よねやま日記

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スパイダーマン3の加速遠近法 / よねやま

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スパイダー空間の遠近法の消失点は、顔の真ん中。

加速度的な速度で吸い込まれる鏡面都市。

ヴィリリオのアメリカナイズされた反精神分析的な空間

映画WEB3.0の身体。お互いスクリーンとなる

トポロジカルな映像身体。

反ストーリーの鏡のスパイダーマン。
2007年5月9日(水) at 02:28 

スパイダーマン3 流体論的身体 / よねやま

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スパイダーマンのグリッド身体とメトロポリスWEB3.0。
光どうしの干渉場がその戦いの場。ペンローズのツイスター
空間のクロスポイントで生起するものこそ、大きなデジカメ
系のモビルスーツというアトリビューション。

アスリート系ファッション、身体の表面物理と青と赤の構造
色は、地下と天空に由来しないもの。表面は砕かれたミラー。破片の視覚。

地下の惑星としてのロマン主義的な反光源にも、そして、天空のグリッドのあちらの世界にも組しない亜光速の身体。

擬態としての異界という出来事

都市のテキストとしてのフリーランスの写真ショットのパッシブな偶然性とスパイダーWEBのアクティブな攻撃性との往還。

スパイダーターゲットとしての亜高速のWEB。乱反射する都市の擬態光のターゲットに反応しないもの。こなごなに砕く砂男。敵ジェンダー男性説。マイクロジェンダーの都市。

接着ポイントの極限を生きる砂のツイスター空間。ピンホールとピンセック。映画館の無数のピンホールWEB。

空飛ぶ新聞記者からダイバー・カメラマンへ。新幹線よりも速く走らず、天かける男。

摩天楼よりも擬似的に低くかつ高く飛ぶこと。禁じられたカード。

べたべたの魔の粘液質、ダークな乳剤で悪に感光性を持つように晒され覆われる危機。

都市的な凸凹の谷間を高次元皮膚とし、そのカウンターパートであるスパイダーマンの身体。巨大なスパイダー空間としてのNY都市。

都市の谷間を亜光速で動く、しなやかでなめらかな身体。

秘密のスパイダー係数の表面物理が施されたコスチューム。

流速論的な場。極限のフラクタクルでかつ準結晶光学的な不規則な乱流凸凹男との対決。

コスチュームは素手で持てること。
















2007年5月4日(金) at 12:18 

スパイダーマンの飛び道具 / よねやま

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人を殺めないスパイダーマン

グリッド格子のスパイダースペースと都市の経験

ニューヨークの空とスパイダーWEB2.0

こうしたことが素地で対決が組まれる。空中のアスリート
プロレス。

スパイダーマンのパッシブな術、飛び道具としての糸

拳銃でもない。素手の武器の外化としての糸、まあ細長い両腕。光線と同じく、軽く早く目的地につく。サンドマンの砂粒をキラリティにしているパッシブな術としての強さ。

こういう戦いは、よくいったんロープに飛んでそれから折り返して攻撃するミルマスカラスという強い空中戦のメキシカンスタイルのレスラーが昔いた。

鏡に対して挑む。自らの影と戦う。シャドウとの哀感のキアスム。






2007年5月3日(木) at 19:15 

スパイダーマン / よねやま

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 スパイダーマンのタイツは異様に滑らか。それ以外は全身スパイダーの巣のようなグリッドの刺青模様。ちょうど、かつての凹面鏡に世界が高次曲面化して取り込まれたように、グルーオンの象徴であるスパイダーのねばねばにによって刺青化された身体都市。
 これがすごく、むかしから気持ち悪かった。と思っていたが、最近は、下半身のみアスリート系で空気抵抗ひくめで現実的、恋もキスする人間。あとは、やはり、ニューヨークというヘゲモン都市の象徴、すなわち摩天楼のあわせ鏡の無限格子地獄のグリッドが皮膚に刷り込まれて焼きこまれ明滅している。表面摩擦係数はその分大きそう。全身が印画紙になってしまったスパイダーマン。まあ俊敏とじっとしている動きの差異そのものがスパイダーの特徴だから。と気づいて納得。パッシブな特性を生かして、テレロボットのようにして、都市をジーンズのように身に纏ったとてもファッショナブルな感じ。マスカレードっぽいのもそのせい。衣装は、ドレスダウンされた扱いを受けている。都市の裏間ビルもそうだから。オバQのあれと同じ。中身はヒト科の「動物」。ワニのように水の地下世界でしか動けなかったゴジラではなく、ちゃんと光量子のように、誰よりもすこし早めに動きまわれるし、それなりのグルーオン的な中間子的な存在感を都市空間では発揮できる。これが西部劇の大平原では、光はあちらに行きっぱなしでホログラフィックな物体光のように帰ってこない。あわせ鏡の無限空間で果てしないニューヨークでこそいいのであろう。最も敏感な眼からは、「眼からうろこ」ではなく、スパイダーマンの加速遠近法の光のファイバーリングが事前になされている。「ガンヲトバシテイル」のだろう。日本には、すでに明治に誰かによってトバサレタ打たれ強い空中架の電線の巨大な蜘蛛の巣がすでにあるから、なんとなくわかりやすいと思う。それにテレロボットのように乗ってしまう体験が映画に仕組まれている。光の粒と砂の粒の対決。反射があるものと、ないもの。そしてグルーオンの前面化の悪夢が、スパイダーマンの身体が悪のアスリート・ファッションのようにスポイルされて突き動かされる危機。どれも都市の転移身体としてのスパイダーマンの敵が鏡像的なものでありうることと、ちょうどあわせ鏡の無限空間地獄。アナザーコンシャスネス、異世界だが、それとの交接モノガタリ。いわゆる全てスパイダーマンとの相関像でないと物語にならない。駄目なのだ。敵も、都市スケールではりあおうとした際に失敗したため、都市の格子縞が癌化し悪性化してしまった、格子縞の執拗なしっぺ返しをテレロボット的のように刺青化されてしまいとれなくなる。それはスパイダーマンの対偶、ミラー。
 スパイダーマンの皮膚は、都市の谷間を光速度で泳げるように、都市の格子をうろこのようにもっている。全身がそうなっていないのは、全て光だと、いわゆる透明すぎて早すぎてみえない。映画館やNYのからだにそぐうファッションされた速さで生きられる。都市の転移身体としてのスパイダーマン。

 むかし、村上春樹さんが訳していたフィッツジェラルドの「氷の宮殿」にそんな乱反射の東部の都市空間の寓意があった。さんざんな眼(め)に会う主人公。それが南部の自然と日常への帰還を促す。
 また、自意識過剰で浮かれ気味のスパイダーマンの「前世」としてのフィッツジェラルド....。都市の経験。
東京がゴジラで壊されるのは、自然災害の起こる時間周波数の「刺青」を身にまとった日本の都市とはおのずと異なる、グリッドの「刺青」の象徴、スパイダーマン。敵がいなくなるのが最もつらい恋愛。都市ひとり。フリーランスの写真家というのも納得。写真を撮っているうち、全身が感光乳剤に・・。

「日曜日の暑い晩、僕はタクシーの屋根に乗って五番街を動き回った。....」 (『My Lost City』by Scott Fitzgerald ) 



2007年5月3日(木) at 13:28