せっかくだし箕面グリーンロードを通ってみる / どくたーくに
おでかけ・旅 > マチあるき

能勢の帰りに今話題(業界関係者だけ?)の箕面グリーンロードをわざわざ遠回りしてまで通ってみた。
山道に突如出現した入り口。
どこまでも続く直線のトンネル。
状況を理解できていないカーナビ。

途中でこのまま異世界へと出てしまうのではという錯覚にさいなまれる。
そして思わず、この道路の強引さに顔がにや付いてしまった。
そして出口。
新御堂筋北端の白島に出てきたときには、思わず拍手。
マリオカーとでショートカット見つけた気分。
箕面の滝の水量に影響したとかしてないとか議論になってるようやけれども、身近な空間が能勢・豊能方面と繋がったことに素直に驚いた。
2007年10月17日(水) at 22:29
田植えを欠席したオーナーが、能勢長谷の棚田へのこのこと稲を借りに行く / どくたーくに
日記・その他 > あまりふつうでない日々

10月の初めの週末。
能勢長谷に稲を刈りにいってきた。
いちおう棚田オーナーという立場(共同出資ですが)にありながらも春の田植えに欠席し、今年は稲刈りだけの参加。
2年目ということで、私たちに課せられた(課せられていない)役割を全うし、BBQしてのんびりと景色を眺めてた。
さあ、農地のことをしっかり考えないと。。

2007年10月17日(水) at 21:37
高架道路下の駐車場が休みの日には商業空間に変容 / どくたーくに
線路マチ溶け込み度の高い平渓線の十分 / どくたーくに
天燈で有名な平渓のムラには駅がポツンとある / どくたーくに
おでかけ・旅 > 台湾のおはなし

平渓線の終点菁桐駅から折り返して、平渓駅にて下車。
ほんまに小さなムラの隅に駅があるという感じ。
ちなみに降りた人は数名程度。
ここのムラは鉄道沿いの川に支流が合流するところに位置していて、山と川の間の限られた斜面に張り付くように位置している。
天燈という流し灯篭の気球版みたいなものを一斉に空に飛ばす行事で有名なマチらしいのだが、そんなハレの日があることを感じさせないくらいに静かなムラ。
坂道の多い老街(歴史的中心地区?)と呼ばれるエリアには、特に建物保全などがされているわけでもないが、持続する生活によってなんとなく老街っぽさが維持されているのかなと感じる。
小さなマチなのですぐに一周してしまい、一時間後の電車を小学生といっしょにホームで待つ。

2007年9月30日(日) at 20:57
平渓線に乗って山の中の菁桐という駅に降り立つ / どくたーくに
おでかけ・旅 > 台湾のおはなし

仇分まちあるきが意外と早く終わったので、最寄の瑞芳駅から平渓線という鄙びた路線に乗ってみた。
予習無しだったので、駅のおばちゃんにいろいろ聞いて、えいやって途中下車してみることにした。とりあえず8つほどある駅の中で終点の菁桐駅というところで降りてみることにした。
どうやら平渓線は日本の電車マニアにも知られたローカル路線らしく、渓谷沿いを2両編成の小さい列車がのろのろ走っていくのは、好きな人にはたまらないんかもしれない。

菁桐駅は統治時代の日式建築がそのまま残されていて、日本でもなかなか見れないものやと思う(駅舎は詳しくないんで間違ってたらすんません)。
昔持っていたプラレールの「田舎の駅」にそっくり。
ここも炭鉱関連の観光施設があるようだったが、駅前に数件の商店が並んでいるくらい。名物路線の終着駅ということに辛うじてすがりながらも、無理してない感じが居心地よい感じを醸しだしているのかもしれない。
唯一おおって感じたのが日式建築民宿兼カフェで、田舎のおばあちゃんちに行ったような雰囲気でお茶を飲んで次の電車がくるのを待ってました。

2007年9月29日(土) at 20:14
仇分近くの山肌にぽちぽちと点在する構造物は何やろって思っていると / どくたーくに
高槻の中心市街地にこっそり隠れてる緑の壁 / どくたーくに
さらに山を登った金瓜石で日式ってのを意識するようになる / どくたーくに
おでかけ・旅 > 台湾のおはなし

祝祭の仇分からバスに乗り、さらに山を登っていくと金瓜石というマチに着く。
日本統治時代の金鉱採掘で栄えたらしい。
全体がエコロジカルパーク(?)になっているというので、行ってみると、半テーマパーク的な香りがした。要するにリアルな生活はないけれども、実際のフィールドでやることに意味があるという狙いなのかと認識。
実際には博物館などのハコを中心に巡っていくので、あまりそうした実感はないのだけれども。

統治時代の日本家屋(日式住宅)を大学研究者が復元したらしい。
他にも統治時代に造られた、その名も黄金神社という神社の後などもある。
こんな日本から離れた山の奥で、日本に出会うことに少々戸惑いながらも、初日にここを訪れたことで以降の台北の見方にも影響を与えたと思う。











