が入居者にぬれぎぬ
人として 触れ合ってない現状と虐待の実態
虐待を知った家族の想い
この記事を読んでいて 昔 起こった
アカス紙器事件
を 思い出した。
どちらも 本当に ひどい虐待が 施設内で実際に行われてた。
施設職員の全てが こういった虐待をしていたわけじゃない!でも ひとつの施設で こういった虐待の実態を知り 施設長にも 報告し適切なる処遇を求めていたにも関わらず 施設長は ある部分では認め ある部分では 虐待ではないと発言してる。
こういった 入所型の施設では 今までも 虐待され その事実を自分で訴えることが困難な人たちが 数年間 虐待に無言で耐えていた事実もあり 悲しくも 命を落とした方もおられる。
あたしが この施設に関する事件内容記事を読んでいて思ったのは 施設職員の道徳的観念の欠落に驚愕した。
人と人
なんら 変わりないこと。確かに 意思表示をすることが困難な人もいるし 自分の思いを伝えられないが為に 自分の中で葛藤し苦しんで それを行動の中で 何らかのかたちで表現する人も多い。そういったことは 接する側が 一歩下がって一息ついて受け止めることが 大事やないかなぁ・・・と思う。
相手が 自分の要求に応じないからといって 腹立たしい思いをすることは 正直 誰だってあるんちゃうかなぁって思う。
ただ 会話をして 納得しあえることも 解決のひとつになるけど 会話がうまく出来ない人に対しては その人との会話の仕方ってもんが それぞれあると思う。
ことばだけが 会話ではないし 相手だって どうしたら伝えられるのか・どうして伝えられないのか・・・そういった 悶々とした中に 孤独感を味わいながら 苦しんでるのも想定した上で 会話や意思伝達を考慮していかないといけないと思います。
虐待は 障害者に限った問題ではなく 今 連日流れるニュースの中でも 虐待事件のニュースを目にするほど 大きな社会問題になってる。
距離が近くなれば それだけ 息苦しくなることもある。
だからこそ 抱え込んで ギリギリまで耐えてしまって 中には 悲しい結末が起きたりする。
サポート側も 虐待されてしまう側も どちらにも 葛藤があったり 閉鎖的な場所で 息苦しくなってる事実もある。
ゆとりを持って 理解を深め 人と人として 接していくことは 当然のことであると思う。もちろん あたしも 知的障害者の人と 外出したり 仕事をしていて 理解が出来ないことも 多かったし お互いがどうしたらいいか わからなくなって ほんとに 参ったこともあったし 道路でも バスでも 電車でも どこでも 取っ組み合いをしたりもした。でも イライラしたりするのは 誰にでもあると思う。同時に 喜びを感じることも あると思う。
イライラして ことばで感情を伝えられないから 理解してもらえなくて 更に イライラしたりして 暴れて訴えるのを見てると 初めは どうしたらいいか わからなくて ただ ただ 落ち着く様に促しながら 体を押さえ込んだりしたけど いつしか 『そうやんなぁ・・・イライラしたり 腹立つことも あるよなぁ・・・』って一言 声をかけると それまで 暴れまくってた人が ふっと止まって 笑ったりした。あたしも 何度も 何度も 失敗したり 考えたり 苛立ったりした中で どう接していけばいいか どうしたらその訴えに答えられるか なんかを模索していってた。
結局 確かな答えがあるってもんでもないと思う
十人十色っていう様に それぞれ 性格も感情も生い立ちも違うし そのとき そのときの気分も様々。だから こう接すれば 間違いないってもんは 未だにないし そのとき そのときに 対応してるだけのことやけど やっぱり 一緒に悩んで苦しんだりするから 一緒に笑ったりも出来るんやと思う。
虐待は あってはならないもの。
犯罪であるということ。
一生 その傷を背負って 生きていくってこと。
もう こんな 悲しく痛ましい事件が起きないことを 祈り信じるばかりです。
2004年12月1日(水) at 09:34
このエントリ(記事)へのコメント
人なのに 同じなのに・・・ / 智*Long URL
なんで?
そう思うんです。疑問なんです。どうして そういうことが出来るんやろう・・・って。あたしも 行き詰って 『イィー』ってなったりもしましたし 取っ組み合いのケンカも お互いに泣きながら 道を歩いたりもしました。でも 人であるということは 言われなくても そう思ってたと 自分では思います。何かが 歪んでて 恐怖心が拭えません
そう思うんです。疑問なんです。どうして そういうことが出来るんやろう・・・って。あたしも 行き詰って 『イィー』ってなったりもしましたし 取っ組み合いのケンカも お互いに泣きながら 道を歩いたりもしました。でも 人であるということは 言われなくても そう思ってたと 自分では思います。何かが 歪んでて 恐怖心が拭えません






