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三峡の老街がすっかりきれいに修復されていたけれども、どこか複雑な気分になった / どくたーくに

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台北からMRTとバス(気づいたら高速を走っていた)を乗り継いで三峡という町へ行った。
京町家のように細長い都市型住居の軒先に、連続するアーケードが設置され、そこには様々な装飾が施された西洋風の街並みが存在することで有名なマチである。

大学の先生が1988年に訪れた内容を本に記していたのですが、その10年後に再び訪れるとファサードの壁飾り等が無残にも剥ぎ取られて町並み喪失の危機にあったそうです。
町並み保全指定される際に、個人資産として自由度が減るなどの理由で住民の反対にあったということが影響していたそうです。
そして昨年度三度訪れてみると、街並みの修復作業が行われていたそうです。台湾でも日本同様に歴史的環境の再評価が進んでいて、こうした「老街」に大きな注目が集まっているそうです。
そんな話しを先生から聞いていたので、台湾に行った際には是非いってみたいと思っていた。

楽しみにして行ってみたのだけれども、着いてみると何やら違和感を感じてしまった。
確かにきれいに街並みが修復されていたのだけれども、どこか生活の匂いを感じない脱臭化された歴史的環境のように思えてしまった。出来上がって間近なので経年変化がもたらす雰囲気が無いということを差し引いても、しっくりしない感じだった。
一斉に街並み全部を更新してしまうという、自然状態の中ではありえない変化が、USJやディズニーランド的な匂いを生んでいるのかもしれない。

入り口には大きく、歴史ある風情を再現しました!と書かれた看板があったり、お土産屋さんが建ち並んでいたりと、お金の匂いがマチに漂っていることも日本にあるような観光地を思いおこさせてしまった。

街並みが無くなってしまっていたという状況から考えると、修復されたという事実は非常に評価できることだと思うし、そうした歴史的環境保全という概念が広まってきたことも良いことだと思う。

だけれども一斉修復という出来事の裏で、人々の生活などの非観光要素が脱臭化されてしまう、クリアランス的なやり方でよかったのかなとは思う。
もちろん今後の暮らしの中で、そうした要素が生まれてくることも十分考えられるのであるんだけれども。

どこか気持ちがひっかかった三峡。

2007年11月15日(木) at 21:10 

暗闇とともにあらわれる台湾夜市の空間 / どくたーくに

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台湾と言えば屋台。
アジア文化圏では多く見られるスタイルだけれども、亜熱帯の暑い気候(昼間は暑くて歩いてられない)や中華圏の食へのこだわりといったものがあいまって、特にエネルギーがあるようにも感じられる。


昼間は至って普通の通り・路地やけれども、暗くなって看板の灯りが灯りだすと、スイッチが切り替わったように違う空間へと変容する。
そして買う人・売る人の活動自身がそれに拍車をかける。

千と千尋の神隠しで、湯屋の足元のマチが夜になって電気がついて急に活気のある異質な空間に変容したのも、まんざら嘘ではないように感じる。

台湾の人はほとんど外食する文化らしいし、暑い昼に比べて夜はすずしい。
こんな日常に大きく関係する空間やから、盛り場のような非日常性が優勢な空間とはちがって、もう少し地に足ついた感じになっている。
公園とか広場的な機能を代替しているともいえるのやろうか。

でも、いくらおもしろいからって日本には簡単に馴染まない。
うらやましい商業空間。
2007年11月8日(木) at 19:12 

台北の都心の隙間に日式住宅を探し歩く / どくたーくに

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台北は大阪市とほぼ同じ人口規模であるが、すぐ側に山が迫っている地勢から、必然的にコンパクトな都心部が形成されてきている。

地震の影響や文化の違いからかタワー型と呼べるようなマンションはほとんど見られないながらも、小中規模のものが建ち並んで都心部に多くの人口を抱えている。

台北は中国本土に比べればマチの歴史というものは本当に浅い。中国何千年っていう歴史からみれば無いに等しいものなのかもしれない。
そのためかマチを歩いていて歴史の重層性を感じる瞬間が少ないように感じられる。もちろん地震による建物更新の影響も少なくないと思われるのだが。
歴史的環境の保全に向けて動いている地区(迪化街など)も、近世というよりは近代の文化をベースに環境形成がなされた地区が中心となっていると思われる。

そんな「新しい」マチである台北市の中で、歴史的環境といえるものとして、日式住宅がある。
日本統治時代に建設された日本スタイルの住居である。
韓国にも多く残っているそうである。

木造瓦屋根の日式住宅は、サザエさんの家的で、日本の近代以降のある時期の都市近郊における一戸建てスタイルが持ち込まれたのだと思う。
町家といった伝統的スタイルでもなく、農家風でもなく、長屋的な共同住宅でもない。敢えていうなら武家屋敷的な雰囲気。

都心真ん中の大通りに面した場所にもあったりする。

日本由来といえども、日本の都心部ではなかなかお目にかかれなくなったデザインだと思う。逆に地方中心都市などにはあったりするのだろうか?

全体として見慣れないデザインだけれども、瓦屋根などのエレメントが馴染み深いものなので、懐かしさ(的なもの)を感じてしまう。

内部は台湾の人のスタイルに合わせて、畳を板張りにするなどの工夫はしているらしいものの、長年住居として使用されてきたものが、都心部に多く存在していることは驚かされる。
蒸し暑い日本の夏を乗り切る日本建築の工夫が亜熱帯の気候の中でも十分に機能してきたことがあるのだと思う。

そしてこれらは十分に台湾の歴史的環境であると考えられる。
例えるなら、日本のカレーが本場インドのカレーとは違うものとして独自の文化的発展を遂げてきたように、台湾の日式住居ももはや台湾独自の文化といってよいのだろう。
いくら親日的とはいっても、旧統治国の文化を歴史的環境としてマネージメントしていくのはいくらかの抵抗があるのかもしれないが、真剣に検討すべき課題なのではないかと思う。

写真左の壁は大規模集合住宅の建設に伴って街区をすっぽり覆うように作られた壁であり、以前は写真右側に並ぶような日式住宅が並んでいたことが予想される。
北京の胡同などとも同様で、歴史的なヒューマンスケールの空間が街区単位で消滅していっているようだ。
台湾では歴史的環境を直接的に守っていく法制度が十分に整っておらず、特定地区を指定したデザインコントロールや容積移転などを活用した間接的な環境保全が試みられてきているようだ。
ただ、どうしても少々「特別な」地区が優先的に進められてしまい、普通の環境が省みられていないのが現状であると考えられる。
調べてみると、近年日式住宅の研究はちらほら出てきており、これらのようにその価値や現状の様子をきちんと把握していくことが必要性を感じた。
2007年10月27日(土) at 22:50 

高架道路下の駐車場が休みの日には商業空間に変容 / どくたーくに

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台北市内を歩き回っていると、人だかりがあった。
台北建国暇日花市場という市らしい。

歩いてみると、何やら違和感を感じる。
商業空間らしくない雰囲気。

暇日花市場。
暇日。
暇な日。。。休日や!

休日だけの仮設市場。
周りを見渡してみたら、ゲートや料金所があった。
ここは駐車場。

都心駐車場が休みの日には市場になってた。
柔軟な空間利用がええ感じ。

2007年10月11日(木) at 22:11 

線路マチ溶け込み度の高い平渓線の十分 / どくたーくに

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平渓線の平渓駅から十分の駅へ。

平渓駅もマチと駅がくっついていると感じたけれども、十分はマチの中心街路の真ん中を列車が通っていく。
そんなに頻繁に列車が通るわけでもないので、自由に線路を横断しているし、線路上に座りこんで遊んでいる子供もいる。
列車も笛を鳴らして、通りますよーって感じで、気を使いながら通り抜けていく。

列車ありきでマチが大きくなった(っていってもたかが知れている規模)から、こんな状況でも違和感あまりない感じになってるんやろうか。
日本のローカル線にも、こんなマチ溶け込み度の高い駅はあるんかなあ。

2007年10月3日(水) at 20:54 

天燈で有名な平渓のムラには駅がポツンとある / どくたーくに

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平渓線の終点菁桐駅から折り返して、平渓駅にて下車。
ほんまに小さなムラの隅に駅があるという感じ。
ちなみに降りた人は数名程度。

ここのムラは鉄道沿いの川に支流が合流するところに位置していて、山と川の間の限られた斜面に張り付くように位置している。
天燈という流し灯篭の気球版みたいなものを一斉に空に飛ばす行事で有名なマチらしいのだが、そんなハレの日があることを感じさせないくらいに静かなムラ。

坂道の多い老街(歴史的中心地区?)と呼ばれるエリアには、特に建物保全などがされているわけでもないが、持続する生活によってなんとなく老街っぽさが維持されているのかなと感じる。

小さなマチなのですぐに一周してしまい、一時間後の電車を小学生といっしょにホームで待つ。

2007年9月30日(日) at 20:57 

平渓線に乗って山の中の菁桐という駅に降り立つ / どくたーくに

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仇分まちあるきが意外と早く終わったので、最寄の瑞芳駅から平渓線という鄙びた路線に乗ってみた。

予習無しだったので、駅のおばちゃんにいろいろ聞いて、えいやって途中下車してみることにした。とりあえず8つほどある駅の中で終点の菁桐駅というところで降りてみることにした。

どうやら平渓線は日本の電車マニアにも知られたローカル路線らしく、渓谷沿いを2両編成の小さい列車がのろのろ走っていくのは、好きな人にはたまらないんかもしれない。

菁桐駅は統治時代の日式建築がそのまま残されていて、日本でもなかなか見れないものやと思う(駅舎は詳しくないんで間違ってたらすんません)。
昔持っていたプラレールの「田舎の駅」にそっくり。

ここも炭鉱関連の観光施設があるようだったが、駅前に数件の商店が並んでいるくらい。名物路線の終着駅ということに辛うじてすがりながらも、無理してない感じが居心地よい感じを醸しだしているのかもしれない。

唯一おおって感じたのが日式建築民宿兼カフェで、田舎のおばあちゃんちに行ったような雰囲気でお茶を飲んで次の電車がくるのを待ってました。

2007年9月29日(土) at 20:14 

仇分近くの山肌にぽちぽちと点在する構造物は何やろって思っていると / どくたーくに

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仇分から金瓜石へと向かう途中のバス車窓から景色を眺めてみると、山肌にぽつぽつと何やら構造物が並んでいた。
こんな地域にもディベロッパーの手が?とか、別荘地か?とか考えを巡らしながらも正体がわからず。

でも、帰り道のバスで付近を通り過ぎた時に正体発覚。

お墓やーー。
日本はムラの裏手とか、目につきにくいところに地味な小さい墓石が並んでいるだけなんで、見慣れない景観。

沖縄墓のルーツもやっぱり中国系なんやねえ。
2007年9月28日(金) at 22:34 

さらに山を登った金瓜石で日式ってのを意識するようになる / どくたーくに

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祝祭の仇分からバスに乗り、さらに山を登っていくと金瓜石というマチに着く。

日本統治時代の金鉱採掘で栄えたらしい。
全体がエコロジカルパーク(?)になっているというので、行ってみると、半テーマパーク的な香りがした。要するにリアルな生活はないけれども、実際のフィールドでやることに意味があるという狙いなのかと認識。
実際には博物館などのハコを中心に巡っていくので、あまりそうした実感はないのだけれども。


統治時代の日本家屋(日式住宅)を大学研究者が復元したらしい。
他にも統治時代に造られた、その名も黄金神社という神社の後などもある。

こんな日本から離れた山の奥で、日本に出会うことに少々戸惑いながらも、初日にここを訪れたことで以降の台北の見方にも影響を与えたと思う。

2007年9月24日(月) at 09:20 

祝祭化された仇分の雰囲気 / どくたーくに

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2007年9月21日(金) at 12:56