仇分に行ってみるが、祝祭化された仕掛けにまんまと騙されそうになる / どくたーくに
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台北深夜到着後、
翌朝すぐに電車とバスを乗り継いで仇分というマチを目指した。
九份の大きな特徴と言えば、急斜面に存在する路地とその脇の建物で構成される独特の景観。
周辺の金鉱産業の発展と共に人口が増大し、限られた空間に住宅が建てられたことが、そうした空間の由来だと考えられる。
非情城市という映画で話題となり、一気に観光地化したらしい。
また千と千尋の神隠しのヒントになっているとの情報もWebにあるが、マチの構造が全然異なっているので、これは嘘ではないかと思う(ジブリ好きなので)。

仇分は台北ツアーのオプショナルコースによくあるマチで、日本人の多さはある程度覚悟していたものの、その量の多さに少々げんなりしてしまった。
行った日が平日で現地観光客が少なかったということもあるかもしれないが。
そしてそうした観光客商売を生業としたお店の連なりが、京都の清水とか嵐山のような典型的な観光地の風景を思い出させた。
規則的に並べられた提灯がどこか祝祭の雰囲気を醸しているけれども、冷静に見れば、生活空間として育まれてきた景観はその背後にある普通の建物群である。
観光地としての仕掛けが本来の形を覆い隠してしまっているのである。
一本隣の路地、そうでなくても提灯が吊るされた階段を少し降りていくだけで、マチの地の景観を垣間見ることができる。
こうしたもっと素の姿を見せていくことはできないのだろうかと感じる。
こうした現象はここだけに留まらず、世界遺産に代表されるメニューリスト的な観光のまなざしとして全世界で加速度的に増加している。
そして、そうした地域マネージメントに対して責任を持たないメニューリストへの追加は、安易な場所に消費につながり、本来持っていた生活空間としての魅力の喪失へと直結してしまうのだろう。

2007年9月20日(木) at 00:15
このエントリ(記事)へのコメント
けどさ、 /
ササヲ URL
そうやって隠すことで、
「あっち(堤燈あるトコ)を歩いてね、こっち(飾り無いトコ)は住空間やからこんといてね」
って線引きできてるのかも知れへんな。
「あっち(堤燈あるトコ)を歩いてね、こっち(飾り無いトコ)は住空間やからこんといてね」
って線引きできてるのかも知れへんな。


