中国の大気汚染、日本にも影響じわり / よねやま
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日本も高緯度成長時代に経験した、垂れ流しの公害の影響を受けている。しかしその規模と持続期間については未曾有の経験である。日本の経験に学んでもらわなくてはいけない。
日本もひどかった。いわゆる粗製乱造の著作権や意匠権無視のコピーが出回って、国際デザイン会議で批判を浴びたのは高度成長の離陸した1960年代初めだった。メイド・イン・ジャパンがひどいものだというイメージだった頃だ。
現代は、温暖化抑制で、クリーンテクの移転をどう経済的に双方が益を得るようなビジネスモデルに練っていくかが問われている。これはやはり日本のパワーと想像力にかかっている。
いわゆる模倣とキャッチアップが得意な国だったので、こうした外国の状況を批判するのは大変得意で、お家芸である。ワンワードの批判力にはことかかない。シニシニズムも優雅にこなせる。だが、どう解決に導くかについての洞察力がなきまま、批判してもしかたがない。
しかしながら、批判が生きがいであり息抜きでもあることも多い。それが人間というもののなりわいでもあろう。その限界は限界で仕方がない。素材にことかかないと意識されているのだから。オキュパイという言葉があるが、展開力がない批判はこの言葉にふさわしい。人生の穴埋めなどというときの意味に近いものだ。
日本のセクター別の温暖化阻止の抑制政策のアプローチは、まさにバンコク会議の時間を「穴埋め」しているだけなのかどうか。発展国への支援規模とこうした大気の超域公害の問題は関係が深い。食糧の生育や水の循環や質に影を落としはじめるという実害が数年の酸の蓄積で出るのかどうか、気になるところだ。こうしたリスクも勘定に入れて日本の環境省はいるのだろうが。いずれにせよ、酸のみえないスモッグ雲にいつも覆われてしまう、オルウエィズ・クラウディの日本というシナリオは避けたい。

