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ねこ / ギト

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雨が1日じゅう降り続いて寒い日だったので
通いねこが集まってきて団子状態になって寝てました。

あくび。



2008年3月31日(月) at 18:30 

中学校。 / ギト

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咲き揃わぬ桜が雨に濡れた日。
春休み中の中学校の音楽室で、吹奏楽部とコーラス部の
合同発表会が行われるというので見学に行く。





それぞれ、パートごとのアンサブルがあったり、
ソロで演奏したりで約3時間。
休憩のわずかな時間に音を確認するパートあり
諦めたのか自信たっぷりなのか泰然とする奏者あり。







巧拙は楽器によって、ヒトによってそれぞれだけれども
一様に真剣でそして楽しげであり恥ずかしそうでもあり。
管楽器などというもの、なかなか家で練習するわけにもいかず
人前でのソロ演奏を1曲通して聴いたのは初めてであったが
初めて触った楽器でも1年続けておれば、
なんだかそこそこ上手になっていて、少なからぬ感激。

しかし、学校ってのは案外あちこちなんだか絵になるもんだ。






2008年3月30日(日) at 22:36 

集うのか。 / ギト

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写真学校のガイダンスに行ってきた。

来月から受講するヒトの中に、徳島県から大阪・十三まで通ってくるという
熱心というか奇特なヒトがいて、
プロフィールをみたら自分の父親の実家と同じ町なのであった。

と、ゆーてたら校長もその町内出身だときかされて
お互いにけっこう驚いてたのだが
実は頻出の花師の父親もその町出身なのであった。

ミチコ女史は「いやあぁ〜縁があるんかしらん〜」などと言うていたが
まあ偶然なのだろう。

しかし偶然とはいえ、そんなに大きい町ではないと思うのだけれどもなあー、
徳島県吉野川市鴨島町。

それはそうとF氏、受講お待ちしておりますのでー。
2008年3月29日(土) at 19:58 

女子の正しい選択 / ギト

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朝から鼻水が垂れたれで涙目になっている。
おおっ!来たか花粉症!っと一瞬思ったが
やたら寒気がするので、これまたきっと風邪だ。
花(鼻)風邪ってやつだ。

古本屋で文庫本を漁ってレジに並ぼうとしたら
スラッと背の高いデキる感じの素敵なオサレ女子が
新刊古書として早くも古本屋に出回ってる
伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」を手にして前に並んだ。
「おお!おねえさんお目が高い!それはいい買いもんだ!」
と思わず声をかけそうになったが自重し、
できるだけ優しく包み込むような微笑みをたたえて
じっと見ていたら、そんな視線に気づいたのか
軽く振り返って若干気持ち悪そうな表情をされた。
熱烈なファンであれば古本屋では買わないだろうと思い、
「お、お、オレのん貸してあげますっ!」と
言おうかとも思ったが、さらに気持ち悪がられるのだろうと思って、
これもやめておいた。
ああしかし、女子はこれから数日夢中になって読み耽るのであろうと思うと
ニヤニヤ笑いを抑えることができなかった。

読書好きな女子が好きだ。
ファッション雑誌くらいしか読んでなさそうなイケイケ女子が
丸山健二なんかを読んでたら、もうそれだけでクラクラしてしまう。
そして、おすすめした本を「よかった」と言ってくれる女子が好きだ。
たとえ、社交辞令であったとしても。


2008年3月28日(金) at 19:04 

写真展 / ギト

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写真展の紹介をするのにこんなことを書くのはアレだが、
実は自分は彼女については写真よりも文章のほうに表現の才を感じていたりする。

職業写真家ではない彼女が写真を撮る理由は、
それが、外界と自身の内部との軋轢や親和性を問いただし
確認することであるからのようだが
とはいえ、ともすれば独りよがりに陥りがちなそのような動機であっても
「作品」となった写真を見るかぎり、それが撮られた時点での
彼女の私的な感情や意図が画面上に表現されているわけではない。
おしつけがましい「私の視点」や、うんざりするようなあざとさを排し、
被写体と撮り手の間に発生したのであろうおそらく濃密で
電気信号のような感覚の共感を第三者たる我々に強いることはない。
ただ「写真を撮る」という行為の結果が淡々と表現されていて
心地よく鑑賞できることだろう。

逆に、特に読書家でもなく言語的拘泥が強いわけでもないくせに
ときどきドキリとするような語句を選択してみたり
「レトリックってどーゆーことですか?」などと尋ねるくせに
微妙に複雑な文章構造を使っていたりする文的な才と
瑞々しさと疲弊感の狭間で漂う彼女の感受性は
脳内として会場に置かれた冊子でテキストとして確認することができるようだ。

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増田結子写真展【写真と脳内】

4月1日〜11日
at [BIG STONE Gallery]
大阪市淀川区新北野 1-11-23 ハイム北野 B-3
TEL 06-6304-7176
12:00〜19:00 月曜休廊

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2008年3月28日(金) at 14:41 

喪失。 / ギト

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サラリーマン時代の同期入社であって退社も半年違い、
職種は違うけれど同じ業界で仕事をしてきた男が
健康上の理由で経営する編集プロダクションを廃業するという
挨拶状がきのう届く。

出身校も同じで同期とはいえ気分的にも年齢的にも先輩であって
独立心に富み、仕事に対する姿勢や高い能力も
自分が「このヒトこそは」と信頼し尊敬できる数少ない人間のひとりであった。
近頃は一緒に仕事をすることはめっきり少なくなっていて
季節の挨拶を交わすくらいになっていたけれども、
そのヒトの存在はいつも頭の片隅にあって、
事あれば脳裏に浮かべて意識をしてきたヒトなのであった。

仕事をすっかり辞めてしまうわけではなさそうだけれども
同じ時期に独立し、当初は協力したりされたりしながらお互いにキャリアを積んできた人が
ひとつの転機を迎えて同じ立場から去るということには
少なからぬ寂しさをおぼえた。

歳をとるにつれて、まわりのヒトたちも同じく歳を重ねて
親や年上のヒトたちは順々にこの世から去って行く。
いや必ずしも年齢の順にというものでもなく病や不慮の事故なんてこともあって
親より先に子どもが、自分よりも若いヒトが、自分よりも元気なヒトが
自分よりも世の中にとって必要そうなヒトが先にどうにかなっちゃうってこともある。

日々を重ねるごとに大事なものや大事なヒトが増えていって
そしてそういうものはずっと自分の手の中にあるってわけでもなくて
どんどん過去のものになっていったりどんどん喪われていく。
そしてその獲得と喪失の割合はおそらく歳をとるにつれて
喪失のほうが大きくなっていくようであって
また喪うことの痛みは自分にとって対象の存在が重ければ重いほど大きくて
どんどん蓄積されていくと思うのに、
そういう痛みの積み重ねをヒトはどうやって処理しているんだろうか。
どんなふうに折り合いをつけて生きながらえているんだろうかと不思議に思う。

おそらくいま現在のシアワセだとか喜びだとかを感じることも
明日だとか来年だとかっていう、ごく近い未来においてさえも
それがそう思うときいまその時点ではなくて
過去のもどれない一時点であることに気がついて、寂しい痛みをおぼえるに違いない。
物質的獲得は物理的に存在がある程度継続していくけれど
心理的な獲得はその時点で喪失を含んでいるものなのだなあと
つい最近気がついて、そのこと自体が少し寂しくなったりしている次第である。

数年前はそんなことは思わなかったのだけれど。
2008年3月27日(木) at 18:10 

備忘録--今日、今年初の桜-- / ギト

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大阪の開花は3月28日だそうだが、
陽あたりのいい公園では2分咲きくらいに咲いている。

先週来、すったもんだしていた案件にはすっぱりと見切りをつけ
また、募る杞憂の種もひとつは大事なくて済んだような気配。

このところ、思いついたことをケータイにメモるようにこころがけているけれど
相変わらずあまり前向きあるいは発展的な思いつきはまるでなくて
違和感をおぼえたり疑問に感じることばかりが連なっていて、
たとえば、
●独特でさえあればいいのか
(辰吉丈一郎の髪型)
であるとか
●フツー志向の欺瞞
(大衆=世間に媚びて個々を軽んじるヒトのやりかた)
だとか
●称賛と同意ばかりの気持ち悪さ
(ツッコミ皆無のコメント欄の世界)
とか、そんなことばっかりメモっている。
それ以外は
●月刊DOUBLE
とか
●いま地下鉄のホームでひとりマクドのポテトを
 バリバリ食ってる女子がカンペキに好みのタイプの顔だ。
であるとか
●冷凍トイレ(回文)
だったり
●スカした女子のスカートの裾が乱れていてもグッとこないな
とかいうようなあまり忘れなさそうであったり、別に忘れてもよさそうなことが書いてある。

もともとマメにメモをとる性質ではなくて、
例えば仕事の際もスケジュールやら記録すべき要点はさすがに書き留めてはおくものの
プロセスを段階的に保存しておくというのではなくて
発想から一気にフィニッシュまでやっつけるというやり方か
あるいはイザ作るぞとなったときに初めて問題に集中する、という感じだったので、
案出しであるとか思いつきの段階でメモるという習慣がなくて
どうやら、上手にメモるということのやり方がわからないらしい。

超整理術であるとか、シンプル思考法であるとか、
最近、ものごとや課題の整理/分析についてはいろんなセンセイが書いているそうだけれど
メモ的記録の方法なんかも上手なヒトはすごく上手なんだろう。




けど、ノウハウ本とかビジネス書的なのはあんまり読みたくないなあ。
まあいいや、これがいちおう備忘録で。
2008年3月25日(火) at 17:46 

記憶というもの / ギト

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たったいま、ほんの数秒前に思ったことをもう忘れている。
そのくせ、忘れたいことが消えずに困ったりする。

おそらくそれは、忘れたいと思っているからこそ忘れられないのだ。
喉もと過ぎれば熱さを忘れるとは言うけれど、肉体的な痛みは忘れても
ココロに痛みをともなう記憶は忘れようとしても都合よく霧散してしまうものでもなく、
具体的な細かな状況やそのとき聞いたり発した言葉などというものは
ぼんやりとなんとなくな感じになってしまっていたとしても、
なにかひとつそれらに関する記憶の断片群のとっかかりに触れた途端に苦い風味が蘇る。

反して悦びや心地よい記憶の数々もどうかというと、
確かに記憶として残っているそれらにしても、
それが記憶であるが故にそれ自体はすでに過去のものであって、
決していま現在の状態ではないということに気づいた途端に、
また棘を刺す。

悦びに充ちた今に生きているヒトはまったくなによりなことだが、
耀かしい過去や残る記憶が楽しいものばかりというようなヒトもまた
それはそれでかなり希少なヒトに違いない。
2008年3月24日(月) at 17:52 

コトノハ / ギト

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本日いただいた方々からの。

「何かこうー、自分からちょっとずつでも始めていかんと」
と言うオトコがいて。
「なんにも変わりませんから」。

「気ぃ悪くせんと聞いてくれ」
と、遠慮がちにダメを出すヒトもいて。
「いやオレはええと思うんやけどな」

「遊ばれたんスよ」
いい感じだった髪型が一転して笑えるヘアスタイルになっており。
「ちょっと短くしてみよかなと思ったら…美容師に遊ばれた」

「あら、やっぱり。思ったとおり…」
などと、きんつばを齧りながら言われても。
「朝から体調悪いアピールしてたんだけど」

1日の終わりはその日の会話を反芻するクセがあり。
布団にはいって寝ながら行うと、相手のコトバ自分の返しが気になったり
悔やまれたりして寝付けなくなるので、
最近はもっぱら入浴中に。体調がよければ電車の中で。
おそらく残っているコトバと消えたコトバがあって、
話しているそのただ中では留意していなかったコトバでも
深層のあたりに妙にひっかかっていて時間がたってから
湧いてあがってきたりもする。

心地よい緊張とともにヒトの書いたコトノハの綴りを読んでいると
自分もなにか書きたくはなるけれど、
読むほどには書くことに集中できずに、誰かのコトバを思い返してみたりする。
2008年3月22日(土) at 21:59 

老害五月雨。 / ギト

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1日雨だね。気分も晴れぬな。

「先達は敬うべし」と言うけれども。
「お年寄りには優しくしよう」と言うけれども。

しんどいぞ。コミュニケーション感覚がこうも違うと。
メールで送れというたんだからメールチェックはしてくれないと。

電話に出たらいきなり「えぇ〜とぉ〜、どやったかな」とか
「どないしよかなぁ〜」などと悩まれると。
何か言うたびに「あのぉぉ〜〜ええぇ〜〜とぉ〜、うぅぅ〜んとな」と考えこまれると。

なにか思いついたらそのたびに電話をしてこられると。
五月雨式にちょっとずつひとつずつ用件いわれると。

ああツライ。
あなたは老後のたしなみ程度の感覚なのかもしれないが、
こちらにとってはいちおう仕事なんだから。
自分もそのうちいわゆる年寄りになるとはわかってるんだけれども。

相当がんばっておつきあいをさせていただきましたが、
そろそろ限界、限界原形質膜分離。
お願いしマス。
早いとこ後進にそのポジション、譲ってやってくださらぬか。
2008年3月19日(水) at 19:41